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第54話裏 荒野に咲く黄色い花

 数日前、ライツァルベッセでソーエン人と思われる男たちが市民を殺害する事件があったらしく、彼は領主であるベイルディーンの命令でその足取りを追跡し、私が囚われていた地下牢にたどり着いたとのこと。

 賊は他にも仲間がいるらしく、今夜は危険だからと私を屋敷に匿ってくれる運びになった。


 ファルディーンに連れられて、私はミルスタイン家お抱えの治癒術士に怪我の治療をしてもらった。

 彼は私の治療が終わるまで、傍に付き添ってくれた。


 治療が終わると、ほっとしたのかお腹をグ〜、と鳴らしてしまい私は赤面した。

 彼は、食事を用意させる、と微笑んでいった。


 案内された食卓にはパンとコーンスープと茹で鶏のサラダが用意されていた。

 香ばしい焼けた鶏のニオイやスープから立ち上る湯気にあてられて、貪りつきたくなる衝動をなんとか押し殺して私はしずしずと食事を口に運ぶ。

 即席の割には出来の良い料理にミルスタイン家の家人の出来の良さが伺える。


 少しすると、席を外していたファルディーンは竪琴を抱えて戻ってきた。


「淑女をもてなす準備は整えていませんでした。

 埋め合わせは程遠いかも知れませんが、しばしお耳を拝借させてください」


 彼は椅子に腰掛け、長い指を竪琴の弦につがえ、弾いた。

 次から次へと生まれる音が、石鹸の泡が宙を舞うように部屋の中に広がり、音楽となって私を包み込んだ。

 宮廷音楽家もかくや、と洗練された演奏に私は食事を摂る手を止めて聞き入ってしまう。

 もしかすると、私はまだあの牢屋にいて、心を妄想の世界に逃げ込ませているのかとすら思える。

 それくらいにファルディーンは極上の貴公子だ。

 この状況が打開され、日常に戻れたら何が何でも我が物にしたい。

 どんな手段を使っても……


「お気に召しませんでしたか?」


 ファルディーンは困ったように笑って私に問いかけた。

 私は首を強く横にふる。


「いえ! 素晴らしい演奏です!

