エピローグ前篇 ブレイドは月を見上げて友を想う
本日、完結まで投稿します。
あの日、クルスと別れた瞬間を思い出すと後悔が押し寄せてきて止まらない。
俺がもし、アイツについて行っていれば運命は変えられたのかもしれないと。
オーベルマイン学院の地下にあるイデアの部屋の工房に残った俺とフローシアとエステリアは、工房の中にいる全ての人間を殺し尽くした。
捕虜を取るつもりはなかった。
奴らの一人でも生き残っていれば、アセンション計画が再始動する可能性があった。
汚れ仕事だったが厭うことはない。
老人も子供も女も自分の息子の名を呼ぶ父親も……
俺たちは殺し尽くした。
非道と誰に罵られようと知ったことじゃねえ。
大義なんかに罪を背負わせたりもしねえ。
俺は俺がそうしたいからやった。
それだけだ。
その後の大陸の情勢については、俺が想像した以上にすんなりと事が運んだ。
帝都が崩壊し、国力の弱体化を余儀なくされるイフェスティオ帝国にとってサンタモニアの併合は至上命題だったが、イデアの部屋がなくなって頼みの綱のホムンクルスの供給が止まり、骨抜きにされたサンタモニアを手にすることなど、帝国にとって容易いことだった。
アイゼンブルグに新帝都が設立されると同時に、サンタモニアは矛を交えることすら無く、イフェスティオ帝国に統合されることとなった。
結果、大陸のパワーバランスは崩壊することなく、今も魔王軍との戦いは続いている。
イフェスティオ帝国の帝都がイフェスティオ山の噴火により灰燼に帰してから1年。
俺はソーエン国の自宅の庭で息子を抱きながら、日向ぼっこをしていた。
最近はこんな穏やかな時間を持つことが多い。
鈍りきった俺を象徴するようなお役目がこのあと待っている。
「ブレイド様、お時間です」
ククリが廊下の向こうからしずしずと歩いてきた。
戦場にいれば燃え盛る炎のように気丈で荒々しい女も、平和なお屋敷の中で髪を下ろし、お上品な着物を着崩さずに纏っていれば、三国一の奥方様だ。
「おう、行ってくらあ」
息子をククリに預け、俺は屋敷を出た。
「ブレイド・コウリュウ。
そなたを金龍隊第七席に置き、蒼帝連合軍特別教練隊長に任ず。
さらに精進せよ」
奏者から勅語と宝剣を賜り、恭しく礼をした。
長年、どの国とも同盟関係を結ばない栄光ある孤立という外交方針をソーエン国は取り続けてきたが、先日イフェスティオ帝国との間に正式に軍事同盟が結ばれた。
サンタモニアを吸収し大陸を統一したイフェスティオ帝国と島国であるソーエン国が分断されているのは魔王軍との戦いが続く現状において、戦略的に不利益しか生まないという理由からだ。
イフェスティオ帝国が人類の統率者ならばソーエン国は人類の調整者だ。
個々の兵士の高い戦闘力と組織的な諜報能力を保有し、人類同士の諍いを未然に防ぐ役割を水面下で自発的に行っていた。
この度のサンタモニアの騒動があったことでその正体と能力の高さが明らかになり、イフェスティオの帝国皇帝自らが海を渡って表敬訪問を行い、条約締結まで漕ぎ着けた。
もっとも、敵に回られると怖いから懐柔してしまおうという腹の内は誰から見ても明らかだったが。
ともかく、ソーエンとイフェスティオは共に魔王軍と戦うという意思を以てその手を結んだ。
俺がたった今任ぜられた蒼帝連合軍特別教練隊長とはソーエンとイフェスティオの若い兵士たちを鍛え上げるというお役目だ。
ソーエン兵は戦闘能力に優れるが魔術や集団戦に弱く、帝国兵は集団戦に優れるが個々の能力は低い。
それらを補い合って兵の練度を上げるとともにその訓練手法を確立するのが当面の方針となっている。
俺の周りの人間はてっきり遠征軍にでも加わるものだと思っていたらしく、教官になると知った時の反応はそれは訝しげなものだった。
「ブレイド。これにて任官の儀は終わりであるが、そちに聞きたいことがある」
御簾の向こうからラドウ様の声が発せられた。
ラドウ様とはソーエン国の最高権力者であり、国家の頂点に立たれているお方だ。
