第38話 僕は土下座するが、解せない。
埃っぽい空気と土の臭いが鼻をくすぐる。
それは僕が地面に頭を擦り付けているからだ。
おそらく隣のブレイドは血の味も味わっていることだろう。
僕とブレイドはククリとメリアに酒場から引きずり出され、路地裏に連れ込まれた。
そして、いつぞやのアルフレッドのように地に伏せての謝罪を強要された。
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【転生しても名無し】
『家族の命乞いをしていたアルフレッドとお前らの変態行為に対する謝罪じゃ意味が違いすぎるわw』
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うるさい。
だいたいお前らのせいだろう。
「ククリさん。どうします?
この人たちの処罰は」
「そうですねえ。
ここから帝都まで馬代わりになって、私達を背中に乗せて四つん這いで歩いてもらいましょうか」
「ええ……
それじゃあクルスさんは喜んでしまうんじゃないでしょうか?」
ちょっと何を言っているのか分からない。
「だああああああああああ!!
もういいだろ!!
お前らしつこいんだよ!!」
ブレイドは立ち上がって怒鳴る。
顔にはククリに引っかかれた傷が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
「しつこいのはどなた様ですか!!
昨夜だって明け方まで私を求めてきた挙句!!
それでもまだ足りないとあんな女に鼻の下伸ばしてまして!!」
「いやあ……
そういうわけではなくてだな……
気の迷いというか、出来心というか、どうかしてたというか……」
ブレイドはゴニョゴニョと言葉を濁している。
「アハハハ! まーだ絞られてやんの!」
女の笑い声が聞こえてきた。
声の方を見ると、先程舞台で踊っていた女が腹を抱えて笑っている。
先程とは異なり、衣服を纏っているが上半身の服は胸元しか布地がなく、下も太ももがあらわになるくらい短いズボンを穿いている。
「黙れ売女。
お気に入りの槍をケツから突っ込んで往来に晒してやろうか」
ククリは低い声で女に脅しをかける。
「やーーん、コワーイ」
と、女が笑いながら肩をすくめていると、
「エル。やめなさい」
と諌める声が聞こえた。
エル、と呼ばれた女の背後から先程演奏をしていた男が現れる。
濡れた鴉の羽を思わせるつややかな黒髪に、女と見間違えるような端正な顔立ち。
スラリと長い手足で歩く姿、髪をかきあげる姿、どれもが普通の人間と比べて異質だ。
男にあまり使う表現ではないが、美しい人だと思った。
「先程は失礼しました。
私はファルカスと申します。
こちらのエルを始めとする旅芸人の一座の座長を務めているものです。
諍いの種を運んでしまい申し訳ございません。
とはいえ、先程の芸は男性の欲情を誘うために編み出したいわば一種の魔術のようなもの。
たとえ潔癖な聖人君子であれど抗えぬほどに磨き上げた芸でございます。
ですので、どうかそちらの御仁を責めないでいただけますでしょうか。
このとおりでございます」
といって、ファルカスは頭を下げた。
ククリは頬を掻いて、
「迷惑かつ悪辣な芸ですこと。
でもそれを生業とされているのであれば、私が口を出すことではありませんね。
今回の件はブレイド様の心の隙間に滑り込めた貴方がたの手練手管が優れていたということにしておきましょう」
といってため息を吐いた。
ブレイドはファルカスに近付き、
「おうおう、お前さんたちの芸とやらのせいでとんだ目に遭わされちまったじゃねえか。
どう落とし前つけてくれるんだ?」
と、凄んでいる。
「ブレイド様。
調子に乗るのならあなた様の落とし前も再考する必要がありますが」
「スイマセンでした……」
ブレイドが小さく見える。
「でもクルスさんは正気でしたよね」
メリアの冷たいつぶやきが聞こえる。
ジトッとした視線で僕を見つめている。
まだ僕を許していないというような雰囲気だ。
「正気だった。
別に惑わされていたわけじゃない」
「正気で下着を頬張りたがっていたんですね」
「メリア……あなたこそ正気じゃない」
「誰のせいだと思っているんですか!!」
どうしたらいいのだろう。
そもそも何故メリアは怒っているのだろう。
ブレイドに対してククリが怒るのは恋人であるわけだから分からなくはないが、メリアと僕はそういう関係ではない。
妖精たちよ、どういうことだと思う?
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【◆与作】
『みんな、ホムホムに助言禁止な』
【転生しても名無し】
『あれ、メリアちゃん推しの与作さんが珍しい』
【◆与作】
『メリアちゃん推しだからだよ。
ホムホムはもっと自分のこともメリアちゃんのことも考えた方がいい』
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自分やメリアのことを考える?
