第48話 僕は舞台デビューする。約束は未来への道標。
公演当日は生憎の曇り空だった。
開演は夕刻からだが、僕達は準備などのために早々に劇場入りしていた。
正確には誰もが落ち着かなくて、早く劇場に入りたがったという感じだ。
一部の団員は劇場で寝泊まりしていて、ファルカスもその一人だ。
「座長っ! 演者が前日にちゃんと寝ないのは良くないって自分で言ってたじゃないですか!
化粧のノリも悪くなるんですよ!」
ジャニスが舞台の隅で大きなクマを作って座り込んでいるファルカスを叱責している。
ファルカスは心ここにあらずと言う顔で、生返事を繰り返している。
「おいおい、あんな状態で大丈夫なのかよ」
ブレイドが僕に尋ねてくるが、僕も分からないし答えられない。
「ダイジョブ、ダイジョブ。
大きい公演の前はいつもこうだから。
案外繊細なんだよねー」
エルが柔軟運動をしながら答える。
いつもどおり、飄々とした様子だ。
「しかし、まさかクルスが舞台に立つとはなあ。
世の中何が起こるか分かったもんじゃねえ」
ブレイドは舞台から観客席を見下ろして言う。
「全くだ。
でも、おかげでいろいろインプットできた」
芝居や役作りを通して、人の感情の機微を。
一座の人々と過ごして、人の生き方や幸せの多様性を。
それと、妖精たちからは、人の情けにつけ込む方法や性を売り物にする方法を。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【転生しても名無し】
『なんでや! ちゃんと人集めとかにアイデア出したやろ!
扱いひどくね?』
【転生しても名無し】
『たしかに「トニー君は生き別れの母に見つけてもらうために芸人をやっている」と設定を付けて、芋づる式に動員しようとしたりとか!
エルの胸の谷間に公演のチケットを挟みこんでおいて、購入した客には手で取らせようとしたりとか!
ちょっと調子に乗ってたけどさ! すいませんでした!!』
【◆江口男爵】
『どうして俺のアイデア聞いてくれないの!
エロは人を惹きつけるんだよ!』
【転生しても名無し】
『↑俺達ですらドン引きしたお前のアイデアなんて採用されるか。
なんだよ……〇〇〇〇で××××を▲▲▲するって、もはやただ変態行為したいだけだったじゃねえか』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
「インプット、ね。
そういう言葉を使っている方が違和感を覚えるね。
もうお前を見てもホムンクルスだと分かる奴はいないだろうな」
ブレイドは周りに聞こえないよう小さく呟く。
「つくづくとんでもない代物だぜ。お前は。
しかもワンオフじゃなくて量産品ときている。
もし、お前の仲間が生き残って同じように旅をしてきたならお前のようになれたのかな」
僕の場合は頭の中に妖精が棲み着いているから特殊な状態であるとは思うが、多少の差異はあれどほぼ同等の成長をしていたのだろう。
もっとも、アイゼンブルグの戦いで僕の同型のモデルは全て破壊されてしまっただろうが。
「サンタモニアの連中は何を考えてたんだろうな‥…」
ブレイドの口から溢れるようにそんなつぶやきが聞こえる。
「どういう意味だ?」
と聞くと、ブレイドは「独り言だ」と、かぶりを振った。
「それはそうと、期待しているぜ。
噂じゃあ結構な熱演していたらしいじゃねえか」
「通し稽古のことか。
観に来ても良かったのに」
「俺が嫌なの!
ネタを明かされた舞台を観るなんざ、冷めきって脂が固まった肉を食わされるようなもんだ。
そういうわけで上演ギリギリに戻ってくらあ!」
ブレイドは颯爽と舞台から飛び降り、観客席にいたククリと合流して二人で劇場を出ていった。
時は経って既に開演30分前。
開場時間を過ぎ、会場には観客が次々に席に座り始めており、僕らのいる舞台裏の楽屋にまで声が聞こえてくる。
出演者たちは衣装や化粧の準備に追われている。
上演前の緊張感で神経質になっており、ピリピリした空気が張り詰めている。
そんな楽屋に空気を読まない訪問者がやってきた。
「準備は万端かね、一座の諸君!」
ベイルディーンはティオニールを始めお付きの者を何人も連れて現れた。
「兄上……何の用ですかな?」
「うむ。開演前の激励にな。
普段はこのような座興は嗜まぬ主義だが、弟が関わっているとなるとそうも行くまい。
皆の者、励み給えよ!」
心底うんざりといった顔のファルカスに対して、ベイルディーンはとても楽しそうだ。
団員たちも流石に伯爵が訪問してきたとなると作業の手を止めて、背筋を正して起立している。
ただ一人、エルを除いては。
「そこの女! 伯爵閣下との拝謁の機会に何をしているか!」
「化粧して髪整えてます。
見てわからないですかあ?
