回想録3 朝に道聞かば、夕べに死すもよし
イスカリオス様直属の諜報員として働くことになった私でしたが、肝心の所属する組織についての情報は一切私には教えられませんでした。
そもそも、私は「虚弱な貴族令嬢にしてはマシ」程度の身体能力でしたし、魔力も「無いこともない」程度のものです。
街に溢れている孤児に英才教育を仕込んだ方がよっぽど役立つことでしょう。
戦果を期待されてではなく、レクシーの加虐趣味の対象として放り込まれているのは明白です。
とはいえ、私も丸腰で危地に飛び込むようなことは避けたかったので、自分なりに鍛錬を積むことにしました。
ハルモニア諸国の公用語、社会制度、文化、風習、現状といった知識の習得。
それと、任務を円滑に進めるための人格や精神面の矯正。
幸い、イスカリオス様がレクシーの動向に目を光らせてくれていたおかげで、彼女も不用意に私を死地に送り込むこともできず、私は学ぶべきことにのめり込む時間がありました。
元々、本を読むのは好きでしたし、知らないことを頭に蓄えるのは楽しいものでもありました。
また、何らかの才能があるわけでもなく、強い意志を持っていたわけでもない私の人格や精神を上書きすることに抵抗はなく、従順に新しい自分を作り上げていきます。
語学を始めとする様々な知識や教養に精通しており、喜怒哀楽を分かりやすくコロコロ変えることで相手の興味を惹き、快活且つ丁寧な言葉づかいで相手に好意を抱かせる。
力や身のこなしはごくごく一般的な少女で、可愛いものや綺麗なものに心を奪われがち。
さらに性的な事には奥手で、その手の話や出来事には顔を赤らめたり、理不尽に怒ったりもする。
か弱く、隙だらけだからこそ、周りの人間の保護欲をくすぐる少女。
アルメリアの名前は気に入っていますが、市井に紛れるには少し気取りすぎています。
ですので、少し縮めてメリアと名付けましょう。
やがて、私に命令が下りました。
サンタモニア王国への潜入任務です。
イスカリオス様が遠征で自領から離れたことを見計らって、レクシーがねじ込んできたのです。
私の数少ない長所の一つに体の魔術浸透力が高いというものがありました。
魔術浸透力とは魔力を体内に取り込む力のことです。
一般的に魔力が充満している場所は魔力の回復速度が増しますが、私はそれが極端に早いのです。
もっとも、肝心の魔力貯蔵量や出力が低いため、大して役に立ちません。
ですが、この魔術浸透力はある種の魔術の効力を大きく左右します。
それは体に魔力で文字や絵を描く魔術「刻印」の系統の魔術です。
通常、これらの魔術は奴隷や犯罪者に払拭できないしるしを刻み込む為に使ったりします。
ですが、魔力浸透率の高い人間の場合は、「刻印」の魔力が肌を透過し、体内に取り込まれます。
取り込まれた魔力は刻印時にあらかじめ展開詠唱を行うことで体の表面に浮かび上がります。
私の拳に家紋を仕込んだ【赤い契り】もその系統の魔術の一種です。
私の任務は魔術浸透力の高さを生かして、潜入先の協力者から刻印の魔術で体内に手に入れた情報を書き記してもらい、そのまま帰還するというものでした。
体内に取り込まれた刻印の魔術は私自身の魔術行使がなくては絶対に発現しません。
もし私が死ねば、生命活動の停止と同時に体内の魔力は霧散し、刻印は跡形もなく消えてしまいます。
つまり、絶対に秘密にしなくてはならない情報を伝えるための人間書簡として私の体は使えるということです。
言われたとおりの場所で指示された人に会って、刻印を埋め込んでもらい、帰還する。
私は任務遂行について、必要なこと以外は何一つ教えられませんでした。
素人同然の私にとって余計な情報は逆に判断を鈍らせたり、漏洩の恐れがあると思われたのです。
明らかにモノ扱いされていると思いましたが、そんなことで傷つくようなプライドは持ち合わせていません。
それに、レクシーの思惑に乗るのは気に食わないですが、イスカリオス様の力になれることは素直に嬉しいのです。
どうせ帝国で暮らしていても飼い殺しにされるだけの日々が死ぬまで続くだけです。
それならいっそ、外の世界に飛び出した方がよっぽど人間らしくいられると思っていました。
この前向きさはアルメリアというよりも、メリアの発想かもしれません。
私は乗合馬車にて帝都を出発し、サンタモニア王国と帝国の国境付近の街、アイゼンブルグを目指しました。
名目上は、私はイフェスティオのとある商会の娘でサンタモニアの商会に嫁ぐ為に来たということになっています。
偽造された身分証明書のおかげで、私はすんなりとサンタモニア王国領内に入ることができました。
ほどなく、アイゼンブルグにたどり着き、指示のあったとおりの場所と時間にて、サンタモニア内の協力者と合流することができました。
協力者は男性で、歳は40くらいでしょうか。
これと言って特徴のない容姿に、華美でもみすぼらしくもない衣服を纏っています。
彼は名乗りもせずに、片言のイフェスティオ語で話しかけてきました。
私が流暢なサンタモニア語で返し、にこやかに笑ってみせると笑みを見せて緊張を解いてくれました。
鍛錬の効果を実感します。
彼に連れられて、私はサンタモニアの教会の地下にある隠し部屋に通されます。
青みがかった石作りの部屋はひんやりとしており、蝋燭の明かりで薄暗く照らされています。
そして、室内だと言うのにフードを深くかぶったローブ姿の男達が待ち構えていました。
「この小娘が帝国の遣い?
