第60話 僕たちが生きていくために
風呂から上がってきたメリアは寝間着に着替えていた。
光沢のある白い生地のネグリジェはピッタリと張り付くように彼女の体を包んでいる。
入浴によって血色が良くなったせいか、頬がうっすら紅色に染まっている。
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【転生しても名無し】
『お風呂上がりメリアちゃんキター!!』
【転生しても名無し】
『●REC』
【転生しても名無し】
『そうそう! こういうのが日常の潤いに必要なんだよ!
分かるか! ホムホム!』
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分かるような分からないような……
だが、メリアが同じ部屋にいるのは落ち着く。
リムルはウトウトとしていたのでベッドで寝るように促すと、無言でベッドの端に寝転んで、ほどなくして眠った。
僕とメリアはリムルを起こさないよう小さな声で会話をした。
リムルから聞いたことを伝え終わるとメリアは堰を切ったように泣き出した。
「ひどすぎます……
どうして彼女がそんな目に合わなきゃいけないんですか。
教会でもひどい目に合わされたのに、教会を出てからも……
あんなに痩せてボロボロになって……」
「もう終わったことだ。
とりあえず今は食事も住むところも用意してやれる」
「私達があの時引き返して彼女たちを保護してあげていればこんな目には……
なんでこうなることを想像できなかったんだろう……」
想像できなかった……か。
あの時にいた誰もが教会における問題をすべて片付けた気でいた。
依頼を受けた冒険者に任せておけば大丈夫だと高をくくっていた。
だが、どこかでリムルたちのことを軽んじていたのだと思う。
メリアがあの教会に残っていたなら僕はブレイドの制止も聞かず街を飛び出していただろう。
「すべての人間を救うのは無理だ。
僕たちの力が及ぶ範囲は狭い」
僕は呟いた。
メリアは乱暴に涙を袖で拭った。
「他の子供達は大丈夫なんでしょうか……」
「分からない。
でも、今更レイクヒルに引き返しても足取りを追うことすら困難だ。
償うつもりでの行動は避けたほうがいい」
僕の言葉にメリアは目を細める。
「クルスさん……
少し冷たくありませんか?
たしかに私の力では何も出来ないでしょうけど……
何かしたいと思うのが人というものでしょう」
メリアは僕を責める。
冷たい、という意味も理由もわかる。
だがどうしようもないことだと思っている。
「僕は最初リムルを買うつもりはなかった。
周りの人間のうわさ話を聞いて、彼女の命に関わる問題だから考えを改めて買い取ったわけだが、それも金がなければ動かなかっただろう。
リムルは助けられた。
その代り、あの場で売られていた子供の誰かがリムルの辿るはずだった末路を歩むことになった。
不幸な運命をたどる人間はたくさんいる。
その全てに僕は手を差し伸べることは出来ない。
僕の手の届く範囲よりも世界ははるかに大きいからだ」
僕は自分の考えたことを述べた。
メリアは膝の上に載せた拳をぎゅっと握りしめた。
「分かっています。
だから、悔しくて涙が出るんです」
悔しいというのは同感だ。
だけど、僕は涙を流すことはない。
涙を流せればメリアの気持ちがもっと分かるのだろうか?