忙しいんですよ、マジで」
エルの尊大な態度にティオニールが詰め寄ろうとするが、ファルカスに止められる。
「応援していただけるのはありがたいですけど、観客席からお願いします。
舞台の上と楽屋は座長が治める王国です。
伯爵さまだろうが魔王さまだろうがズケズケ入って来ていい場所ではありません」
そう言ってエルは横目でベイルディーンを睨みつける。
周囲の団員は青ざめ、ベイルディーンの部下たちは顔を紅潮させる。
公演前の緊張とはまた別の張り詰めた空気が立ち上るが、
「ハッハッハッ!
これはこれは中々の女傑だな。
ファルディーンも隅に置けないな」
そう笑ってファルカスの肩をたたいたベイルディーンは胸の前に腕をやり、
「王国への侵入、失礼仕った。
許していただきたい」
恭しく頭を下げるベイルディーンの姿にティオニールは目がこぼれるほど見開いた。
「ベイルディーン様!?」
「構わんだろう。
ここは帝国ではないといっておろうが」
ベイルディーンはそう言ってティオニールをなだめる。
レイクフォレストの一件の際は、「伯爵として決めたことを曲げることはできない」と頑なだったのに今日は素直だ。
エルがファルカスの身内だからだろうか。
「さて、では客席に戻るか。
ああ、そうそう。
父上と母上たちも参られているはずだ。
元気な姿を見せてやれよ。
ファルディーン」
眩しいほどに黄色いマントを翻し、ベイルディーンは去っていった。
「まったく、兄弟揃って空気読むの下手すぎか」
エルは吐き捨てるように言うが、団員たちから一斉に。
「空気読むの下手なのはお前だ!」
「何考えてるんですかっ!?
下手すりゃ打ち首ですよっ!」
「舞台公演あらため、さらし首展覧会ってのはゾッとしねえな」
「エ、エルさん……無謀すぎです」
「アンタって子は! いつまでも反抗期の子どもみたいに!」
と、なじられる。
当然、エルはどこ吹く風の表情を崩さないが。
ファルカスがエルに近づいた。
エルはファルカスを見上げて言う。
「謝りに行けっていうのなら、従うよ。
座長の言うことは絶対だもんね」
ファルカスはため息をついて、
「いや、謝らせなんかしないよ。
むしろ、ありがとう。
本来なら私が皆を守らなきゃいけないんだが、どうも相手が身内だと上手く頭が回らない」
「距離感がわからないんでしょ。
無理ないよ。
20年も会わなかった家族で、しかも相手は伯爵閣下。
でも、距離感が分かってないのは向こうも一緒だよ」
「兄上も?」
首をかしげるファルカスの顔の前にエルはチラシを突きつける。
「劇場を強引に抑えたり、配りきれるかわからないほど大量の高級チラシを印刷したり、極めつけは公演直前の楽屋裏に激励。
ホント、いろいろ引っ掻き回してくれちゃって。
慣れないことしてでも、よっぽどいいところ見せたかったんじゃない。
20年ぶりに帰ってきた弟に」
ファルカスは口を手で抑えた。
「それにしても、高級貴族の御方がここまで私達に支援してくれるってのはじめてだね。
ありがた迷惑もご愛嬌と賜わろう。
そういうことだから、座長も遠慮すんな。
この街や帝国劇場は座長のホームなんだよ」
そう言って、エルはファルカスの頭を荒っぽく撫でる。
「ああーっ! セットが崩れるじゃないですかっ!」
ジャニスがエルの腕を引っ剥がす。
エルは舌を出して笑う。
そして、ファルカスはハッ、と大きく息をついて、
「じゃあ、堂々と舞台に立つしかないな。
皆も遠慮なく大暴れしてくれ。
ここは私のホームだ!」
と、声を張りあげて笑った。
団員たちも釣られるように笑った。
そこに外で舞台の準備をしていたトニーが入ってきて、
「た、大変です!
