第六十二幕 飲んだくれの青年
ふわりと肌を撫でる感覚にゆっくりと瞼を開けると、そこには真っ白空間が無限に広がっていた。
体の左半分だけに冷たく硬い感触があり、自分が横向きに体を寝かせている事がわかる。
その床も見降ろせば、同じように雪のような色。
この世界の唯一の色は自分だけ。
肌、髪……この世界と同色のワンピースに身を包んでいるだけの私だけだ。
ゆっくりと体を起こし、辺りを見回すけど自分以外は誰も見当たらない。それが不思議であり、不気味だ。
「ここは何処?」
どうしてここにいるのかが理解できない。
私、何をしていたっけ? 考えても答えなんて出ない。
「誰かいませんか?」
尋ねた私に対し返事代わりに背後に急に人の気配を感じた。
誰? そう振り返ろうとした瞬間、耳に声が届いてくる。
「――愛してる」
甘い艶を含んだその囁き。
いつもの人の仕事お構いなしで呼びつける暴君時と違い、優しさに包まれる音。
リクは時々顔を緩ませ、私を抱きかかえると耳元で告げる台詞。
でも今はそれが遠く感じる。
「リク……?」
振り向けば、リクが居たけれども一人ではなかった。
赤いベルベッド調のソファに座る彼のその膝の上には、胸に顔をうずめるようにしている女性の後ろ姿。
彼女も私と同じようにこの空間と同色の衣服。
ただし、彼女はいつものように白衣を見に纏っている。
その衣服に流れるようにかかるのは、緩やかなウェーブがかかったダークブラウンの髪。
「俺にはお前さえいればいい」
それを大事そうに胸にしまっている彼女の髪へキスを一つ落とし、リクは満足そうに笑った。
その表情は近くで良く見た事がある。
だっていつも私に対してそうだったから――
「カシノの事が好きなの?」
零れた私の言葉を拾ったのは、その白衣の女性だった。
カシノは顔を上げゆっくりとこちらを何の熱もこもっていない瞳で見つめてくる。
リクは私の姿や声が見えてないのか、なんの反応もしめしていない。
ただ変わらずに唇や手によってカシノへと熱を分け与えている。
「カシノ」
リクに名を呼ばれた彼女は、私の方から当然のようにリクへと顔を向け目を閉じた。
宝石でも触れるように柔らかくカシノの顎へと手を添え少し上向きにさせると、リクはそこへ自分の唇を――
「最低っ。私の事が好きだって言ったくせに!! リクの浮気者っ!!」
目の前で広げられた自分の好きな人と友達の蜜月。
頭では納得していたはずだった。
二人が相思相愛ならばいいと。
それなのにこれだ。
感情的に叫ばずにはいられないなんて。
「――おい!リノアっ!!」
「え?」
名前と共に強く体が揺れ、白の世界は卵の殻のようにあっけなくひび割れ崩壊。
一転、眩しい光と共に私の視界にロイの顔がアップで写し出された。
「あれ?」
なんとも間の抜けた声。
目を慣らすためぱちぱちと何度か瞬きすれば、ロイ越しに暖炉や棚が見えた。
どうやらここは何処かの部屋らしい。
「大丈夫か? うなされてたぞ?」
「あー……」
だんだんと状況が飲み込めてきたわ。
そうだった。
私、リクを追うためにラッシュアドに向けて旅に出たんだっけ。
一人で行くつもりだったんだけど、みんなに止められロイを護衛として一緒に来て貰ったんだわ。
久しぶりの長旅で疲れたけど、あまり休憩もせず最短距離でラッシュアドの隣国までやってきた。
精霊信仰国は通れないから、それとは関係ない国のルートを選んで。
そしてやっとここまでたどり着いた。マカデ小国に。
ここから目的地のラッシュアドまではほんとうに目と鼻の先。隣国ってわけではないけど、近い。
半日ほど馬車を休まずに走らせれば間に合うぐらいなの。
でもそうすると着くのが真夜中になってしまうため、私達は今日はここで宿を取る事にしたんだ。
ちょうど空いている部屋が一つしかなく、私はすぐにここへ決めた。
だけどロイがかなり渋って……
理由は簡単。ベッドがダブルベッドだから。
でも部屋に入りソファがある事がわかると、安堵の息を漏らしていたっけ。
ベッドは私に譲りソファで寝る事にしたみたい。
シドとも一緒に寝ているし、ロイは何もしないから一緒に寝ても大丈夫でしょ?
って言ったんだけど、「そんな事をしたら俺の首が飛ぶし、某国の鬼畜に狙われる」と顔を土色にさせ首を横に振りまくっていた。
旅で体が疲れていると思ったんだけど、そんなに拒絶されるなんて……
「悪い夢でも見てたのか?」
ロイがグラスに入った水を私に差し出しながら尋ねてきたので、私は頷きながらそれを受け取ると一気に口の中へと流し込んだ。
どうやら思いの外喉が砂漠状態だったらしく、すっと体の細胞へと染み渡るように吸い込まれていく。
「はぁ。おいしい。ありがとう」
「碌に休憩とらなかったから疲れているのかもしれないな」
「たぶんね」
「どうする? そろそろ食事の時間だが……寝起きに飯はキツイよな?」
「平気。行こう」
私はベッドから降りるとストールを羽織った。
夕刻だからか、それともこちらの気候なのか肌寒い。
アルコールでも取って体を温めようかしら?
*
*
*
「あれ?」
階段を下りて食堂に着けば、随分と賑やかだった。
きっとアルコールが入っている人々が多いせいだろう。
ガタイの良い男達が肩を組み飲めや歌えの大騒ぎだったり、女性同士おしゃべりに花を咲かせている
グループなどみんな思い思いに楽しそうだ。
そんな中、私とロイの目を惹いたのが壁際で一人飲んだくれている青年。
上質な衣服に身を包み、小綺麗な格好をしている。
彼のテーブル上には、酒瓶が数種類倒れていた。
中身が零れてない事から、全て空なのかもしれない。
彼はこの室内にて、一際オーラがあった。
負のオーラが。
じめじめとキノコでも栽培出来るんじゃないかってぐらいだし。
それを周りも感じているのか、彼の周りのテーブル席には人が全くいない。
「……なんでゼンダ王子が?」
ロイの呟きに私は「さぁ?」首を横へ振った。
あの男は私とロイの知り合いだ。
といか、この国の人達も知っているだろう。
ここ、マカデ国・第三王子――通称・蜂蜜王子として名高いゼンダ王子だから。