第88話 僕はこの世界のすべてを知るものの前に立つ
お待たせしました、投稿します。
ブレイドたちが戦っている部屋の扉から通路を更に進んだところに、これまでくぐり抜けてきた無機質な金属製の扉とは明らかに異なる様相の古びた木製の扉が現れた。
下品な趣味、と言って過言でないゴテゴテした彫り細工が誂えられた扉は牙の生えた獣の口を思わせ、普通の人間ならば入ることを躊躇するだろう。
「ここは私専用の研究室だ。
イデアの部屋の人間でもここに入ったのは片手で数えられるくらいだ。
まして部外者は君たちが初めてだよ」
「さっさと通せ。
お前も早く僕たちに自分の話をしたいんだろう」
余裕ぶった自信と軽い侮蔑混じりのカレルレンの話し口に時間的にも精神的にも余裕のない僕は苛立ちを隠せない。
そんな僕の様子もまた彼のお気に召したのだろうか、クスリと小さく笑って、仰々しい扉を開けた。
扉の向こうは真っ暗な、いや真っ黒な空間だった。
光が差していないはずなのに僕とカレルレン、フローシアの姿は影一つなく見える。
この場所が何なのか、フローシアに目で問うが彼女は黙って首を振る。
「【すべてを知るものよ、そのまぶたを開け給え】」
カレルレンの詠唱と共に真っ黒だった空間が白く塗り替わる。
僕の体は水の中にでも放り込まれたように足が床を離れ浮き上がる感覚に見舞われた。
さらに、長方形の窓のようなものが部屋、というより空間を覆い尽くすように無数に出現した。
その窓はイスカリオスの部下がファルカスとレクシーの様子を見張る時に使った魔術のように様々な景色や人や動物を映し出している。
「これは――」
「これは何なのか?
と、問われればこう答えるようにしている。
これは世界のすべてだ」
僕の言葉を遮り、カレルレンは誇らしげにそうのたまった。
他者の理解を求めようとしない比喩的な表現――
かに思われたが、フローシアは理解したようで僕の腕を離れ宙に浮かびカレルレンに向かって叫ぶ。
「すべてを知るものの目……いや、その端末か!?」
その反応がカレルレンにはたいそう心地よかったかのようで、
「さすがは不死の魔女!
その知識はまるで大海のごとし!
素晴らしい……
貴方に見限られたことをハイムが終生惜しんでいたことも納得だ。
嗚呼、貴方と巡り会えたこと、本当に嬉しく思う!
これからの人生の伴侶として共に歩みたいくらいだ!」
と自らの上機嫌を隠そうともせず、場に不似合いな軽口まで叩いてみせる。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【◆ミッチー】
『おいおい、こっちに分かるように説明しろ!
優男!』
【転生しても名無し】
『フローシアさん口説いてんじゃねえよ!
クソが!』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
妖精たちの怒りに同意。
もちろん、説明不足の方に限ってだが。
「アカシアの目とはなんだ?」
僕の問いにカレルレンは口元を緩める。
「この世界を構成、存在する場所、生き物、出来事を映し出す観測装置さ。
たとえば――」
カレルレンの手元に一枚の窓が引き寄せられる。
その窓に映るのは……イフェスティオ帝国の帝都だ。
鳥の目から見た景色のように上空から帝都全体を映し出している。
「これは約3年前の帝都。
君が生まれる前の様子だね。
アルメリア嬢も鬱屈とした毎日を送っていた頃だろうか?」
メリアの名前が出てきたことで僕の顔が熱くなる。
「何故、おまえがメリアのことを知っている!?」
「おお怖い。怒らないでくれたまえよ。
彼女も重要な観測点なのでね」
というと、帝都を映し出していた窓の絵が砂埃に覆われるようにして切り替わる。
映し出されたのは荒野。
草木も生えない不毛の大地を雷のうごめく曇天が覆っている。
そして荒野を横切る小さな点が見えた。
カレルレンが手をかざすとその点が拡大される。
