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回想録4 無常の風は時を選ばず

 私はアイゼンブルグの警備隊に保護されました。

 現場に居合わせたリーダーさんはトーマス・パールトン子爵。

 このアイゼンブルグを預かっている方とのことです。

 現在、本来の統治者である伯爵が魔王軍討伐の軍勢を率いて出陣しているため、その留守役ということらしいですが、若くしてこの重要拠点を任せられる位なのだから優秀な方なのでしょう。


 とはいえ、立場上、彼は私の敵以外の何物でもありません。

 彼が悪人だと断罪した人間たちから、形見のような情報を預かっているのですから。

 幸い、私が刻印魔術を仕込まれていることはトーマス卿も周りの方も気づいていないそうです。

 持ち物検査はされましたが、ナイフや偽造の身分証明書位しか持っておらず、私と殺された彼らを繋ぐものはもちろん、イスカリオス様やレクシーに繋がるものも一切ありません。


 トーマス卿が直々に色々な質問をされましたが、私の素性に関する質問は想定の範囲内のものでしたし、殺された彼らのことやその悪行についても私は何も聞かされていないので答えようがありません。

 情報をほとんど持たさずに身一つで送り込ませたレクシーの手腕に少し感心してしまいます。

 もちろん彼女への評価を好転させるつもりはありませんが。


 そして、トーマス卿は私への尋問を切り上げて、晩餐にお誘いくださいました。

 アイゼンブルグのほぼ中央部にある小高い丘に、そのお城はありました。

 城と言っても高いところでも3階までしかなく、砦という方が適切かもしれません。

 此処はトーマス卿の居住スペースでもあるらしく、大きなテーブルが置かれた食堂もありました。

 ですが、その食卓についているのは私とトーマス卿だけです。

 トーマス卿の家族はサンタモニアの首都に住んでいるらしく、任務のために2年もこの街に滞在しているとのことです。

 彼は久しぶりに他人と囲む食卓だったとのことで上機嫌でした。

 一方、私は死体を目の当たりにしたショックで食事がなかなか進まなかったのですが……


「して、そなたはどうするつもりかな?

 嫁ぎ先あてに迎えに来るよう文を送られるか?

 ならば、ここに滞在してもらってもかまわんが」


 トーマス卿のお誘いに微笑んで返します。


「お気持ちはありがたいのですが、一度実家に戻ります。

 今度は信用できる者に案内してもらうことにします」

「そうか……

 まあ、それもよかろう。

 ああ、ならば私の部下を付けてやろうか。

 融通の利かない連中だが命令には従順だ」

「いえ、乗合馬車で帰りますので。

 冒険者の護衛も付くでしょうから大丈夫です」


 そう。今の所こちらが怪しまれる要素は何一つありませんが、トーマス殿の目の届かないところに早く逃げたいものです。

 イフェスティオ領内に入ることさえできればこちらのものなのですが……


「失礼します」


 兜をかぶった兵士が入室し、トーマス殿に何かを耳打ちしました。


「なんだとっ!? それは確かか!?」


 トーマス殿は大声を上げて席を立ち上がり、そのまま部屋の外に出ていってしまいました。


 しばらくして、トーマス殿は戻ってきて私についてくるよう命じました。

 廊下を歩きながら、彼は状況を説明します。


「この街から出立した討伐軍が壊滅した。

 かろうじて生き延びた兵士たちがこの街に向かってきているらしいが、後から魔王軍が追撃している。

 間違いなく、この街が襲撃されてしまう」

「しゅ、襲撃ですか!?」

「ああ、敵の数からして威力偵察という線はない。

 本気でこの街落とすつもりらしい」

「だ、大丈夫なのですか?

