第17話 航海のはじまり。警戒レベルを上げる。
夜の闇に紛れて船は出港した。
夜風を受けて船は進む。
夜が明ける頃にはソーエンの陸地は彼方に霞んでいた。
甲板で離れていく陸地を眺めていた僕とメリアだったが、寝ていなかったメリアは少し眠そうだ。
できるならば、船室を借りたいと、ブレイドを探すと、ブレイドは小太りの中年男と談笑していた。
男は綺羅びやかなソーエンの衣服と仕立てのいい帽子を身に付けており、身分が高いことと推測する。
ブレイドが僕達に気づくと、
「おう。クルス、メリア。
紹介しておこう。
この人はバット・サザン。
オレの兄貴分で、サザンファミリーのNo.2だ」
と言った。
バットという男は慇懃な態度で僕とメリアに挨拶をする。
「これはこれは、美しき姫君たちよ。
あなた方の旅の手助けをさせていただき、このバット・サザン、光栄の極みであります。
手前どもはむさ苦しい男衆ばかりでして、行き届かないところもあるかもしれませんが、何なりとお申し付けを」
メリアは背筋を伸ばして、
「姫なんてブッこき過ぎだろう!
タメ扱いでいいよ。
ゴキゲンな旅になりそうでワクワクしてんぜ」
と言った。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【転生しても名無し】
『意訳
姫だなんてお上手ですね。
どうぞ、私共に対して、お気遣いくださらぬよう。
楽しい旅になることを期待しています』
【転生しても名無し】
『メリアちゃんにソーエンの人、特に目上の人と喋らせるのやめろ!
見てるこっちがハラハラする』
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バットは自身の太鼓腹を叩いて大笑いした。
「ガハハハハ! これはこれは。
なかなか威勢のいい姫さんだ。
それにそちらの黒髪の姫もなかなかに腕っ節が強いのだろう。
お前に何度倒されても立ち上がって挑んできたとか」
バットは砕けた物言いでブレイドに話を振る。
「クルスは強いぜ。
ソーエンの男と比べても見劣りしねえ。
なかなか面白い組み合わせだろう」
「まったくだな。
クルスとやら、ワシの子飼いになる気はないか?
待遇は保証するぞ」
と、笑みを浮かべながらバットは言うが、
「お断りします。
私はメリアについていくと決めていますので。
ご無礼をお許し下さい」
丁重に頭を下げて返答する。
目上の相手に言葉遣いを変えろ、と妖精からの指示があったので従ってみる。
「ほほう。
クルス殿は目上への言葉遣いもできるようだな。
ますます惜しくなってしまうなあ」
どうやら好印象のようだ。
僕はブレイドにメリアを寝かせてやりたいと頼むと、夜には部屋を準備するからそれまでは甲板に設置しているハンモックを使うように言われた。
マストの陰に設置されているハンモックを見つけると、メリアは恐る恐る乗って、横になった。
僕はメリアの傍で剣を抱きながら床に腰を落とす。
「ここから一ヶ月もかかるらしいですね。
バルザックさんの船の時の倍くらい……
私がサンタモニアを訪れた時は陸路だったし、もっと早かったですけどね」
「魔王軍の影響下をくぐり抜けることになるからな。
遠回りは必要だろう。
それでも、遭遇戦の覚悟はしておく必要がある。
メリアもナイフの使い方をブレイドに習ったほうがいい」
「ナイフ……そうですね。
ああ、そういえばクルスさんが買った武器とか閃光石……
結局受け取れずに出発してしまいましたね……
バルザックさんともちゃんとお別れの挨拶をしていないし……」
メリアの言葉が途切れ途切れになっている。
おそらく眠気が達しているのだろう。
「眠いのだろう。少し休め。
寝ている間、僕はそばにいるから」
「はい……ありがとうございます」
少しすると、メリアはすぅすぅと寝息を立て始めた。
メリアが眠り始めて、一時間ぐらい過ぎた頃、ブレイドが足元をふらつかせながら僕たちのもとにやってきた。
昨日から一緒にいる赤い髪の女性を連れている。
「すまねえな。大急ぎで準備したもんだから間に合ってなくて」
「いや、構わない。
ブレイドの方こそ大丈夫なのか?」
ブレイドは腹をさすりながら、
「ああ……どうも船には慣れなくてなあ。
船酔い気味なんだ。
さっきも盛大に戻しちまった」
「いや、そのことじゃない。
組織の幹部なら、旅に出るにもいろいろ引き継ぎとかが必要だと思うが」
ブレイドは苦しみながらも口角を上げて、
「体調気遣ってくれてんじゃねーのかよ……
ああ、組織のことはだいじょーぶ。
オレは出奔したって事になってるから」
予想外の返答だ。
ブレイドは自分の身分を捨てて、旅に同行するつもりなのか。
「心配すんな。別にお前らのためだけじゃねえ。
イフェスティオには一度行ってみたかったのさ。
世界最大の軍事国家であり、人類最後の砦。
ソーエンで縄張り争いしているヤクザ稼業なんかより、よっぽどいい経験をさせてもらえそうじゃねえか」
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【転生しても名無し】
『すごい行動力だな。
てか、私兵組織のトップが出奔って大事になりそう』
【転生しても名無し】
『じゃあ、その女の人はどうするの?