山に使っている背景の布が破れてしまいました!」
というとんでもない報告を入れてきた。
僕達は慌てて舞台を観に行くと、山に見立てて、天井から舞台にかけて広がるように垂らしていた大きな白い布が引き裂かれるように大きな切れ目が入っている。
観客席と舞台の間には緞帳が降りているため、この状況は見えていないが、このままでは上演を始められない。
「だ、誰だ! こんな事をした奴は!?」
ファルカスは大声を上げて叫ぶ。
おずおずとトニーがファルカスの耳元に近寄り、
「伯爵様が舞台の上を見物されている時につまづかれてしまい……それで……」
なんと……
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【転生しても名無し】
『オイイイイイイ!!
エルさんのフォロー全部台無しやんけ!!』
【転生しても名無し】
『あのクソ兄貴、やっぱファルカスのこと陥れるつもりなんじゃね?』
【◆アニー】
『……てか、これファルカスの堪忍袋がやばくね?』
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「ふふふ……兄上、迷惑が過ぎますなあ」
ファルカスはこめかみをピクピクと震わせて。工作用の金槌を手にとった。
そのまま、緞帳の向こうの観客席に向かって進もうとする。
当然、団員たちは必死でそれを止める。
「はなせええええええええ!!」
「お、落ち着いて。
お兄ちゃんも悪気がなかったんじゃないかな?
とんでもないドジっ子だけど……」
エルがなだめるのも聞かず、ジタバタと暴れているファルカス。
整った容貌を崩し、青筋を立てて、つばを吐き散らすように怒り狂うさまは見るに堪えない。
僕はファルカスの首の後に手刀を打ち込んだ。
すると、彼は意識を失って静かになった。
「おーっ」
と、団員たちは僕の対処に感心して拍手までしてきた。
「とりあえず、あたしが直します。
これくらいなら開演までに十分直せますから!」
ジャニスがそう言って裁縫道具を引っ張り出してくる。
「ほら、他の連中も準備だ!
ジャニスがいないから髪型のセットや化粧はできるだけ自分でやりな!」
リックがファルカスに代わって現場を仕切る。
まずいな。
化粧は既に施してもらったし、衣装も着替えられたが、髪型のセットがまだだ。
自分でやろうにもリボンで後ろ髪をまとめて縛るくらいしかやったことがない。
他の団員たちも皆忙しそうで、僕の手間がかりな髪型を作る余裕のある者はいない。
僕は肩にかかる髪を掴んで途方に暮れていた。
「クルスさん! 私がやります!」
舞台袖からメリアが現れた。
「メリア、どうしてここに?」
「手伝えることがあればと思って!
我ながらいいタイミングでしたね」
「どうやればいいのか、分かるのか?」
「ええ。ジャニスさんほど上手くできるかは分かりませんけど」
そう言って、メリアは僕を引っ張るようにして楽屋に入った。
だが、その楽屋はみんなの待機していた大部屋ではなく、別の個室だった。
3メートル四方の小さな部屋に鏡と椅子が備え付けられている。
僕は椅子に腰を掛けて、鏡に映る自分と向かい合った。
すると、メリアは指で僕の髪の束を摘む。
「ホント、綺麗な髪ですよね。
櫛で梳く必要がないくらい」
メリアはつぶやきながら手慣れた様子で僕の髪を整えていく。
「上手いな。
ジャニスと手際の良さは変わりない」
「ホントですか?
