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回想録2 危うきこと累卵の如し

 イスカリオス様にお会いしに行ってから数日が経った頃、私はレクシーに呼び出されました。

 彼女は普段、父親にもらった別邸に入り浸っています。

 そこで愛人と逢瀬を重ねていることは言うまでもありません。

 何故、侯爵家の人々が彼女の横暴を看過しているのか、理解に苦しみます。


 辟易とした気持ちで別邸を訪ね、彼女のいる部屋に向かいます。

 廊下を歩き、部屋の前に立つとほぼ同時でした。

 扉が開き、亜麻色の長い髪をした男性が出てきました。

 彼の衣服は気崩れており、はだけた胸元は汗ばんでおり、痣のような跡が見られました。

 若干の気まずさを感じつつ、私達は目を合わせずにすれ違います。

 指紋の付いた扉のドアノブがとても汚らわしいものに見えたので、ハンカチをかぶせてから手をかけました。


 部屋の中では素肌にガウンを羽織ったレクシーが椅子にもたれかかっていました。

 乱れた髪をかきあげながら果実酒を呷っています。

 だらしのない体をしていると思っていましたが、最近さらに太ったようで、指や顔にも贅肉がついています。

 物語の悪役に描かれるような、肥えた成金の助平男の性別を逆転させるとこんな感じになるのだろうか、と心の中で毒づいてみます。

 見るに堪えないので視線を横にずらします。

 すると、大きな天蓋付きのベッドと乱れたシーツが目に入りました。

 レクシーと先程の殿方との行為を想起させられて、吐き気を覚えました。



「目ざといわね。

 あまり人の部屋をジロジロ見ないでいただける。

 ウブなくせにはしたない女」


 はしたない女はお前の方だ!

 と叫びたい気分ですが、我慢します。


「レクシー様、ご機嫌麗しゅう。

 今日はどのようなご用向で」


 私はスカートを持ち上げて挨拶します。

 彼女のことを私は姉君などとは呼びません。

 彼女は私のことを嫌っているし、姉扱いされたくないとのことだからです。

 もっとも私も彼女に姉としての敬意など払いたくないので願ったり叶ったりですけど。


「今度、婚約者殿とお忍びで会う約束をしているの。

 お父様たちには内緒でね。

 その時の贈り物を考えているのだけれど、あなたにも協力してもらいたいの」


 レクシーは細い目をさらに細めて笑いました。


 意外です。


 まさか、レクシーが自らイスカリオス様に会おうとするなんて。

 彼女も世間体を取り繕う程度には大人なところがあったということでしょうか。

 とはいえ、彼女がわざわざ私を呼び出した理由にしてはどうも胡散臭いと思います。


「私のような者には荷が勝ちすぎます。

 ご婚約者様の心象を悪くしてしまっては悔やみきれません。

 できれば辞退させていただきたいのですが」


 と、私は彼女の申し出を断ろうとしたのですが、


「ウフフ。

 そんな事ないわぁ。

 あなたと彼はお似合いだと思うわよ。

 何せ私に内緒で通じ合っているくらいなんだから」

「えっ!?」


 私は思わず顔を強張らせました。

 同時に、イスカリオス様とお会いした時のことが頭をよぎります。

 レクシーはそんな私の頭の中を覗いていたかのように、ニヤリと笑いかけてきました。


「血の繋がりがないとはいえ、姉の婚約者を寝取るだなんて。

 生まれが知れるというものよ。

 ああ……お育ちもあの辛気臭い出来損ないの女の愛玩動物でしたっけ」

「カトリーヌ様を侮辱するのはおやめください!

 それに、私とイスカリオス様はそのような関係ではございません!」

「口答えしないで!