冗談じゃろ!?」
ローブ姿の男の一人からそんな声が上がりました。
彼らはおそらく魔術師でしょう。
魔術師は総じてプライドが高く、他人を見下してかかります。
「い、いきなり失礼ですね!
ちゃんと命令を受けてやってきたんです!」
私はたどたどしく怒ったふりをしてみます。
思った通り、男たちは鼻で笑います。
「まあ良い。
体内刻印を仕込めるだけの素質があるのならな。
さっさと始めよう」
期待通りだった私の反応にやや上機嫌なのが伺えました。
部屋の中央にあるベッドくらいの大きさの直方体の石にうつ伏せに寝転ぶよう指示されました。
言われたとおり、石の上に登り、寝そべろうとすると、
「何やっておる?
誰が昼寝しろと指示をしたか」
「えっ?」
「刻印を仕込むのじゃから当然裸にならなきゃいかんに決まってるじゃろ」
と、ローブ姿の男は言いーー
「…………ええっ!?」
私は驚きのあまり声を上げました!
「は、は、裸ですか!?」
「当たり前じゃろ。
刻印は肌に打つものなんじゃから。
服の上からでは印影がぼやけて細かい文字とかは判別できんようになる」
私は体を抱きすくめるようにして、服を脱ぐのを拒みました。
これは芝居なんかじゃありません。
本気で男性に肌を見られるのが嫌だからです。
私は救いを求めるように、案内役の男性に視線を向けましたが、彼は無感情な瞳で私を見つめています。
「時間の無駄じゃ。やれ」
ローブの男のその言葉を聞いて案内役の男は私を石の上に押し倒して、服に手をかけてきました!
「イヤっ! やめてくださいっ!」
私は叫びましたが、当然のごとく聞き入れてくれません。
ビリリッ、と音がしてシャツの袖が破れました。
抵抗できない力に私は恐怖を感じて体が強張ります。
その時、レクシーが私に言ってきた言葉を思い出しました。
『男たちにモノのように扱われ、汚され、朽ちて!
お高く止まった涼しい顔が歪み果てるのが愉しみですわぁ!』
嫌だ。
あの女の思惑通りになんてなってたまるか!
「離してください! 服は自分で脱ぎますから!!」
私がそう叫ぶと、男の力は急に緩まりました。
自らシャツの裾に手をかけます。
大丈夫。ただ服を脱ぐだけ。
私はこんなことで汚れたり朽ちたりなんかしない。
決心して服を脱ぎ捨てました。
さすがに腕で胸を隠したりはしていますが。
そのままゆっくりと石の上にうつ伏せになります。
胸にひんやりとした石の冷たさが伝わってきて鳥肌が立ちました。
「まったく……生娘は扱いにくくてたまらんわい」
ローブ姿の男の一人はそう吐き捨てました。
「泣いたり叫んだりしなければならないのはこれからだと思うがね。
刻印の痛みは入れ墨の何倍もの痛みだ」
「深層だと陣痛に相当するとも聞いたことがあるぞ」
頭上で不穏な会話をしていますが、気にしません。
たしかに手の甲にローリンゲン家の紋章を刻んでもらった時は凄まじい痛みでしたが、歯を食いしばって声も上げませんでした。
どれだけ痛くても死にはしないんだから、と自分を勇気づけてみます。
「では、行くぞ」
横目でローブ姿の男達の様子を見ると、彼らは先端が赤く光っているペンのようなものを持っています。
それをゆっくりと私の背中に近づけていきます。
そして、光が私に触れた瞬間、針で突き刺したような痛みが走りました。
「んッ!!」
私はぐっとこらえます。
たしかに痛いですが、予想の範疇です。
声を上げるほどのものでもありません。
「ほう……これはなかなか良い肌だ。
透過性が高い。
これならばかなり深くから書き込めそうだな」
深く? どういうことでしょうか、と思ったその瞬間でした。
針を刺された痛みがしていた場所に焼けるような熱さが加わりました。
「あっ! うあっ!?」
私は思わず声を上げてしまいます。
痛みが急に強くなりました。
「次は3層じゃな」
一点に集中していた痛みがガラスにヒビが入るように無秩序に広がり、蠢きます。
「うああっんっ!? ちょ……やめっーー」
「拘束しろ。あと、口に何か詰めとけ」
私は両手首と太ももを石にくくりつけられました。
「4層」
「や、やめてっーーや、あああああっっ!!」
外から襲ってきた痛みが次は体の芯から外に抜け出ようと私の体を貫きます。
そして、叫ぼうとする口に布が詰め込まれてしまいました。
「5層」
「ンーーーーーーっ!!」
「凄いぞ、6層」
「ーーーーーっ!!」
「7層も行けるのか?」