 この街の残存兵力で防ぎきれるのですか!?」

「無論。アイゼンブルグは難攻不落の城塞。

 守るに易く、責めるに難い。

 兵力差が10倍あろうとも弾き返せるとも!」


 トーマス殿は胸を張っています。

 しかし、私はそこまで楽観できません。

『魔物との戦いに人間の立てた計算はあてにならない』

 古代から伝わる戦術の諺です。


 とはいえ、アイゼンブルグの勝利を願うしかありません。

 敵の影響範囲が分からない以上、むやみに脱出すれば進軍してくる敵にかち合う恐れもあります。

 つまり、私が帰国するためにもトーマス殿には迫りくる魔王軍を撃退していただかなければならないのです。


 バルコニーに出た私は遠くを見つめます。

 月明かりに照らされた魔物の影が地平線から近づいてくるのが見えました。




 開戦当初は高く堅い城壁で囲まれた利点を活かし、魔物の侵入経路を制限し、各個撃破する戦術を取っていました。

 詳細は分かりませんが、おそらく敵の数を削ることに成功していたようです。


 しかし、魔王軍が大型の魔物を投入し始め、城壁の損傷が大きくなっていき、防衛隊が分散していきます。

 討伐軍に戦力を投入し、兵力が不足している防衛隊は的に対して数の有利が取れず、急速に損耗していきます。


 追い打ちをかけるように、敵軍の将と思われる上級魔族が参戦します。

 私は砦にある望遠鏡からその姿を見ました。

 筋骨隆々体型にとした赤い肌、頭部に生えたコウモリのような羽。

 全体として人間によく似た体型ではありますが、鋭い牙や白一色の目が作る禍々しい表情は、奴らと私達が相容れない生物であると本能的に感じさせます。

 奴が手を頭上に掲げると、黄金色に輝く大きな岩のような魔力の塊が現れました。

 それを振りかぶるようにして、防衛隊に向かって投げつけてきました。

 魔力の固まりに飲み込まれた兵士は波にさらわれた泥人形のように溶けてしまいます。

 地面や城壁に着弾した魔力は轟音を立てて爆発し、あらゆるものを灰燼に帰します。


 魔族はその非情なる魔力の塊を無尽蔵に生成し、投げつけ続けました。




 そして、開戦から3日目が経った晩、砦のすぐ手前まで魔物たちは迫っていました。

 なお、砦以外の市街地は既に魔物たちに占拠されています。


 兵士も、民間人も、老人も、若者も、男も、女も、子どもも……

 魔物に殺されてしまいました。


 魔物の手による殺し方は人間のそれよりもグロテスクです。

 桁外れの力で体を引きちぎる。すりつぶす。

 そして、人間を食す類の魔物はそれぞれ嗜好があるらしく、肉だけを食らうもの、骨まで食らうもの、内蔵を引きずり出して食らうものと様々です。

 結果、人間だったと判別できないような死骸が街中に溢れかえっています。

 血と脂のむせ返るような匂いが籠城している砦の中にまで漂ってきます。


 地獄のような光景ですが紛れもなく現実です。

 物語のように英雄が颯爽と現れることもなく、生き延びた人々は死を待つばかりなのですから。


 トーマス卿の風貌も変わり果ててしまいました。

 無精髭は伸び、艷やかな茶髪はたったの3日で白髪だらけになり、精悍な顔つきは見る影もなく、20年ほど老け込んだように見えます。

 死神に魅入られてしまったのだと、私は思いました。

 カトリーヌ様の亡くなる直前にどことなく似ていましたから。


 彼女の亡くなる前の日、私がお持ちした食事も取らず、ずっとベッドに伏せていました。

 几帳面に化粧をし、髪の毛を梳かし、絵画のモデルを務めるかのようにビシッと身だしなみを整えていた頃の面影はありませんでした。

 化粧はおろか、目の下にはくまができ、肌には吹き出物が到るところに見られ、頬もこけ、髪の毛も傷みきっていました。

 そんな姿を見せられていた私は人はまず見た目から死んでいくのだと思わされました。



 懐かしく、切ない記憶が胸によぎります。

 こんな状況だと言うのに緊張感が足りないのでしょうか。

 いや、足りていないのは死に対する恐怖でしょうか。

 痛いことや辛いことは恐ろしいですが、死が訪れることにはあまり恐怖を感じません。

 イスカリオス様のお役に立てないのは心苦しいけど、諦めはつきます。


 結局、私は困難に立ち向かって生きるほどの気概を持っていないのです。


 皮肉なことに、その気概を持っていたはずのトーマス卿は打ちひしがれて、砦の奥深くに隠れ潜んでいました。


「こんなことになるのなら、そなたを晩餐などに誘わなければよかった。

 即座に護衛を付けて婚約者のもとに送りつけるか、帰国させてあげるべきだった

 いや、そなただけではない。

 街の人々も逃がすべきだった。

 討伐隊が負けた軍勢相手に、私の指揮で返り討ちにしようだなんて自惚れ過ぎだ」


 床に座り込んだ彼は懺悔のように呟いています。


「軍人は自分の命をかけて戦わなくてはならない、厳しい仕事だと思っていました。

 ですが、あなたを見ていると、本当に厳しいのは自分の行動次第で沢山の人を死なせてしまうかもしれないという重圧と戦うことではないのかと思えます。」


 私は思ったことをそのまま口にしました。

 もはや慰めも励ましも必要ないと思ったからです。


「そなたの知り合いにも軍人がいるのか?」


 彼は私に問うてきました。

 頭によぎったのは当然、


「イスカリオス将軍をご存知ですか?

