第56話 この騒動の始末
本日4話投稿の3話目。
4話は21時投稿予定です。
僕たちは今、後宮の謁見の間にいる。
帝国劇場のホールにも匹敵する巨大な広間の奥には御簾がかけられた玉座が置かれている。
その玉座に座っているのは、イフェスティオ帝国皇帝の正室、クリスティーナ皇后陛下だ。
御簾越しでその影しか僕たちには見えないが、老年の女性であると推測される。
「突然の申し出に対し、拝謁の機会をいただきその寛大な御心、痛み入ります」
イスカリオスは膝をつき、仰々しく頭を下げる。
「よい。お前が私を訪ねてくるなど余程のことであろう。
しかもこの後宮に異邦人たちを連れてくるなど、大胆にも程がある」
老人の割にはしっかりとした強い口調でイスカリオスに語りかける。
「この非礼、お許しいただこうとは思慮の淵にも置かず、ただ危急の事態によりーー」
「まだるっこしいいいいいいいい!!
こちとらやんごとなきお方に向ける帝国語まで習得してねえんだよ!!
用件を言わせろ!! 用件を!!」
ブレイドが我慢できずに怒鳴り散らす。
メリアやイスカリオスは青ざめているし、ファルカスも苦笑している。
ククリに取り押さえられているレクシーは虚ろな表情でなにを考えているのかはわからない。
だが、僕の考えもブレイドと同じだ。
非合理的な格式張った謁見を求めてはいない。
「うむ。元気があって良いぞ。
ソーエンの小僧」
皇后はそう言って、御簾を開けさせその姿を現した。
真っ白な髪を結い上げ、煌びやかなティアラを頭に載せた老女が僕たちの目の前に歩み寄ってきた。
「それにひきかえ、イスカリオスもレクシーも無様を晒しているな。
アルメリアが帯同していること自体、レクシーにとっては目論見がはずれたということじゃろうが」
口元に笑みを浮かべているが目は笑っていない。
不気味な人間だと思った。
「このデブスの目論見なんかどうでもいい。
俺が知りたいのはアンタの企みさ。
なんでーー」
ブレイドの言葉で場に緊張が走る。
「アンタがけしかけたイスカリオスの私兵組織を、デブスを使って牛耳ろうとした!」
怒鳴り声が広間に響き渡る。
そう、レクシーは皇后の指示と援護を受けてイスカリオスに脅迫を行っていた。
つまり皇后によるマッチポンプだったということになる。
ブレイドは怒り、イスカリオスは狼狽した。
サンタモニアの脅威が迫る今、皇族の背信行為などあってはならない。
もう直接問いただす以外の解決策がなかったのだ。
「イスカリオスが臆病者だったから、良かったようなものの……下手をすれば大貴族同士の内紛が起こってもおかしくなかった。
こんな茶番劇でアンタは国を潰すつもりだったのかい?
答えろ!!」
大の男でも圧倒されるブレイドの怒号を皇后は眉ひとつ動かさずに受け止める。
そして、
「妾の考えること、口にすること、手を動かすこと、その全てが帝国のためである。
千年帝国イフェスティオこそ、人類世界における最強の槍であり、最後の盾。
王家に名を連ねる者はその機能を潤滑に動かすための装置に過ぎぬ」
「この意味のわからねえ茶番劇も潤滑油だと」
「然り」
皇后はブレイドを睨みつける。
「旅をしてきたソーエン人の貴公ならば分かっただろう。
帝国の抱える問題点、その脆弱さが」
「……そういうことか」
ブレイドは殺気を弱め、腕を組んでイスカリオスを見下ろす。
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【転生しても名無し】
『ホムホム。俺たちにも分かるように説明するようにお婆ちゃんに言って』
【転生しても名無し】
『くれぐれも粗相のないようにね。
キチンと言葉遣いは気をつけてな。
ババアとか言ったら殺されるぞ』
