第42話 僕は里帰りに付き合う。
ライツァルベッセは三方を山で囲まれた広い城下町だ。
メリアの解説によると代々帝国の要職を司るミルスタイン伯爵家が治めている街であり、派手さはないが頑強な石造りの建物や整然と整備された区割から質実剛健といった印象を受ける。
そして、イフェスティオ帝国内では珍しくスラムが存在しない地区であるということだ。
行き交う人々に貧富の差はあれど、下層民特有のギラギラした雰囲気を纏った人間はいない。
「ミルスタイン伯爵家は代々名君が続いているそうですから。
先代のウインディーン様は帝国の公共事業を誘致することで雇用を生んで、戦争で稼ぎ手をなくした家の妻や子供を積極的に働かせることで領内の経済を活性化させていたそうです。
当代のベイルディーン様も平民への教育改革によって領内の生産性を向上させるなど若くして辣腕ぶりを発揮しているみたいですね」
馬車に揺られながら僕やブレイドはメリアの解説に聞き入っていた。
ファルカスは笑っているような、驚いているような、ともかく引きつった顔でその話を聞いていた。
「とりあえず宿と飯だ!
ファルカス殿! もちろん俺のおごりだ!
一座の連中にたっぷり道中の苦労をねぎらってやってくれ!」
と、ブレイドは言い放った。
ファルカスはかたじけない、と頭を下げた。
街の中心部に差し掛かったところで僕達は二手に分かれる。
片方は宿に向かい、もう片方はファルカスとともに劇場の使用許可を得るために知人の家を訪問するということだ。
メリアとブレイドは宿に、僕とククリはファルカスについていくことになった。
3人で向かう道中、僕はククリと会話をしていた。
「ククリがブレイドと別行動するとは思わなかった。
意外だ」
「今からお会いする方はおそらく身分の高い人でしょう。
そんな方との交渉にブレイド様を差し向けられますか?」
なるほど、と僕は思ったが、
「だが、ブレイドと離れて不安じゃないか?
あちらにはエルも残っている」
レイクヒルでの一件を思い出す。
さすがにブレイドも懲りていると思うが……
「フフッ。クルス殿もなかなか下世話なことを言うようになったじゃないですか。
ブレイド様の影響ですか?」
と、ククリは口元を隠して笑った。
「大丈夫ですよ。
今のあの方はファルカス一座の演劇に心を奪われてらっしゃいますから。
目先の快楽のために大切なものを手放すほど馬鹿ではございません」
「レイクヒルでは目先の快楽に釣られて、殺されかけていたはずだが……」
僕の顔を見て、ククリは笑う。
「クルス殿、最近さらに表情が出るようになってきましたね。
今までうっすら笑ったり、目を細めたりするくらいでしたが、先ほどは見事に微妙な表情でしたよ」
「ファルカス達に付き合わされて朝から晩まで表情や感情を動かす稽古をさせられていてはな」
僕は頬や顎をさする。
内面の感情だけでなく表情まで出るようになってしまったようだ。
戦うことに必要ない機能がまたひとつ実装されていく。
ククリはポン、と僕の背中をたたく。
「分かりますよ。戸惑いますよね。
私も感情があまり動かず、表情が表に出ない時代が長かったですから」
僕はククリがバットによって、母親共々屈辱的な日々を送っていたことを思い出した。
「でも、人と生きていくには感情も表情も必要なものです。
我々はお互いを理解したうえでないと一緒にはいられない生き物ですから」
ククリは穏やかな表情で空を仰ぐ。
その横顔は清々しく、軽やかな足取りと相まって空を歩いているように見える。
隣で一緒にいてくれるだけで、知らない街だというのに堂々と歩いて行ける気がした。
背中にククリの手の体温を感じて、ふと思った。
ブレイドがククリを傍に置いているのは、ただ欲望の対象としているからでなく、旅路でも戦場でも変わらず肩を並べて軽やかに歩いてくれるからではないだろうか。
自分にも他人にも強さを求める彼は、強さに裏付けされた安心感を与えてくれる女性を傍に置いておきたいのだろう。
「なるほど、これも理解か」
「?」
不思議そうな顔をするククリを差し置いて、僕はファルカスに話しかける。
「ところでファルカス。
僕達が向かっているのはどこだ?」
僕の問いにファルカスは頭を掻きながら答える。
「行けば分かる。
願わくば、このことは一座のみんなには内緒にして欲しい。
公然の秘密のようになっているところではあるけど、表立って騒がれるのは好ましくないので」