 あの方とは少し縁がありまして、子供の頃から良くしていただいています」


 私がそう言うと、トーマス卿は目を見開きました。


「イ、イスカリオスだと!?

 まさか……あの魔術師連中は……」


 ああ、余計なことを言ってしまいましたか。

 私がスパイだと気づかれてしまったのかもしれませんね。

 まあ、今更構いませんけど。


「……メリア殿。

 そなたはイスカリオスに命令されてこの街に来たのか」

「ええ。直接命令を下したのは別の方ですけど……」


 急に緊張感を取り戻した彼の様子に気圧されて、私は白状してしまいます。


「そうか……ならば、彼も気づき始めていたのか……。

 アイゼンブルグが魔王軍に占拠されれば、帝国とサンタモニアは分断される。

 そうなればもう歯止めが……」


 彼は顎に手をやり、険しい顔をして何かを口走っています。

 しばらくして、彼は立ち上がりました。


「メリア殿。

 もしかして、あの魔術師どもから何かを預かっているのか?」

「…………」


 私は沈黙します。

 刻印を体に刻まれましたが、解放の言葉を知らないので見せることはできません。


 ですが、私の沈黙を彼は肯定と受け止めたらしく、私をキッと見据えた。


「すまんが、そなたに賭けさせてもらう」

「えっ?」

「この街を脱出して、イスカリオスの元に戻るが良い」


 そう言って、彼は立ち上がり、私の手を引いて歩き始めました。

 歩きながら彼は説明します。


 この街の下水道は、地下洞窟に繋がっていて、そこから町の外に出れるということ。

 行き止まりの地底湖に【偽装】の魔術で守られた隠し扉があること、その魔術の解除詠唱。

 そして、イフェスティオへの帰国ルートについて。


 さっきまでが嘘のように彼はハキハキと私に告げてきます。


「そんな逃げ道があるのなら、どうして早く使わなかったのですか?」

「私に逃げるという選択は無かったからだ。

 魔王軍討伐に向かった伯爵様達は討ち死にした。

 アイゼンブルグを守ろうとした部下たちも、最後まで抵抗した市民も、皆死んだ。

 おめおめと生き延びては、彼らに顔向けができない」


 彼は真っ直ぐな目でそう答えました。

 異論はありますが、口を閉ざします。


「それに、この抜け道の情報は最高レベルの軍事機密だ。

 一般市民に利用させる訳にはいかないし、知られては始末しなくてはならない 

 そなたが無事生き延びても、口外しないことをお勧めする」


 物騒なことを当然のように説明されてしまいました。



 砦の裏手に続く扉の前に、生存者は全て集められました。

 全員武装していますが、その数は20人に足りません。

 彼らに向かってトーマス卿は語りかけます。


「これからこの扉を開く。

 扉の周りにいる魔物どもをどうにかして退けろ。

 私と彼女が飛び出したら、その身を盾にして死守せよ」


 一息おいて、彼は続けます。


「これは最後の命令である。

 だから、後のことは計算せずに死んでくれ」


 彼はためらいなくそう言い切りました。

 そして驚いたことに兵士たちは動揺のかけらも見せずに、


「了解」


 と口を揃えました。

 そこには悲壮感は無く、死に様を飾ろうとする高揚感もありません。

 自身の死も含めて、一つの作業であるとでも言わんかのように冷静です。


「解錠せよ!」


 支えていた丸太を取り外すと、外から小鬼ゴブリンの集団が押し寄せてきます。

 その集団に兵士の一人が槍を突き出して突撃しました。

 四方から殴られ、切りつけられ、防具は破損し血肉が舞い上がるように飛び散ります。

 そして、その体が集団に飲み込まれたその瞬間、白い光を放って爆発しました。

 爆発の光は小鬼ゴブリン達の体を吹き飛ばし、兵士のいた場所にぽっかりと空間ができました。

 続けて、別の兵士が同様に槍を持って突貫します。

 そして同様に周りの小鬼ゴブリンを巻き込んで自爆しました。


「トーマス様! これは!?」

「体内の魔力を暴走させる【自爆】の魔術だ。

 我が国の兵士のほとんどは習得している」


 トーマス卿が私に説明している間にも一人、また一人と兵士は突撃し、自爆していきます。


 ひどい……


 そう思わずに入られません。

 命をかけて戦うことは兵士の務め、これは帝国もサンタモニアも変わりません。

 でも、命を捨てることを前提にした魔術を習得させているなんて、この国は兵士をモノだとでも思っているのでしょうか。


 半数の兵士の自爆によって、道は切り拓かれました。

 そこに残った兵士を先行させ、トーマス卿に引っ張られるように私は砦の外に出ました。

 周囲には無数の魔物たちが私達を取り囲んでいます。


 魔物に向かって兵士達が飛びかかっていきます。

 今度は自爆せず、正面から武器で攻撃しています。

 その動きは帝国の兵士と比べても見劣りはせず、むしろ優れているようにさえ思えます。

 なぜ、この優秀な兵士たちに爆弾のような扱いをするのか、理解できません。

 しかし、多勢に無勢、あっという間に彼らは致命傷を受けて動けなくなります。

 それでも、事切れる直前。

 その身を白い光に変えて敵を道連れにしていきます。


「トーマス様! 彼らは!」

「うろたえるな! 奴らは元からそういう風にできている!」


 トーマス卿はそう言い放ち、私を前へ前へと連れて行きます。

 そして、砦の城壁の麓に溝を見つけます。


「メリア殿! この溝を潜っていけ!

 敵に追いつかれるなよ!」


 私は言われるがまま、溝に体を隠すように入り込みます。


「トーマス様も、早くーー」


 私は彼に呼びかけましたが、その時、彼の目の前には3メートル近くはあるだろうずんぐりした体型の人型の魔物と対峙していました。


「ここは私が命を賭して引き受ける!

