第八十幕 結界の歪み
「バーズ様。今お時間大丈夫でしょうか」
「まだ! まだ日取りは決まってないよ!」
「いえ、日取りではなくて……」
窓辺から西日が注ぎ込み、室内を温かく包んでくれている。
それを真正面から受け、少し眩しく目の前の人を見た。
前面にハイヤードの国花が彫られた重厚な執務机。
そこへ腰を落としているのは、私の父様でもありこの国の王でもあるバーズ様。
……のはずだが、その威厳は全く伝わって来ない。
なぜならご自分の耳を両手で塞ぎ、首を左右へと振られてしまったのだから。
動作の度に椅子がぎしりぎしりと揺れ、その激しさを物語る。
どうしてこうも拒絶されるのだろうか?
婚姻の承認の儀式って、そんなに面倒で難しいものだったかしら。
でも今回はその件ではない。全く違う事だ。
「あの~、婚姻の承認の儀式ではなく、ただ手紙について伺いたいのです」
「手紙?」
手を離すと、バーズ様はじっと私の方を見た。
「はい。私宛の手紙、混ざってませんか?」
うちでは手紙はラズリの元へ一端集められ、その秘書官が検閲する。
そしてバーズ様だったり、ラピス様だったり、ユリシアだったりと各人へと渡されるようになっていた。
なので、もし見られなくないような手紙は公式ルートではなく非公開ルートで直接届けられる。
「ラズリに聞いたらリクからの手紙は届いてないって言ってたんですけど、もしかしたら他の人達に混じったのかなぁと……」
「ちょっと待ってなさい」
バーズ様は書類や本と一緒に乱雑に並べられている場所から、積まれた手紙を手に取るとさっと確認してくれた。
どうやら無かったらしく、ゆっくりと首を振った。
「そうですか。お忙しい中、お時間を取らせて申し訳ございません」
そっか。やっぱり、来てないんだ。そうだよね、ラズリの秘書・ネイアは仕事で失敗なんてしないし。
ということは、やっぱり来ていないのか。
――リクの嘘つき。手紙くれるって言ったのに……
私が待ち望んでいるものは、リクの手紙だ。
私がいくら手紙を出そうと全く返って来ない。
ササラさん達からは届くけど、リクからだけ全くこないの。
忙しいのはわかるけど、こんなに数か月も放っておかれると不安になるじゃんか……
「シルク。実はのぅ……言いにくい事なのじゃが……」
バーズ様は私と目を合わせたかと思えば、今度はそそくさと外す。
そして今度はじっと机を見始めてしまった。
一体どうされたのだろうか、まさか神殿側が何か言ってきたとかかしら?
何を言われるのかわからず、私の心臓は忙しなく暴れている。
沈黙がそれをより加速させた。
「――やっぱり、わしには言えんっ!」
「えっ!? ちょっと待って下さい。そこまで言われたら気になります!」
執務机に両手を置き体を前面へと押し出しバーズ様へと近づいた瞬間、その弾みで山のように積まれていた書類が音を立てて床へと吸い込まれていく。
それを見て私は頭を抱えてしまう。
や、やってしまったわ……
すぐに書類を拾おうとしゃがみ込んだ所、紙や本、それから先ほど調べた手紙、それに新聞が広範囲に広がっていた。
遠くに飛んでしまった紙類は、「俺が」と言ってくれた騎士に任せ、私は手元の方を片付ける事にする。
だが、すぐに手が止まってしまった。
「なに、これ!」
それはその中にあった新聞。私が釘づけになったのは、その記事だ。
『リクイヤード王子、トルテ国王女と真剣交際か!?』
その一面の見出しに書かれていたのは、リクと知らない女性の記事。
内容は、女性関係でいろいろ噂があったリクが最近落ち着いていたのは、イザ国のアンナ王女を本気で愛していて、水面下で愛を育んでいたためだというもの。
勿論記事はいくらでも偽装できる。だが、今回はきっちりと写真付き。
抱き合っているんですけどっ!
「浮気は許さないって、これは何!? なんで顔近づけて抱き合っているわけぇ!?
人には触れさせるなって言うくせに!」
「み、見ちゃった……?」
「どうして私に教えて下さらなかったのですか?」
「わしも別に馬の骨庇おうとかそういう気持ちさらさらないよ。じゃが、先日の食堂でのあの鬼畜
シスコンの発言を考えるとちょっとさ……」
これが本当だから、私に手紙が来ないの?
私って捨てられちゃったの?
ああっ! 今すぐギルアに行って確かめたい!
*
*
*
リクの事が気になるけど、さすがに急に私が出国するのはいろいろと難しい。
それは主に警護の問題だ。
神殿の目があるハイヤードでは、私が城から出る事すら容易くはない。
必ず外出するときは、数日前よりシド達が警護の相談をし警備配置などを決めてくれている。
だからさすがに今すぐ確かめに行きたいとはいかない。
それに、ラズリとハイヤードにいる約束しているし。
「ねぇ、ユリシア。アンナ王女ってどんな人か知っている?」
だからとりあえず私は相手の情報収集をすることにし、ユリシアを誘って温室でお茶会をしている。
うちの温室は円球状のガラス張りの作りで、中の植物は殆どがバーズ様の研究用の植物なため、あまり見たことのないような種類の花々が堪能できるようになっていた。
毒性もなく比較的育てやすい植物ばかりおいているため、安全なのでこうして私達も入室を許可されているの。
研究室の温室も綺麗な花があるんだけど、それはバーズ様や有資格者が居ないと入室してみる事が出来ないのよね。
「アンナ王女とは、トルテ国の王女の事でしょうか?」
「うん。知ってる?」
「そうですわねぇ……」
と、ユリシアは頬に手を添え少し考え始めた。
しかしユリシアは可愛いから何しても絵になる。
ふんわりと広がる亜麻色の髪に、小動物のような輝く瞳。
ぷっくりと膨らんだ秋桜色の唇。
甘い砂糖菓子が似合うような女の子なため、ラズリと並ぶと美男美女だ。
「数回しかお会いした事がありませんが、凛として綺麗な女性ですわ。知的で頭の回転が速く、こちらの話を聞きつつ新しい話題もタイミングよく振って下さります。そのような方ですから、老若男女問わずに好かれておりますわ」
聞かなければ良かったって思った。
先ほど飲み込んだ紅茶が急に苦みに代わり私の中に居座り、うっとおしい。
「アンナ王女がどうされました?」
「ううん、なんでも――」
突然言葉が出なくなった。言葉に代わりにひゅっと空気が漏れる。
ぐっと喉元を抑え込まれたように、首元が苦しくなり、私は手からティーカップがすり抜け、床とぶつかり合い音を立てた。
「お姉様っ!?」
「姫様っ!?」
今度はキーンと耳鳴りがし、空気が肌を刺すぐらいに冷えている。
崩れかけた私をユリシアや騎士達が支えてくれているけど、その感覚すらない。
――……これは、結界の歪みだわ。
気持ち悪い。まるで深い闇に引きずりこまれるよう。
世界と分断されるような恐怖感。
誰かが結界を壊そうとしてる。
ハイヤードには幾重にも結界が張られている。それは神殿だったり城廻だったり。
その一部が何者かに壊されようとしているらしく、他の結界と干渉を起こしていた。
そのため空間が歪み、精霊の血が流れる私にも影響が起こっている。
恐らくユリシア達が何ともないなら、精霊関係の結界。
口元を抑え、歪みの元を探るように辺りへ視線を向ける。
すると西の方の空が雨雲がかかったかのようにどんよりと濁っていた。