第59話 そして僕たちは暮らし始めた
帝都の北部にある住宅街に僕の家はある。
同じ騎士身分の人間が住んでいる区域で、一階建ての石造りの家が立ち並んでいる。
だいたい同じ作りで約10メートル四方の部屋と炊事場とトイレ、それから2メートル四方の部屋が2つある。
結婚し子供を抱えた者はだいたい郊外の広めの家に移り住んでいるので、この辺りに暮らすのは独身者か子供のいない夫婦が多い。
「ここが僕の家だ」
僕はリムルに家を見せた。
胡乱げな瞳でリムルは家と僕を見比べていた。
家に入った僕はまず、奥の小部屋に進む。
そこには石で作られた浴槽があり、水が張られている。
浴槽の底に描かれた【発熱】の魔法陣に手を当て魔力を注ぎ込む。
すると、魔法陣は熱を帯び浴槽内の水をゆっくりとお湯に変えていく。
普段の生活に無頓着な僕だが、この浴室だけは特注で拵えたものだ。
【発熱】の魔法陣はイスカリオスの部下にこっそり頼み込んで描いてもらったものである。
お湯が温まったところで、僕はリムルに風呂に入るように促した。
リムルは警戒しながら浴室に入り、中から鍵をかけた。
さて……これからどうしたものか。
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【転生しても名無し】
『ハイ! 俺から一言!
ホムホムに子育ては無理だと思います!』
【転生しても名無し】
『だよねえ……
飯も食わない、眠りもしない。
旅をしている時は偽装してたけど、ホムホム基本人間の生活してないもん』
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ああ。その自覚はある。
この家だって基本的に寝起きするくらいにしか使っていない。
一応、お前らに言われて本を置くくらいはしているが、調理器具どころか、備え付けのテーブルと椅子とベッド以外に何の家具もない。
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【転生しても名無し】
『もはや風呂付きの留置場だろ……』
【転生しても名無し】
『料理くらいは教えてやるけど、そもそもホムホムの仕事も泊まり込みが多いからなあ。
比較的治安が良い地区ではあるけど、女の子を一人置いておくのは物騒じゃない?
しかも奴隷なんて人権ないから無理やり何かしようとする輩もいそうだし』
【転生しても名無し】
『そうそう。リムルちゃんってじっくり見ると顔立ち綺麗なんだよ。
あと少ししたらすごい美人になりそう』
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金色の髪に緑色の瞳。
ここ数ヶ月の荒れた生活のせいで肌や表情はやつれているが、作り自体は整っていて、どことなくメリアに似ている気もする。
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【転生しても名無し】
『思った。人種が同じなのかもね』
【転生しても名無し】
『不謹慎だけど……この子がコリンズに襲われたの分かるわ。
魔が差すには十分な器量よしだよ。
育てられないからって預ける相手を間違えるとまた悲劇を繰り返す羽目になるよ』
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リムル達のような孤児を引き取り、養っていた冒険者コリンズは彼女たちに愛情をかけ、教養を身につけさせている裏で少女たちを自らの性欲のはけ口にしていた。
ファルカスとレクシーの行為を見たから分かる。
あんなことを力づくでされたなら体にも精神に深い傷を負うことだろう。
だが、僕が保護した以上あんなことを彼女にさせるわけにはいかない。
考えはまとまらないが、とりあえず奴隷商人に代金を払うため、家の中にあった金をかき集めることにした。
奴隷商人に支払いを終えた僕の手元に残ったのはティエル金貨2枚だった。
次の給金が支払われる20日後まで、これで乗り切らなくてはならない。
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【転生しても名無し】
『ホムホム一人なら楽勝、ってか金使わないけどリムルちゃんがいるからなあ。
知ってる? ホムホム。
人間って食べないと死んじまうんだぜ……』
【転生しても名無し】
『服もいつまでもホムホムの物を着せてるわけにも行かないし。
下着も買ってやらないと』
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明日の昼には持ち場に戻らなくてはならないし、それまでに最低限の生活の土台は作らないといけない。
……労働力として奴隷を買う人間の気持ちは少しわかったかも知れない。
とりあえず、リムルの食べるものを買うために市場に向かった。
調理の必要のないものを、とパンや果物、それから焼いた肉などとそれらを入れる袋を買い込む。
両腕に袋をぶら下げ、家に戻ろうとしたその時だった。
商館の扉からメリアが出てきた。
すると、メリアもこちらに気づいたようで小走りで近づいてきた。
「クルスさん! 偶然ですね!