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分かった。
「申し訳ないが、詳しく話していただけますでしょうか。
おばあさま」
と、僕が口にした瞬間、
「クルスさんっ!!」
メリアが飛びつくようにして僕の口を押さえる。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【転生しても名無し】
『久々にやらかしやがったなwwww』
【転生しても名無し】
『おい、お婆ちゃんって言った奴。
その出来の悪い首を差し出せ』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
「……妾の孫にそなたのような者がおったかのう?」
皇后は苦笑した。
「まあよい。帝国語が不慣れということで不問といたす。
そして、貴様の要求にも応えよう」
皇后は侍女が側に置いた腰掛けに座った。
「帝国の軍事力は人類世界最強。
個々の戦闘力ではソーエンの者に劣るとしても、規模と組織力で遥かに上回る。
故に魔王戦争において先鋒を務めているのだが、広大なる国家のリソースのほとんどを軍備に割いている。
そして、ハルモニアの協定に甘んじて対人類の施策を全く取っておらん。
万が一、ハルモニアを隠れ蓑に反旗を翻す国家が現れたりすれば世界最強の帝国は一変、紙の盾しか持たぬ盲目の兵士と化すだろう。
だからこそ、妾は目の役割をイスカリオスに与えたのだ。
世界を観測し、帝国の危機を未然に防ぐために」
皇后はイスカリオスを見下ろす。
「イスカリオス。お前は帝国の至宝だ。
当代最強の超越者であり、戦術においても魔王と対等に渡り合えるが、それだけだ。
お前は自分の役割を槍働きのみに縛り付けている。
今はまだ若輩者だからそれでも良いが、いずれ帝国皇帝の片腕となるには冷徹さ、老獪さ、したたかさを身につけねばならん。
よって、この任を与えたのだが……まさに力不足であったな」
イスカリオスは深く下げていた頭を首が落ちるのではないかと思えるほどにさらに下げた。
「レクシーをイスカリオスにけしかけた目的の一つは、もう分かるだろうがイスカリオスを試すためだ。
レクシーの脅迫をいかにして跳ね返すか。
楽しみにしていたのだが、興ざめも甚だしい。
手駒を惜しんで大将首を明け渡すなど、戦場でのお前なら絶対にあり得ない愚を犯した。
案外人間は魔族より恐ろしいのかもな」
皇后の目がレクシーに向けられる。
「そちは先日まで妾の期待に応えてみせたぞ。
胸を張っていい。
じゃが、詰めの甘さは看過できんな。
色仕掛けに屈するなど、太古より英傑が陥りがちな失態だ。
まあ、それはそれで悪しき前例として後世の糧になるであろうが」
僕は皇后の言葉にひっかかりを覚えた。
太古から数え切れないほど犯された過ちが今更前例となる?
僕の疑問に答えたのはファルカスであった。
「僭越ながら、私にも発言の機会を」
「許す」
ファルカスは頭を下げる。
「年端も行かぬ頃から諸国を巡っておりましたが、国の在り方とは多様なものです。
そう、例えば神聖ゴルディア王国は帝国と比べ物にならぬ程歴史も浅い小国でしたが、斬新な国家体制が組まれていました。
それは女性の地位が限りなく男性に近しいのです。
彼の国では女性が政治に参加し、男性の被支配者層を操り、国家運営の一翼を担っていました。
理由として、寿命が10年以上女性の方が長いことや海洋国家で漁業が主要産業であることから男達が国内にいる期間が限られていることがあります。
帝国も男が戦地に出向き、その為内政にかけられる人材が限られており、その歪みは街のスラムや冒険者ギルドの質の低下に繋がっています」