嫁さんじゃなくても恋人とかなんでしょ?』
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僕はその女性はどうするのか、聞いてみた。
すると、彼女は微笑みながら、
「私はブレイド様のものでございます。
もしブレイド様が魔王軍にいくと言っても、私はついていくでしょう」
「だそうだ。
旅の仲間が一人増えたな。
コイツはククリ・サザン。
ちなみにバットのアニキの娘だ」
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【転生しても名無し】
『ええええええええええ!?』
【転生しても名無し】
『似てない! 似てないとかいうレベルじゃないくらい似てない!
なんであの豚みたいなオッサンからこんなグラマー美人が生まれるんだよ!』
【転生しても名無し】
『う、産んだのはあのオッサンじゃないから(震え)』
【◆バース】
『嫁が美人なんやろ(鼻ホジー)』
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「ククク、アニキと全く似てなくて笑えるだろう。
ククリは兄貴の奥さん似だな。
奥さんはえらい美人で、若い頃は数多の男が奪い合って、血みどろの戦いを繰り広げたらしい」
本当にブレイドと妖精たちは話が合う。
ククリは船酔いを楽にする薬を取ってくると言って、この場を離れた。
僕とブレイドは寝ているメリアの近くで並んで座っている。
「クルス、覚悟しておけ。
お嬢ちゃんに言う必要はないが、魔王軍の動きが活発になっている。
この間、陥落したっていうサンタモニアのアイゼンブルグに幹部クラスの上級魔族がやってきたって噂もある。
だとすれば、此処から先の海は完全に奴らの影響下にある」
アイゼンブルグ、僕が妖精たちとメリアと出会った城塞都市。
あの都市はサンタモニアとイフェスティオの国境付近にあり、陥落したことで、全人類共闘同盟(新ハルモニア)における列強2国が分断されてしまった。
その重要拠点に上位魔族を送り込んだとすれば、魔王軍はその戦略価値を承知しているということだろう。
「急所に楔が討たれているのを見過ごすイフェスティオじゃねえ。
昨今、皇軍にいる超越者の将軍が各地で魔王軍を退けていると聞いている。
その将軍がアイゼンブルグを奪還しようとする可能性は高い。
あの国の連中、個の力ではソーエンの人間と比べれば非力だが、集団としての力は伊達に世界最強を名乗るだけのことはあるな。
もっとも、ヤバさという意味じゃサンタモニアだって大概だがな」
「サンタモニアがか?」
「ああ、魔法研究ばかりしている軟弱な国だと思っていたが、お前を見て印象が変わった。
奴らは本気で魔王軍を滅ぼせる魔術を開発するつもりなのかもしれないって、思わなくもない。
そもそも、生命を作るのは神の御業だぜ。
それを魔術で再現したんだ。
神の火槍や宙船の御業を再現したとしても、驚かねえよ。
……ともかくだ」
ブレイドは立ち上がった。
「俺のカンだが、アイゼンブルグを巡る遠征は大規模な戦乱に発展しそうな気がする。
魔王軍とイフェスティオの総力戦……
一回の合戦で綺麗にケリがつくわけがねえ。
魔王軍も知恵をつけているからな、戦いが長期化すれば補給を確保するために人里や都市にまで戦火が拡大するのも時間の問題だ。
そうなった場合、お前の力は人類にとって戦力として求められるだろう。
サンタモニアを離れ、使命を失ったお前は人類のために戦うか? それとも無視を決め込むか」
僕は考える。
僕は「生きる」という目的の為に活動している。
だから、無闇に戦いに巻き込まれて、破壊されるリスクは避けたい。
だが「生きる」というのはただ死なないことじゃない。
自らは力を使って逃げ惑い、力を持たない人間が死ぬのを静観することが正しい判断とも思えない。
それを正しいとするならば、僕はメリアとともにはいられない。
「分からない。
だが、今はメリアを守ってイフェスティオに向かう。
人類というのは範囲が広すぎる。
善人もいれば悪人もいる。
それをひとまとめにして守ろうと思えるほど、僕の思考回路は大雑把じゃない」
僕の答えに、ブレイドは笑った。
「違いねえ。
ま、向こうから寄ってくるもんだ。
選択の瞬間ってのはよ」
ブレイドはゆっくりと歩き出す。
「ああ、それと悪人ってのは思っている以上に多い。
近くにいるやつがそうだったりすることもある。
