第62話 僕はリムルが隠していた物を知る
王宮内のダリルの遊び部屋の隣にある個室でリムルは床に押し付けられるように捕らえられていた。
取り押さえているのはキャリーという王宮務めの侍女だ。
髪に白いものが混じる年齢だが、並の男よりも大きい体格をしており、力も相応だ。
リムルももがくことを諦め目を瞑って丸くなっている。
「シルヴィウス殿。
とんでもないネズミを放り込んでくれましたね」
鬼族を思わせる強烈な怒気に満ちた表情でキャリーは僕をにらみつける。
「どういうことだ?」
「ほら! ご主人様が尋ねていますよ!!
ちゃんと答えてなさいっ!」
キャリーはリムルの頭を小突いた。
リムルは歯を食いしばりながら、
「私は……このようなことをされる覚えはありません!
クルス様! 信じてください!」
と叫ぶ。
火に油を注いでしまったらしく、キャリーはリムルの頭を掴み、床に押さえつけた。
「キャリー殿。すでにリムルは動きを封じられています。
その行為はただ彼女を痛めつけ、自身の征服欲を満たすための行為ですか」
僕の言葉を聞いて、キャリーは激高する。
「無礼な! 王宮内の平和を乱す者に罰を与えるのは王室への忠誠が故!」
「だから、何をやったというのですか。
それが分からない限り、私が優先するべきことはリムルを守ることです」
僕は腰に下げた剣の柄に軽く手をかけた。
すると流石にキャリーも気後れしたようで、リルムにかけた力を緩めた。
「ならばお答えしましょう。
この者はあろうことか国宝石を盗み出したのです」
国宝石……たしか、クリムティアとかいう紅色の宝石だ。
イフェスティオ帝国でしか採取できず、あまりにも希少なため採取したものは全て王族に献上することが義務付けられているという。
「違います! コレは私の物です!
私が昔、頂いた物なのです!」
「見え透いた嘘を言うな!
クリムティアは王族以外に持つことが禁じられている!
ダリル様ですらまだ手にしていないんだぞ」
キャリーは腕を振りかぶりリムルを殴りつけようとしたので、咄嗟に僕はキャリーの腕を捻り上げた。
「離せ! シルヴィウス! 貴様もグルか!?」
「私はそのクリムティアとやらの実物は見たことがないし、リムルが持っていたなんて初めて聞きました。
そもそも……リムル。
僕の家に来たときに君は何も持っていなかったんじゃなかったのか?」
リムルは蚊の鳴くような声で、
「スラムで捕まった時に飲み込んで、ずっとお腹の中に隠していたのです……
大切なものだったから……
でも、そんな、王族にしか持つことを許されていないとか、そんな大層なものではありません!
私にコレをくれた人は……」
リムルは僕から目をそらした。
「シルヴィウス! 貴様がグルでないと言うなら娘から石を取り返せ!」
喚き散らすキャリーにリムルはすっかり怯えてしまっている。
僕はできるだけ穏やかにリムルに語り聞かせる。
「リムル。その石を少し預けてくれないか。
必ず君に返すから」
「嫌です! たとえクルス様のご命令でも聞けません!
これはお守りなのです!
あの方と私を繋いでいる……」
リムルは体を丸めて石を隠していると思われる右拳を隠した。
どうしたものか、と考えていると、扉を開けて皇后とファリシア、そしてミーシャが部屋に入ってきた。
「サー・シルヴィウス!
皇后の御前です!
乱暴はおやめください!」
「皇后陛下!?」
ミーシャは僕を制し、キャリーは皇后の登場に仰天していた。
「ただの宝飾品が盗まれた程度ならわざわざ足を運びはしないが……
クリムティアが関わっているなら話は別だ。
盗まれた愚か者を処罰する必要もあるからな」
皇后はつかつかと足を進め、リムルを見下ろす。
「娘、その石を渡せ」
「こ、皇后陛下……」
リムルは皇后の命令に体を強張らせている。
だが、手の位置は未だ床とお腹の間にある。
「その石が命より大事というのならそれもいい。
クルス、この者の首を刎ねよ」
冷たい目で僕をにらみつける皇后。
これは、試されているのか?
僕の忠誠心がどれだけのものか。
「この場にいるもの全員、お前がその気になれば扉を開ける間もなく斬殺できるだろう」
ミーシャは腰の剣に手をかけた。
その目は僕をキッと見据えているが、明らかに怯えが混じっている。
当然だ。彼女では僕に勝てない。
「だが、あえて言う。
この娘の首を刎ねよ」
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【転生しても名無し】
『絶対そんな命令聞くんじゃねえぞ!!』
【転生しても名無し】
『でも……逆らったらこっちが殺されるぞ!?』
【◆ミッチー】
『とりあえず、殺せば盗んだ手口が分からなくなるとか言って時間を稼げば?』
【転生しても名無し】
『新参! お前デキるな!』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
「殺せば手口がわからなくなります。
どうか、穏便に――」
「クルス。お前は妾のお気に入りじゃ。
それは変わらん」
皇后は射抜くような目で僕をにらみ、
「だが、命令を聞けぬ騎士は帝国にあってはならない」
完全に不興を買ったようだ。
これは、もう挽回はできないか。
「イフェスティオ帝国皇后の名のもとに――
クルス・ツー・シルヴィウス、汝を騎士から解任――」
「わ、分かりました!!