 サロンで行われる演奏会でもあなたほど素晴らしい演奏者は見たことがありませんわ!」

「本当!? 嬉しいなあ。

 あなたの気が少しでも紛れればと思って、挑戦してみたのです。

 怖い顔をされていたから、失敗してしまったのかと思いましたよ」


 思わず、自分の頬を両手で覆った。

 昔から鏡に映る自分の顔が嫌だった。

 つり目で大きな鷲鼻、頬の肉が付く前はエラが張っていて輪郭も全体的に鋭い。

 怒っていないのに怒っていると思われたり、楽しく笑っているのに威圧しているように思われたりと周囲の人間の表情が歪むのを目にするのが辛かった。


 それに拍車をかけたのが、血のつながらない妹のアルメリアの存在だった。

 アルメリアは痩せぎすで、表情を表に出さない陰気な娘だったが、くりくりした大きな瞳や柔らかい金髪にほどよく丸みをおびた輪郭。

 正妻の子ではなく、迫害される立場のアイツが私の欲しがっていた顔を持っていたことは、私の人格形成に大きな影響を与えた。


 夢心地だったのが一気に薄れてしまう。

 人間の思考は厄介なものだ。

 ふとした拍子に思い出したくないことや考えたくないことを思い浮かべては、心をかきむしる。


「おやめなさい」


 彼の声が耳朶を打った。

 そこで私はハッと意識を取り戻す。

 驚いたことに私の顔のすぐ前にファルディーンの顔があった。

 彼は床に膝を付き私の目をじっと見つめている。


「心のかさぶたをかきむしるのはおやめなさい。

 血が流れるだけです」


 母親が子供に諭すように私に話しかける。


「心の……かさぶた?」

「だと、思ったんですが。

 何か嫌なことを必死で思い出して、心をかきむしっていたように」


 私を見透かす彼の言葉に驚き、目をそらしてしまう。

 そっぽを向いた私に、彼は構わず語りかける。


「怖い顔、だなんてレディに言う言葉じゃありませんでしたね。

 無神経でした。撤回します」

「かまわなくてよ。

 周りの誰もが思っていることなのだから。

 口に出すだけ、貴方様は正直者ですね」


 バカが付くくらいに、と言外に述べた。

 だが、彼は笑った。


「第一印象どおり、あなたは気高い女性だ」

「気高い? 顔を腫らして赤猿に手篭めにされかけていた私を見て呑気なご感想だこと」

「呑気……かもしれませんね。

 あなたの危機に出くわしているのに、荒野に咲く花を見つけた気分に浸っていましたから」


 荒野に咲く花?

 素っ頓狂な発言に私は首をかしげる。


「イフェスティオの国土を覆う赤い荒野。

 草木も生えないその土地は今の世の中によく似ています。

 そんな荒野に咲く一輪の黄色い花。

 砂利混じりの風に吹かれても、地を焦がす日照りに晒されても折れない花の強く気高い姿。

 賊に蹂躙されそうになっても、瞳の光を失わなかった貴方を私はその花のように尊いものだと思ったのです」


 彼は頬に当てた私の手をゆっくりと引き剥がした。


「まあ、高貴なるローリンゲン侯爵家の令嬢を喩えるのに名もなき花をあててしまうのも無礼千万な話ですね。

 朝露に濡れた赤い薔薇などが洒落ているのでしょうが」


 苦笑して彼は再び竪琴を抱える。


「では、気を取り直して次の曲を。

『窓辺の薔薇』。お聞きください」


 彼の長い指が弦を弾き、甘く緩やかなバラードを奏でる。


 ……驚いた。驚いてしまう。

 自分がこんなに単純な人間だったなんて。


 花に喩えられたくらいで、自分を誇らしく思ってしまうなんて。

 かきむしり続けた心が彼の長い指に絡み取られて、ひっかくことが出来ない。


 私が情を交わした数多の男たちが全て過去になった。


 ファルディーン……


 胸の内で呟く、その名前の響きだけでも私の心は濡れてしまう。


 顔に上る熱に浮かされながら彼の奏でる甘い旋律に酔いしれていたその時だった。

 大きな観音開きの扉が開かれ、いや破られた。


「やっと見つけたぜええええええ!!

 このデブスが!!

 なめた真似しやがって!!

 ぶっ殺してやるからなっ!!」


 私を襲ってきた赤猿が剣を担いで現れた。

 そのすぐ後ろにはあの女男もいる。


「やれやれ。兄上に怒られてしまうな」


 ファルディーンは余裕のあらわれか、微かな笑みを浮かべ、竪琴を置き、腰に下げたサーベルを引き抜いた。

 その瞬間、女男が猛然と剣を振りかぶって迫ってきた。

 少女の様な顔をしているのに、その動きは獣のように俊敏だ。

 ファルディーンに目掛けて剣を振るう。

 防戦一方のファルディーンはつば競り合いになり、膝をつく。


「お前がその女の背後にいる者の手先か?」


 女男は人形のように固まった表情でファルディーンに問う。


「さあて、何を言っているのか……わからないなっ!」


 ファルディーンは剣を持つ手を引き、体勢を崩した女男の腹に蹴りを打ち込む。

 女男は腹を抑えながら後退する。


「レクシー殿! 失礼つかまつる!」


 ファルディーンはそう言って、側の椅子を窓に向かって投げ、窓ガラスを割ると、私の膝の裏から手を回し、体を抱き上げて割れた窓に向かって飛んだ。


「キャアアアアアアアアアアアア!!」


 ここは屋敷の3階だ!

 落ちたら助からない!!


 私はファルディーンの首に腕を回しキツく抱きしめる。


 バッシャー――ん、と派手な音を立てて、私とファルディーンは水没した。


 これは池? それともプール?

 でもおかげで助かった!?


 私が混乱している最中、ファルディーンは私の手を取って陸に引き上げる。


「逃げますよ! ついてきてください!」


 私達は濡れそぼった体を引きずるようにして屋敷の裏の茂みに逃げ込んだ。

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