お買い物中ですか!?」
メリアは嬉しそうに笑みを浮かべながら僕と手にある荷物を見比べる。
「ああ。とりあえず食糧を。
買い出しに来れる時間は限られているから」
「クルスさんも忙しそうですものね。
私もすぐに戻らないといけないんです」
メリアはため息混じりにそう言った。
「でも、もう少ししたら時間が出来ますから!
そうしたら……クルスさんの家に行ってもいいですか?」
表情をクルリと変えて期待に満ちた笑顔を見せるメリア。
やっぱり、メリアと一緒にいる時間は心地いいものだ。
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【転生しても名無し】
『やっぱ、リムルちゃんのことメリアちゃんに相談したほうが良くね?
同じ女の子だし、ホムホムより気がつくよ』
【転生しても名無し】
『禿同。それにメリアちゃん侯爵家のお金持ちですしおすし。
お金を融通してもらえると思われ』
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たしかに……僕一人で悩むよりも効率的に物事が進むだろう。
「メリア、助けてほしいことがあるんだが」
「えっ!? クルスさんが私に!?
いいですよ! もちろん!
クルスさんの為だったら何でもしちゃいます!」
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【◆江口男爵】
『ん? 今、何でもって言った?』
【転生しても名無し】
『黙ってろ』
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「ああ……実は――」
前のめりになりながら期待に満ちた笑みで僕を見つめるメリアに、端的に伝える。
「女の子を買ったらお金がなくなったので、なんとかして欲しい」
「え……?」
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【転生しても名無し】
『端折りすぎいいいいい!!』
【転生しても名無し】
『どこの糞ヒモ男だ! テメーは!!』
【転生しても名無し】
『ファーwwww 間違ってないぞwwww』
【◆与作】
『オイ。メリアちゃん涙目じゃねえか。
端折らずに全部説明しろ』
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僕は改めて、奴隷市場でリムルを見つけて、保護するために買い取り家に置いていることを説明した。
「ク……クルスさんは面倒臭がらずに言葉をたくさん使ってほしいです。
本当に……」
眉間を押さえながらメリアはうなだれる。
「わかりました……
なんとかしましょう。
とにかく、家に帰ってください。
あ、詳しい場所を教えてもらえますか」
僕はメリアに差し出されたメモ帳に自分の家の場所を示した地図を書いて別れた。
家に帰ると、リムルは部屋の隅で外套にくるまって眠っていた。
僕は声をかけて起こし、寝たいのならベッドを使えばいい、と言ったのだがリムルは口をつぐんでいた。
テーブルの上に僕は買ってきたものを広げる。
好きなだけ食べていいと伝えると、リムルは恐る恐る手を伸ばし、食べ物を口に運び始めた。
僕も食事を取ったほうが自然だろうと思ったので、肉を掴んで口に入れる。
買った時は焼きたてだったが時間が経過して、冷めて固くなった肉はあまり美味しいものとは言えないと思う。
だが、リムルは貪るように骨の部分まで齧り食べる。
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【転生しても名無し】
『やっぱろくなもの食わせてもらっていなかったんだなあ。
かわいそうに……』
【転生しても名無し】
『とりあえずふくふくにしてあげよう。
まずはそれから!』
【◆オジギソウ】
『ふくふくというか服を買ってやらないと。
ホムホムの外套着せっぱなしってのもいかんでしょ』
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分かっているが、服は高い。
既成品でも1ティエルはかかる。
今晩にでも外套を仕立て直して作ってみるか。
下着は買わないといけないだろうけど。
食事を終えると部屋に沈黙が訪れた。
リムルは床を見たり、壁を見たりどうも落ち着かなさそうだ。
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【転生しても名無し】
『なにか話をしてあげないと。
リムルちゃんまだ警戒しているんだし』
【転生しても名無し】
『旅の道中では誰かが話を切り出してくれていたからなあ。
ホムホム試練だね』
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こうやってみると僕がいかに周りに助けられながら旅をしてきたのかを痛感する。
人間らしくなったと思っていたが、まだまだだ。
とりあえず僕は、僕がいなくなってから教会で何が起こったのかを聞いた。
するとリムルはポツリポツリと喋り始めた。