どういう意味だと、脳内に問いかけるが妖精たちは応えない。
代わりに、
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【転生しても名無し】
『エルちゃん超カワイイ!
派手なメイク落としたほうが素敵やん!』
【転生しても名無し】
『禿同!
ぶっちゃけククリ姐さんとメリアのジャマが入らければと歯噛みしている』
【◆オジギソウ】
『ファルカスさんも超イケメン!
ていうか、この旅で初めて美男子に出会った気がする!』
【転生しても名無し】
『だよねー。
ガラの悪い海賊のオッサンとかヤクザとかそんなのばっかで女性住民に優しくない絵面だったからね』
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このように雑談を垂れ流しているだけだ。
意図的に僕の手助けをしないつもりであると思われる。
どうしたものか、と強張った顔のメリアを横目で眺めていたら、
「カワイソ〜。
そんなに怒らなくてもいいのにねえ」
と、言ってエルが僕の体に抱きついてきた。
「ちょ!! 何するんですか!?」
メリアは大声を上げる。
「ウフフ。
だって、この子超カワイイんですもん。
まるで女の子のように愛らしいのに、冷たそうな雰囲気のギャップがステキ。
ものすごく好みですの」
「で、でも下着を頬張るのが好きな変態ですよ!!」
「違うと言っているだろう」
「私は全然平気ですけどー。
ウブな子は面倒くさいねえ。
むしろ私もこの子の色んな所、口に入れてあげたいなあ」
「キーーーーーっ!!」
メリアは歯を食いしばって地団駄を踏む。
一方、エルは長い舌を弄ぶように口元に這わせている。
ネットリした水滴を弾くような音が僕の耳に飛び込んでくる。
「エル、からかうのはよしなさい。
ご迷惑をおかけした立場で申し訳ないのですが、ご相談があるのです」
ファルカスの言葉を受けて、エルは僕から離れた。
メリアは僕を少し睨んで、そっぽを向いた。
僕たちはファルカスと共に宿に戻った。
部屋に入るなり、ファルカスはククリとブレイドに対して、
「貴方がたはおそらくソーエン人ですよね」
と言った。
「ほう。なんでそうだと思う」
「燃えるような赤い髪に見るからに強者と思われる立ち居振る舞い。
それに貴方の持っている剣。
ソーエン独特の片刃剣ですよね。
以前、ザンディール王国にいた頃に知り合ったソーエン人にかの国の文化について教えていただきました」
「ザンディールだと!?
お前、あんな遠方からやってきたのか!?」
ザンディール王国とはサンタモニアから海を隔てて西方にあるナイディール大陸のさらに西端に位置する人類生息圏最西端の国である。
船や馬車を乗り継いでまっすぐ向かってきても、ここまでゆうに1年以上はかかる距離だ。
「元はイフェスティオの人間ですがね。
子供の頃に先代の座長に連れられて出国して以来、ずっと世界各地を回っていました。
イフェスティオに戻ってきたのは1年ほど前です。
ソーエンにも行こうとエルンディールやサンタモニアの港町で画策はしてみたのですが、結局ツテを持てなくて。
一度、戦闘民族国家と称されるソーエンの文化にも触れてみたかったのですがね」
「優男だと思ってみれば思いの外、タフな育ち方してるじゃねえか。
気に入ったぜ。
ソーエンに行きたいのならオレが口を利いてやらんこともない」
「その提案は非常に喜ばしいものですが、その前に私はこの国のライツァルベッセに行かねばならないのです」
「ライツァルベッセ?」
「帝都から西に20キロほど離れた場所にある街です。
その街にある帝国劇場で私は演劇の公演を行いたいのです」
「演劇……だと?」
ブレイドの眉が吊り上げられる。
「ええ。酒場で行ったあの手の芸は手っ取り早くお金が稼げますが、私が本当にやりたいのは演劇です。
ライツァルベッセの帝国劇場は1000人以上を収容できるイフェスティオ最大の劇場。
私にとってあの舞台で芝居をすることこそが夢だったのです」
ファルカスは曇りのない目と迷いのない声でそう言い切った。
「ちょっと待ってください。
帝国劇場はたしかに演劇の公演が催されることもありますけど、大貴族のお眼鏡にかなった劇団、というよりパトロンがついている劇団しか公演できないはずですよ。
貴方がたがどのような演劇をするかは知りませんけど、旅芸人の一座があそこを使わせてもらえるとは……」
メリアはファルカスにそう意見するが、
「無論、アテはあります。
もし、そのアテが外れたのなら帝国劇場の近辺で公演します。
芝居に必要なものは役者と演出家と脚本。
これだけあれば、荒野であろうと、洞窟であろうと行えるのです。
そうやって続けていれば、いずれ大貴族様の耳にも届くでしょう。
観てさえいただければ、心を掴む自信はあります」
と返される。
ファルカスの絶対的な自信の前にメリアは口をつぐむ。
「ですが、ライツァルベッセまでの道中、私たちを護衛してくださる冒険者を雇うことができません。
理由は単純にお金がないからです。
我々の一座は人が乗る用と荷物を運ぶ用の馬車を合わせて3台持っています。
それらを護衛していただくにはかなりの金額が必要ですし、このレイクヒルの冒険者の質はあまり……」
ファルカスが言葉を濁す。
すると、エルが声を上げる。
「それもこれもー、座長の金遣いが荒いせいなんだよ!
