第七十一幕 俺の至極の華
「え? リクイヤード様、カシノとお会いになられた事ないのですか?」
リクの発言を聞いて、思わずぽろりと口から漏れた。
いや、だってそんなのおかしいって思わない?
もちろん、一度も会わずに互いに婚約というケースは希にあるわ。
でもリクはラッシュアド城に滞在中。
という事はいくらでも会える機会なんてあるもの。それに婚約だってある種の外交だ。
相手国の主要人物が来ているというのに会わずに済むような状況になるかしら?
そんな私の発言になぜか、カシノを介抱していた人達の視線が泳いだ。
皆、急に顔色が冴えなくなっている。
むしろカシノよりこちらの方たちにこそ介抱がいるみたい。
しかも「あ、その……」「それは……」と、皆口々に言葉を濁しながら何かを話そうとしているんだけど、なかなか言葉が出て来ないようだ。そのため途中で彼らは放棄した。
「どうやって会えと言うんだ? 俺が訪ねて来ていると聞かされても研究施設から出て来なかったんだぞ。だがそれは構わない。今回は俺からの頼みだからな。だがしかしこんな前代未聞な事初体験だ。十分理解していると思うが、これ他国の奴らだったら大事だぞ?」
「それはまことに申し訳ありません。うちの姫様は『ラッシュアドの頭脳』という名の通り、常に研究熱心でして……ですがこのたびやっと顔合わせが無事に出来ました。中身は変わってますが、外側はこのように時を忘れてしまうような美しさ。このような類い希なる外見なので、中身の粗は相殺されるかと。いかがでしょうか?」
「たしかに美しいな」
リクがカシノを見つめ、そう感嘆の息を漏らす。
そのリクの反応を目にし、カシノを介抱していた人達は小さくガッツポーズを決め、ここぞとカシノを称える言葉を口にし始めている。そしてカシノはというと、それを聞き眉を顰めていた。
やっぱそうだよね……
カシノは綺麗だもん。リクだってそんな反応するよ……
本人があまり外に出ないために、肌は白くきめ細やか。
髪は緩やかなウェーブを描く艶があり、大きな瞳は水晶のような輝きを放っている。
輪郭から鼻など全てが完成されたパーツが組み合わさっているよう。
初めてカシノを見た時、あまりの完璧さに人形が動いていると思ったぐらいだ。
しかも通り名のまま、その発明で国を根本から支え利益を生み出している。
想像も出来ない発想、それに図書館を丸ごと頭脳に収めているような知識をも有しているし。
カシノは才色兼備。誰だって見惚れてしまうに決まっている。リクだって例外じゃない――
これ以上リクの瞳にカシノを映し出しているのが嫌で、俯こうとした時だった。
「リノア」とリクに名を呼ばれたのは。
そのため私はリクの方を見なければならなくなってしまう。
私の視線と合わさった海色の瞳が体に絡みつく。
「たしかにカシノ姫は美しい。女神のようだ。そうは思わないか?」
「なっ……」
なんでそんな事私に聞くの!? 私、数刻前にリクの事好きだって言ったばかりなのにっ!!
思わずそう口にでそうになったのを飲み込み、私は冷静さを保つそぶりを見せながら答えた。
「はい。とてもお綺麗で、まるで精密に作成された人形のような美しさを持ってます」
自分で言っておいてなんだが、口調が堅かったと思う。
無理やり笑顔を張りつけたのが精いっぱいなのに、明るめの声音でなんて言えるはずがない。
そんな余裕どこにもあるっていうの!?
堪らずにリクを睨めば、そんな私を見て満足そうに笑った。
その表情がこの世で一番憎らしかった。
大嫌いって言って、この場を去りたいぐらいに。
でもそれが出来ないのは、メイドとしても仕事に対するものが残っているから。
だから私はこの場にいる。
たとえ好きな人が自分以外に見惚れ、その上好意を寄せている私にそんな事を尋ねたとしても。
「――だが、俺の心を動かす華ほどではない。俺の華は甘美で中毒性を持っているからな」
そんなリクの台詞に、「まぁ」と声を上げカシノは目尻を下げた。
「その華は貴方の愛を受けているのかしら? 貴方が一方的ならば、華は枯れるわ」
「まさか。さっき見ただろ? あの表情。俺の事を思って心が揺れたり嫉妬する。こんなに心踊らせることがあるか? 可愛いだろ、俺の至極の華」
「それは良かった。私もその華が大好きですの。華が枯れることなく自由に咲き続ける事を望みますわ」
カシノはそう言って微笑むと立ちあがり、リクへと手を差し出した。
「――改めまして、カシノと申しますわ。ようこそラッシュアドへ。歓迎いたします」
*
*
*
なんだか酷く落ち着かないわ……
私はそわそわと定まらない心のように、室内をただ歩き回っていた。
白を基調としたこの部屋は、ラッシュアドのゲストルームであり、リクが滞在中に借りている部屋だ。
どこの城のゲストルームも一緒らしく、ここもベッドや机、ソファなどの家具が置かれている。
ただやはりカラクリの国というだけあって、鉄などの鉱物を使用しているの。
だから木の温もりというよりは、シンプルかつデザイン性に優れているといった感じかしら。
たとえばテーブルも鉄製なんだけど、色飴のようにカラフルなガラスをはめ込んでいる。
「遅いわ……やっぱり、そんな簡単に婚約なんて破棄できないのかもしれない……」
あの後リクとカシノは家臣達を引き連れ、会談へ。
私はメイドなため、入室出来ずにこうして部屋で待機。
少し落ち着くために、お茶でも頂こうかしら?
そう思いお湯を貰いに行こうとした時だった。
外がなんだか騒がしくなったのは。
それを確かめようと扉へと向かいかければ、ものすごい勢いで扉が開いてしまった。
「あいつは一体何がしたいんだ!?」
「は?」
突如とし現れたリクは、そう怒鳴ると足音を響かせ入室してきた。
どうやら彼はすこぶる機嫌が悪いらしい。
苛々しているのか、ぐっと眉間に皺が寄り口がへの字だ。
その後ろにはロイを初めとする騎士達の姿が。
みんなそんなリクに対し眉を下げ困惑を隠せないまま、一緒に部屋へ足を進めようとしたが、
リクがそれを手で制止。
「いい。下がれ。一時間後に来い」
リクは騎士達を一瞥する事無く、手で払うと扉を閉めた。
「やっぱり破棄出来なかった……?」
「……いや。それは多少は揉めたが問題ない。こちらにはその旨を記した契約書があるし、切り札も持ち合わせているからな」
「なら一体どうしたの?」
その機嫌の悪さ。
「あの蜂蜜王子が乱入してきたんだ! 収まり掛けたのにあいつが来たせいで煩いし、ややこしくさせるし」
リクはそう言うとソファへと向かい、そのまま倒れるようにして座り混んだ。
そして前髪をくしゃりとかき上げ、深く長い溜息を吐き出すとこちらを見た。
「疲れた。癒せ」
「ならお茶持ってくるね」
「お茶は後でいい。こっちに来い」
「あ、うん」
私は返事をすると、リクの元へと動く。
この時の私は肩でも揉んで貰いたいのかなぁという軽い気持ちだった。
だがそれが間違いだった事を数秒後に身を持って味わう事となる。