第四十九幕 鉄の精神、あっけなく。
「嫌ーっ!!うちの娘が!!娘が!!」
間近で響く耳がキーンとするぐらいかん高い悲鳴じみたそれに、
私は耳を塞ぎたい衝動に駆られた。
バーズ様、せめてボリュームを……
そう伝えたいんだけど、ガーゼが唇に当てられ何度も左右に往復するため、
今は口を開く事は出来ない。
口を真一文字に結び、目だけきょろきょろと動かしている。
「消毒!!しょーどーくー!!」
バーズ様は、手に持っているガーゼに追加で消毒液を垂らすと再度私の唇へと添えた。
ガシガシッと唇にあてられている間、つんとする消毒液の香りが漂ってくるため、
ほんの少し気分が重い。
私、消毒液の匂い苦手なのよね……
そのため条件反射的に体が逃げようとして、ソファのスプリングが軋んだ。
バーズ様に辞めてほしいんだけど、たぶん話を聞いて下さらないと思う。
だってこれで何度め?ってぐらい数えるのもだるくなっちゃうぐらい、
私は何度も唇をぬぐわれている。
消毒液使うなんて、リクの事黴菌扱いじゃん。
あれでも一応、大国の王子様なんだけどなぁ……
一国の王が半泣きになりながら、ふかふかカーペットの上に膝立ちになっている様子はなんとも異常な光景。
そんな光景をバルト様は苦笑いを浮かべ、私が座るソファとは反対側にあるソファに座っていた。
そして私がこんな目にあう元凶となったリクは、壁際に腕を組んでもたれ掛かっている。
「全く!!主の危機に瞬時に対応せず、一体何が騎士なのじゃ!!
お前達をあの部屋に配置させているのは、なんのためだと思っておるのだ!?」
バーズ様はガーゼを止め、壁際で項垂れているフェンネル達を指差す。
それに対し、フェンネル達は「申し訳ありません」と言いながら深く頭を下げた。
フェンネル達を叱ってもしょうがないと思うんだけど。
だって、あまりにも急だったから咄嗟に対応なんて出来ないわ。
当事者の私がそうだったんだもん。
フェンネル達にそれを言うのはね……
「バーズ様。フェンネル達は悪くありませんわ」
「そうだよ、バーズ。シルクちゃんの言うとおりだ」
「バルト、お主は黙っておけ。元はと言えば、お主のエロ息子が原因なんじゃぞ!?」
「エ、エロ息子って……あ、うん。まぁ、それは本当にすまないと思っている。
リクイヤード、ほら君も謝って」
バルト様の言葉にリクは足を前に一歩進め壁から身を離すと、バーズ様の方を見た。
「申し訳ありませんでした、バーズ国王。今度は煩い邪魔者の居ない時にします」
「ちょっと!?リクイヤード君、キミふざけてんの!?
うちの子に手出したこと、全然反省してないじゃんか!!」
「リクイヤード。君さ、少し反省してよ。バーズの事ぐらい俺が旨い事言って丸めこませたのに。
君のせいでこんな面倒な事になったんだからね。大人しくしてなさい」
「ちょっ、バルト!?」
「悪いけど、親父。俺は反省する行いはしてない。シルクは俺の愛する妻だから。愛情表現は自由だ」
「リクイヤード。君、少し空気読んで発言しなさい」
バルト様は、リクを睨むがリクはなんのその。
そんなリクに対し、バルト様は深いため息をお吐きになられた。
「バーズ国王。時間も時間なので、明日改めて話をしませんか?」
リクの提案にバーズ様は両腕を組み唸る。
「そうじゃのぅ、もう夜も遅い……」
「バーズ国王と親父の部屋は、ここより一階下に取っております」
「ほぅ、気がきくのう。わしらの分も追加で部屋を取っておるとは」
「では、部屋まで案内させます」
バーズ様はリクに促され立ちあがり扉まで歩き出すが、途中ぴたりと足をお止めになられた。
そして後ろを振り返り私を見つめ、首を傾げる。
「シルク、どうしたのじゃ?」
「え?」
もしかして、一緒に来いって事かしら?