「あなた達がいなくなった次の日、アルフパパとテレーズママはバースを街のお医者さんに見せると言って出ていった。
すぐに戻ると言っていたけど、その日も次の日も帰ってこなかった。
あんなの初めてだった。
そしてパパたちの代わりに教会の扉を開けたのは鎧をつけた冒険者たちだった……
アイツラはパパとママを探して教会の中を荒らし回った。
地下の部屋も見つかってしまったけど、私達はバースのことは教えなかった。
なんだか嫌な予感がしたの」
正解だ。
帝国はユーグリッド族の血を欲している。
テレーズやバースが捕まったら、本人の意志とは関係なく死ぬまで子供を作らされ続けることだろう。
魔王軍を倒すという大義のもとに。
結局、サンタモニアもイフェスティオも多少の差異はあれども人間を超越した力に縋り付くために、モラルを犯していることに変わりはない。
「それから数日経って、今度は別の冒険者の人達が来たわ。
彼らは前の人達と違って私達を保護するために来たって言った。
みんな、パパとママがいなくなって不安だったのね。
疑うこともなく、彼らについて行ったわ」
顔をしかめるリムルに僕は尋ねる。
「君はついていかなかったのか?」
リムルは頷く。
「だって冒険者なんて信じられないもの。
連れて行かれた後に彼らがお家やご飯を用意してくれるの?
パパやママになってくれるの?
アルフパパやテレーズママも私達を捨てたのに」
リムルの警戒心の強さは筋金入りだ。
無理もない。
彼女は信頼していたコリンズに裏切られ、結果的にはアルフレッドやテレーズにも捨てられた。
後者はリムルたちを守るためのことだが、そんなこと知らされてはいないだろう。
救出のために冒険者を向かわせたブレイドの判断は間違っていなかったが、あれも全てを解決する一手ではなかったということか。
その後も、リムルの話は続いた。
リムルは一人、誰もいなくなった教会で過ごしていたが食糧も底を尽き、アルフレッドやテレーズが戻ってこないことに見切りをつけ、一人で街に向かった。
金目の物を全て最初に来た冒険者たちに奪われてしまっていたため、宿に泊まること食べ物を買うことも出来ないリムルはスラムで寝泊まりし、残飯を漁る生活を一ヶ月ほど続けていたらしい。
だが、そんな生活も突然終りを迎えた。
奴隷商人が商品を探しにスラムを歩いていたときにリムルは捕まってしまったらしい。
そして、他の奴隷たちと同じように檻の中に入れられてはるばる帝都まで連れてこられたのだ。
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【転生しても名無し】
『可哀想過ぎて目から血が出そう……
どうにかならないの?
この国の奴隷制度は!?』
【転生しても名無し】
『すべての人種、民族に対して人権を奪うことが悪という考えを持つにはまだこの世界は未成熟だよ。
貧富の差や身分の差があることが当然とされている以上、制度以前に人間のモラルの改革がおいつかないだろうね』
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この世界で苦しんでいる人々は魔王軍に襲われている人々だけじゃない。
戦火から遠い街なかでも焼かれるような思いをしている人もいる。
世界は複雑で時に残酷だ。
再び部屋に沈黙が訪れた頃、扉を叩く音がした。
僕はドア越しに「誰だ」と聞いてみると。
「わ、私です! アルメリア・フォン・ローリンゲン……メリアです!」
聞き慣れたその声を聞いて、僕は扉を開けた。
すると、胴体よりも大きなリュックや手提げ鞄を持ったメリアが玄関先に立っていた。
「なんだその荷物は?」
「なんとかします、って言ったでしょう」
フラつきながらメリアは荷物ごとなだれ込むようにして家の中に入った。
「メリア様……」
リムルは目をパチクリさせている。
「お久しぶりですね、リムルちゃん。
大変な苦労をされたんですね……
ごめんなさい……
もっと私達が考えていれば……」
そう言ってメリアはリムルの手を優しく両手で包み込んだ。
「でも、もう大丈夫です。
私とクルスさんがあなたを助けてみせますから」
ねっ? と同意を求めるように僕の方を向くメリア。
僕はとりあえず頷いておく。
「何も用意していないって聞いてましたし、とりあえず女の子に必要な服とか下着とか全部用意しました。
サイズは合うか、分からないけど私が着ていたものとかをかき集めてきました。
足りない分はまた明日買いに行きましょう」
メリアは手提げ鞄から次々と衣服を取り出す。
自分の着ていたものと言うからどれだけ豪華な貴族衣装が出てくるかと思いきや、意外と質素なものばかりでこの辺りでも浮くことはないだろう。
「それから、掃除道具や調理器具、食器に救急箱、あと工具箱なんかも持ってきています。
こちらは実家の使用人が使っていたものですけど、快く徴収に応じてくれました。
この部屋、棚がありませんね……
先日、仕事で行ったお店で余っていたのがあったと思いますから、譲っていただけるよう交渉しておきます」
リュックから取り出した家財道具を次々に僕の家に設置していく。
棚がないので床に置いている物が多いが、殺風景だった炊事場が一気に物で溢れかえった。
「クルスさん! 掃除していないでしょう!