じゃあ、私も一座に加えてもらおうかなあ。
歌は好きですし、踊りも練習して……」
楽しそうに話すメリアの言葉が途切れる。
鏡越しにメリアの顔を見た。
自嘲めいた寂しそうな微笑みを浮かべていた。
「冗談ですよ。
言ってみただけです」
「メリアはそうしたいのか。
帝都に戻らず、このまま一座のみんなと旅を続けたいのか」
「それはきっと楽しいんでしょうけど……そうはいきません。
戻る理由があってここまで旅をしてきたんです。
たくさんの人のお世話になって、犠牲になった人もいて……
クルスさんが怒ったのも無理ないですよね。
この5日間の寄り道は私のワガママです」
喋りながらもメリアの指先は淡々と僕の髪を編み上げていく。
「なあ、メリア。
この間、僕に言いかけていた寄り道の理由。
今なら聞かせてもらえるか?」
メリアの指の動きが鈍り、うーんと唸りだす。
「聞かせてくれないと、気になって芝居に集中できない」
僕はメリアを脅してみる。
「ええ〜っ! そ、それは困りますよ!」
と、手を止めて僕に抗議してきた。
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【転生しても名無し】
『単純なメリアちゃんテラカワユスwww』
【転生しても名無し】
『ホムホムが人をイジメることを覚えるなんて……
そんな子に育てた覚えはありませんw』
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メリアは少し考え込んで、ハア、と息をついた。
「分かりましたよ。
私のせいで集中できなかったら申し訳ないですし……
そもそも、そんなにとっておきの話ってほどのものでもないですよ。
ちょっと私が照れくさいだけで」
「照れくさい?」
メリアは再び手の動きを早めていく。
「私達がレイクヒルにたどり着いた日。
テレーズさんを捕まえるために冒険者たちが教会を襲撃することを知って、すごく落ち込んでいましたよね。
クルスさんのあんな姿、初めて見たので驚きましたし、心配もしましたけど……
同時にあることが頭によぎったんです。
もしかして、クルスさん自身あんなふうにつらい気持ちになったのは初めてだったんじゃないのか、って。
ほら、記憶をなくされているって言ってたじゃないですか」
記憶が無いのは妖精たちの作り話だ。
だが、確かに僕があのように負の感情に縛られてしまったのは生まれて初めてのことだった。
メリアの言葉を否定せず、僕は耳を傾ける。
「一緒に旅をしてきて、かなり長い時間一緒にいましたよね。
なのにクルスさんの心を初めて揺さぶったのが、あんな悲しくて悔しい出来事だなんて……嫌だったんです。
もっと楽しいことや嬉しいことで心を満たしたいって。
笑ったり、感動の涙を流したり、そんな姿を見たいって思ったんです。
だから、私はクルスさんがそういう出来事と出会う手助けをしようと決めました」
メリアの言葉が想定の外過ぎて、相槌を打つ言葉すら出てこなかった。
「ファルカスさんの芝居を観て、私は『これだ!』と思いました。
クルスさんは綺麗だし、運動神経も凄いし、頭もいいからセリフも覚えられるだろうし、なにより、いろんな感情を表現しているうちに表情豊かになるかも知れない。
そう思って演劇をやってみてほしいなと思ったんです。
不謹慎ながら、シャーロットさんが脱退したことは、私の思惑的には素晴らしいタイミングでした。
クルスさんを自然と推薦できましたからね」
メリアはいたずらっぽく笑う。
たしかにあの時、僕に寄り道を否定されたことでメリアはふさぎ込み気味だったのに、いきなり息を吹き返したように元気になっていた。
チャンスが転がり込んできたことに興奮していたのか。
「思いの外ファルカスさんの指導が本格的すぎて、ちょっと不安になったこともありましたけど、壁を見事乗り越えて、今日舞台に上がろうとしている。
結局、私のほうが楽しんじゃっているかもしれませんね」
既に僕の髪はほとんど編み込まれ、後はリボンで束ねるだけとなった。
メリアは僕の紫色のリボンを手に取っている。
「帰還を遅らせてまで僕のためにそんなことをするなんて。
メリア、あなたは一体何を考えている?」
メリアはフッ、と笑って。
「クルスさんのこと、ですよ」
そう言って、リボンを両手で広げ伸ばし、包み込むように僕の髪を束ねていく。
「世の中には悲しいことや辛いことが多いです。
特に今の時代は魔王との戦争や疲弊した国の貧困や人々のいがみ合いが世間を覆っていますから。
でも、世界の全てが悪いものでできているわけじゃない、って。
楽しいことや嬉しいことがあって、いい人や尊敬できる人もいる、って。
目を背けたくなるほど汚いものと目を奪われるほど美しいものが混在するのが世界で、そんな世界を知っていくこと、変えていくこと、作っていくことが、生きるということなんだって。
私は思っています」
メリアの口から「生きるということ」と発せられた瞬間、僕は胸が掴まれたような苦しくて熱い感覚を覚えた。
僕はアイゼンブルグで壊れかけて、妖精たちに説得されて生き延びることを選んだあの時から、「生きるということ」の意味やその方法をずっと考えてきた。
ひとりで考え続けてきたつもりだった。
だけど、ひとりじゃなかったんだ。
僕の生き方を考えてくれる人がいたのだ。
僕は彼女を守ってきたつもりだったけど、彼女も僕を救おうとしていたのだ。
「クルスさんにとっては、私のワガママに付き合わされた旅でしょうけど、それでもあなたにとって価値のあるものであってほしいと思っています」
メリアはそう言って、僕の髪をきつくリボンで結んだ。
「ハイ! セット完了です!
