第16話 ダーリスにて待機……のはずだが
お湯に肩まで浸かりながら外気と湯の寒暖を堪能する。
ブレイドに痛めつけられたダメージもみるみる回復していく……気がする。
これだけ広い風呂に浸かれる機会は早々ないだろう。
出来る限り楽しんでみたい。
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【転生しても名無し】
『じゃあ、泳いでみたら?
本当はマナー違反だけど誰もいないならいいでしょ』
【転生しても名無し】
『子供の頃、めっちゃやったわw』
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泳ぐ、か。
一応、泳ぎ方もインプットされている。
実践したことは無いが、試してみるか。
僕は両腕を前に伸ばして、床を蹴って体を伸ばす。
手と足を使ってお湯を掻き分けて進む。
水中は濁っていてよく見えないが前に進んでいるのは分かる。
少し進むと、湯の中に置かれた岩に手の先が当たったので水面に顔を出した。
成る程、これは楽しい。
別の方向に進路を変え、再び床を蹴る。
今度はすぐに壁にはぶつからない。
両腕の力加減を変えて、方向を時々変えながら進む。
しばらくそんな感じで水中を回遊していたら、指先が何かにぶつかった。
岩とは違う、もっと柔らかいものだ。
僕は再び水面に顔を出す。
ふぅ、と息を吐いて、顔に張り付いた前髪をかき分けると――
「…………」
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【転生しても名無し】
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』
【転生しても名無し】
『キタアアアアアアアアアアアアアア!!』
【転生しても名無し】
『えっ?ちょ?意味がわからないんですけど?』
【転生しても名無し】
『RECRECRECRECRECRECRECRECRECRECRECREC』
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「あ、あの……クルスさん?」
僕の目の前にはメリアがいた。
ここは浴場であるから、当然、服は着ていない。
白く濁った湯がその裸体を隠してはくれているが、水面から出ている華奢な肩や鎖骨といった普段見ることのない部分の肌があらわになっている。
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【転生しても名無し】
『これだよ!これを待っていたんだよ! ありがとう!ありがとう!』
【転生しても名無し】
『ホムホム!オレ、お前の旅を見続けてきた甲斐があったよ』
【◆与作】
『ホムホム、メリアちゃんから目を離して、謝れ』
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「すまない」
僕はメリアに背を向けて謝った。
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【転生しても名無し】
『オイイイイイイイイイ!! 与作!! テメエ!!』
【転生しても名無し】
『なんでそういう優等生的な真似するかなあ。
空気読んでくれないかな。かな?』
【◆湘南の爆弾天使】
『おい、屋上行こうぜ……
久しぶりにキレちまったよ』
【◆与作】
『メリアちゃんの裸を見世物にしてたまるか!!』
【転生しても名無し】
『これだからガチ恋勢はっ!!』
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妖精たちは今までにないくらい紛糾しているが、実際にこの場にいる僕の身になってほしい。
いや……彼らはこういう時「おい、ホムホム。そこ代われ」と言うだろうな。
さすがにこれが良くない状況だということだというくらいは僕にも分かる。
女性は異性に肌を見られたくないものだ。
故意であるにせよ、ないにせよ。
メリアが嫌がるようなことはしたくなかったんだが……
僕がそんなことを考えていると、背中の方向からクスクス、という笑い声が聞こえた。
「お風呂ではしゃぎまわって泳いでみたり、私の肌を見て目をそらしたり、クルスさんも男の子っぽいところあるんですね」
横目でメリアの様子をチラリと確認する。
両手で口を押さえて笑っている。
「怒ったり、怖がったりしないのか?」
僕の問に
「クルスさんなら、いいですよ。
抱えられたり、一緒の部屋に寝たりしてきましたから。
それに、私、今とっても気分が良いので」
メリアはそういって腕を水面に出す。
よくみるとメリアのそばには飲み物のグラスが置かれたお盆が浮いている。
メリアはグラスを手に取り中の黄色い液体を舐めるように飲む。
「クルスさんも一口どうですか?」
そういってメリアは僕にグラスを差し出してきたので受取り、口をつける。
甘い果実の味と香りが口に広がる。
喉をすり抜けるとほんのり熱い。
「酒、飲めないんじゃなかったのか?」
「果実酒はちょっと飲めるんですよ」
うふふ、と笑って体を鼻先まで湯に浸かるメリア。
酔っているのは間違いない。
でも、おかげでご機嫌でいてくれるなら止めることもはばかられる。
僕はメリアから目をそらすため、空を見上げる。
夜空には無数の星が瞬いていた。
「随分、長い入浴だな」
「ずっとお風呂に入っていたわけじゃないですよ。
むしろ女中さんにマッサージしてもらったり、垢すりしてもらったりしてもらってた時間が長くて。
でも、すっごくきもちがよかったのです」
メリアはどんどん口調が柔らかくなっていっている。
どうする? 風呂から上がるように言うべきなのか?