その正体は謎に包まれており、人間かどうかすら怪しいと言われている。
「なんなりと」
どのような質問が来るのかは想定済みだがな。
「サンタモニアの人形に対して、そちの率直な感想を教えてたもれ」
ソーエン国にとって魔術が使用できるホムンクルスは脅威であると同時に、その開発技術は喉から手が出るほどほしいものだった。
討滅対象とは言え、それを跡形もなく葬り去った俺は表向きには罪に問うことはできないが、お上の一部からはめっぽう恨まれている。
「人形は人形ですよ。
戦士にはなり得ません。
現に魔術回路を遠隔で操作されてしまえば木偶人形同然。
仮に復活させたとしても人類側にとっても魔王側にとっても脅威にはなり得ないでしょう」
本当のことだった。
ホムンクルスの開発技術は見える限り抹消したつもりだが、完全に痕跡を消すことは不可能だ。
そこで、フローシアによってクルスが使っていたホムンクルスを制御する魔術を作成してもらい、その情報をソーエン、帝国の二国で共有した。
古い時代の産物となったホムンクルスはこれからの時代に出てくることはもうないだろう。
「間違っているぞ、ブレイド」
「はい?」
「御はそなたと共に旅した人形のことを聞いているのだ」
ラドウ様の言葉に目の奥がしびれるような衝撃を受けた。
クルスのことか……
「アイツは……面白いやつでしたよ。
素直なくせに頑固で、ぶっきらぼうのくせに情に深い。
俺にとって……終生の友です」
俺の答えに奏者がフッと鼻で笑う素振りをしたので睨みつけてやると、ビビって顔をそらしやがった。
「友か。そちは人形を友とできるのか」
「人であるかなんてのは些細なことです。
御身だってそうでしょう」
皮肉を言ってやると、奏者や近衛がぎょっとした顔で俺を見つめる。
だが、ラドウ様はくつくつと笑った。
「御のことはさておき、そちのいうことは真理さな。
その真理どうやってたどり着いた」
俺は胸を張って答える。
「同じ釜の飯を食って酒を飲んで背中を預けて剣を振るい、心を通わせてともに生きた男を……
友と呼ばずに何と呼びましょう」
屋敷に戻る途中、見知った顔を往来で見かけたので呼びかけると、そいつは大きな体で腰を曲げて俺に駆け寄ってきた。
「これはこれは、ブレイドの旦那!
こんなところで会えるとは!」
「旦那はよしてくれ。
もう稼業からは手を引いて、サザンの名も返して宮仕えして生きてるんだ。
あんま目立つ悪さしているとしょっぴくぞ、バルザック」
バルザックは帽子をとって頭をかきながらヘコヘコと頭を下げる。
「ちょうどよかった。
旦那にご客人をお連れするところでして……」
バルザックの言うとおり、後ろにはフード付きの外套を纏った旅人風の女が立っていた。
フードの下に見える顔を見て、俺は思わず顔をほころばせた。
俺は客人を屋敷に招き入れると、ククリは久しぶりの再会に抱き合って喜んだ。
そして、眠る我が子の姿を見せると彼女は穏やかな笑みを浮かべて、
「本当におめでとうございます。
私から二人分お祝いさせてください」
彼女の隣にいるべき存在がいないことに、俺もククリも切なさを噛み締めた。
その後、二人で縁側で月を観ながら思い出話を語り合った。
キレイな月だった。
死なず月のようにバカでかくなく、遥か彼方から囁くような光を地に注ぐいつもの満月。
月光に照らされる彼女の横顔を見て、伝えるべきかどうか悩み続けてきた事について白状する決心をした。
「サンタモニアのホムンクルスの素材はモンスターや家畜の死骸っていうのは聞いたことがあるか?」
彼女は目を細めて首を縦に振った。
「初期は実際にその手法で作成していたらしいんだ。
だが、研究を経るうちにホムンクルスに成長による変化をもたらそうとすると、死んだ素材では限界があることが判明した。
さらにホムンクルスが人の形をしている以上、他の生物では素材に適しないって実証されてしまった」