バッチリですよ! キャロライン様!」
黒いドレスを纏い、蠱惑的な化粧を施し、可憐な髪型で身を固めた僕の姿が鏡に映し出される。
メリアの満足げな表情を鏡越しで見つめる。
「ありがとう、メリア」
「髪型のセットくらいお安いご用です」
違う、そうじゃない。
だけど言えない。
まだ全然僕の中で言葉が定まらない。
上演までの僅かな時間では足りない。
だから、
「メリア。舞台が終わったら話をしよう。
今、すごく話したいことがあるんだ」
思いが逸って前のめりになってしまいながらそう言った。
メリアは少し驚いたような素振りをしたけれど、
「はい。約束ですね」
と答えてくれた。
メリアの口から出た約束という言葉がとても尊いものに思えた。
僕の未来にある大切な時間への道標になる貴重な言葉だ。
胸に約束をしまって、背中をメリアに向けて、僕は楽屋を後にする。
幕が上がってからのことは、あまり良く覚えていない。
他の団員たちに聞いても、みんな同じようなことを言っていた。
ただ、誰もが必死で舞台の上で芝居をし続けていた。
通し稽古のときとは違い、集まった1000を超える観客達は舞台上の僕たちに釘付けとなり、視線や感情を注ぎ込んでいることを肌で感じた。
降り注ぐ視線や感情が大地を洗い流す津波のように舞台を沈めた。
僕達は水を得た魚のように舞台の上を泳ぎ回った。
芝居で表現する喜びも怒りも悲しみも楽しみも、そのどれもが朝露に濡れた花のような鮮烈で瑞瑞しい。
ファルカスが稽古の時に言っていた。
演劇をすることで舞台の上に生まれるのは物語……ではなく世界だ、と。
だとしたら僕は思う。
世界は美しいのだと。
「ねえあなた……
私の人生で一番幸せだった時間は、あなたとあの地下牢を抜け出して野宿した森の中だったわ。
国もお金も平和も何も要らない。
ただ、あなたの一番そばにいられることが私にとっての幸せだったの」
物語のクライマックスに僕たちはたどり着いた。
僕はファルカス(王子)を失った。
死によって分かたれた者は二度と会うことはできない。
だからこの物語はキャロラインにとっての悲劇だ。
僕は胸を押さえる。
今の僕にとって世界は悲しく、辛いものだ。
壊れてしまえばいいと思うほどに。
「うわあああああぁぁぁぁーーーーっっっっっっ!!!」
僕はすべての力を込めて叫んだ。
ファルカスに演技をつけてもらった時も、通し稽古の時も一度もこんなことはしなかった。
緻密に組み上げられ、敷かれた演劇のレールから外れた。
だが、僕は今、間違いなくキャロラインの感情に寄り添っている。
観客席は僕の突然の叫び声に凍りつくように固まっている。
耳鳴りがするほど静かになった劇場の真ん中で、僕は僕しかいない世界に迷い込んでしまったような気分になる。
だが、心が軽くなり、自然と笑みが浮かぶ。
「ああ、あなた……あなた……
その手を握らせて。
その髪を撫でさせて。
その唇を……私にください。
たとえ、毒に身を焼かれようとも、私はそれすらも愛せる……」
ああ、会いたい。
僕はここで生きている。
あなたも生きている。
ならば、僕らを遮るものなんて何もないはずだ。
「愛しています。あなた」
上演が終わったその瞬間、万雷の拍手が劇場に響き渡った。
ふと、観客の顔を見渡すとほとんどの人が泣いていた。
2階席にいるベイルディーンとその隣に座る老紳士は涙を拭おうともせずに拍手を送っていた。
一階の花道のすぐ脇、僕が倒れているところのすぐ横に陣取っているブレイドは大泣きして拍手を送る余裕さえないようだ。
その隣で拍手をしているククリも目元に光るものが見える。
緞帳が再び上がった舞台の上で出演者たちはしっかりと観客に挨拶をしていく。