 気分が悪いわ」


 彼女は椅子を蹴倒すように激しく立ち上がり、私の周りをグルグルと周っています。

 まるで獲物がスキを見せるのを待ち構える獣のようです。


「別にね、構わないのよ。

 あなたと彼が寝ても。本当よ。

 まあ、あなたみたいな鶏ガラのような子どもに欲情する婚約者殿の性癖とか、あんな野獣のような大男の欲望を受け止められるあなたの器の緩さとか、思うところはあるけどね。

 私にとってはどうでもいいことだわ」


 聞く耳を持たず、卑しい目で他人を見下し、下劣な言葉を止めどなく吐き出す口を持つこの女はどうやって出来上がったというのでしょう。

 甘やかされて育っただけでは理由に足りません。


「贈り物については、まあいいわ。

 でも、婚約者殿に会うときには同行しなさい。

 これは命令よ」

「……仰せのままに」


 何を考えているのか分からないけれど、自分の身に危険が迫っていることだけは理解できました。



 そして、レクシーがイスカリオス様とお会いになる日がやってきました。


 私はいつもどおり旅装束を着て、レクシーの乗る馬車を追いかけます。

 運が悪いことに天候は雨でした。

 雨と泥でずぶ濡れになりながら走る私をレクシーは馬車の窓から眺めてご満悦のようでした。

 きっと汚れた私をイスカリオス様に見せつけることで彼に幻滅を、私に屈辱を与えるつもりなのでしょう。

 残念ながら私は泥に汚れたくらいで屈辱を覚えませんし、彼も私の状況は知っているので驚きもしないでしょうけど。


『戦っている』


 彼は私をそう評しました。

 だったら私は戦おうと思います。

 レクシーがどのような思惑を持っていようと、私は思い通りになんてなりません。





 待ち合わせ場所はレクシーの知り合いが所有するサロンでした。

 意外にもイスカリオス様は先に訪れていたようで、私達が待たせる形になってしまいました。

 泥まみれの私を見て、彼は使用人にタオルと着替えを用意するように指示を出してくれました。

 そして、レクシーを見下ろします。


「手短に済ませたい。

 何のために拙者を呼び出した?

 婚儀のことであれば、こちらに意見はない。

 そなたの思うようにするがいい」


 彼は面倒そうにそう言いました。

 ですが、レクシーは満面の笑みで話しかけています。


「つれない事をおっしゃらないでくださいまし。

 婚前に親密さを深めるのが昨今の男女の倣いでしてよ」

「拙者はそちと親密になろうとは思わん。

 そちとて同じであろう。

 心配せずとも、自由にすればいい。

 拙者の務めを邪魔しない限り、拙者もそちに干渉はせぬ」

「まあ! 大きな体にふさわしい剛毅で包容力のある御方!

 惚れ直してしまいましたわ!」


 わざとらしく口を手で押さえるレクシーはまたあの卑しい目をしています。

 一体何を言い出すのか、と私が不安に思っていたその時でした。


「今日はあなた様に贈り物をさせていただきたいと思ったのです。

 少々汚れておりますが、存分にお使いください」


 そう言って、なんと私の襟元を掴んでイスカリオス様に投げつけました。

 ヨタヨタとふらついた私は彼の胸に受け止められます。

 全身の泥や雨を彼の乾いた服になすりつけてしまいました。

 イスカリオス様は顔を強張らせています。

 百戦錬磨の将軍といえど、これは未知の状況というものでしょう。


「レクシー様! なにをなさるのです!」

「口答えするな! って何度言えば分かるの!」


 私の怒りは理不尽な怒りに飲み込まれます。


「レクシー殿。これは拙者も黙っていられぬ。

 婚約者から自身の妹を献上される等聞いたことがない。

 確かにアルメリアとは知らぬ仲ではないが下衆な勘繰りを入れられる覚えもない」


 イスカリオス様は淡々としつつも、ジワリと怒りをにじませています。


「あらあら?

 まさか、私が妹を愛妾として差し出したと思われていますの?