チマチマと溜め込んでいたお金を奴隷のガキを買うのに使っちゃって!」
「仕方ないだろう!
レティはまさに僕の芝居の構想にピタリとハマる女の子なんだ!」
「構想……プーっクスクス。
ド素人のうえ、文字の読み書きもできないガキをどうやって舞台に上げるのさあ!」
「お前なんて読み書きどころか喋ることすら怪しかったじゃないか!
そんなお前をどこに出しても恥ずかしくない看板女優に仕立て上げたんだ、僕は!
レティだってキッチリ公演までに仕上げてみせる!」
「ああ、分かったから落ち着け。
要するに俺たちにその何たらって街までの護衛を頼みたいわけだな」
「ええ。先程申し上げた通り、ソーエンの方ならば護衛として申し分ありません。
それに、無礼なことを承知で言いますが、貴方がたは金銭的には余裕があるご様子。
そのような方々であればお金とは別のメリットがあれば、それを対価に護衛をしていただける可能性もあると踏みました」
ブレイドは腕を組んで椅子にもたれかかる。
「なるほどねえ。お前さんの言うとおり俺らはカネに困ってねえ。
それに帝都に向かうまでの通り道なら旅のついでみたいなもんだ。
さらにいえば、俺たちも馬を探していた。
馬車に俺らが寝転べるスペースを作ってもらえるならいうことなしだ」
「それでは――」
「但し、一つ条件がある」
ブレイドは剣の鞘の先で床を叩く。
ファルカスをじっと睨んで、
「お前らの芝居の台本とやらを俺に読ませろ」
僕は思わず「は?」と声に出してしまう。
「だってそうだろう。
台本がつまらない芝居なんてどうやっても良くはならねえ。
そんなもん引っさげて夢の舞台に臨むなんざ愚かしいこと極まりなしだ。
俺が判断してやる。
俺がつまらんと思ったら、お前さんらはレイクヒルの酒場で小銭稼ぎに勤しみな。
そいつがお似合いの舞台だってことだからよ」
ブレイドの慇懃な態度に対してファルカスはフッ、とやわらかく微笑んで、
「なるほど。わかりました。
芸事に生きてきた人間として、反論したい論理もありますが……たしかにおっしゃるとおりです。
目の前にいる人の心を動かせなくて、夢の舞台に上がるなどお門違い甚だしいですからね」
ファルカスはそう言って立ち上がる。
「私の芝居は台本がありません。
全て口伝で行っています。
ですので、今から実際に芝居を観ていただきましょう。
エル、二人芝居です。
配役はその場の勢いで割り振っていきますよ」
「うわ。なかなかのムチャ振りだなあ。
何演ります?」
「ソーエンの方であれば、やはり武勇伝ものがいいでしょう。
『剣豪ソドムの見た景色』を演りましょう」
「ちょっ!?
本来10人以上で演る演目じゃん!
しかもあの大立ち回りをこの狭い室内で!?」
「だからこそ我々の真価が問われるでしょう。
さあ、準備をしましょう
ベッドや家具は端に寄せさせてもらいますね」
「うわー……まあ、演りますけどね」
と、エルは背伸びをして体をほぐしながら、
「クルスくん。
じっくり観ててちょうだい。
夢のような時間をお届けするよ」
と、僕に向かって囁いて、僕の顎を撫でて微笑んだ。
僕は撫でられた顎を自分の手で触れてみる。
エルの体温が少し残っているような気がする。
そして、
「……チッ」
と舌打ちをする音が僕の背後で聞こえた気がした。