第23話 厳戒態勢。眠れない夜の先に。
夜が明け、甲板に出てみると周囲は霧に包まれていた。
頭上には靄越しの太陽が弱い光を注いでいた。
甲板を見渡すと、船員たちが周囲を警戒している。
隅の方でブレイドが座り込んでいるのを見つけたので近寄った。
「ブレイド、今は――」
「だあああああああ!!
話しかけんなボケ!
こっちは耳すましているところなんだよ!」
思いっきり怒鳴られた。
「音で敵の接近を察知できるのか」
「ある程度はな。
この視界の悪さじゃ、目にはほとんど頼れねえからな。
お前こそ何かねえのかよ。
敵が寄ってきたら髪の毛が逆立つとか」
「そんな奇妙なギミックはないが、魔力の探知ならある程度は。
だが、魔力を溜めている時や魔術が発動している時くらいしか掴めないが」
「十分だ。
お前もその能力を使って索敵してろ。
話しかけるんじゃねえぞ」
僕は頷いてブレイドの隣りに座った。
目を閉じ、魔力探知に集中する。
マストの上で監視をしている男が【感覚強化】を使っている。
おそらく視力を強化しているのであろう。
船首にいる男は【放出系魔術】。
前方の障害物の有無を調べているのだろう。
そして、船外の魔力の反応は船の周囲20メートル以内においては今のところない。
船内ではピリピリと緊張の糸が張り詰めていたが、その日は何も起こらず航行できた。
翌日も同様に僕達は索敵に尽力する。
メリアもいつ敵が出てきても大丈夫なように甲板の上に出て、傍らに閃光石の籠を置いて立っている。
ククリはメリアを守れるよう傍についている。
バルザックは昨日から引き続き酒を一滴も飲んでいない。
船員は順番に仮眠を取りつつ、切れ間なく警戒していたがその日も何も起こらなかった。
翌日、何も起こらない現状にブレイドがキレた。
「あああああああ〜〜〜〜〜〜!!
めんどくせえ!!
オイ! 魔王軍のクソザコども!!
襲ってくるならさっさとしろや!!」
「ブレイド、大声を出すな。
敵に位置がバレるかもしれない」
「ケッ。上等だよ。
こんなピリピリした状態が続いたら滅入っちまう。
あ〜、ククリと軽くシケ込んでくるか」
ブレイドは立ち上がってククリの肩を抱いて船室に消えていった。
ククリがいなくなったことで守り手がいなくなったメリアの傍に僕は立った。
メリアは微笑んで、
「ありがとうございます」
と小声で言った。
感謝されるようなことじゃない、と返す。
周りを眺めると、ブレイドだけじゃなく他の船員たちも疲労の色が濃い。
いつ敵に襲われるかも分からない恐怖と戦いながら過ごしているからだろう。
仮眠を取ろうにも神経が高ぶりすぎてちゃんと眠れていないと思われる。
こういう時人間は不便だ。
「クルスさん、大丈夫ですか?」
「何がだ」
「だって、ここ数日寝ているところを見ていませんよ。
それどころか、この船に乗ってからほとんど寝ていないんじゃないですか?」
「メリアが見ていない時に寝ている。
心配するな」
僕は嘘をついた。
戦闘によるダメージがなければ活動を停止させて自然治癒に集中する必要はない。
ホムンクルスはそのように作られている。
「クルスさんってどういう風に育ったんですか?
ものすごく強いし、何があっても動じないし、ソーエン語も流暢に喋れるし、すごいですよね」
メリアの質問に僕は戸惑う。
思えば、この旅の中でメリアから僕の過去について問われることはなかった。
僕もメリアのことに触れることはなかったから考えもしなかったが……
だが、一緒に旅をしている人間がどういう人間か気になるのは当然だろう。
しかし、僕の過去なんて一年にも満たない上に、半分以上は戦闘に必要な知識と技術の習得に費やされている。
ホムンクルスであることを明かさずにメリアを納得させる答えを伝えるのは不可能だ。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【◆まっつん】
『あきらめんな! あきらめんなよ! ホムホム!!』
【転生しても名無し】
『こういう時こそ、俺らの出番だ!!』
【◆アニー】
『コテハンデビューのオレに任せろ!
ホムホム!
