第七十三幕 お前だけの結婚式じゃない
えーと、タオルが五枚不足。それからシーツ数は問題なし。あとは……――
洗濯石鹸のいい香りが部屋に充満している中、私は前後を棚に挟まれそこへ収納されている在庫を一つ一つ確認していた。
これは定期的なリネン室の点検。
ある一定の量を常に確保しそれを下まわってしまったら補充したり、新しい品物と交換したり。
これを怠ると急な来客にもすぐに対応出来ないのだ。
「よし、これで点検終了っと~」
リネン室の扉側の壁に掛けられている黒板に、今現在の枚数と交換した品物と枚数を書き自分の名前と日付を記入。
後は不足分をメモして洗濯担当者に連絡し在庫を受け取り補充。
それで本日のリネン室の管理は終了。
――さてと、今何時かしら?
と、エプロンのポケットから時計を取り出し時刻を確認すれば、午後一時半。
後、三十分か……洗濯担当者にメモを渡しに行って、キキ様の元へ向かうには十分間に合うわ。
二時からドレスデザイナーのキキ様がいらっしゃる予定なの。
ウェディングドレスのデザイン画が数点出来たから、その打ち合わせのためだ。
シフト入っているんだけど、メイド長が「打ち合わせに出席しなさい」とおっしゃって下さったので
そのご厚意に甘える事にしたの。
「しかし、結婚式かぁ」
少し前の自分には考えられなかったわ……
まさか私が結婚なんて。しかもリクとだよ?
あんなに第一印象最悪だったのに。
最初は私の身を守ってくれるための契約的な結婚だったんだけど不思議だ。
――でもなんか幸せ。大好きな誰かと共に一緒に生きていくって事って。
私が踏み入れるには怖くて怖くて仕方なかった世界だったけど、いざ飛び込んでみれば温かかった。
あの甘ったるい台詞にはまだ慣れないし、自分の気持ちが素直に言えない時もあるけど。
でもこれから徐々にで良い。これからずっとリクと一緒にいれるもん。
そんな事を考えていたせいか、堪らず顔がふやけきってしまう。
こういうのが幸せボケっていうのかしら?
「お前、なんだか随分と幸せそうだな?」
「うん」
「何を考えていたんだ?」
「ん? リクのこと……――って、ええっ!?」
慌てて口を両手で押さえるけど、案の定無意味。
人に聞かれた上に、聞かれた相手がマズイ。
やばい。さっきの声って――
おそるおそるその声がした方向を見れば、やっぱり一番聞かれたくない人物だった。
そのため「きゃあああ」と自分でも塞ぎたくなるぐらいの悲鳴を上げてしまう。
それはそうだ。だってリクがリネン室と廊下を繋ぐ扉を背に、腕を組んで立っていたんだもん。
「俺との事?」
ぴくりと器用に方眉だけ動かし、リクはこちらに足を一歩進めた。
「違う。違います。断じて違います」
私はすぐさま首を左右に振り、リクの横を通り外へと出ようとした。
だけどそうやすやすと彼は通してくれるはずも無く、二の腕を掴まれ体を回転させられて、すぐにリクの胸の中へと捕獲。
「へー。お前は俺の事を考えるとあんな表情を浮かべるのか」
「リクの事じゃないもん……」
「いや、はっきりと俺はこの耳で聞いたぞ。なぁ、どんな事を想像してたんだ? あんなに顔を緩めて」
リクはにやりと意地の悪い笑みを浮かべると、私の耳元にその端正な顔を近づけクスクスと笑っている。
それはほんの少しどちらかが動けば触れ合う距離。
耳たぶに振りかかる吐息に、きゅっと目を閉じた。
「おっ、お仕事中っ! こういうの禁止って言ったでしょ!」
「あぁ、その件なら心配するな。メイド長から伝言を預かってきたぞ。お前はもう上がって言いそうだ」
「えっ? なんで?」
そんな話聞いてないんだけど。もしかして何か急なシフト変更でも……?と、顔を上げリクを見上げた瞬間、唇に違和感を感じた。それはほんの数秒だけ。
でもすぐに何が起こったのか理解できた。それはリクの満面の笑みを見るまでもなく。
「ま、また不意にするっ!!」
「お前、相変わらず隙だらけだな」
「また私のせい!?」
「そんなことは後だ。キキが予定より早く到着した。後の予定は打ち合わせが終わってからに伝える。
とにかく行くぞ」
「そうだね。お待たせしてはいけないわ」
途中メモを洗濯係に渡しに寄って、すぐに応接室へと向かわなくちゃ!
リクの拘束が解けたので彼の横を通り過ぎようとしたら、またまたリクに動きを止められてしまう。
今度は手の平を掴まれたのだ。
そのため扉を開け足を一歩踏み出している最中という、なんとも中途半端な格好で止まる事になった。
「何?」
首を斜め後ろに向け、リクを見た。
するとリクは眉間にぐっと皺を寄せ、ちょっとだけ不機嫌な様子を見せている。
「お前まさか一人で行くつもりか?」
「え? そうだけど」
他に誰と行くの? ササラさん?
たぶん、キキさんいらっしゃる時間聞かれたから来ると思うけど……
「そうだけどじゃないだろうが!! 俺も一緒に行くに決まっているだろ!!」
「なんで?」
「はぁ? なんでだと!?」
リクは裏がった声を上げると、空いている手で頭を抱えた。
「いいか、結婚式だぞ。結婚式」
「うん」
「結婚式はお前だけのものか? 違うだろ。二人のだろうが。それともあれか? お前は俺に打ち合わせに一緒に行って欲しくないのか?」
「そういうわけじゃないよ! リクお仕事忙しいんじゃないの……?」
だから一人で行こうと思ったから、リクには言わなかった。
だって私のせいでリクの貴重な時間とらせたら悪いもん。
打ち合わせ長くなるし……
「時間は作る。そのために俺のスケジュール管理等の秘書的業務を請け負っているスウイがいるんだ。
あいつに仕事させてやれ」
「でも……」
「でもじゃない。たまには我儘言えよ。お前は言わな過ぎる。俺が叶えられるものは全て叶えてやるぞ?」
「一緒に入れるだけでいいから大丈夫だよ」
「お前、どうせ自覚ないんだろうけど……それは……な」
リクは小さな呟きを何か囁きつつ俯くと、深い深いため息を吐き出したまま動かなくなってしまった。
覗かせた耳を林檎のように染めて。