第六十九幕 引き金
『ナゼアナタサマガ……?』
そう紡がれた言葉。
片言ながら鈴を鳴らしたように軽やかな音色なのに、私にとっては悪魔が奏でる地獄からの旋律にしか聞こえない。
それは私の血を凍らせ、体全体の動作を止めるのを簡単にやってのけてしまう。
見えない恐怖が真綿で首を絞めるように着実に私の心を苦しめられ、私は呼吸が浅くなっていく。
砂漠の民は独自の信仰があるため、精霊信仰派ではないはず。
それなのになぜ私の事を知っているの――?
もちろん、精霊信仰派でなくても私の事を知っているかもしれない。
でもそれは「そう言われれば、そういう存在がいるなぁ」程度の認識なはずであり比較的扱いが軽い。
だから私はこうして町に出る事ができるのだ。
この人達はどっち? 敵か味方か。それとも――
警戒心が高まり、私はすぐにナイフが抜き出せるように位置を確かめる。
私は何が起きてもいいように常に太もも等に数種類の武器を仕込ませているので、条件反射敵におこなってしまう習性だ。
「なんだお前ら不躾に」
「あっ……」
バサリと頭上よりかけられた何かにより私の視界は突如として真っ暗に。
そしてすぐ近くに人の気配を感じた。
それは数人ほどのモノで、敵意などは全く感じられない。
もぞもぞと布をどかせ顔を出せば、ロイを始めとするギルアの騎士が私を囲むようにしている。
そしてその彼らの先頭――私の前には腕を組んで砂漠の民の二人を見据えているリクの姿が。
「あの、俺ら別に怪しい者じゃ……見たとおり、但の踊り子と楽器演奏者なんで」
「警戒させてしまった事、及び不作法だった事を謝罪致します。申し訳ありませんでした」
舞姫は頭を下げる。が、隣の人物が同じようにしなかったので、無理矢理下げさせ始めた。
「イデデ……」という男の悲鳴が耳に届くが、その人は顔色一つ変えない。
「とある城にて貴方様とそっくりの肖像がを拝見した事があるので、それでつい口に出てしまったんです」
「あったの……?」
「えぇ」
舞姫が微笑んだ。
それを見て、私はなんとも言えない感情が泉のようにわき起こった。
――新しいの飾ってくれてたんだ。
「私達は踊りや歌で世界中を旅しております。時折、城にて舞を披露させて頂く事もあるのですが、
その時に自然豊かなとある国に呼ばれまして……その時、廊下にて王族が並ぶ肖像画を拝見させて
頂いたのです。その中に貴方様にそっくりな姫様の姿が」
「……そっか」
ハイヤード城には歴代の国王様達の肖像がの他に、王族達の肖像がを飾ってある。
私の姿が描かれている絵画は、全て幽閉時期に燃やされていた。
絵だけではない。部屋も荷物も何もかもが全て処分されている。
まるで私の存在自体を消すように。私は王族ではない――バーズ様達と家族ではないように。
「なんでも王子殿下が直々に画かれたそうですよ。まるで血が通い、呼吸でもし始めるかのようでした。
とても素晴らしく姫様に対しての愛が溢れる絵でしたわ。本当にいろいろと多岐に渡り才溢れる方です」
王子殿下ということは、もしかしてラズリが描いてくれたのかな?
絵が上手かったという記憶がないんだけど……
幽閉されその後アカデミー入学。そのためあまり一緒にいる時間がなかったから、わからなかっただけかもしれない。
それにしてもラズリは本当に多才ね。
「おい、ロイどうした?」
「え?」
ふとその声に視線を後方に居たロイに向ければ、両腕で自分を抱きしめブルブルと震えていた。
顔色が酷く悪い。
あれ? なんだかこの状況何度か前にも目にした事が……
「た、容易く想像が。絶対に、あいつが肖像画に話しかけたりしているって。
しかも壁にかけるぐらいに大きな肖像画があるならば小さい肖像画もあるはずだ。
あぁ、しかもそれをテーブルに置いてお茶会等という異常な光景が目に浮かぶ……」
「何を言っているんだ? お前」
「怖い。怖すぎる……」
「怖いのはお前だろ。何か乗り移っているのか?」
ロイの異変に、私は回りの騎士同様に眉を顰めた。
「奇遇だな。俺のリノアにも重度の病的と言っていいほどもシスコン弟がいるんだが、
リノアにも俺という男が出来たのでそろそろ姉離れして貰わないとならない所だったんだ。
だからその王子殿下とやらも、その粘着質な愛情を違う場所へと移すのを強く進めるぞ。
お前達はその王子殿下と懇意にしているようなので伝えてくれないか?」
リクはやたら『王子殿下』という言葉を強調して言っている。
でも一つだけ訂正させて欲しいんだけど、ラズリはシスコンじゃないと思うけど?
「その機会があったらお伝え致します」
「近々あるだろ」
リクは口角を上げ彼女達を見た。それは挑むような鋭い目で。
そのためその場を張り詰めた空気が覆い私は困惑した。
だがそれもすぐに破られる。それは男の軽い口調によって。
「いやー、たしかにまたあちらには巡業にはいきたいですねー。食べ物が上手いし。
今度会ったらお伝えしますよ。それはそうとお二人はそういうご関係ということでオッケーっすか?」
「あぁ、指輪に誓い合った仲だ」
そう言ってリクは薬指の指輪を舞姫達に見せると、彼女達は視線を私へと移してきた。
だが彼女達の視線は私とは絡むことがない。
何処見ているのかなと思いその視線を追えば、それは私の薬指へと注がれている。
それがなんだか気恥ずかしくて、顔が火照ってきた。
「なんだお前、顔真っ赤。照れてるのか?」
リクはそう言うと喉で笑いをかみ殺しながら私の頬を撫でてくる。
「リ、リクっ!!」
「照れるお前も、怒るお前も全て可愛いな。可愛すぎて他人に見せたくない」
「やめてーっ! だからハードル上げないでよ!」
「上げてないって何度言えばわかるんだ? リノアの心も体も全てが愛しい。存在自体が愛でるべきだ。
少しはそれを理解しろ。お前は自分を卑下に見ている所がある。何故自分でそんなに自分の価値を下げるんだ? お前は愛されていいんだ。だから俺の愛を素直に受け入れろ。理解出来ないならまだ徐々にと思ったが、なんなら体で教えるぞ?」
「か、体っ!? そ、そういうのはまだ駄目っ!!」
「まだか。ならその時を期待して待つか」
思わず呼吸をするのを忘れてしまった。
一体この男は急に何を言っているのっ!?
あたふたと慌てる私をよそに、リクは何が面白いのか腕を組んで笑っている。
「おい、お嬢さん達大丈夫か? なんだか、顔色がロイのようになっているんだが」
騎士の一人があげたその声に、リクの笑いと私のパニックがぴたりと同時にとまった。
視線を向ければ、舞姫もその相方さんも顔色が酷くすぐれない。
「いえ、お気になさらず……」
「あぁ、これはそのな……死神に鎌を首元に当てられている幻影が見えるだけというか……」
二人ともこの世の終わりのような表情をしている。
「俺とリノアに祝福の舞をとても思ったが、その様子では無理そうだな」
「申し訳ありません」
「いや、構わない。道中何かとトラブルがつき物だろうから。それはこれから先だってそうだろう。
次の目的地まで無事たどりつけるよう、その身を大切にな」
リクは私の肩を抱きながら、舞姫達を気遣った。
へー。リクってそういう気遣い出来るんだ。
なんだか以外。
……なんて私は楽観的に考えていた。
まさか、これが引き金になるなんて知らなかったから。