この世界で人と関わって生きていくなら常に警戒しておけよ」
そう言い残してブレイドは姿を消した。
僕がその言葉の意味を知るのは案外早いものだった。
日が沈み、夜になった。
僕とメリアは用意された船室に入り、鍵を締めてそれぞれのベッドに腰掛けた。
メリアは髪を解こうともせず、横にもならない。
何故か聞いてみると、
「なんとなく、ですね。
警戒している、というより警戒を解こうとは思えないんです。
バルザックさんの船は荒くれ者ばかりだったけど、バルザックさんのことは信用できましたし、皆バルザックさんを裏切ることはないと思ってましたから。
でも、この船に乗っている人は違うと思います。
特にバットさんという人。
組織のNo.2がNo.3の出奔を助けるなんてどう考えても厄介払いじゃないですか。
国で言えば、宰相が軍の総司令官を脱走させるようなものですよ。
自分に負担が降りかかるのも、組織が混乱するのも分かりきっていてそんなことするなんて」
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【転生しても名無し】
『たしかに、そういえばそうだよな。
バットにとっての利益はグイグイ出世するブレイドがいなくなることくらいだ』
【◆助兵衛】
『ブレイドがいなくなった後の紅月団を貰い受けることができるならそれはそれで利益だろう。
実質No.2とNo.3の合併だ。
組織の中で盤石とも言える地位を手に入れられるんだ、争うことなく』
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メリアの言うことも妖精の言うことも分かる。
だが、人間は理屈以外で行動を決める傾向がある。
僕はそちらに正解があると思う。
「バットがブレイドを疎んじているとか食い物にするとは考えていないんじゃないか。
ククリ……バットは自分の娘をブレイドに預けている。
それは、バットにとってはブレイドも家族という扱いになるはずだ。
家族に対して不利益なことをしないんじゃない――」
「ちょっと待ってください!
そのククリってあの一緒にいる人ですよね!?
あの人、バットさんの娘なんですか!?」
ブレイドとの会話のことは、全てをメリアには伝えていなかった。
ブレイドが長い間いなくなったら、ソーエンでの立場はどうなるのかを心配していたメリアに「ブレイドは出奔する」
ということだけを伝えただけだった。
だが、ククリがバットの娘だということを知ったメリアは険しい表情をして、
「なんでそんな大事なことを教えてくれないんですか!!」
と、僕に対して大きな声を上げた。
「悪人が自分の娘をあてがうなんてのは、相手を油断させるためか、寝首をかく場合だけですよ!
こんなの世界共通です!」
そう言って、部屋から出ようと扉を開けたその時だった。
部屋の前には武装した男が待ち構えており、その手がメリアに伸びた。
僕は剣を鞘から抜き放って投げつける。
メリアに男の手が触れる寸前、剣の刃が男の腕を切り裂いた。
男が痛みに怯んだその瞬間、僕はメリアを押しのけた。
視界に飛び込んできたのは同様に武装した男が3人、その男の後ろに続いているという状況だ。
男たちと目が合うが、僕はためらうことなく――
「薙ぎ払え! 『ライトニング・ブレイズ』!!」
魔術回路を最大稼働させて放出した魔力を広範囲に薙ぎ払った。
目の前にいた男たちは魔力の熱で全身に大やけどを負い、煙を立ち上らせながらその場に倒れた。
初めて放つ魔術だった。
そもそもこんな魔術の運用方法は僕の初期習得にはない。
だが、ブレイドとの戦いの中で、思いの外、【ライトスティンガー】に応用が利いたこと。
そして、この戦闘能力の高いソーエン人の集団相手に剣で戦うのは困難であること。
これらの理由から咄嗟に発動した魔術である。
そんなことよりも、今の状況の分析だ。
僕達は監視されていた。
いや、最初から襲撃する予定だったかもしれない。
ブレイドの「人と関わって生きていくなら常に警戒しておけよ」という言葉を思い出す。
それと、メリアが予測した状況をあわせて判断すると、
「ブレイドさんは裏切られたんです……
こんな海の上では助けも来ないし、殺されて海に捨てても誰にも分からない……
そして、おそらく私達はブレイドさんの側の人間としてまとめて処理するつもりでしょう」
メリアの結論は概ね僕と同意だった。