 心外ですわぁ。

 私がそのようなことをする人間だと思われていたなんて」


 ニヤニヤとイスカリオス様をからかうレクシーに、堪え難い不快さを覚えます。

 思わず爪が食い込むほど拳を握ってしまいます。


「私が妹を差し出したのは他でもありません」


 そう言いながらレクシーはイスカリオス様のすぐ横まで近づいて、背伸びをし、手で口を隠すようにして、


「貴方様の他国に対する諜報用の私兵組織に使ってくだされば、と思ってのことですよ」


 と言いました。


 瞬間、イスカリオス様は太い眉を吊り上げました。


「貴様っ! 何故その事を!?」

「ダメですねえ。

 こういう時は「何の話だ?」ととぼけるくらいの事はしていただかないと。

 我が帝国の将軍様とあろう御方が腹芸の一つもできないなんて、知られては事ですよ」


 レクシーは余裕を絶やしません。

 イスカリオスの反応も想定内だったと言わんばかりに。


 そして、私はようやくレクシーの言った言葉の意味を知って困惑しています。


 帝国において、私兵組織を持つことは厳しく制限されています。

 兵士の私有は兵力が国内に分散し、国家を上げての軍事行動に支障を来すことを危惧しているからです。

 さらに外国に対する諜報活動は全人類共闘同盟ハルモニアにおける禁止条約の一つです。

 他ならない常勝将軍イスカリオスが国の法を裏切り、ハルモニアの秩序を乱すなどあってはならないことです。

 この事が表沙汰になれば国際問題になりかねません。

 つまり、イスカリオス様は帝国を揺るがす爆弾を手にしており、その導火線を今、レクシーに握られてしまったのです。


「上手くやっていられたと思いますよ。

 戦場で戦死したということにして、戸籍から抹消した兵士を自らの組織に加入させる。

 そんな無茶なやり方で裏切り者が出ていないのは、まさにあなた様の人徳があってこそですね」


 押し黙るイスカリオス様にレクシーは続けます。


「言っておきますけど、ここで私の口を封じるのは悪手ですわよ。

 詳細はお伝えしませんが、私に何かあった場合、この情報を広めるよう手筈を整えていますから」

「貴様……!

 自分のやっていることが分かっているのか!?

 下手をすればハルモニアが瓦解するのだぞ!

 魔王軍の侵攻が激しくなっている現代でそんなことになれば、人類は……敗北する!」

「そのきっかけを作ったのは貴方様ではないですか?

 偉大なる帝国将軍がどうしてこのようなことを?」

「帝国……いや人類の勝利のためだ」

「愚問でしたね。

 失礼いたしました」


 私は、はじめてレクシーに対して恐怖を抱きました。

 人類の運命を左右しかねない事柄を手中にしていて、楽しげにイスカリオス様をからかう彼女は、横暴な貴族令嬢なんて言葉で片付けられる人物ではありません。


「アルメリアは使えると思いますよ。

 貴方様のことですから女性の手札はあまりお持ちでないでしょう。

 ええ、これは褒め言葉ですよ。

 ですが、諜報活動は女向けの仕事です。

 見知らぬ土地の風習や文化に溶け込んで一市民に擬態する。

 この潜入行為を女は皆、結婚という人生の通過儀礼の中でやってのけるのですから」


 レクシーはそう言って、私の両肩に手をかけました。


「それに女は男を狂わせます。

 アルメリア、あなたは毒におなりなさい。

 甘い香りを漂わせて男たちを引きつけて犯す毒になるのです」


 彼女はいつになく優しい声音で語りかけてきましたが、突如、目を見開いて三白眼をあらわにしました。


「そしてぇ〜〜!

 勘違いしてしまった浮浪児がぁ! 

 淫売に身をやつすところを私に見せてくださいなぁっ!!

 クフフフフフっ!!

 男たちにモノのように扱われ、汚され、朽ちて!

 お高く止まった涼しい顔が歪み果てるのが愉しみですわぁ!」


 狂って壊れたような高笑いをして、私の肩を掴んで揺さぶってきます。

 レクシーの濁った色の瞳の中には明らかな敵意が見えました。

 彼女は私のことをとても憎んでいるのでしょう。

 理由に興味はありません。

 解決の糸口もなければ、しなければならない理由もないですから。


「ああ、そうそう。

 妹をお渡しする代償として、その私兵組織の所有権を私にも分けていただけるかしら?」


 レクシーはまるでお菓子をねだるかのようにイスカリオス様に頼みました。


「そんなことをーー」

「貴方様も多忙の身。

 戦場で剣を取る間はそちらの組織の指揮を撮るのは難しいでしょう。

 留守役を務めるというだけです。

 心配なさらずとも上手くやってみせますよ。

 人類の命運がかかっているのですから」


 イスカリオス様は大きなため息をつきました。

 大きなその手で頭を抱えながら、レクシーに問いかけます。


「のう。貴様は一体何を求めておるのだ。

 アルメリア殿との確執は分からんでもないが……

 ご法度の私兵組織に自ら首を突っ込むなど、神経を疑うぞ」


 レクシーは薄ら笑いをやめて、まっすぐイスカリオス様を見つめました。


「私は自分の価値を知りたいの。

 何ができるか、どこまでできるか、試してみたいの。

 名家の令嬢なんて他人に与えられたものだけで終わるような生き方はまっぴらゴメンだわ」


 聞きようによれば清々しい独立心のある前向きな言葉ですが、レクシーの邪悪な人相を見ると、そんな印象は微々として感じられません。

 そして、こんな人間に自分の生殺与奪を握られてしまったことに、私は絶望しか感じられません。

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