 メリア殿! 後は託した!」


 トーマス卿は叫びながら、魔物に飛びかかっていきます。

 彼の剣が魔物の腹部に突き刺さると、魔物は吠えるような悲鳴を上げてよろめきました。

 トーマス卿は剣を抜き、さらに一撃を加えようと彼の脇に回り込んで、剣を払いました。

 しかし、その剣は魔物の肘にぶつかり、弾かれてしまいます。

 さらに、体勢を崩したトーマス卿を巨大なその手で掴み、そのまま地面に叩きつけました。

 トーマス卿の鎧は砕けて飛び散り、私の近くまで破片が飛んできました。

 魔物は彼の体を自分の頭上に持ち上げます。

 骨が折れ、手足が力なく垂れ下がって、鼻や口が潰れてしまっています。

 無傷だった彼の目と私の目が合いました。

 絶望に打ちひしがれて虚ろになったその目は私を責めているように思えました。


 私は彼の目から逃げるようにして、溝の奥に這いつくばったまま体を進め、蓋がされた暗渠に入りました。

 とにかく必死で腕を掻いて前に進みます。

 一時は死を受け入れそうな気持ちになっていたのに、今は恐怖に突き動かされています。


 私は本当に知らないことだらけです。

 生きることも死ぬことも何も分かっていないのです。


 そんな私に()()だなんて……トーマス卿の人を見る目の無さには呆れてしまいそうです。

 家族が居て、他人のために命をかけられるあのような人こそ生きなければならないのでないのでしょうか。


 息をつくこともせず、私は前に進みます。

 後から何かがついてくる気配もありません。


 ただ、前に、前に、と気持ちをはやらせていたその時でした。

 下方にある穴に気づかず、身を乗り出してしまった私は穴に落ち、数秒間、体が宙を泳いで固い地面に叩きつけられました。


「っ!!」


 脚……足首に痛みが走ります。

 立ち上がろうとしますが、右の足首に力が入らず転んでしまいます。

 生まれて初めての骨折です。

 しかも、周りはかすかな光もない真っ暗闇。

 トーマス卿の言っていた地下洞窟にたどり着けたのでしょうが、助かったとは露程も思えません。

 歩けなくなった私が、どうやって誰の助けも借りずに洞窟を踏破して脱出できるというのでしょう。


 立ち込める死の予感に背筋が冷たくなります。

 私もまた、死神に魅入られてしまったようです。



 それから、何日の時間が過ぎたでしょうか。

 携帯していた僅かな食料や水分は既に使い切りました。

 地下水を飲もうかと口に含んでみましたが、とても人間が飲めるようなものではありません。


 どんどん失われていく体力。

 朦朧としてくる意識。

 そして、孤独感。


 一人を寂しいと思うような繊細な気持ちはとうの昔になくしたと思っていました。

 ですが、この冷たい闇の中で弱っていく体と心は一人でいることを拒絶しています。


 周囲に翻弄されるばかりの人生だったのに、その終わりがこんな孤独なものだなんて理不尽すぎる……



 大切にされたい。


 守られたい。


 救われたい。



 私だって甘えたい。

 甘やかされたい。

 そばに居てくれる人が欲しい。


 怖い……誰にも知られずに死ぬのが怖いよ……








 ペシッ。ペシッ。


 私の頬を何かが叩いています。

 そして、まぶたが微かな光を受けていることを感じます。


「う、う……ん?」


 重いまぶたを開けると真っ暗闇の筈の洞窟がで小さな灯りで照らされていました。

 そして、目の前には人がかがみ込んでいました。