オレの書き込みをそのまま読み上げろ』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
了解した。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【◆アニー】
『どういう風に育ったかは、分からない。
一年以上前の記憶が無いんだ。
覚えていたのはクルスと言う名前と言葉だけ。
サンタモニアの魔術師に拾われて戦うために必要なことを叩き込まれて、アイゼンブルグの戦場に放り込まれた』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
僕がアニーの文字を読み上げると、メリアは目を細める。
「そうだったんですね……
どうりで時々話が噛み合わなかったりしたんですね。
それに、アイゼンブルグ……
クルスさんはやっぱりあの街で戦っていたのですね」
「戦ったというよりも逃げ回った時間のほうが長い。
下水道に逃げ込まなければ間違いなく死んでいただろう」
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【◆アニー】
『いや、正しくはメリアに会えなければ死んでいただろうな。
僕だけならあの地下洞窟の隠し扉なんて分かり得なかっただろうし。
仮に脱出できたとしても、何をして良いのかわからなかった。
受けた命令は既に無意味なものだったし、帰って再び命を投げ捨てさせられるのも許容できなかった。
だけど、何の道標もなく生きていけるほど僕はちゃんとした人間じゃない。
そんな、僕の道標となってくれたのは君だ』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
僕の言葉にメリアは、
「えっ」
と、声を上げる。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【◆アニー】
『君が僕に感情をくれた。
楽しいこと、気持ちいい時間、美しいもの、全部君がくれたんだ。
だから僕は君を守るためにこの命を使いたい。
メリア、叶うことなら僕のそばにずっといてくれないか?
僕は君を愛しているんだ』
【転生しても名無し】
『ホムホム! ストーーーップ!!』
【転生しても名無し】
『お前、この殺伐とした時間にラブシーン持ってくんじゃねえよ!
もっとムードあるときにしろ!』
【◆与作】
『ていうか、ホムホムの気持ちを勝手に創作したらホムホムもメリアちゃんも可哀想だよ』
【◆アニー】
『えー。ホムホムの気持ちは多分こんな感じだと思うんだけどなあ』
【◆オジギソウ】
『ホムホムはそんなこと言わない』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
たしかに、あながち間違ってはいない。
僕はメリアがいなかったらアイゼンブルグを脱出できなかっただろうし、脱出した後、何をすればいいのか分からなかっただろう。
とりあえず、生き延びるだけなら出来たかもしれない。
だが、それ以上に今の自分のあり方、やってきたことは満足できる成果だと思う。
メリアを守りたいと思っていることもたしかだ。
ずっと傍に……いたい、と思っているかもしれない。
「あ、あの……クルスさん?」
「少し喋りすぎた」
僕はメリアから視線を離す。
が、メリアはなんだかソワソワしており、髪を弄ったり、その場をぐるぐる回ったりしている。
「落ち着きが無いな。どうした?」
「……誰のせいだと思ってるんですか」
メリアは小さく呟いた。
「ところで、メリアはどんな魔術が使えるんだ?」
「え、なんだか話がそれましたね」
「メリアのことをあまり聞いたことがなかったから」
「ああ、たしかにそうですね。
えーと、ちゃんと使えるのは【予防】の魔術と【昏倒】の魔術くらいでしょうか」
【予防】は病気を防ぐ魔術ですね。
と言っても、病への抵抗力が弱っている人にしか効き目はありませんし、手で触れていないと効果はありません。
アイゼンブルグの洞窟で倒れている時、自分に使っていました。
おかげで病気にはかかりませんでしたよ。
【昏倒】は相手を眠りにつかせる魔術です」
「【昏倒】はかなり戦闘向きじゃないか?
射程と詠唱の長さは?
ダメージはあるのか?」
「……こちらも相手に触れていないと効果はありません。
さらにいうと頭を撫で回して、1分くらい詠唱し続けなきゃいけません。
ダメージは皆無です」
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【転生しても名無し】
『つかえねーーwwww
頭を一分間撫で回す余裕があったら殴り倒せるわ!』
【転生しても名無し】
『いや、逆に考えろ。
メリアちゃんに1分間ナデナデしてもらっておやすみできるなんて最高じゃないか!』
【◆バース】
『子持ちの母親ならどっちも重用する魔術なんやけどなあ。
やっぱ、メリアちゃんはピッチャー一本で』
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「何故、そんな魔術を習得したんだ?」
「イフェスティオの女性は戦闘用の魔術や武術を学ぶ機会がないんですよ。
それらは男性の身につけるものということで。
女性が身に付けられるのはせいぜい本に書いてある暮らしに役立つ家庭の魔術程度なんです。
むしろ私でもそこそこできる方なんですよ。
全く使えない人のほうが多いんですから。
クルスさんが凄すぎるから、分かってもらえないでしょうけど」
僕が凄いわけではない。
フローシア考案の魔術回路があるからこそ、僕の魔術は行使できる。
道具に頼っているだけだ。
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【転生しても名無し】
『【予防】に【昏倒】ねえ。
ホント、ホムホムには関わりのない魔術だな。
病気にならないし、睡眠も必要ないし』
【転生しても名無し】
『でも、使い方によってはかなり重用されそうだな。
俺もメリアちゃんに【昏倒】の魔術かけてもらいたい。
深夜バイトのせいで不眠症になってつらいンゴ』
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……閃いた。
「メリア。【昏倒】の魔術はどれくらい魔力を消費する?」
「魔力の消費ですか?