僕はファルカスとエルに挟まれるように肩を抱かれた。
劇中では愛憎劇を繰り広げた3人が仲よさげに並んでいる姿はこの演劇が終わったことを明確に示していた。
僕は自分がすごい場所にいて、すごいことをしていたと実感する。
最初は命に関わらない、いわば時間つぶしのようなことだと思っていた。
なのに、僕はいつのまにか全力を注いでいた。
そして、そのことを全く無駄だとは思わなかった。
僕が生きるために必要な時間と経験、その一部なんだという手応えを感じていた。
その後、観客の送り出しをしたり、貴婦人相手の握手会を開催したり、エルを本気で口説いてきたベイルディーンを殺そうとするファルカスを縛り上げたりと騒がしい時間が続く。
上演も怒涛のようであったが、終わってからも怒涛のように出来事が流れた。
そして、満月が天上を通り過ぎる頃にようやく解散となり、僕は小走りで宿に戻った。
メリアの待つ部屋に戻るために。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【◆与作】
『俺さ、メリアちゃんが寄り道したいって言ってたのって、旅を長く楽しみたいくらいのことだと思ってた。
まさか、ホムホムの人生経験のためだったなんて……」
【転生しても名無し】
『実際上手くハマったよね。
演劇を通してホムホムは感情が露出してきたし、色んな人と関わることで価値観が広がったと思う。
まさかアドリブまでして感情を表現しようとするなんて思わなかったわ』
【◆野豚】
『メリアちゃんを助けるようにホムホムに指示したのって、若干ノリみたいな感じだったのにね。
まさか、ここまでホムホムに影響を与える存在になるとはなあ』
【◆バース】
『メリアちゃん、こっちの世界に来ーひんかなあ。
ドラフト一位で指名するで』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
会いたくて、会いたくて、こんな感情は初めてだ。
言いたくて、聞いてほしくて、言葉が頭を回り続ける。
「この旅が終わっても、僕はメリアのそばにいてメリアを守りたい」
そう言おう。
僕達は王子とキャロラインとは違う。
僕は生きていて、メリアも生きている。
ならば、一緒に生きていくことができないわけがない。
メリアが言っていた世界にある綺麗なものも汚いものも、僕はメリアと一緒に知りたい。
僕が生きていくためにはメリアが必要なんだ。
宿の階段を駆け上がり、廊下を進み自室の前に着く。
メリアは寝ているかもしれないと思い、ゆっくりと扉を開けた。
夜空が青白んできていた。
部屋の中が青紫色の光で染め上げられる。
間もなく夜が明けようとしていた。
部屋の扉が開いた。
「おっ。戻ってきていたのか。
お疲れさん、最高の芝居だったぜ」
上機嫌のブレイドがベッドに腰掛ける僕に話しかける。
僕は曖昧に声を出して答えた。
すると、ブレイドは部屋を見渡し……
「嬢ちゃんはどうした?」
と尋ねる。
僕は、どう答えていいのか分からなかった。
ただ、分かっていることだけを話す。
「メリアが……いない」
僕は手で握っていたメモ書きをブレイドに渡すと、ブレイドは目を細めて唸る。
メモ書きにはメリアの筆跡で書かれた「ごめんなさい」という一言だけが記されていた。
これにて第7章終了です。
メリアの失踪が意味することは……
取り残されたホムホムの取る行動は?
第8章はこの物語のターニングポイントになる予定です。
なお、今週末はPCに触れそうにないので、次の更新は来週になると思います。
ブックマークをして更新をチェックしつつ、感想で盛り上がってもらえれば幸いです。
目指すぜ、6月中の完結!