 その人は絵画に描かれる天使のように整った綺麗な顔をしていて、一瞬見惚れてしまいました。

 愛らしい顔立ちとは不釣り合いな傷だらけの戦闘服はおそらくサンタモニアのものです。

 この人はサンタモニアの兵士でしょう。


「寝ぼけていてもいい。意識を保っていろ。

 眠りに落ちている生き物は担ぎにくいからな」


 乱暴な口調とは裏腹に声音は声変わりができていない子どものようです。

 ですが、私を軽々と肩に担ぎ上げるその力は逞しい男性のものでした。


「助けて……くれるの?」


 弱っているからでしょうか。

 そんな自分で自分を笑いたくなるような甘い期待に満ちた言葉がするりと出てしまったのは。

 なのに、


「助けられるかは分からないが、できる限りのことはする」


 彼はこともなしにそう言い切りました。


 これは……夢かな?

 死ぬ前に見るという都合のいい夢。

 そう、カトリーヌ様に拾われたあの幸福な奇跡と似た淡い夢。


 夢だとしても、幸せだなあ……



************



 暖炉の火が小さく揺れています。

 その灯りに私とイスカリオス様は照らされて座っていました。


「成程、ソーエンに渡ってベルンデルタに向かったのか。

 正解だ。今や陸路は完全に魔王軍に封鎖されている。

 そなたの他にサンタモニアに放っていた者たちも誰一人帰還できていない」


 私はイスカリオス様にアイゼンブルグにたどり着いてからの旅路をお伝えしました。

 但し、クルスさんやブレイドさん、ククリさんのことは一切伏せて。


 サンタモニアの名も知らない兵士に助けられて、アイゼンブルグから脱出。

 運良く魔物に捕まらずに森を通り抜け、アマルチアに到着。

 アイゼンブルグを脱出する時に拝借した宝石等を換金し、路銀を作り、密輸船に乗ってソーエンに。

 ソーエンで冒険者を雇い、共に海を渡ってベルンデルタに到着。

 それからは馬車と徒歩を組み合わせて帝都までたどり着いた、という説明をしました。


 イスカリオス様は話を聞き終わると、小さく息をついて、


「そなたは運がいい。

 神の加護があったといっても過言ではない」


 と、言いました。


 神の加護……たしかにそうかも知れません。

 クルスさんを初めて見た時、天使かと思いましたし。

 もちろん、全てが上手く行ったわけではありません。


 バルザックさんの仲間を失いました。

 レイクフォレストの教会の人達を救えませんでした。


 でも、クルスさんは最初に言った言葉どおり、全力で私を助けてくれました。

 私の願いを叶えてくれました。

 裏切られることなんて夢にも思っていなかったでしょう。


 どんな理由をつけたとしても私は許されないことをしてしまいました。


「あ……アルメリア殿?

 どうした?」


 イスカリオス様が驚いています?

 どうして、と一瞬思いましたが、すぐに理由がわかりました。


 私は涙を流していました。

 頬からこぼれ落ちた涙が膝の上においた手の甲にかかります。

 こらえようにも力が入りません。


「疲れているのだな。

 今宵はもう休まれよ。

 明日、刻印の解放を行う。

 何が描かれているかは分からぬが、そなたは見事に務めを果たしたのだ」


 イスカリオス様はそう労ってくれました。

 旅に出る前は何よりもこの言葉を欲しがっていたはずなのに、さほど感傷はありません。

 そのことが余計に私の涙を苦いものにするのでした。

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