ほとんど消費しませんよ。
石を投げる時の魔力1回分で10回は使えると思います」
それを聞いた僕はバルザックの元に走った。
「【貴方の生まれいづる世界は光も闇もあるだろう。
光は草木を繁らせ、生ける者の繋がりを示す。
闇は夜を運び、生ける者に安息を与える。
永久に繰り返されてきた営みの一端。
無限に続く黄昏が過ぎるまでの猶予の一瞬。
望むこと、求めること、欲しがること、全てを赦す。
痛みを、悲しみを、怒りを、孤独を、全てを離す。
安らかなれ、穏やかなれ、そして健やかなれ。
貴方を包む光は優しく、貴方を受け止める闇は柔しい】
さあ、おやすみなさい」
メリアの詠唱が終わると、3段ベッドの下段に寝転がっていた船員はスッと眠りに落ちた。
上段、中段に寝ている船員たちもいびきをかきながらグッスリと寝込んでいる。
「よし、次の交代は2時間後だ」
「この魔術……こういう使い方できたんですね」
「むしろ、それくらいしか使い道はないだろう」
「あはは……」
メリアの【昏倒】改め【子守唄】の魔術は緊張で昂ぶっていた船員たちを熟睡させるために使われた。
眠りから覚めた船員たちは気力十分といった面持ちで自分の仕事に戻っていく。
そんな彼らを見た仲間たちは、仮眠の時間を心待ちにすることで気持ちを立て直している。
「メリアの魔術は使い勝手は悪いし、効果も微かなものだけど」
「わかってますよ!
そんなに何度も言わなくても――」
「だけど、人を救っている。
だから、優れた魔術なんだと思う」
僕の言葉を受けてメリアは自分の手を見つめている。
うつむいているので表情は分からなかった。
僕達は船室の外に出た。
スモーカーズラグーンの中に飛び込んで4日目の朝。
だいぶ、霧が薄くなってきた気がする。
頭上の太陽にかかる靄も僅かだ。
このまま行けば、今日中にでも魔王軍の勢力範囲からの脱出が見込まれる――
「上だっ!!」
ブレイドの叫び声が響いた。
その直後、上空から風切音が聞こえた。
見上げた僕の目に飛び込んできたのは、マストの上で監視をしていた船員の胸に矢が突き刺さる瞬間だった。
一本目の矢が呼び水になったように次々と矢が放たれ、全身を矢だらけにされた船員は血を撒き散らしながら、甲板に落ちた。
「敵襲ーーーーー!!」
船の上が戦場に変わる。
船員たちは各々武器を取り、身構える。
霧はどんどん薄くなっていく。
そして、霧の向こうの影がその実態を現す。
「アレは……怪鳥兵だ!!」
誰かが叫んだ。
怪鳥兵。
それは巨大な鳥型モンスターの背に乗ったモンスターを意味する。
鳥型のモンスターの翼を広げた全長は約5メートル。
背中には2体のスケルトンが弓矢と槍を持って騎乗している。
その怪鳥兵が3、5……10……少なくとも10組の怪鳥兵が船を取り囲んでいる。
更には船の両脇を挟み込むようにガレー船が2艘迫ってきていた。
もちろん甲板にはスケルトンの大軍がひしめき合っている。
その数の多さに船員たちは動揺を隠せない。
「ビビってんじゃねえ! それでもお前ら俺様の手下かよ!!」
バルザックが吠える。
その声が浮足立ちかけていた船員たちを踏みとどまらせる。
「ベルンデルタに着けば、思いっきり豪遊させてやる!!
酒も飯も女も好きなだけかっ食らえ!!
だから……絶対に死ぬんじゃねえええええええ!!」
バルザックの鼓舞に船員たちが応える。
自らを奮い立たせ、敵を威嚇する。
地鳴りのような怒号が響き渡った。