ああ。それが正しい判断だ。
と、考えていたら――
「ほしをーー♪
そらにはなつ♪
たびするーーこどもたちの♪
みちーしーるーべにならーんこーとをーー♪」
メリアが妙な調子で脈絡のないことを言いだした。
しかもイフェスティオ語だ。
いかん。酔い過ぎて幻覚を見ているのかもしれない。
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【転生しても名無し】
『歌だよ! バカヤロー!!』
【転生しても名無し】
『ルンルンで歌うメリアちゃんカワユス!!
若干音痴気味なのもイイ!!』
【転生しても名無し】
『この世界にも歌があるんだなあ』
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うた? 情報にない。
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【転生しても名無し】
『歌ってのはね。
声で奏でる音楽で、音楽ってのは音を人工的に並べて作る表現手段……
わかりやすく言えば、人類の宝だ』
【転生しても名無し】
『効果としては聞いている人を気持ちよくさせたり、喜ばせたりすることができる』
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魔術のようなものか。
なら、今メリアは何をしようとしているのだろう?
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【転生しても名無し】
『魔術みたいな実用的なものじゃないよ。
歌は歌いたいから歌うもんだ』
【転生しても名無し】
『あと、歌を聞く時は頭空っぽにするんだよ。
聞こえてくる音に身を任せるんだ』
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あなた達がいるせいで僕の頭の中が空っぽになることはないんだが。
「あなーたがーつけたあしあとはー♪
あとーにつづくーだれかをー♪
ゆうきーづけるーものとーなーるー♪」
……でも、たしかに笑顔で大きく口を開けて歌を歌うメリアは見ていてホッとする。
ああ、これも歌の効果か。
ひととおり歌い終わると、メリアは僕の方を向いて、
「これー、イフェスティオでうたわれているうたなんですよー」
「そうか」
「ソーエンにも、うたってあるんですかねー。
サンタモニアにはあるらしいけど、きかずじまいだったなー」
メリアは腕組みした両腕の肘を岩場に預けてもたれている。
水面から出る体の割合が先程より多くなっている。
うっすら赤くなった白く細い肩があらわになって、湯気が立ち上っている。
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【◆江口男爵】
『みんな「北風」と「太陽」だ。
騒ぐのは逆効果だ』
【転生しても名無し】
『イエス・マイロード』
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妖精たちの文字が止んだ。
まあ、静かでいいが。
メリアはろれつが怪しくなりながらもたくさんのことを話した。
明日何しようとか今日の買い物はどうだったとか。
未来のことも過去のことも、メリアが話すとまるで今起こっていることのように思えて、楽しい。
気持ちが自然と緩んでしまう。
「あーっ! クルスさん、いまほんのりわらってた!」
「え?」
僕が笑った?
そんなこと、ありえるわけない。
「なんでやめるんですかー。
せっかくかわいかったのに」
「やめたつもりはない。
そもそも笑ったなんて、メリアの見間違いじゃないのか」
「そんなことないですよーー!
もっかいわらってくださーーい!」
そう言ってメリアは僕の顔を掴もうと正面から飛びかかってきた。
僕はメリアの両手首を掴むがジタバタと抵抗される。
「暴れるな。見えるぞ」
「なにがですかー?」
「見えちゃいけないものがだ」
僕は視線を横にそらす。
妖精たちをこれ以上喜ばせてやることもあるまい。
と、思っていた僕の視界にはーー
「なんだよ。お前らも一緒に風呂はいってたのか」
ブレイドが風呂の縁に立っていた。全裸で。
そして、隣には先程もブレイドと一緒にいた女が不敵に笑いながら立っている。
彼女は手に持ったタオルを胸元から垂らすようにして、局部を隠しているが、体格も大きく凹凸の激しい体なのでタオルからところどころはみ出してしまっている。
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【転生しても名無し】
『ウヒョオオオオオオオオオオオ!!
グラマラスなお姉さんきたああああああ!!』
【転生しても名無し】
『ごめん。もう声を大にしていいたい。
今夜はサイコーーーーーーーーーです!!』
【◆江口男爵】
『メリアやフローシアも実に可愛らしい娘達だが、やはり色気がまだまだ』
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復活したな。当然のごとく。
ブレイドはニヤニヤしながら、
「そっちも仲良さそうだねえ。
クルスも女みたいな面してるくせに、やるじゃねえか」
といった。
隣りにいる女もブレイドに同意するように不敵に笑った。
ブレイドのからかいにため息をついた僕は、そろそろメリアに風呂から上がるよう促そうと思うと――
「キャアアアアアアアアアアア!!