深くなるほどに増す痛みは私の既知の感覚を遥かに上回り、どう表現したらいいのか分かりませんでした。
最終的に9層までたどり着いたらしく、そこで刻印が刻まれている時間は……
どれくらいの長さかは分かりませんが、ただ思っていました。
「ころしてください」
って。
あまりの苦痛に私は生きていることを後悔し、記憶をさかのぼり生まれてきたことすら後悔しそうになります。
コレほどの痛みがこの世にあるなんて知らずにいましたから。
やがて、作業が進むに連れて痛みは和らいでいきました。
刻印を刻んでいる場所がどんどん表層に近づいているからでしょう。
「今から第3層じゃ。
小娘呼ばわりしてしまったが大した逸材じゃったな」
「ああ。得難い経験をさせてもらった」
「ワシがもう少し若ければ別の意味でも愉しめたのじゃが」
頭上で軽口を叩く男達。
呑気そうですけど、私は未だにすごく痛いのです。
涙は止まらないし、握りしめた手は爪が肌に食い込んで血が流れています。
ですが、作業の終わりが見えてきてホッとし始めている自分もいました。
その時でした。
ビビビビビビビビビビ!!
どこからともなく大きな音が響き渡ります。
笛の音色に似ていますがけたたましく、不快極まりない音です。
思わず体が警戒してしまいます。
「ちっ。見つかったか」
「最後まで書き切りたかったが、構わん。
必要なことは書いた」
「ネオテニーについては……まあいいか。
おい、娘よ。
お前はワシらにさらわれて乱暴されそうになったとでも答えておけ」
男達は作業の手を止めます。
「拘束は外さないでいいな。
その方がそれらしいじゃろ。
じゃあ、上手くやるんじゃよ」
彼らはそんな事を言って、部屋の扉を開け外に向かっていきました。
拘束されたままの私は事態が分からずにモゴモゴ言いながら動かない体をのたうち回らせていると……
「ぎゃあああああああ!!」
部屋の外から悲鳴が聞こえました。
そして悲鳴は続きます。
1人、2人、3人……
悲鳴が止んで少しした時に鎧を身に着けた兵士が降りてきました。
兵士は顔がすっぽり覆われた兜を装備していますので、人相は分かりません。
彼らはキビキビした動きで石にくくりつけられた私を囲みました。
「えっ……あ、あの……」
私は何かを言おうとしていたのですが、混乱しすぎて何を言うべきか分かりません。
そこに兜をしていない男の兵士が現れました。
30歳位でガッチリとした体格の精悍な雰囲気の男性です。
「オイ! 女の裸をジロジロ見るな!
誰か布でもかぶせてやれ」
「了解」
男は兵士たちのリーダーのようであり、部下に指示をしました。
部下は即座に部屋にあった外套を取って私の上半身にかけてくれました。
この外套はおそらくあのローブ姿の男達の持ち物でしょう。
だんだん、状況がつかめてきました。
彼らが言い残した言葉の意味も。
「ああ、君から、話を聞きたい。
私の言うことは分かるか?」
リーダーさんのかけてくれた言葉に頷きました。
そして、
「助けてくれて……ありがとうございます……
私……あの男達に……攫われてーー」
大粒の涙を流して声を上げて泣いてみました。
するとリーダーさんは困惑した顔をしています。
しどろもどろになりながら、私の拘束を解くよう部下に指示をします。
「ともかく、無事で良かった。
君をさらった奴らはとんでもない悪人でね。
我々も捕まえるために四苦八苦していたのだ」
彼は私を落ち着かせるためか、下手な作り笑いをしています。
チョロいですね。
彼の中では私はもう、憐れな被害者として認めてもらえたようです。
彼は私を抱えるようにして地下室を脱出します。
外に出ると、ローブ姿の男達の死体が転がっていました。
剣や槍で貫かれて血を流して死んでいます。
案内役の男は、おそらく魔術にやられたのでしょう。
全身を黒焦げにされて事切れています。
彼らの変わり果てた姿から、私は目を背けます。
するとリーダーさんは私の肩を抱いて、彼らが見えないように自分の立ち位置を変えました。
つい先程まで話していた人間があっけなく死にました。
彼らはきっと死を覚悟していたのでしょう。
私を置いて外に出てから、死体になるまであっさりとしたものでした。
私の体の中に刻まれた彼らの遺したものを私は知りません。
ですが、それはきっと重荷だったのでしょう。
私に預けることで彼らは身軽になってこの世を去ったのです。
そう、考えることにします。
「たしかにお預かりしました」
誰にも聞こえないよう、小さく呟きました