と、あやふやな答えだ。
そんな感じで歩みをすすめると、街の中央部にある柵に囲まれた広大な土地の前にたどり着いた。
高い柵の向こうには芝生の生い茂った園庭が広がっており、その中央に黒い石造りの城が鎮座している。
ファルカスは堂々と正門に向かう。
ククリは驚いていたが、ファルカスは門番と自然に話をしている。
話が終わると、僕達のところに戻ってきて、
「しばらく待ちましょう。
古い知り合いを呼び出しましたから、そのうち来てくれるはずです」
と、言って門の傍に置かれているベンチに腰掛けた。
「たしか子供の頃にイフェスティオに住んでいたと言っていたな」
「ええ、その頃の知り合いです。
20年以上も昔ですから、今も現役か不安でしたがちゃんとここで働いてらっしゃいました。
嬉しい限りです」
僕とククリもベンチに腰を下ろして、しばらくの時間待機していた。
やがて、馬の蹄の音が猛烈な勢いで、城の園庭からこちらに近づいてきた。
「あ、来ましたね」
ファルカスは立ち上がる。
同時に門が開かれた。
そこには芦毛の背の高い馬に乗った壮年の男が僕達を見降ろしていた。
彼は少しの間、じっとファルカスを見つめた後、馬の背から飛び降りるようにして地に降りた。
壮年の男は仕立てのいい燕尾服を身にまとっており、背筋がピンと伸びている。
おそらく地位の高い人なのだろう。
彼を見る門番の目は畏敬に引き締められている。
「お久しぶりです。
ティオニール執事長殿。
私を覚えていますかな」
と、ファルカスはサラリと挨拶した。
敬礼もしない、頭も下げない、本当に簡単な挨拶だ。
それに対してティオニールと呼ばれた男は、ガシッとファルカスの両手を握り、
「お忘れするわけがございましょうか……!
よくぞ、よくぞお戻りくださいました!!
ファルディーン様!」
腰を90度に曲げて頭を下げ、大粒の涙を地面に落とした。
「ありがとう。
やっぱり、出迎えてくれる人がいるというのは嬉しいものだ。
もっとも、兄上達はそうとは限らないだろうが」
「何をおっしゃいますか!
ファルディーン様が家出して以来、どれだけ先代や当代が嘆き悲しまれたか!!
お母君など私兵で捜索軍まで編成して……さすがに先代が諌めましたが……」
「ああ、それは良かった。
さすがにそこまでされては僕の出国はままならなかっただろう」
ファルカスはからかうように笑う。
ティオニールは呆れるが、口元に笑みを浮かべている。
「……で、先代とさっき言っていたが、父上はもう……」
ファルカスは笑みを消して神妙な顔つきで尋ねる。
だがティオニールは笑って、
「いえいえ、ご安心を。
ベイルディーン様に家督を譲られてからは、街の北部の別邸でご隠居されています。
モニカ様やソフイア様ともその場所で。
色々ありましたが……今では三人仲良く暮らされております」
その言葉を聞いたファルカスは安堵の表情を浮かべた。
僕達はティオニールに連れられて、城内に入った。
通された豪奢な応接間のソファで座って当主が訪れるのを待つ。
「ファルディーンというのが、本当の名か?」
僕の問いにファルカスは笑って、
「ファルディーン・フォン・ミルスタイン。
御大層な名前でしょう。
旅芸人をするにはかさばりすぎます」
と、うそぶいた。
「これがあなたのいうツテですか……
たしかに大貴族のご子息でいらっしゃるならば、劇場の使用も容易いでしょうね」
「どうでしょうね……
息子といっても20年もの間、一度も帰らず、旅と芸に現を抜かした放蕩息子ですからね。
ティオニールはああ言ってましたが、出会って5秒で切りつけられてもおかしくないでしょう。
その際は、クルス殿、ククリ殿。
よろしくおたのもうします」
ファルカスはぺこりと頭を下げた。
なるほど……ファルカスが護衛に僕たちを雇ったのは道中の心配よりも、むしろ街に着いてからの心配をしていたわけか。
たしかに、二流の冒険者では大貴族が出てきた時点で役に立たなくなるのが目に見えているな。
僕が一人納得していると、ほどなく、当主のベイルディーンが部屋の中に入ってきた。
「ファルディーン! おお、まことにファルディーンだな!?」
ベイルディーンは大股でファルカスに近づいてきた。
「兄上……何からお伝え申し上げれば――」
ファルカスが言い終わる前にベイルディーンはファルカスを抱きしめた。
「よく帰ってきてくれた!
