第43話 僕たちは帝国劇場に到着する。
翌朝、僕たちが宿で朝食を摂っているところにファルカスが帰ってきた。
仕立ての良いコートを羽織って、髪の毛も整髪料で撫でつけられており、一瞬誰かわからなかった。
なんでも、帝国劇場に赴くのであればそれ相応の格好をして行くように、とベイルディーンに格好を見繕われてしまったらしい。
団員達には実家のことを隠してはいるが、その華美な装いを散々からかわれていた。
しかし、帝国劇場の使用許可が下りたことと、昼から見学に行く旨を告げると団員たちは、ワッ、と一斉に盛り上がった。
帝国劇場は街の北部地域にあった。
ミルスタイン家の城よりもさらに大きいのではないかと思われる巨大な白い建造物。
屋根の部分は半球体のドーム状で、その高さは30メートルをゆうに超える。
純白のレンガを積み上げて作られた壁面は太陽の光を浴びて輝いている。
さらに建物の周りを囲むように人口の川が流れており、透き通った清流の上に劇場の庭に植えられた木々の花びらが舞い落ちていた。
「こ、ここが劇場って……
いったい何万人お客さんが入るんですか!?」
トニーやレティは興奮を隠しきれない。
「バーーカ。
この建物全部が舞台ってワケじゃねえよ。
お貴族様のサロンだの、コレクションの見せびらかしスペースだの、身内の楽しみが堪能できる設備が詰め込まれてるんだろうよ。
豪勢な建物を作る割に細々と欲張りなこった」
ゲイリーは口に楊枝を加えながら、斜に構えて建物を評す。
「20年前はなんとか観客席には潜り込めたのよねえ」
「そうそう。
羽振りの良さそうな旦那はんを二人がかりで口説き落としてねえ。
なつかしーなぁ、若かったなあ、あの頃」
と、懐かしげに話すのはスーザンとナンシーの年配コンビ。
50近い今でも若々しく、衆目の視線を集める美貌の持ち主だが、昔は今の比ではなかった、という噂だ。
跳ね橋を渡り、巨大な扉を開けて建物の中に入ると、外から見る以上に圧巻の空間が広がっていた。
煌びやかな絵が描かれた天井は20メートル以上の高さにあり、床には曇りが見当たらない大理石が使われている。
壁や柱の至る所に金細工や銀細工が使われており、外からの光を反射して、かぐわしい光を部屋に拡散していて、幻想的にすら思える。
「悔しいがこれだけ豪華な建物はソーエンじゃお目にかかれねえな」
「こんなものよく作る気になりましたね。
設計から何十年かかったんでしょう」
ブレイドとククリはキョロキョロと物珍しそうに見渡している。
メリアも目を輝かせて、僕の前方を歩いている。
ふと気づいたが、初めての場所に着いたとき、メリアは僕の隣にいた。
アマルチアでも、ダーリスでも、ベルンデルタでも。
僕の隣で隠れるようにしながらも、周りのいろんなものを楽しんで眺めていた。
だけど、今は違う。
この街は安全な場所だし、彼女の祖国でしかも帝都の近くでもある。
不安がないのも分かるが、少し僕は、自分の隣側の眺めの良さに戸惑っている。
「クーールスくんっ!」
空いた空間を埋めるようにエルが僕の腕をつかむために飛び込んできた。
「やっぱりすっごいねー。
今までも王様の趣味で作った劇場とか、300年の歴史がある劇場とかで公演したことあるけど、別格ってカンジ!
昂ってカラダが熱くなってきちゃった」
そう言って僕の体に絡みつくようにして体を押し当ててくる。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【転生しても名無し】
『おい、ホムホムそこ代われ』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
代われないのを分かってて何故言うのか……
あっ、これが芝居の中にあった『お約束』というやつか。
定型のやり取りを行うことで、価値観の共有や緊張の緩和を行うという。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【転生しても名無し】
『冷静に分析するのやめい!
てか毎日毎日いちゃつきやがって!