「せめて……この子だけは助けてあげたいです。
でなきゃ私が生きる資格なんてないじゃないですか……」
「どうしてそこまで思いつめる。
知らない人間ではないし、彼女が不幸だというのはたしかだ。
だが、メリアの生きることと関係があるわけじゃないだろう」
僕の問いにメリアはうつむいて、呟くように応える。
「彼女は昔の私です。
私も運が悪ければ彼女と同じ道をたどっていたかもしれません」
顔を上げたメリアは微かに微笑んで僕の目を見つめた。
「私はローリンゲン家の娘ですが、レクシー達……ローリンゲン家の人々とは血の繋がりはありません。
ローリンゲン家に嫁入りしたカトリーヌ・フォン・リーデンベルド様に拾われて、その方が亡くなられた後に忘れ形見としてローリンゲン家に養子として迎え入れられたのです。
カトリーヌ様に出会う前の記憶はありません。
ボロボロの格好で荒野を彷徨っているところを拾っていただいた時が私は自分の人生が始まった瞬間だと思っています。
もし、拾われたのがカトリーヌ様でなければ。
悪徳貴族や奴隷商人に拾われていれば今の私はいないでしょう」
メリアの突然の告白に驚いたが、同時に納得もできた。
良くも悪くも貴族らしさに欠ける行動や考えがメリアには見え隠れしていたからだ。
「そんな単純なことを私は理解できていなかったのです。
クルスさんたちと旅をしていろんな人に出会うまでは。
今はその事を知り、さらに皇后陛下に取り立てていただいて力を得る機会を得ました。
だから、償うとか恩返しとかそういうわけではありませんけど……リムルちゃん達のような子供をできる限り助けてあげたい。
それが運良く生き続けている私がやるべきことなんだと思っています」
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【転生しても名無し】
『メリアママに大いなるバブみを感じる……』
【転生しても名無し】
『茶化すな。でも、素敵な夢だね。
こんな殺伐とした世界だから余計にそう感じるよ』
【転生しても名無し】
『教会を作ったコリンズも最初はそんな気持ちだったのかねえ』
【転生しても名無し】
『あんな鬼畜と一緒にしないで』
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メリアがリムルに懸ける思いの強さの理由はわかった。
僕も否定しない。
メリアの言うことは正しいと思うし、そして優しい。
スラムで生き足掻く子供も、奴隷商人にモノ扱いされて売り買いされる子供も、大人に蹂躙される子供も、救われる未来があるのなら、その方がいい。
「もし、メリアみたいに考える人が増えていけば、いつかは不幸な子どもたちはいなくなるだろう」
僕の言葉にメリアは頬を赤らめた。
「ま、まだまだ考えているだけで何も出来ていないんですけどね!
皇后陛下に頂いたお役目をこなして、もっと偉くならないと何も変えられないですし!
でも、まずは目の前にいるリムルちゃんを助けるところから始めてみようと思います」
メリアの言うとおり、僕たちのやるべきことはリムルを救うことができるこの機会を無駄にしないことだろう。
耳を澄ますとリムルの穏やかな寝息が聴こえてきた。
その後、僕たちは明日のスケジュールを教えあった。
メリアは千年祭への協力要請のため、朝から男爵家のサロンを訪問するらしい。
その後も貴族家や商会を訪問するらしいが、夜までには戻ってくるとのこと。
僕は昼過ぎに家を出て騎士たちの訓練や皇后の警護を務め、帰るのは明後日の昼過ぎだろう。
話を終えるとメリアはベッドに向かい、リムルの右隣に腰を下ろした。
僕は机の上の蝋燭を吹き消す。
窓から微かな星明りが差し込んでいる。
「クルスさんは眠らないんですか?」
ベッドの左端にリムルが小さくなって眠っており、その隣にメリアが寝たとしてもベッドの上には僕が並んで眠るスペースはかろうじて残されている。
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【転生しても名無し】
『よーし! 突撃!』
【転生しても名無し】
『ああああああ!!
リムルちゃんがいなければめくるめく快楽の夜が!!』
【◆江口男爵】
『逆に考えろ。
声が出せない状況のほうが興奮するじゃないか』
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「僕はここでいい」
メリアや妖精たちの言葉を振り切るように椅子に座ったまま僕はそう言った。
するとメリアはじーっと、僕の顔を見つめてくる。
「どうした?」
「いえ、ちょっとこっちに来てください」
そう言ってメリアは指先を小さく曲げて手招きをする。
僕は釣られるようにベッドに膝を置き、メリアに近づくと、
「えいっ」
いたずらっぽく掛け声を出してメリアは僕の腰に抱きついてベッドに引きずり倒そうとしてきた――が。
「……クルスさん。体幹強いですね」
「まあ、そうだろうな」
メリアの腕力で倒されるほどポンコツじゃない。
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【◆与作】
『超ポンコツだよ! お前は!!』
【転生しても名無し】
『ホムホムさあ……』
【転生しても名無し】
『抵抗するな! そのままなされるがままにしていろ!
