第33話 手を血に染めて。僕は命の誕生を願う。
メリアは大きく目を見開いて僕に問う。
「ど、どうしてですか!?」
「腹を切る。起きたままでは痛みに耐えられない。
寝かし……いや魔術の名のとおり昏倒させて、その間に切り開く」
「無理です!
私の魔力では眠らせるのがやっとで、しかもそれだってちょっとした刺激で目を覚ましてしまいます!
船のときだってそうだったでしょう!」
メリアは僕に反論する。
確かにメリアの魔力は脆弱だ。
テレーズを眠らせることができたとしても、腹を切っても起きないほどに意識を刈り取るまでは期待できない。
だが、
「他に手段がない」
「そんな事言われたって……」
メリアは僕から目をそらし、拳を握りしめる。
助けたい気持ちは当然ある。
だが、自分の手に他人の命を預かることの重さを分かっている。
そしてその重さに耐えられない自分を責めている。
僕は今、メリアに残酷なことをしているのかもしれない。
そう考えると、どんな言葉をかければいいのかわからなくなる。
「魔術は……願いの力です……」
弱々しい声が僕達の耳に届いた。
テレーズの声だ。
メリアはテレーズの顔に自分の顔を寄せる。
「あなたが……願えば願うだけ魔力は高まり、あなたの願いに応えてくれます。
私からもお願いします……
どうか……私の子どもを救ってください……
願わくば……私の命も……」
テレーズはそう言って微笑み、メリアの頭を撫でた。
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【転生しても名無し】
『テレーズ様……美しすぎます……』
【転生しても名無し】
『この方を死なせてしまったら世界の損失や!
メリアちゃんに頑張ってほしいンゴ!』
【◆与作】
『メリアちゃん。
怖いだろうけど、頑張って。
やらなきゃテレーズさんは助からないし、メリアちゃんもきっと後悔する』
【◆オジギソウ】
『人を救うって、自分を救うことでもあるんだよ。
特に生き死ににかかわるような時はね。
自分の弱さなんかに負けちゃダメだ』
【◆まっつん】
『がんばれがんばれ!
あきらめるな! 自分を信じて!
そうすればきっとうまくいく!』
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妖精たちは届かない言葉をメリアに向かって贈る。
それが聞こえるのは僕だけなのに。
でも、それは僕を動かすのには十分な力になる。
「メリア、バルザックが言ってたこと覚えているか」
「…………」
メリアは黙ったまま、唇を噛む。
「この旅を意味のあるものに。
あなたの人生を価値のあるものにしろ。
ここを訪れたのは偶然だ。
だけど、意味のあるものにしなきゃいけない。
そのためには、テレーズとおなかの子供を救わないといけない。
僕は……救いたい」
メリアの肩をつかんで目を合わせる。
「一緒に戦ってくれ。
僕一人じゃダメなんだ」
僕の言葉にメリアは目を潤ませる。そして、
「わかりました……やります……
やってやります!」
僕達にそう高らかに宣言した。
バースが用意するよう指示していた道具が全て揃えられた。
僕は沸騰した熱湯にしばらく手を浸し、引き上げた。
メリアは瞼を閉じ、集中力を高めている。
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【◆バース】
『それではこれより帝王切開手術を行う。
患者に【昏倒】の魔術を』
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僕はメリアに指示を出す。
メリアはテレーズの額に手を当てる。
するとテレーズは小さく頷いた。
「私は高位魔術の詠唱は知らないんです」
自信無さげなメリアに対し、テレーズが、
「詠唱はあくまで魔力発動のキーに過ぎません。
あなたが願う言葉を紡げばいいのです」
と言った。
すると、メリアの目に迷いは無くなった。
「【貴方の生まれいづる世界は光も闇もあるだろう。
光は草木を繁らせ、生ける者の繋がりを示す。
闇は夜を運び、生ける者に安息を与える。】」
メリアの口から詠唱が紡がれていく。
体の周りに金色の光が薄っすら発せられていく。
「【永久に繰り返されてきた営みの一端。
無限に続く黄昏が過ぎるまでの猶予の一瞬。
望むこと、求めること、欲しがること、全てを赦す。
痛みを、悲しみを、怒りを、孤独を、全てを離す】」
そこまで詠んだところで、小さく息を吐き、吸い込んだ。
メリアのまぶたが閉じられる。
「【あなたは望まれている。
あなたの親に、兄弟たちに、まだ見ぬ友たちに。
この世界はあなたが生まれてくることを望んでいる】」
メリアの詠唱が変えられている。
そして、メリアが纏う魔力が目に見えて強まり、部屋の地面に沈殿した魔力が共鳴し、銀色の光の粒となって無数に湧き上がる。
「【私達が救う。必ず救う。
だからどうか、安らかなれ、穏やかなれ、そして健やかなれ。
貴方を包む光は優しく、貴方を受け止める闇は柔しい。
目覚めの扉が開くその時まで――
さあ、おやすみなさい】」
部屋中の光がテレーズに当てたメリアの手に集まり、吸い込まれていった。
同時にテレーズはガクリと意識を手放した。
「かかり、ました」
メリアは震える手を押さえつけてそう呟いた。
「見事だ」
僕の口から自然とそうこぼれ落ちた。
先程発生した魔力の量も質も高位魔術といって差し支えない。
テレーズの意識は間違いなく失われている。
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【◆バース】
『じゃあ、ホムホム。
さっき教えた手筈で進めてええで。
気になる時は口出したる』
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了解した。
僕はテレーズの下腹部にナイフを当て、縦に薄く切り裂き横に開く。
するとバースが言っていた通り、筋膜と呼ばれる膜にたどり着いた。
それを更に切り開くと血にまみれた袋のような臓器が現れた。
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【◆バース】
『それが子宮や。そこに赤ちゃんは入っとる。
絶対に中身は傷つけんな』
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「わかっている」
僕は思わず声に出してしまう。
子宮を横に切り開くと、そこには赤い小さな人間の足が見えた。
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【◆バース】
『ゆっくり取り出せ』
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僕は両手で小さな足を掴み、ゆっくりとテレーズの体に引っかからないよう引きずり出した。
「あぁ……ああ……」
アルフレッドが小さく声を上げる。
僕の手の中の人間は呼吸している。