「ふむ。内政官のミルスタイン家の者らしい見方だな。
続けよ」
「はっ。陛下の御心内を推し量り、先んじて口にするのは臣下としては無粋と承知しておりますが、敢えて申し上げます。
陛下は帝国内での女性の活用を考えていらっしゃる。
しかし、女性に爵位の相続を認めない現在の法制度や教育の不足。
それらを覆し、整備するには明確な根拠を示す必要がお有りだった。
御身の構想の先駆者としてレクシー嬢を抜擢し、イスカリオス将軍を抑えられるようであるならば、その成果を皇帝陛下や元老様方に具申し、内政における女性貴族の起用を可能とする改革を行おうとしているのではありませんか?」
ファルカスの言葉を聞き、皇后は初めて本当の笑みを見せる。
「見事なり。流石はミルスタインの秘蔵っ子よ。
芸人にしておくのがもったいないな。
いっそ、本当にレクシーを娶って国に尽くさぬか。
公爵位を与えても構わんぞ」
「恐悦至極でございますが、私は芸事狂いの傾奇者。
私が愛を捧ぐのは舞台上の女神のみと心に決めております。
たとえ、ミルスタイン家がお取り潰しにあおうとも生き方は曲げられませぬ」
その堂々とした物言いにメリアやイスカリオスは戦々恐々としているが、皇后にとっては満足のいく答えだったらしい。
「女神と色ボケ娘とでは天秤にかけるまでもないな。
許す。お前の生き方を貫き、別の形で帝国の糧となるがいい」
ファルカスは頭を深々と下げる。
「さて、この始末は後でつけるとして……
アルメリアの持ち帰った情報は妾の耳に入れるに値するものか?」
イスカリオスは「はい」と答え、サンタモニアの侵攻計画を皇后に伝えた。
話を聞き終えた皇后は不快さを隠そうともしなかった。
「魔術狂いどもめ……
探求のために世界を滅ぼすつもりか」
ブレイドは立ち上がり、皇后に話しかける。
「ソーエンは全力を以ってイデアの部屋を殲滅する。
帝国は一刻も早くアイゼンブルグを奪還し、サンタモニアの侵攻を食い止めてくれ」
「願ってもない。
正式な使者は追って遣わす。
無論、この件は極秘裏に進めてくれ。
人間同士の戦争が勃発することなど民草の耳に入れるには刺激が強すぎる。
故に、ソーエンがサンタモニアの領土を切り取ることも許さぬ」
「そうだな。だが、その条件を飲ませるならば、それ相応の条件を貴国に飲んでもらう」
ブレイドはそう言って、僕とメリアの肩に手を置く。
「コイツはサンタモニアからの脱走兵クルス。
サンタモニアの計画を知った上で、それを良しとしていない。
そして、信用できる男だ。
正体を隠したアルメリアを義侠心のみで帝国まで連れ帰り、俺の命を救ってくれたこともある。
腕っ節もその辺の冒険者が100人束になっても敵わねえだろう。
コイツを食客として召抱えて帝都の護衛にでも使ってやってくれ」
ブレイドの言葉に僕は驚き……いや、違う。
不意を突かれたがそうじゃない。
もっと、いろんな感情が渦巻いている。
言葉にできないくらいに。
「で、もう一つはアルメリアの処遇だ。
極秘情報を抱えたアルメリアはすぐにでも始末したい存在かもしれないが、待ってほしい。
ろくな情報も戦力も持たずにサンタモニア、ソーエン、帝国を渡ってきた不可解なまでの天運と生存能力の持ち主だ。
貴族令嬢のくせに下々の者にも分け隔てなく接することができるしな。
アンタが女を政治に関わらせるならば、面白い稀有な人材だと思う。
多少の労力を割いてでも保護したほうがいいんじゃないか?」
それはメリアの助命と言って差し支えなかった。
ブレイドはイスカリオスに突きつけた要求を頭越しに皇后に提示したのだ。
メリアは大きく目を見開いてブレイドと僕を交互に見つめる。
「国の命運をかけた駆け引きに個人的な願いをテーブルに上げるか」
「こういうしたたかさだろ?