床とか埃だらけですよ!
あー……せっかくのお風呂場も湿気でカビが生えかけているし!
明日! 明日には片付けます!」
怒られた。
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【転生しても名無し】
『ざまあw 俺らも言っただろうが掃除くらいしろって』
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僕一人なら必要なかったんだ。
「ベッドは……広いですね。
クルスさんこれ一人で使っていたんですか?」
「備え付けだったんだ」
「そうですか。これならなんとか三人で寝れそうですね」
三人?
「お風呂使わせてもらっていいですか?
荷物を引っ張り出したりしてて汚れてしまったので」
「ああ、構わない。
お湯を温め直してくる」
と、僕が風呂場に向かい、戻ってくるとメリアは白いワンピースのようなものを鞄から取り出していた。
サイズ的に、リムルが着るには大きすぎる気がする。
「メリア、それは?」
「私の寝間着です。
旅の最中は荷物になるから着ませんでしたけど、夜家にいる時はこちらのほうが落ち着くので」
僕が首を傾げると、メリアは気づいたように立ち上がり背筋を伸ばしていった。
「私、しばらくここで寝泊まりさせてもらいますけど……いいですよね?」
「あ……ああ。構わない」
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【転生しても名無し】
『メリアちゃんが押しかけ女房になったああああああ!!』
【転生しても名無し】
『イエエエエエエエイ!!
退屈だった家の時間が一気に華やぐぞおおおお!』
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「いいのか? メリアも仕事があるんだろう」
「私の今住んでいるところより職場近いですし、家の人間にも今更私がどこに寝泊まりしようと文句言いませんよ。
こうなるって分かってたら、もっと早く来ていたんですけど……」
メリアが呟く。
「メリア、助けを頼んでおいてなんだが……
そこまでしてもらうつもりはなかったんだが……
リムルを買ったのは僕の勝手でやったことだし」
と、言うとメリアは眉を吊り上げて、
「しますよ! するに決まっているでしょう!
クルスさん自身、ちゃんと生活できているのか不安だったけど……
貴族家の娘があんまり近衛騎士と親しくしていると、クルスさんに迷惑かけてしまうかなあと思ったりしたから、距離を置いたりしていましたけど、でもこうなっては放っておけませんよ!
女の子の奴隷と二人暮らしだなんて世間の評判も良くないでしょう」
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【転生しても名無し】
『世間の評判というより、メリアちゃんがホムホムが別の女と一緒に暮らしているのが気に食わなかったと言う可能性が微レ存』
【転生しても名無し】
『だなwww案外嫉妬深いよね。
エルの誘惑の時もそうだった』
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世間の評判はメリアを連れ込んでいることもたいがいだと思うが……
とはいえ、僕とリムル二人では問題が多いことも確かだ。
メリアの申し出は素直にありがたい。
「メリア」
「なんですか?」
それに、やっぱり僕の見えるところにメリアが映るのは本当に心地よい。
「ありがとう」
僕が感謝を口にすると、メリアは小さくはにかんで、逃げるように浴室に入っていった。