定型句でも茶化さないとやってられんわ!』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
僕が望んでイチャついているわけじゃない。
それにお前らが期待しているほど僕は気持ちよくもなんともない。
僕の態度が気に召さなかったのか、エルは僕の腕から離れていった。
そして、先頭を歩くファルカスに追いついて、その隣に並ぶ。
長身の二人が並んで歩く姿は見栄えが良く、建物内の豪奢な風景も相まって、物語の一場面のように見えた。
やがて、僕たちは舞台にたどり着く。
磨き上げられた木製の舞台は床から1メートル以上の高さがあり、奥行きは10メートル強、幅は40メートル弱と船の甲板位の広さがある。
さらに舞台の下手と上手には観客席に続く花道が伸びている。
天井から釣り下がっている緞帳や、袖幕に脇幕は舞台袖の縄で自在に動かせるようだ。
そして舞台を照らすためのレムライト(炎に反応して強い光を放つ特殊な鉱石を利用して作られた照明器具)が頭上や足元に取り付けられている。
団員から聞いていた舞台とは規模も機能も何もかも違った。
「これは……想定以上だなあ。
どうする、座長」
舞台監督のリックは顎髭を撫でながらファルカスに尋ねる。
「うーん、確かにここまで大きな劇場での経験はないからなあ。
20年間で何度か改修されたらしいけど、僕の記憶の中にあるものよりずっと豪華で広い。
ここまで広いと芝居はどうにかしても、やはり背景が無いとどうしても貧相に見えてしまうな」
「舞台美術に回せる金なんかないだろう」
「そこは……まあ、なんとかツテがあるから。
でも、時間は足りないなあ。
初回公演は5日後って約束してしまったし」
「5日後ぉ! オイ座長!?」
「仕方ないだろう。
クルス殿達は旅の途中でいつまでも付き合えるわけではないんだし」
リックは僕を恨めし気に見る。
これでもかなり譲歩したのだ。
「とりあえず、当面の舞台美術は別の劇団に借りることにしよう。
この舞台に立っている劇団なら、背景用の美術も作りこんでいるだろうし」
ファルカスはよろしく、とリックの肩を叩く。
リックはため息をつきながら頭を掻いている。
「さーて、知ってのとおり、時間はあまりない。
今日からみっちり舞台に泊まり込んで稽古つけていくぞ!」
ファルカスは団員たちに呼びかけると、オーっ! と返事の声が上がった。
僕も気を引き締めて、芝居の稽古に取り組もうと思ったその時、劇場の入場口あたりからトニーの通る声が響いた。
「座長! すいません!
お会いしたいとおっしゃられている方が――!」
「どけっ!!」
ファルカスに呼びかけるトニーを押しのけるようにして3人の男女が近づいてきた。
「アンタらが今度この舞台に立つって連中か!?」
大きな羽根つき帽をかぶった男がファルカスに問う。
「そうだ。ファルカス一座、座長のファルカスだ」
ファルカスは堂々とした態度で言い返すが、
「何がファルカスだ……
ファルディーン・フォン・ミルスタイン様。
伯爵家のご子息が旅芸人の真似事をしていたとは驚きだが、結局やり口は大貴族様そのものですな」
と、憎々しげに男は言い返した。
そして、男の暴露は団員たちに伝わっていく。
ファルカスがミルスタイン家の子息と知って驚く者。
既に知っていたが、この場で暴露されたことに戸惑う者。
そして、余計なことしやがって、と苛立ちを隠せない者。
反応は様々だ。
「私に対してどう思おうがご自由だが、稽古の邪魔をされるのは許容しかねる。
何の用があって参られた」
ファルカスは少し語気を強めてそう言った。
羽根つき帽の男は歯ぎしりをして、
「俺たちは劇団レイクフォレスト!
先週から帝国劇場で公演をしている劇団だ!」
と言い放った。
するとファルカスは手を自らの胸の前にやって礼をした。
「なるほど、先輩でしたか。
そうとは知らず失礼しました。
是非ともこの壮大なる帝国劇場にてどのような演目を行われたのか、お話を聞かせて頂きた――」
「ふざけてんのか!! テメェ!?」
ファルカスが言い終わる前に男はファルカスの胸倉をつかみ上げた。
僕は男を止めるため駆け寄ろうとしたが、ファルカスに目で制される。
「……ご事情お聞かせ願いますか?
恥ずかしながら私共も昨日この街に着いたばかりで分からぬことだらけ。
されど、知らず知らずのうちにご迷惑やご無礼をはたらいていたのであれば、誠意を持って対応させていただきたいと存じます」
ファルカスはそう語り掛けると、男の手の力が緩んだ。
「じゃあ、こういう話は知っていたか?