アンタがイスカリオスに求めていたものは」
ニヤリと笑うブレイド。
皇后は半ば呆れ気味に笑う。
「イスカリオス。この敗北の屈辱を胸に刻め。
常勝将軍ーー過大なるその異名に偽りなき男になるために」
「ハッ……」
イスカリオスは目を瞑っている。
巌のようなその顔には深いシワが刻まれている。
「さて……レクシー。
お前の処分については……当然だがお咎めなしというわけにはいかん。
好色も英傑の素質と甘んじて見逃していたがそれに足をすくわれるようではただの奸雄。
もはやお前を妾の手元に置く気にはならん。
まして、イスカリオスの妻になど断じて認めぬ。
娘一人の監視も教育もできぬローリンゲンの無能さも罪過に値する。
よって、お前は別の罪で極刑に処し、ローリンゲンにも追ってその責を問う。
言い残すことはあるか」
虚ろな目のレクシーは「ありません」と呟いた。
だが、僕は、
「お婆さま。レクシーを殺さないでもらえますか?」
「はぁっ!?」
皇后はズッコケそうになりながら僕を見る。
「だから妾はお前のような孫は知らん……
孫娘におねだりされた気分になったのはたしかだが……
いやいや、そうではなく此奴は妾の命令を裏切った罪人だ。
しかも色仕掛けに屈するなどという恥まみれな真似をして」
「その恥まみれな真似をさせたのは僕やブレイドにイスカリオス、そしてファルディーンです。
彼女が罠にかかったことが罪だというのならば、同胞に罠を仕掛けた側も罪があると思います」
理に適っていないことはわかっている。
過程はどうあれレクシーが裁かれる理由は彼女自身の心の隙から生じたものだ。
レクシーはメリアを陥れ、あわよくば殺そうとすら企んでいた。
僕にとっても憎むべき敵だ。
だが、ファルディーンに心を許し、彼を守ろうとした彼女は悪とは思えなかった。
もし、あの姿がレクシーの成長の可能性であるならば、今彼女を殺すことは正しい選択とは思えない。
与作が言ったように、可哀想だ。
偽りの愛に救われた結果が屈辱の死ではあまりにも。
「わ、私からも助命を嘆願します!
決して仲のいい姉妹ではありませんでしたが、それでも彼女は私の姉です。
ローリンゲン家に名を連ねるものとして、彼女が極刑を言い渡され、私が放免などあってはなりません!
どうか、寛大な御裁可を!」
メリアは大きな声を上げて頭を地に伏せる。
皇后はじっとメリアの頭を見つめている。
「そうですね。私からもお願いします」
ファルディーンも続く。
「元はと言えば私の芝居の出来が良すぎたのが罪。
女神が相手でも私の芝居の前では生娘同然でしょう。
山を持ち上げられぬ人を鍛錬不足だと詰るものはいらっしゃらないでしょう」
堂々としたファルディーンの態度に、皇后も目を見張る。
「そもそも、此度の企てに協力したのは彼女の命を救うためです。
愛情や思いやりを解さない人間であるならば、死を以て償うほか無いでしょうが、彼女はただ知らなかっただけなのです」
ファルカスはレクシーと目を合わせ、そっと微笑んだ。
「聖人君子ではないでしょうが、義と情を持ち合わせる人間と理解しています。
どうか私に免じて彼女の助命を」
レクシーの虚ろな目に微かな光が宿り、ファルカスを見つめている。
その心のうちは僕には推し量ることはできない。
「揃いも揃って愚にもつかない事を……」
皇后は頭がいたいと言わんばかりに片手でこめかみを押さえる。
「ファルディーン、お前は確かに信用ならん。
不遜にも妾の前で堂々と芝居掛かった物言いをするなどどういう神経をしているのだか」
ファルディーンは頭を下げて顔を見られないようにしているが、口元は笑っている。
「だが、クルスとやらとアルメリアが自身の身を危険に晒してまで、先ほどまでの敵を庇ったことは評価に値する。
ブレイド、貴様のいう通り、クルスは信用に足る男にして、アルメリアは面白い。
我が名の下に二人を召しかかえよう」
「ご英断、痛み入ります」
ブレイドはようやく不遜な態度を改め、洗練された作法を以って、皇后に礼をした。
「レクシー。罠にはめられたお前だが、帝国貴族の端くれとして、その矜持に則り、これまでのことを口にせず生きていく覚悟はあるか?」
レクシーは震えてばかりで、返答に窮している。
皇后はため息を吐いて、
「質問を変える。
お前はファルディーンが信用するに値する人間か否か?」
レクシーは目を見開き、両手をついて頭を下げる。
「はい……!
私はレクシー・フォン・ローリンゲン。
侯爵家の娘として、帝国に忠誠を誓い、その不利益となるような振る舞いを行わず、この身を御身に捧げます」
皇后はふぅと息を吐いて、レクシーに頭を上げるよう命じた。
「若者の相手は疲れる……
いずれお前たちも味わうことになるだろうがな」
皇后はそう言い残し、広間を後にした。