な、な、ナニみてんだあああああああ! コラアア!!」
メリアが絶叫した。
メリアが酔っ払い気味だったため僕もいろいろ大目に見ていたが、このシチュエーションは僕の足りない常識で測っても問題がある。
「おっ、その反応は生娘だな。
これはこれは、クルスも励まなきゃいかんなあ」
ちょっと何言ってるのかわからない。
それよりメリアだ。
岩場に隠れて縮こまっている。僕は自分が持っていた大きなタオルを手渡し、風呂を上がるように伝えた。
メリアは涙目になりながら湯の中でタオルを体に巻き付け、コソコソとブレイドたちから離れるようにして浴場を出ていった。
「クハハ。あの顔でチンピラ口調は滑稽で新鮮だな。
ミスマッチの魅力というやつか」
「メリアのソーエン語はバルザックの船で読んでいた本のせいだ」
「あーなるほど。
多分、粗暴者物語を読んだんだろうな。
ソーエンの書物はお上の検閲が厳しくてなあ。
あの手の戦闘意欲を向上させるものくらいしか出回らねえんだよ」
そんなことを言いながら、ブレイドは風呂の中に足を広げて座り、女はブレイドに抱きつくようにして、その太ももに座った。
女の背中に彫られた花びらは、その体がねじれる度に風に揺れるように形を変える。
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【転生しても名無し】
『ホムホム、しっかり観せてもらって、勉強させてもらえ』
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「クルス。俺らのを観て勉強していくか?」
ブレイドと妖精の発言が見事に一致した。
なんだこの一体感。
「必要ない」
といって、僕は湯から上がろうとしたその時、
「今夜は寝るなよ。
メリアも寝かせるな」
と、ブレイドは真面目な口調で言ってきた。
宿泊している離れに戻ると、メリアが居間に座って水を飲んでいた。
僕が戻ってきたことに気づくと、顔を赤らめて、頭を下げた。
「す、すみませんでした」
「何がだ」
と、僕が尋ねると、メリアは口ごもりつつ、
「クルスさん、案外意地悪ですね……」
と、呟いてメリアは少し僕を睨みつけてきた。
話が噛み合っていない気がする。
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【転生しても名無し】
『ホムホムさん、マジ、ドSっすわw』
【転生しても名無し】
『話が噛み合っていないというか、ホムホムは語学の前にデリカシーを学べ』
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「もう寝ます。おやすみなさい……」
メリアは肩を落としながらも立ち上がり寝所に向かう。
先程のブレイドの忠告があるので、僕はメリアに近づいて腕を掴んだ。
「なんですか……」
メリアは自分が掴まれている僕の腕を見て、次に顔を見た。
僕もメリアの目をじっと見据え、
「今夜は寝かさない」
と、言った。
すると、メリアは目を丸くして、
「えっ……ちょ。ちょっと待って下さい。
その、さっきは酔ってて……あの――」
しどろもどろになって顔をさらに紅潮させた。
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【転生しても名無し】
『ホムホムぅぅぅぅぅぅ!! もっと自分の言葉に責任を持って!
●REC』
【転生しても名無し】
『ちょwwww予想外のミスだけど……これいけんじゃね?』
【◆江口男爵】
『まず、メリアを仰向けに押し倒してだな』
【◆与作】
『やめろーーーーーー!』
【転生しても名無し】
『与作は木でも斬ってろ!!』
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僕はメリアの反応の理由も、妖精たちの喧騒の原因も分からなかったが、何かを間違えていることは分かった。
夜が深くなった頃、扉がコンコンとノックされた。
扉を開けると、案内役を務めていた男が立っていて、僕らを外に出るよう促した。
僕とメリアはソーエンの衣服ではなく、フローシアから貰った服に着替えている。
髪にはお互いに贈りあったリボンを付けた。
僕は後ろ髪の根本に近いところにリボンを付けて髪を上げるように束ね、メリアは後ろ髪のサイドを寄せるようにしてリボンで束ねている。
案内役の男に続いて、僕らは夜の闇に紛れてダーリスの狭い路地を縫うように小走りで駆け抜けた。
そして辿り着いたのは、港の外れの波止場だ。
目の前には黒く塗装された大きな船がそびえている。
バルザックのものの倍は大きい。
僕らが船体に近寄ると、縄で作った梯子が降りてきた。
メリアを後ろに連れる形で梯子を上りきると、そこにはブレイドが立っていた。
「その面持ちと格好からして、どういうことか分かってるみたいだな」
ブレイドの問いに僕は答える。
「出発するんだろう。イフェスティオに向けて」
「そういうこった。
これでも重責ある身なんでな。
勢い良く飛び出さなきゃ後ろ足掴まれちまう」
ブレイドはニヤリと笑って、甲板を歩いていく。
僕はメリアに向き直って言う。
「休息は終わりだな」
ほんの一日のことだったが、異国の衣装に身を包み、買い物をして、広い風呂に入る。
穏やかで命の心配をすることがないほど安全で、楽しい時間だった。
僕ですらそう思うのだ。
メリアはことさらだろう。
残念がったり、不満そうな顔をするのかと思ったが、
「はい」
答えた声も表情も凛としていて、目的地に向かう旅人にと気持ちを切り替えていた。