この小さな体でテレーズの体の中で生き続けていたのだ。
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【◆バース】
『やっぱデカイな……
5000、6000いや……それ以上か。
へそに付いている管の母体に近い場所を糸で縛って血を止めて、ハサミで切れ』
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僕の両手は塞がっているので、メリアに頼む。
メリアは恐る恐る糸で管を縛り、ハサミで管を切った。
テレーズと子供を繋いでいたものが分かたれたのだ。
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【◆バース】
『アルフレッドに子どもを預けろ。
そしたらぬるい湯にそっとつけて体に付いているもんを少しずつ剥がさせるんや。
あと、顔をガーゼで拭ってやれ。』
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バースの指示通り、アルフレッドに子どもを渡すとアルフレッドは怯えるようにして子どもを受け止める。
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【◆バース】
『さあ、ここからが本番や。
子宮の中に残った胎盤や卵膜を除去する。
その管の先に胎盤が繋がってる。
そっと引きずり出せ』
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メリアが先ほど切った管に繋がった胎盤を引きずり出す。
さらに、ガーゼを指に巻き付け子宮内の卵膜を剥がす。
メリアは食器を使ってテレーズの内臓を支えたり、持ち上げたりして僕の作業の手助けをする。
じっくり20分ほどかけて作業を行い、子宮内の内容物の除去が終わり、僕は子宮を縫合する。
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【◆バース】
『用意していた塩水で体内の血を洗え。
そして、出血してないか確認するんや』
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血を塩水で洗い流す。
バースに確認してもらった後、テレーズの腹を縫合した。
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【◆バース】
『お見事やったで。
こんな設備も道具も無い環境やって言うのに上手やった。
後は、祈るだけや』
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バース、ありがとう。
本当にあなたはすごいよ。
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【◆バース】
『あなた呼ばわりはやめてほしいンゴw
ワイらなんてお前呼ばわりで十分なんやで。
むしろ、その方がしっくり来るわw』
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そうか、インプットし――
「オギャー! オギャー!」
突然、小さな泣き声が僕の後ろから聞こえた。
振り向くと、アルフレッドにお湯につけてもらっている赤子が声を上げて泣いている。
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【◆バース】
『ファーwww
図体に似てデカイ泣き声やな!!
その分なら元気に育ちおるわ!
お墨付き与えたる!』
【◆マリオ】
『バース先生、お疲れ様でした。
ホムホム先生、お疲れさまでした』
【転生しても名無し】
『俺、画面がぼやけて見えない……
モニタの故障かな?』
【転生しても名無し】
『ウチも回線速度落ちとるんかなあ……』
【◆オジギソウ】
『声あげて泣いた。
バース、身元特定してやるから覚悟しろ。
私が子ども生む時はアンタに取り上げてもらうから。
予定も相手もいないけど……』
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妖精たちはいつになく神妙になっている。
その気持ちは分かる気がする。
メリアは涙を流しながらテレーズの額を撫でている。
テレーズはスゥスゥと小さな寝息を立てていた。
「元気な、本当に元気な男の子です……
とってもかわいくて、尊いです。
だから、その手で絶対に抱いてあげてください」
僕は自分の掌を見つめる。
テレーズの血に染まっている。
この血は殺すためでなく、救うために浴びた血であると考えると胸が締め付けられた。
人を殺すための刃が人を救い、戦うために生まれた僕が命の誕生を手助けした。
矛盾で溢れている。
だが、それは心地よく、嬉しいものだった。
「クルス殿……メリア殿……本当にありがとうございました。
あなた方こそノウンの御使いに違いない……
ありがとう、ありが……」
アルフレッドは声をつまらせて泣き出した。
僕は彼のもとに近づく。
すると、彼の手の中の赤子が小さな手を伸ばす。
僕は洗い流した手を近づけると、その小さな手で僕の指を掴んだ。
「はじめまして。僕はクルスだ。
あなたは……名前がないんだったな」
そう呟くと、アルフレッドは
「ノウン教では初めてその子どもに触れた人間が名前をつける掟があります。
クルス殿……名付けていただけませんか?」
と言った。
どうしよう……僕だってこの間名前をつけたばかりなのに。
妖精たちよ、任せていいか。
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【転生しても名無し】
『ちょwwwやめとけwww
ここにいる連中は悪ふざけみたいな名前しか提案せんぞwww』
【転生しても名無し】
『そもそもオレ達、手触れてねーもん。
ホムホムが考えろ』
【転生しても名無し】
『さーて、ホムホムのネーミングセンスは如何程のものかなあ?』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
やっぱりおまえら……
名前……名前か。
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【◆バース】
『どんな名前つけたか、後で聞かせてな。
ワイはリアルの方のベイビーたちを診なあかんから落ちるで』
【◆マリオ】
『おつ。自分の残りHPにも注意しろよ』
【転生しても名無し】
『おつかれ様!』
【転生しても名無し】
『おつかれ! ほんまありがとうやで』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
ありがとう、バース。
バース……
僕は指を掴まれた手にもう片方の手を被せて、語りかけた。
「あなたの名前はバースだ。
その名の通り、人を救い人の命を繋げる……
そんな人に……あなたはなれ」
生まれた命が成長していくことを僕は願った。