第15話 ダーリスにて待機。状態は『楽しみ』
ブレイドの屋敷に戻ると、初老の女中から風呂の用意があると伝えられ、敷地内にある浴場に案内された。
その浴場はフローシアの家で見たものよりも遥かに広い。
地面を掘って石で壁面と床面を固めて作ったと思われる直径20メートル程の人工の池に白濁色のお湯が張られている。
池の周りや中には岩がところどころ置かれてあり、もたれたり、腰掛けたりすることができると考えられる。
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【転生しても名無し】
『こりゃあ温泉かな。
すっげーな、ブレイドの財力』
【転生しても名無し】
『●REC』
【転生しても名無し】
『↑おちつけ』
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「お館さまから、是非客人に当家の湯殿を堪能していただくよう仰せつかっております。
ぜひ、ごゆっくりと」
女中にそう言われるが、メリアは広い浴場を見渡しながら、
「ごゆっくりと言われても……これは落ち着きませんね」
メリアが言うのも分かる。
何故ならこの浴場は屋外にあるからだ。
板や木の茂みでで周囲から見えないよう目隠しはされているが、天井はない。
侵入しようと思えばいくらでも侵入できる。
ブレイドの命令だけで、安全と判断するのは早計だろう。
「ここは守りに適さなすぎる。
侵入が容易で脱衣所からも距離がある。
外で見張っていると対応が遅くなる」
メリアが入るのは推奨できない」
「ああ……ですよね」
メリアがうなだれていると、
「ご安心ください。私の役目はお客様の背中を流すことの他に警護も含まれております。
万一、不逞の輩が入ってこようものなら私の朝星棍の餌食にしてくれましょう」
女中はそう言って、たてかけてあった武器を手に取る。
長さは50センチ程度の棒の先に棘だらけの鋼の塊が取り付けられている。
当たれば、治癒不可能なレベルのダメージを負うことになるだろう。
「幸いここは風呂場。
血が流れても、肉片が飛び散っても後片付けは容易いものでございます」
そういって、女中は顔の皺を更に増やして、ヒヒヒヒっ、と笑う。
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【転生しても名無し】
『戦闘民族通り越して発想がシリアルキラーなんですが』
【転生しても名無し】
『まー、心強いね。メリアちゃんにもお風呂を堪能させてあげなよ。
そしたら、ホムホムも入れるだろう』
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たしかに、入浴をしないという選択をするのは惜しい。
フローシアの家で経験した入浴は非常に心地よいものだった。
この風呂はあの時のものとは規模も趣も異なるが、その違いを経験してみたいと思う。
何かあったら、大声で叫べ、と言い残して僕は浴場の外に出た。
なるべく、浴場の近くにいようと考え、板塀で囲まれた浴場の裏側に向かった。
すると、闇の中に2人の人影が映る。
「声を出すんじゃねえよ」
「わ、わかっていますけど……うあっ……」
侵入者の声か。
僕は剣を構え、【光あれ】と唱えた。
指先から広がる光が侵入者を照らしたのだが――
「出歯亀とは感心しないな」
人影の正体はブレイド・サザンだった。
もう一人は若い女だ。
彼女は壁に手をつき、腰をブレイドに抱えられ、密着している。
ソーエン人特有の炎のような長い赤い髪を乱れさせ、衣服の裾はたくし上げられ、背中に彫られた華の入れ墨があらわになるほどはだけており、汗ばんでいた。
「何をしている?」
「何って……息ヌキだよ。
客人のお陰で、やることが山積みでな」
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【転生しても名無し】
『おい、ホムホム謝れ。
とにかくもう謝れ』
【転生しても名無し】
『ヤクザ映画で見たことあるような絵面だな……●REC』
【転生しても名無し】
『てか色っぽい美人さんだな……
昔からヤクザとスポーツ選手の嫁は美人が多いと言ったもんだが』
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「すまなかった」
と、僕は謝罪した。ブレイドは鼻で笑い、
「ヘッ。ちゃんと意味分かって謝ってんのかねえ」
そう言って、女の乱れていた着物を直した。
「どうだったよ? ダーリスの街は。
ソーエンの都も悪くないもんだろ」
ブレイドの問に僕は――
「ああ。売っているものの質も良かったし……楽しかった、と思う」
僕がそう言うと、ブレイドは「は?」と口を開けた。
「アマルチアにたどり着いた時は街をゆっくり散策することはできなかったし、買い物も必要物資だけだった。
だが、ここでは急いで何かを行わなければならない理由もなく、必要のないものも買った。
そういうのが息抜き、というもので、楽しいものなのだろう」