窓に大写しになったのは走る少女の横顔だ。
歳は5歳位だろうか。
稲穂のような金色の髪は傷み、肌は泥で汚れ着ているものもボロボロでみすぼらしい。
血豆が潰れ、爪も全て剥がれ黒ずんだボロボロの足。
それでも自らの生をつかもうと前を見つめる青緑色の瞳……
僕は見覚えのないこの少女を見て直感的に悟る。
「メリア……メリアなのか!?」
「ご明察。生まれたときの名前もなくしてしまった少女が初めて自分の生と死を意識した日の光景だよ。
彼女はサンタモニアの商家の生まれでね。
もっとも、父親が強盗に殺され、母親も病で失った彼女の幼年期は平凡や安穏とは遠いものだったがね。
両親の死後、引き取られた家の主人も彼女に折檻を繰り返していた。
元の素材は悪くない、天性の華やかさと愛嬌もある可愛い娘だ。
だが、強欲で人の痛みを想像できない男が自分の支配下にあるそんな娘に求めるのは短絡的な欲求の解消だけだ」
絵が再び切り替わる。
少女時代のメリアがステッキを持った中年男に叩かれる光景。
そして、その様子を扉の隙間から見つめる小さな目。
「彼女……アルメリア嬢の運が良かったことは、彼女に対する所有欲を拗らせた人間が他にいたことだ。
主人の息子……彼女よりも5つ歳上の少年は心優しく、また両親を失った少女を憐れみ、本当の妹のようにかわいがっていた。
だから、自分の父親がやっていることもこれからやるであろうことも許せなかった。
自分の大切なものを傷つけ、壊し、奪おうとするものを排除しようとする。
最もプリミチブな闘争の動機さ」
絵が切り替わる。
メリアは返り血を浴びて震えている。
そしてその瞳には主人をナイフで刺し殺した少年の姿が映っていた。
少年は怯えるような、満たされたような、不思議な表情でメリアの瞳に映る自分の顔を見つめていた。
窓は青い光を帯びて、砂のように崩れて消えていった。
「どうだい。彼女自身も知らない彼女の記憶を覗いた気分は?
庇護欲がますます高まったんじゃないか?」
僕は剣を抜刀する。
だが、カレルレンは笑みを絶やさない。
フローシアは頭を掻きながら口を開く。
「悪趣味な解説はいらん。
カレルレンよ、貴様はこれで見たのじゃな?」
「ええ。見たのです。
あなた方が見たかった、これをね」
カレルレンの周りに複数の窓が集まってくる。
そこに映し出されたものを見て、僕の脳内で妖精たちが阿鼻叫喚の騒ぎになる。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【転生しても名無し】
『うわああああああっ!!』
【転生しても名無し】
『イヤあッ!』
【◆マリオ】
『先生の予想、またしても的中じゃんか……』
【◆野豚】
『過去……じゃなさそうだね・
撤去されていない千年祭のオブジェが見える』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
帝都が燃えている……
イフェスティオ山から吹き出した炎の洪水が街を洗い流すようにして建物を人を全てを火の海に変えていく。
その光景を複数の窓の絵を切り替えながらまざまざと見せつけるカレルレン。
「これは今から2日後の光景だ。
すべてを知るものの目は未来でさえ寸分の狂いなく正確に映し出す。
もっとも、見たい光景や時間を意図的に調整できるわけでないから、世界のすべてを見通すことができるわけではないがね」
僕は自分が震えていることに気づいた。
恐怖、怒り、絶望、様々な感情が胸をよぎる。
人間ではどうすることもできない自然の猛威によってすべてが焼かれてしまう。
帝都の街も、平和も、そこで暮らす民の暮らしと命も、僕の知っている人々も……メリアも……
「こんなもの……こんなものが見えるなら!
何故、それを伝えようとしない!!
お前が帝都にこのことを伝えれば何万という人が救われる!!
いや……それどころかこの力をうまく使えば魔王軍だって撃退できたはずだ!!