でも、私このフロアに部屋あるし。
どうしようかと戸惑っていると、バーズ様の顔がみるみると血色が失われていく。
「……ちょっと待って。まさか、シルクちゃんとリクイヤード君って一緒の部屋じゃないよね!?」
「そうですが」
「嫌ーっ!!何このムッツリさ!!」
バーズ様はそう叫ぶと、がしっと私を抱きしめ身震いし始めた。
あまりにもその振動が激しくて、私の視界が定まらない。
「ウィル!!ウィル!!ウーィールー!!」
「バーズ様、そんなに連呼しなくても聞こえてるから……」
ふわりと周りに春を思わせる温かな風が吹くと、何処からともなく宙に少年の姿が現れた。
年は四・五歳ぐらいの、緑色の瞳が印象的な男の子。
透き通るような真っ白い髪は肩につかないぐらいで揃えられ、
丸みを帯びた輪郭に目鼻立ちがぱっちりとしたパーツ。
どちらの性別ですか?と聞きたくなってしまうぐらいだ。
ウィルはバーズ様の精霊。風の精霊だ。
上は白いブラウス、下は黒い半ズボンをサスペンダーでズレないように着ていて、
アクセントに首元に赤い蝶ネクタイを付けているの。
「ウィル!!すぐさま結界を張るのじゃ!!シルクの周りに張って、あの馬の骨が近づけないようにするんだ!!」
「バーズ様。馬の骨って言い方は……」
「いいから、結界を張るのじゃ!!あの馬の骨はハイヤードの敵だ!!」
「いいのかなぁ?」
契約をしている精霊にとって、主の命令は絶対。
ウィルは納得出来ないみたいで、私の方をちらちらと伺いながらも結界を張った。
私の周りに薄く張られた膜。
黒い線のように見えるそれは、精霊が見えるハイヤードの王族にしか見えない。
国の有事には、この結界を使ってハイヤードを守る事も可能。
これを特定の人に対して使っているのを見た事は、今までないけど……
それに、一国の王子を馬の骨扱いって……
「何か変わったのか?」
「うん。リク達は見えないかもしれないけど、結界張ってあるよ。半径2メートルぐらいかな?
リクはそれ以内に私に近づけないと思うわ」
リクは眉を顰めると、一歩ずつ私へと近づいていく。
だが、やっぱそれぐらいの距離になると近づけないのか、手で壁を押し始めた。
「無理じゃ、エロ王子」
カッカッと乾いた笑いを発し、バーズ様はリクを嘲笑っている。
――……バーズ様ってば、子供じゃないんだから。
呆れて言葉も出ない私と、バルト様と視線があった。
おそらく、きっと同じ事を考えていると思うわ。
「巨大な魔力や精霊を操れれば、この結界を壊す事は可能かもしれぬ。だが、それ以外の人間がこの結界を解く事は不可能。まぁ、わしの精神が乱れるような事があれば別だがな。でもその可能性は万が一にもない。
ハイヤードの王たるわしの鉄の精神が乱れるようなことは絶対にありえ……――!?」
ドヤ顔をリクに決めていたバーズ様は、視線をある一部に固定したまま、動きを止めている。
「あ」
私の言葉と共に、結界がはらはらとガラスのように崩れ落ちていく。
バーズ様。その絶対にありえない事が今起こっているんですけど。
どうしたのかしら?とその視線を追おうとしたら、今度は騎士たちの野太い悲鳴と共に、
彼らが一目散に扉へと逃げ出してしまったため、私は一旦バーズ様の視線の先にあるものを探るのを辞めた。
フェンネル達に混ざって、ロイまでも競って扉から出ようとしているし。
それに、新たにバーズ様が混ざり扉の前は大混雑。
みな、我先に出ようとしている。