ブレイドは一瞬真顔になって、すぐ笑いだした。
「ハハハハ! コイツは予想以上だ。
フローシアのババアが思ってた以上だ」
ブレイドは僕に近寄り、
「サンタモニアの人形がここまで人間臭くなるとはな」
と、囁いた。
ブレイドはホムンクルスの存在も、僕がホムンクルスであることも知っている。
「フローシアの手紙にそこまで書いてあったのか」
「警戒すんな。手紙を読んだのはオレだけだよ。
他の連中はもちろん、お嬢ちゃんにも伝えるつもりはねえ。
しかし、知識としてはあったが、実際に見てみると驚きだな。
マジでただの小奇麗なガキにしか見えねえ。
魔術に傾倒するような国は軟弱だ、とか言ってるお上の連中も考えを改めてもらわないとな」
ブレイドはニヤつきながら、腰の刀に手をかける。
「せっかくだ。
軽く手合わせしようぜ。
ひとっ風呂浴びる前の運動だ」
そう言って、ブレイドは剣を抜き、刃の付いている側を上にして構える。
なるほど、片刃の剣ならではのセーフティだ。
「もちろん、お前は何してもいいぜ。
剣でも魔術でも暗器でも。
殺すつもりでかかってくるくらいがちょうどいい」
油断している……いや、余裕か。
たしかに、メリアが風呂から上がるまで時間がある。
ブレイドの心証を良くするためにも付き合っておこう。
僕は剣を構え、ブレイドと対峙した。
一時間後…………僕は大の字に倒されていた。
「ふぅ。いい汗かいた」
ブレイドは汗をタオルで拭っている。
当然のことだが、彼は全くの無傷だ。
僕は少なくとも100を超える斬撃を味わった。
当たったのが、刃がついていない面であってもダメージは深い。
「いやぁ、お前いい鍛錬相手だなあ。
回復力すげえ早いし、痛みで怯んだりもしねえ。
その上、研究熱心で手筋を封じれば、別の手筋をすぐに試そうとしてくる。
一家に一台欲しいわ」
ごきげんな様子でそう話しかけてくるブレイドに、
「僕はモノじゃない」
と、答える。
体は動かないが、口はまだ回るみたいだ。
「減らず口まで叩けるのかよ。
すっげーな、戦闘力が向上してるだけでも驚きなのに、そんな遊び機能までついてんのか」
成長? 僕が?
僕が困惑していることに気づいて、ブレイドは言う。
「もしかして、おまえ気づいてなかったのか。
戦う度に自分の戦闘力が向上していることに」
ブレイドはさらに嬉しそうに口角を上げ、僕の頭の横にかがみ込み話し続ける。
「お前がもし、通常のホムンクルス程度の性能ならば、昨日の晩、オレの最初の拳で戦闘不能になっていたさ。
それどころか、四段蹴りや旋風脚まで耐えきった挙句、魔術で一矢報いる始末。
今日だってそうさ。
明らかに昨日より厳しい攻めが出来ていたぜ。
今日、オレが素手でやっていたら、肌皮一枚かすめる程度の戦果はあっただろうよ」
ブレイドは手を差し伸べてきた。
僕はそれに掴まり立ち上がる。
「此処に来るまでに何度か死線を潜っただろう。
その度にお前強くなってきたんだ。
自覚がないなら、他人と比べてみろ。
ヤバイと思った相手が大した事ない、とかあったろう」
城塞都市アイデンブルグからの脱出、森での大蛇との戦い、アマルチアでの宿屋襲撃……
たしかに、どれも危険な状況だった。
それに、戦闘力分析が失敗していたこと。
バルザックを初めて見た時、僕と同等かそれ以上と踏んでいた。
だが、昨日の戦いを見る限り、バルザックの戦闘力は今の僕を確実に下回っている。
演算結果のギャップ……計算の上で僕は僕のスペックをアイデンブルグに出撃した時点のもので設定していたが、現在のスペックがもっと高いのならば、当然、計算の前提も結果も狂ってくる。
あと、今朝自己点検したときも想像以上に回復が早い、ということがあった。
アレは僕の自動回復性能が向上しているということのあらわれなのか。
僕が分析していると、ブレイドは僕の方に手を回す。
「ま、お前の言うとおり、お前はモノじゃねえな。
成長するってのは生物の特権だ。
人間臭いことを考えて、経験を糧に成長するならば、もうお前は人間だ」
ブレイドの態度は強引なところはあるが実に友好的だ。
「クルス。
イフェスティオまでは長旅だ。
仲良くやろうぜ」
そう言って、ブレイドは僕の肩を抱いたまま、逆の手を差し出す。
僕はその手を握り、離す。
ブレイドはその離された手を握り、拳を作って、目で「お前も」と合図をする。
僕は訝しげに手を握り、拳を作る。
するとブレイドの拳が僕の拳に軽く打ち付けられた。
「ソーエンの若い奴らがよくやる友好の印だ。
覚えておいて損はねえよ」
「インプットした」
僕の反応にブレイドはヘヘヘ、と笑った。
広い浴場に比例するかのように脱衣場も広い。
脱いだ服を入れておく籠も何十個とあり、本来は大人数で利用するものなのだろう。
僕は腰の布を解き、服を脱ぐ。
カゴの中には大小のタオルが一枚ずつ置かれている。
大きい方を広げてみると、僕の体を覆えるくらいの大きさだった。
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【◆江口男爵】
『ホムホム、その大きなタオルって体に巻けるか?