私は、心の底から神とお前に感謝している!
生きていたこと、そしてこの家に帰ってきてくれたこと……
これ以上に望むものはない!」
大きな声でファルカスに呼びかけるベイルディーン。
瓜二つというわけではないが、細面の輪郭や通った鼻筋など彼らの血の繋がりを思わせる類似点が散見する。
「積もる話があります。
公務でお忙しいと承知しておりますが、どうか近いうちに私と話す時間をいただけますでしょうか」
ファルカスは少し声を震わせながら、そう言った。
その夜、ベイルディーンはファルカスと晩餐を共に摂った。
僕とククリも客人ということで同席し、二人の話を聞いた。
ファルカスの話は20年前に遡る。
ライツァルベッセの帝国劇場で観た演劇に心奪われた彼は、次第に家族連れでなく一人で演劇を堪能したいと思うようになり、城をコッソリ抜け出してお忍びで劇場に通うようになった。
その事に気づいた彼の父は劇場の関係者に息子が一人で入場しないように、厳しく取り締まった。
おかげで帝国劇場に通えなくなってしまったファルカスがトボトボと街を歩いていると、路地裏に小さな芝居小屋があることに気づいた。
そこで彼は旅芸人の一座が行う舞台を観てしまう。
当時、帝国劇場で行われていた演目の殆どは、帝国の皇帝や英雄の逸話を元にしたものばかりで、主人公に対する賛美が強く、教訓めいた話ばかりなうえ、古い言い回しが多く難解なものばかりだったらしい。
その旅芸人の一座の舞台はそれとは一線を画していた。
演劇が始まる前に扇情的な衣装を着た美しい女性たちが踊りや歌を披露したり、派手な化粧をした道化師が滑稽な一人芝居を行ったり、とにかく客を楽しませることに尽力していた。
そしてトリで行われた演劇が彼の人生を変えた。
演目は『アルバトロスの憂鬱』。
イフェスティオ帝国内で伝わる英雄譚をただ爽快な冒険譚とするのではなく、一人の人間としての葛藤や失敗をも含めて描いた人間賛歌であったという。
現代の話し言葉で、分かりやすい表現を多用し、観客の共感を呼び込む。
演者の芝居と観客の反応が合わさって昇華されていく奇跡のような舞台。
それに魂も運命もまとめて奪われてしまったファルカスは、旅芸人の一座がライツァルベッセを発つその日、彼らの荷馬車に紛れ込み、そのまま一座の団員として旅することになったという。
それからはファルカスの諸国漫遊記だ。
各地で起こった出来事やその文化の感想を面白おかしく僕達に語って聞かせた。
ベイルディーンは常にご機嫌で話に聞き入っており、食事が全然進まなかった。
そして、食後のお茶を飲んでいる頃合いでファルカスは帝国劇場で演劇がしたいという旨をベイルディーンに告げた。
するとベイルディーンは即座に了承し、さらには街中での宣伝や告知にも協力してくれるとのことだ。
トントン拍子で二人の話が進んでいくのを見届け、僕とククリは城を出て、宿に戻った。