第六十三幕 姫君、蜂蜜王子とやけ酒を共に
一番奥のボックス席。ここだけまるで洞窟。
じめじめと苔が生えてきそうだし、周りとは隔離された閉鎖的で暗い空間。
そんな空気を読んでか、ついさっき燭台の蝋燭が消えてしまった。
そのため他の照明から漏れる明かりだけがこの一番端のテーブルに降り注いでいる。
そんな微妙な場所に私とロイはいた。
もちろんそんな空気を醸し出している元凶の男――ゼンダ王子も共に。
彼は私とロイの反対側の席に座っている。
「――……じゃあ、カシノの婚約を知って飲んだくれてたわけ?」
「そうだよ。悪いか。どうせ俺はカシノを奪う事はおろか、自分の気持ちを伝える事すらできない臆病者だ。こうして酒を浴びるようにして飲んで逃げるだけのヘタレだよ」
キャラメル色の瞳を細めるとゼンダ王子は私を人睨みし、空になったグラスへと酒瓶を傾けた。
その注ぎ混まれた血のような色のワインが、波打つ間もなく男の口元へと流し込まれていく。
まるで数日水分を取ってないかのような勢いだ。
そんな風にして飲めば、真っ白な襟元等に液体が飛びしみ出すのは当然。
ちょっと!! ワインの染み抜きって面倒なのに!!
と、つい仕事目線で見てしまうのは職業病なのかもしれない。
「飲み過ぎじゃないか?」
「俺の事なんて放っておけ!どうせ俺なんて差しあたって目立たないしな。見て見ろよ?
こんな所に王子がいるのに誰も気づかないんだぞ。どうせ俺は容姿も中身も人生も平凡」
「それはゼンダ王子が町中まで気さくに足を伸ばしているからだろ。ここも常連みたいだし。
いいじゃないか。民の生活を近くで見れるし、親近感がある王子で」
ロイがそうフォローを入れるが、むしろ悪化。
「どうせ俺は庶民的な王子だよ!!」とますますやさぐれてしまってる。
「平凡で何が悪いの? 命狙われたりして波瀾万丈な人生よりいいじゃない」
相手は王子様なので言葉遣いなど気を付けなきゃならないはずなんだけど、カシノを通じて
知り合った時に、カシノと同じように接して欲しいと言われた。
そのため今のように私もロイも口調が砕けているの。
「いいわけないだろうが。あの研究一筋のカシノが結婚だぞっ!? しかも今まで
俺の事を密かに応援してくれていた連中も、あのギルアに掌を返したようにあっちについて……
俺はどうせ空気だよ。いや、空気以下だ」
「空気以下って……空気は大事でじゃん」
どうやら彼はカシノの結婚を知り、飲んだくれているらしい。
ゼンダ王子はカシノの事が好きで、頻繁にラッシュアド国へと訪れるの。
ラッシュアド国とマカデ国は同盟国同士。
しかも王宮の皆がみんなが、ゼンダ王子の片思いを知っているというダダ漏れ状態。
むしろ研究しか興味がないカシノが興味を持ってくれればと期待しているので、
ゼンダ王子に関しては歓迎していた。
……リクとの婚約が持ち上がる前までは。
きっと今回もこっそりカシノを見に行って話を聞いてしまったのだろう。
それで今話したように、あちらの見方がリク側についたと。
なんせ、相手は大国の王子だから。
「なんでよりにもよってあの女好きな王子なんだっ!? しかもカシノまで乗り気だし」
「えっ? カシノ乗り気なのっ!?」
私はテーブルに身を乗り出してゼンダ王子を問いだ出した。
もしかして、あの夢って正夢なのかしら……
「お前も驚くよな? あのカシノが了承したんだもんな。やっぱり顔か? 財力か?
どうせ俺はその全部がないよ。俺に良い所なんてないからな」
「蜂蜜があるじゃん。養蜂」
「蜂蜜は俺が作ってるんじゃない。蜂達だろうが!!俺はその蜂達以下だ。蜂達は蜂蜜を作るが、俺は何もない」
「なんでそんなに自虐的なの……?」
「でもな、本当はわかっているんだ。俺なんかよりも、リクイヤード王子の方が優れているって。
カシノの研究には膨大な金がかかる。ギルアならそれを援助する資金もあるしな。
この結婚は、双方の国によって利益を生み出す。それにリクイヤード王子は容姿も優れているから、カシノとも釣り合う。カシノは女神が跪くぐらいに綺麗だからな」
「だよね……」
なんだろ。だんだんとゼンダ王子から負の力が移ってきたようだ。
そんな事わかっていた上で来たのに、「私、何しに来たんだろう?」って思ってしまっている。
このままリクに会わずに帰った方がいいのかも。
ラッシュアド国もカシノも乗り気みたいだし……
リクに会いに行って、「何しに来たんだ?」って言われたら怖い。
だって傍から見たらなんかリクとカシノの仲を邪魔しに来たみたいだし。
「――すみません。私もワイン下さい」
私は底なし沼に沈みそうな思考から逃げるため、店員さんを呼んだ。