その、胸と股間が隠れるように』
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言われたとおりにやってみる。
壁に大きな鏡がかけられていたので、それで全身を映す。
これでどうだ。
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【転生しても名無し】
『江口男爵……お前天才か』
【転生しても名無し】
『あらいいですね〜。余計なもの(薄っぺらい胸とか、ブラックボックスである股間とか)が映らないと、完璧女の子に見えるね〜』
【転生しても名無し】
『●REC ●REC ●REC』
【転生しても名無し】
『ふぅ……まったく、けしからん』
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なにが楽しいんだ? まあいいや。
浴場に入ると湯の入った大きな甕があり、そばに桶が置いてあった。
ここで体を洗うのだろうと判断し、タオルを脱ぎ、桶に湯を掬って体にかける。
ブレイドのお陰で土で汚れていた体を小さい方のタオルで入念に洗う。
時折、冷たい風が吹く度に濡れた部分が強く冷やされる。
そうなった時にお湯をかぶると、体がほぐれるように心地よい熱が全身に染み渡る。
これは、しっかりお湯に浸かる瞬間が今から楽しみだ。
……楽しみ?
体を磨いていた手が止まった。
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【転生しても名無し】
『どしたんホムホム?』
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いや、楽しみなんて言葉が浮かんでくるとは思わなかったから驚いている。
でも、当然か。
僕は入浴を楽しいことだと知っている。
予測する未来に楽しいことがあるなら、それまでの時間は楽しみを抱えていることになるんだ。
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【◆野豚】
『それはいい傾向だよ。
楽しみがあれば他に辛いことがあっても前向きに生きる糧になる』
【転生しても名無し】
『未来のことを思い描いて楽しみを得れるなんて、ますます人間っぽくなったな』
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人間っぽいか……
僕がどれだけ成長しても、どんな複雑な感情を手に入れても人間になれるわけじゃない。
人間っぽいホムンクルスになるだけだろう。
その日が楽しみ、とは僕はまだ思えない。
そもそも、僕は人間になりたいのだろうか?
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【◆野豚】
『その問いに僕らは答えることが出来ない。
僕らはホムンクルスじゃないからね。
君が生きていく中で考えていくしかない』
【転生しても名無し】
『ま、そうだわな。
それに人間なんて必ずしもいいもんじゃないよ。
オレは草や木に生まれたかった』
【転生しても名無し】
『難しいことは布団の中で考えれば?
とりあえず今は入浴を楽しめ』
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そうだな。
僕はたっぷりとお湯をかけて体を洗い流し、再び大きい方のタオルを体に巻きつけ、風呂と向かった。
湯が張られた大きな池を目の前にして、僕はそっと片足ずつ湯に入っていく。
先程まで冷たい石床の上を歩いてきた足の冷えは霧散し、体内に熱が浸透していく。
静かに静かに音を立てないように体を沈め、肩まで浸かる。
フローシアの家の風呂よりもやや熱い。
だが、それが心地よい。
水面の湯気を散らす冷たい風が僕の首から上を冷やすが、それもまた涼やかで心地よい。
おもわず、「ほぅ」と息をついてしまった。