俺はホムンクルスの生産工場を破壊する時、エステリアやフローシアの目を盗んで研究資料の一部を拝借していた。
国に持ち帰るためじゃない。
俺自身がクルスのことについて知りたかったからだ。
「ここまで言えば分かるよな。
イデアの部屋はホムンクルスの素材に人間を……しかも生きたまま人間をすり潰して使用していたとのことだ。
使われた人間は主に死刑囚。
政治犯や凶悪犯罪者がその素材にされていたんだ」
俺の言葉を聞いて彼女は口を押さえてえづき始めた。
無理もねえ。俺だって最初に読んだ時そうなった。
あのクルスがそんなエグい研究の果てに作られているだなんて知りたくもなかった。
だが、その残酷な事実を鑑みても俺たちは、クルスを知る者たちはそのことを知らなければならない。
そんな風に思ったのはイデアの部屋の研究者によって残された手記を読んだからだ。
俺はその内容を一言一句間違えずに諳んじる。
「今日、素材である政治犯の一人が裁断機に放り込まれる前に遺言を残した。
ほとんどの者が恐怖に錯乱していく中、彼は淡々とした語り口でそれを述べたので耳に焼き付いてしまった。
『ホムンクルスでもなんでも生まれ変わらせてくれるなら、今度は強い生き物になりたい。
守りたいと思う人を守れる力がほしい。
間違った世界を壊せる力がほしい。
ただそれだけを望む』
気になった私は彼の経歴を洗った。
彼は少年期に虐待を受けている妹を救うために父親を殺害。
その後逃亡し、スラム街でひっそりと生きていたが、圧政を行う領主に対して反旗を翻した市民を扇動した罪で投獄され、ここに送られてきたとのことだ。
彼のことを知れば知るほど、彼が人間であったという事実を認識させられ重くのしかかる。
現在、ホムンクルスに擬似的な心を持たせる研究が進められている。
私はそれに得も知れない恐怖を覚えている。
非業の死を遂げた人間の怨念というべきものが、我々が作るホムンクルスに宿ったとしたら。
彼らは本当に従順な下僕であり続けるだろうか?
人間を作るために人間を殺しつづける我々の凶行に報いを与える断罪者を、自らの手で生み出そうとしているのかもしれない」
……胸糞の悪い内容ではあるが、同時に何か因縁めいたものを感じた。
嬢ちゃんを守りたい一心で心も体もその規格から外れた存在となったクルス。
アカシアだかなんだかが描いた世界を否定し破壊したクルス。
人間の思いや魂というものが肉体が滅んでもこの世に残るのならば、その誕生は偶然ではなく必然であったのかもしれないと。
真っ青になっている彼女に謝って冷水を手渡してやった。
ちびちびとそれに口をつけて彼女は呟く。
「その生まれに忌まわしいいきさつがあったとしても……
生まれてきた命はすべて尊いものだって、私は思います」
揺らぐことのない強い意思を受け止め、
「そうだな」
と返事をした。
夜風が屋敷の庭に植えた木々をざわざわと揺らめかした。
その音に反応してか、息子が割れんばかりの泣き声を上げ始めた。
しばらくすると、ぐずる息子に乳を噛ませたままククリが縁側にやってきた。
「まったく、誰に似たんだ。
この泣き虫め」
俺は息子の赤い髪をそっと撫でる。
「俺には誰かを守るような生き方はできねえ。
より強い敵を斬るための力を求めて生き続けるだけだ。
戦争だの殺し合いだの、血なまぐさいことが蔓延るろくでもねえ世界でな」
息子の脇を掴んでククリから取り上げて、月に捧げるように高らかと持ち上げる。
ソーエンでは子供に武器にちなんだ名前をつけるのが一般的だ。
ブレイドは伝説の戦士の名前であり、刃を意味する。
ククリは湾曲した小刀を由来としている。
だが、俺は息子に武器の名前はつけなかった。
誰かを殺す武器よりも誰かの身を護る防具にまつわる名前の方がコイツを強くしてくれる、そんな気がしたからだ。
「それでもこの世界は悪くねえ。
だから生きろ、クロス」
クロスはキョトンとした顔で俺を見つめる。
その無垢な瞳に俺は死んだ友を重ねてしまい、思わず目が涙で滲んだ。