先週からこの舞台で公演をしていた劇団が千秋楽を目の前にして突如、公演中止させられたって話は!」
男は涙目でファルカスを怒鳴りつける。
ファルカスは口を開けて、固まった。
そんなファルカスに代わるようにエルが男とファルカスの間に立つ。
「それってウチが関係あるってこと?」
「関係がないとでも?
今夜の公演のために朝から俺たちはこの舞台にやってきた。
そこで目の当たりにしたのは舞台上にある大道具、小道具一切合切を叩き壊して廃棄している光景だ。
どこの賊の仕業かと最初は思ったよ。
だが、それは劇場の支配人の命令だったんだ。
頭に血が上った俺は支配人に問い詰めた。
すると、『ミルスタイン伯爵の弟君の劇団が舞台に立つから余計なものを処分して、場を整えてほしいと頼まれた』とのことだ。
余計なもの……俺たちの公演も! セットも! 道具も!
お前らが舞台に立つのに邪魔だからって理由だけで、何の断りもなく捨てられたんだ!」
エルはファルカスを見つめる。
ファルカスは怯えるように首を横に振る。
そんなことは命じても頼んでもいないと言いたそうに。
「お前らみたいな卑劣なやつらに舞台の女神は微笑んだりしない!
芸術を理解しない貴族連中と死ぬまで演劇ごっこやってろ!」
男はそう吐き捨てて、劇場を出ていった。
その後、ファルカスは稽古をリックとエルに任せて、ベイルディーンに会いに行くことになった。
事情を知っている僕とククリも同行し、ミルスタイン家の城で彼との謁見を待つ。
夕暮れ時にようやく時間ができて、ベイルディーンと僕たちは会うことになった。
ファルカスは開口一番、ベイルディーンを責めた。
「兄上、どうしてあんな強引な真似を!
あの舞台に立つ予定だったのは彼らだと決まっていたのに!
こんな権力で押しのけるような真似が許されるわけがない!」
ファルカスの怒声を聞き流すようにして、
「許す、許されないを決めるのは私だ。
このライツァルベッセは皇帝より預かりしミルスタイン家の領地。
人の生き死にが関わっているならまだしも、たかが劇場の演目を入れ替えることくらいで責められる謂れはないよ。
お前も当然の権利だと堂々としていればいい」
ベイルディーンは事も無げにそう言った。
「できるわけないでしょう!
うちの一座に貴族の子などいない!
むしろ身分制度の歪みに虐げられていたような人ばかりだ!
彼らに権力をかさに着て、弱者を踏みにじって堂々と舞台に立て、なんて言えるわけがない!」
「できなかろうがなんだろうが、もう決まったことだ。
きっかけは弟のおぜん立てをするためだが、私の口から出た以上はミルスタイン伯爵の命だ。
撤回することはできん」
頑として譲らないベイルディーンに対し、ファルカスは言葉を詰まらせる。
「そもそも、あの劇団……レイクフォレストだったか。
帝国劇場にふさわしい演者とは思わないね。
劇団員は皆平民で、しかも座長の男は孤児で商家の丁稚働きをしていたとか。
あの舞台に立てたのも演劇狂いのその商家の跡取りが後ろ盾になって、劇場関係者に金品をチラつかせていたおかげだと聞くし。
客層も平民ばかりで貴族家はほとんど近寄らなかったそうじゃないか。
まあ、演劇の内容も低俗でお粗末なものだったのだろう。
ファルディーン、お前は伯爵家の男として、あの帝国劇場にふさわしい演劇を披露してくれることを期待しているよ」
ベイルディーンは曇りない目で、戸惑う弟の肩を元気づけるように叩いた。
結局、ベイルディーンは自身の指示を撤回するどころか、横暴を悪びれることもなかった。
僕たちはトボトボと宿に向かって歩いていた。
「ファルカス殿の兄君はもう少し話の分かる方だと期待していたのですが」
ククリの言葉にファルカスはため息をつく。
「兄は優しい人です。
ですが、それでも貴族です。
平民を同じ人間だと思っていたら、貴族なんてやっていられませんよ」
「同じ人間でないなら何だ?」
「皇帝より預かりし人民……いわばモノでしょうね」
人をモノ扱いする人間がいることを僕は知っている。
その手の人間やそういう行為は悪であるはずだ。