お、お、お渡ししますからクルス様を咎めるのは!
何卒! 何卒ご容赦ください!」
リムルは額を床に擦り付け、両手を頭の前に出した。
皇后はため息を吐いて、
「ミーシャ」
と呼ぶと、ミーシャはリムルの拳を開いた。
その中には小指の先程の大きさの赤く輝く真球が握り込まれていた。
ミーシャからそれを受け取った皇后は指先でつまみ上げる。
「まさしくクリムティア。
娘、貴様どうやってコレを盗み出した……」
「それは……私がもらったものです」
返答を変えないリムルに皇后は口元を歪めた。
「見どころのある娘と思っていたが……仕方ないな。
クリムティアは加工する際に膨大な魔力を使う。
その魔力は浸透し蓄積され、改めて魔力を通すと色をつけて輝き出す。
何故かどのクリムティアもひと組として同じ色のものは存在しない。
そして、妾は現存するクリムティアの全ての色を知っておる。
つまり、このクリムティアの出処を知るためにわざわざ貴様の口をこじ開ける必要などないのだ」
ゴミを見るような目で皇后はリムルを見下した。
「冥土の土産に見せてやろう。
このクリムティアの輝きを」
皇后は指先に魔力を集中する。
すると、クリムティアの輪郭が溶けるように周囲の空気が歪んだかと思うと、淡く紫色に輝き出した。
日没後、夜の帳がおりきる直前の宵闇の空を思わせるその光は、怪しく妖艶にさえ見える揺らぎを起こしながら皇后の手や服を撫でるように照らしている。
「これが……クリムティアの輝き」
ミーシャは初めて見るだろう光景に圧倒されている様子だ。
キャリーやファリシアもその幻想的な光に目を奪われているようだ。
だが、皇后は――
「あ……ありえん……
何の間違いだ!?」
はじめて彼女が狼狽しているところを見た。
手を震わせながら皇后は魔力を一旦止め、光を失ったタイミングで再び注ぎ込んだ。
色は変わらず、淡い紫色だ。
「宵闇のクリムティア……
何故……何故なの……!?」
皇后は胸を押さえて崩れ落ちそうになるところを間一髪、僕が支えた。
彼女は額に汗を流し、顔色は真っ白で唇が小刻みに揺れている。
ファリシアは部屋を出て医者を呼びに行った。
「おい……娘……
お前にこの石を渡したのはだれだ?」
皇后は絞り出すようにリムルに問うた。
その鬼気迫る表情に圧倒されたのか、素直に口を割った。
「私が4つの時に拾われて、育ててもらった教会の主……コリンズパパと、私は呼んでいました」
コリンズ……再びその名前を聞くことになろうとは。
「コリンズ…コリンズ……」
皇后はうわ言のように繰り返す。
すると、次に声を上げたのはキャリーだった。
「コーリニアス……コーリニアス様のことか!?」
キャリーは絶叫しリムルに掴みかかった。
「貴様! コーリニアス様を知っているのか!?
いつ! どこで会った!!」
リムルはキャリーの形相に怯えて声も出せない。
僕は再びキャリーを制し、今度はしっかりとリムルを背後に置いて庇う。
「落ち着いてください。
皇后も、キャリー殿も……
コーリニアスとはいったい!?」
「うるさい! コーリニアス様の名前を発するものは全員死ね!!
貴様も! 貴様も!」
キャリーはもはや正気ではなかった。
四白眼をぎょろぎょろさせ口の端からはあぶくがとめどなく流れ落ちている。
皇后は――
「ならば、貴様もその一人だ」
冬の風のように冷たい声が部屋に流れた。
同時に、キャリーの胸元を白い光が貫いた。
【光条一閃】。
光魔術の中級魔術……
僕のライトスティンガーはこの魔術の亜種に当たる。
かなりの魔力消費と制御の難しさを誇る魔術だが皇后はいとも容易く放ってみせた。
何のためらいもなく、だ。
「こ、皇后様……!」
キャリーは口から血を流しながら皇后を見つめる。
「こ……あな、あなたは……いま…だに……
あの……きち……く……おなさけ……」
息も絶え絶えに話すキャリーを皇后は無表情で見つめ、
「すまぬ」
と、詫びた。
キャリーは血を吹き出しながら皇后に掴みかかろうとする。
「あの世で会うた時には嬲りものにでもしておくれ」
皇后の手から再び白い光が放たれた。
腹を貫かれたキャリーは糸が切れたように地面に崩れ落ちた。
「…………」
痙攣した唇からは言葉は発せられない。
呪詛の言葉を投げかけようとしていたのだろうか。
人間とはこれほどまでに憎しみを表情で表現できるのかというくらいに凄まじい死に顔だ。
返り血を浴びた皇后は相変わらず無表情のまま、
「クルス、お前の剣にキャリーの血を吸わせてくれ。
妾が後宮内で私刑を行ったなど知られるわけにはいかんのだ」
理にかなわない願いを傲岸不遜な態度で示す。
さすがの僕も苛立ちが募る。
「構いませんが、理由はお聞かせ願えますか。
なぜ、自らキャリーを殺さなければならなかったのか」
僕の言葉に皇后は肩を震わせる。
「理由……くく……
理由は妾が己の感情も制御できない出来損ないだからだ……」
「あなたはそんな人間ではないでしょう。
合理的で、誰よりも国に忠誠を誓っている方だ」
皇后は僕を弱々しく睨みつける。
権力者の威厳は消え、弱々しい老婆の顔になっていた。
そのことが僕を怯ませた。
「少し休ませておくれ……
落ち着いたらお前と娘には話す。
聞きたいこともあるからな……」
足元がおぼつかない皇后はフラつきながらもミーシャをキッと睨む。
「ミーシャ、貴様は何も見ていない。
そういうことにしておけ。
さもなくば――」
「ハ……ハッ!