してください! お願いします!』
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抵抗するのかそうでないのかどっちだ。
騒ぐ妖精たちに少し辟易して僕は体を横にする。
リムルと僕がメリアを挟む形で3人並んでベッドに寝転んだ。
メリアの腕は僕に回されている。
「なんだか不思議な感じです。
旅も終わったのにクルスさんが帝都に居て、こうやって同じ屋根の下で過ごせるなんて」
嬉しそうなメリアのつぶやきが僕の気持ちにも作用する。
「ああ。僕も嬉しい」
そう言うと、メリアは僕の肩に額を押し当ててきた。
体の触れ合う部分が増えるほどに、結びつく力が強くなるほどに心地よさと落ち着かなさが入り乱れた気分になる。
思考回路が緩やかに狂っていくのが分かる。
危険なことのはずなのにそれを求めている自分がいる。
人間らしくなるということは、もしかすると不安定さを手に入れていくということなのかもしれない。
僕は天井を眺めながらそんなことを考えていると、やがて、メリアの寝息が聴こえてきた。
一定のリズムの呼吸音は彼女が生きていることを感じさせる。
安堵感と心地よさが許容量を超えたのか。
僕は久しぶりに自身を休ませるために眠りについた。
翌朝、僕が起きると炊事場から肉の焼ける音とニオイがした。
だがメリアはまだベッドの上で寝息を立てている。
僕は起き上がり炊事場に向かうとリムルはメリアの持ってきた調理器具を使って料理をしていた。
手際よく温め直した肉を刻み、水にさらした野菜とともにパンに挟んでサンドイッチを作っている。
三人分の朝食を皿に盛ったところでリムルは僕が見ていたことに気づいた。
「おはようございます。ご主人様」
ご主人様……ああ、僕のことか。
「料理ができるのか?」
「はい。教会にいた時に一通りの家事はやっていました。
イフェスティオ語の読み書きは出来ます。
算術や貴族階級のマナーも知識としてはあります。
あと、笛と歌と踊りも手習い程度には……」
僕の問いに対し、たくさんの答えを返すリムル。
「家のことならそれなりにお役に立てると思います。
口を利いていただけるなら働きにでも出ることが出来ます。
ご飯をいただけるなら他に望むものはありません。
だから――」
リムルは床に膝を付き頭を下げる。
「どうか……ここに置いてください!
お二人のためなら何でもしますし、お邪魔は決して致しません!
お願いします!」
懇願するリムルの姿を見て、僕はその背中に不安や恐怖がつきまとっていると思った。
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【転生しても名無し】
『メリアちゃんがいるから捨てられてしまうって思ったんじゃないかな?
はたからみたら二人は恋人か夫婦にしか見えないし』
【◆オジギソウ】
『不憫すぎて泣けるわ……
自分が有用であることを示さないと捨てられてしまうって思い込んでいるんだ』
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僕はリムルに近づいて、彼女を起き上がらせる。
腰を曲げ、視線を彼女の高さに合わせる。
「大丈夫だ。リムルはここに住んでいいんだ。
僕もメリアも、君を助けたいと思っているから」
リムルはまだ不安そうな顔をしている。
僕の拙い言葉で彼女を救うことは出来ないだろう。
だけど、
「僕は生きるのが下手だ。
料理もできないし、常識がないとよく言われる。
メリアだってしっかりしているように見えて、ものすごく不器用なところもある。
僕に負けず劣らず生きるのが下手なんだと思う」
僕はリムルの手を柔らかく握る。
リムルは少し体を固くしたが、すぐに力を抜いた。
「だから、生きていくために3人で暮らそう。
君がいてくれることが心強い、と思っている。
本当だ」
リムルが傷つきながらも生きていくために育んだ心は変えられるかはわからない。
それでもいいと思う。
不完全でも不安定でもそれはリルムが人間である証だ。
彼女が生きていくために必要な場所を僕は守ればいい。
「ああ〜〜〜……
早起きするつもりだったのに……」
メリアが出来上がった朝食を見て嘆いている。
どうやら早起きして朝食を作って僕とリムルにいいところを見せたかったのだろう。
でも、表情からは悔しいよりも嬉しいが勝っているように見える。
「さあ、みんなで朝食にしよう」
僕は皿を手に取り、二人に呼びかけた。