だが、ベイルディーンは名君としてこの街の最も立派で明るい場所にて栄光を浴びている。
「名君なのに、人をモノ扱いするのか?」
「兄や父が本当に名君か、僕にはわかりかねますが、少なくとも統治者に必須の術でしょう。
人をモノだと思わないと、良心の呵責に耐えかねる……そんな決断を迫られるのが統治者です。
それは世界中のどの国でも変わりませんよ」
ファルカスはあきらめたようにそう言った。
僕たちが宿に戻るころには日が沈み切っていた。
宿の扉を開け、ロビーに目をやると一座の団員たちが何かを言い争っていた。
「おい、どうしたんだ? いったい」
ファルカスが声をかけると、ゲイリーは舌打ちをしながら答える。
「こんな状況じゃ舞台に立てねえって話だよ。
今日、劇場から帰ってくる時もあの劇団の関係者かファンみたいな連中に散々罵倒された。
完全にオレらが悪役なんですわ!」
ゲイリーの言葉にファルカスは頭を抱える。
「ま、そんなのはべつにいいさ。
今までだって謂れのない中傷を受けることなんて山ほどあったぜ。
だけど、今回は別だよな。
貴族の権力かさに着て、公演ぶっ壊して舞台を奪うなんて道義的にどうよ?」
「待て! 僕はそんなこと――」
「そうなっちまってるんだよ。
少なくともアイツらにとっちゃ座長の内心なんて知ったことじゃねえ。
アイツらがいつかの俺たちみたいに見えてさ、もう無理だわ」
ゲイリーはそう言って、ソファにどっかりと座り込んだ。
「たしかに彼らには悪いことをしたが、それで我々が公演をやめる理由にならない。
何のためにここまで来たと思っている。
あの帝国劇場の舞台に上がるためだろう」
リーはこめかみを押さえながら、ゲイリーに語り掛けるが、
「こんなことになるって分かってたらついてきてねーよ!
あーあ、シャーロットが抜ける時に俺も一緒に抜ければ良かったかな。
座長みたく傷心の小娘に取り入って……
へへっ、案外仲良くやれてたかもっ――」
ゲイリーの暴言が突如止まる。
エルがゲイリーの両頬を握りつぶすように掴んだからだ。
「くだらない妄想はお布団の中でコッソリやるもんだよ。
ゲイリーの旦那」
普段の口調と変わらないのにエルの言葉には圧があった。
「あと、私たちが弱い者いじめしているって、どういう自惚れなのかな?
お尻に火がついてるのは私たちの方だとは思わない?
伯爵家のバックアップって逆に言えば、一歩間違えれば伯爵家に泥を塗る結果もあるわけじゃん。
たとえば、わざわざ開けてもらったハコをドタキャンするとか。
そんなことになったらどうなるだろうね?
座長はともかく、私たちなんて何されるか分からないよ。
この国の人間でもなければ、元の国にちゃんとした繋がりがあるわけでもない流民だよ。
腹いせに犬に食わせても誰も気にしないだろうね」
エルは投げ捨てるようにゲイリーから手を離した。
周りの団員たちはエルの言葉に息をのんだ。
冷静に考えてみれば自分たちの状況も決して安堵できるものではない。
四面楚歌のような状況の中、公演を成功させる以外に活路がないということを理解したからだ。
「私は絶対に公演を行うよ。
逃げようとするヤツは殴ってでも舞台に立たせる。
邪魔するヤツは殺してでも舞台に立つ。
かわいそう、良心が邪魔する、人を傷つけたくない。
芸の道に生きる人間が何をいまさら。
私が望むのは最高の作品が生まれる瞬間。
そのために生きてきたし、生きている。
ファルカスに魅せられて、ファルカスについてきた皆は私と同じ気持ちだと思っていたけど……買い被りだった?」
エルはギロリとあたりを見渡す。
誰もが口をつぐんで視線を下げた。
その状況にファルカスは、勘弁してくれ、といった風に声を上げた。
「ここまでだ! ここまで!
みんなエルの言ったとおりだよ!
誰に何を言われようが、何をされようが僕たちが公演することに変わりはない。
いい舞台を作る。
それだけを考えて過ごそう。
後のことは……後でなんとかしよう
明日は日が昇ったらすぐに劇場に行くぞ!
今日の遅れを取り戻すんだ!」
ファルカスの伸びやかな美声がロビーに響く。
だが張り詰めた空気は少しも緩みはしなかった。