我が忠誠は御身に永久に捧げしもの!
御言葉を違うことなど決してございませぬ!!」
皇后の言葉を遮るようにミーシャは跪いて深々と頭を下げた。
結局、キャリー殺害については僕の手によるものということになった。
奴隷の身であるリムルがダリル王子に気に入られたことに嫉妬し、あらぬ罪をなすりつけようとしたキャリーに激昂して僕が手をかけたというシナリオが出来上がり、王宮内に流布された。
実際のところ、キャリーをはじめとする貴族家出身の王宮勤めをしている女たちの多くは卑しい身分のリムルが皇后に見初められたことに反感を抱いていたらしい。
それぐらいにリムルは有能だった。
ダリルの身の回りの世話はもちろんのこと、王宮内でのマナーや振る舞い方も完璧で、リムルのことをよく知らない者達は公爵家や伯爵家の令嬢と思い込んでいたものも少なくないとか。
とりあえず、僕とリムルは罪に問われなかったがキャリーの葬儀が行われ、墓に埋めるまでの一週間、僕たちは王宮に上がることを禁じられていた。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【転生しても名無し】
『納得行かねえ……
やったの皇后だろ? どうしてホムホムが罪をかぶらなくちゃいけないんだよ!
実質お咎め無しとはいえ無茶苦茶だろ』
【転生しても名無し】
『だよねー。皇后のやり口には失望した。
やっぱ権力者ってろくな奴いねーわ』
【◆ミッチー】
『ホムホム、リムルはどうなのよ?
まだふさぎ込んでるの?』
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リムルはあの日からふさぎ込んで僕やメリアともろくに話そうとしない。
家事はしてくれるものの、それ以外の時間は僕たちと目を合わせず、ずっと本を読んでいるが、内容が頭に入っているのか怪しいものだ。
それぐらいにリムルは生気を失っていた。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【◆野豚】
『人が殺されるところを目の前で見たらねえ。
10歳の子供にはキツイだろう』
【転生しても名無し】
『しかも、半分自分のせいだと思ってるだろうし』
【転生しても名無し】
『↑はあ? リムルちゃんに落ち度はないだろ。
あのババアが勝手に殺したんだから』
【転生しても名無し】
『↑とはいえリムルちゃんがあんな石を持っていなかったらこんなことにならなかったろ?
そういう意味で責任感じているだろうなってこと。
わかったか、バカ』
【転生しても名無し】
『↑みんな分かっていることをわざわざマジレス乙wwww』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
お前ら喧嘩するな。
とは言え、この状況は良くないだろう。
僕たちの謹慎が解け、再び宮仕えをすることになってもこんな状態でリムルが満足に働けるとは思えない。
キャリーと懇意だった人間もいるだろう。
復讐の名のもとに向けてくる憎悪や悪意を跳ね返すことができる状態でなければ、何をされるか分かったものではない。
僕がそんなことを考えていると、家の扉をノックする音が聞こえた。
玄関先に立っていたのはミーシャだった。
「シルヴィウス、変わりなさそうだな」
僕はコクリと頷く。
ミーシャの背後の路上には馬車が止められている。
荷台を幌で覆われ、装飾もあしらわれていない。
市井の商人が扱うような何の変哲もない馬車だ。
「皇后陛下より命令を賜った。
貴殿とリムルを連れてくるようにとのことだ。
早急を要するため着替えはいらん。
すぐに馬車に乗り込め」
僕は了解し、リムルを呼び寄せいそいそと馬車に乗り込んだ。
すると、その中には――
「声を上げるな」
リムルは思わず声を上げそうになりながらも口を手で押さえた。
「何の真似ですか?」
僕は馬車の中にいた人物……皇后に尋ねる。
「たまにはお忍びで出かけたくなってな。
お前たちも付き合え」
皇后はどっかりと床に敷かれたクッションの上に座り込んでいる。
着ているものは民と変わらない彼女にしては極めて粗末な装いだ。
「たしかに……王宮には目と耳が多いでしょうからね」
皇后の考えを察して僕がそう言うと、皇后はフンと鼻を鳴らした。