それなのになんで人を贄とするようなアセンション計画を実行する!?」
僕はカレルレンに向かって怒鳴る。
神の如き力を行使しようとせず、人々が滅ぶ姿を見て笑みを浮かべていられるこの男に果てしない怒りを覚えていた。
「人は一秒先の未来も知ることができない存在であるべきだ。
未来について無知であるからこそ人は希望を持ち、努力を行い、世界を動かしていくことができる。
すべてを知るものの苦痛を味わうのは私だけで十分だろう。
この諦観に耐えられる者だからこそ、運命は私をアカシアの御下に引き合わせたのだ」
……ふざけるな。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【転生しても名無し】
『ふざけんな!』
【転生しても名無し】
『なにが運命だ! ナルシスト死ね!』
【転生しても名無し】
『クソ迷惑なんですけど!
あと、嫁の過去を暴露するとかサイテー』
【転生しても名無し】
『結局テメエにとって出目が良かったから満足してるだけだろうが!』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
妖精たちも僕の意思に同調している。
そのせいだろうか、感情が高ぶって、
「ふざけるなぁぁっ!!」
僕はカレルレンに掴みかかり押し倒し、馬乗りになる。
こんな体勢でも余裕を崩さないその眉間に刃を突きつける。
「どうにかしろ!
どんな手段を使ってでもこの災厄を止めてくれ!!」
「言っただろう、アカシアの目が映すものは絶対……
未来であれ変えられはしない。
そもそも、火の神の怒りを鎮めるなど人の身でできるわけがない。
これが運命というものさ」
奥歯を噛み締め、剣を下ろそうとする衝動を食い止める。
「クルス! やめよ!
まだ神の通り道の在り場所も聞き出しておらん!」
フローシアの呼びかけで、ようやく頭が冷える。
「ああ、アレならばお客様の歓待をしているあの部屋の天井から行ける。
新型のホムンクルスも製造している工房から直接運び込んだのだからな。
古の魔術王ラインハルトの置き土産だよ。
伝承によると彼は盟友と愛妻そして我が子の家に通じる3つの通り道を残したという。
おかげでイフェスティオは我々にとって庭先のようなものだ。
先日、ベルグリンダもそこを通っていったのだよ」
僕たちの虚を突くように淡々と喋り出すカレルレン。
あの天井の上……
ならばすぐに引き返してそれを使えば、災厄の危険を帝都に伝えることができる――
「さて、今度はこちらから質問させてもらう」
ドン! と僕の胸に衝撃が走り、体が大きく宙に浮く。
突き、というよりも押すように放たれたカレルレンの拳。
ダメージはないが意外な膂力の強さに僕は驚いた。
服を払い悠然と起き上がるカレルレンは目を細めて僕を見やる。
「ホムンクルス……クルスと呼ばれていたな。
その名前は自分でつけたのか?」
いや、脳内の妖精がつけた……とは言い出せない。
▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽
【◆野豚】
『いいよいいよ、自分でつけたって言っておきな。
下手に説明してこんな奴の気を引くことはない』
【◆バース】
『せやせや。他人が付けたものでも名前は所詮自分のもんや』
【転生しても名無し】
『さすが、未来の大英雄と同じ名前をしてるだけのことはあるぜ』
【◆オジギソウ】
『この部屋に浮かんでいるディスプレイの中にはバースが映っているものもあるのかな?』
△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△
「……そうだ。僕が名付けた」
「ふむ……ハイムの想定からはかけ離れた行動だな。
まあ、そんなことはいい。
クルスよ。貴様は我らの被造物ホムンクルスだ。
貴様の髪の毛一本、人工血液の一滴まで設計通りに作られている。
そのはずなのだが……」
カレルレンは自らの眉間に人差し指を押し付けて離し、僕を指差す。
澄ました顔の仮面が剥がれ、怯えと好奇の混じったなんとも言えない表情をしている。
「貴様は……いったい何なのだ?」
読んでいただきありがとうございました。
しばらく、土日も慌ただしくなりそうなので書き溜まり次第平日も投稿していきます。
ペースは落とさぬようがんばります。
年内完結! 今度こそ有言実行したいです。
それにしても結末が近くなると、これまで以上に伏線回収とカタルシスの積み上げに慎重になっていくものですね。
今しばらくお付き合いよろしくおねがいします。