間幕 願わくば、これから彼女の世界が 中編
――なんだ?
4階へと続く階段を昇っている最中に、足を止め顔を上げた。
それは雑音めいた女の声のせい。
お互いの距離があるためか、はっきりとした言葉は聞き取れないが、声音から怒っているのだけは理解出来る。
「シルク……?」
ふと頭によぎったのは、あいつの顏。
もしかして、シルクと一緒に組んでいる誰かが怒らせたのだろうか?
もし仮にそうだとしたら、珍しいことだ。
シルクが同じメイド仲間に怒鳴り散らしているのなんて聞いたことも、見たこともないからな。
まぁ……なんと言っても俺と違って、あいつらはシルクを怒らせるようなことはしないから。
何にしても、ここ数日のシルクの塞ぎ具合をとってみれば、それは良い兆しなのかもしれない。
感情を表に出すという好意は。
そんな事を思いながら、俺は止めていた足を進め、シルクのいる元へと向かった。
*
*
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「お前ら、何してんだ!?」
扉を開けて見てしまったものに対して、人目もはばからずそう叫んでしまった。
その叫びを受け、先に室内にいた二人の視線が俺の体に絡みつく。
その視線の持ち主は、エメラルドグリーンの瞳を持つ青年と、銀色の髪を持つ少女。
エメラルグリーンの瞳の青年――猫の盗賊ことリザーは、シルクに胸ぐらを掴まれている。
何も今さらそんな光景が扉を開けて飛び込んできたぐらいで、俺は叫んだりしない。
むしろ「また猫の盗賊が面倒な事をしにきたのか」と、きっと頭を抱えるだろう。
現に今回も面倒なことになっているのを目にしているし。
「あ、王子~。すっげぇ、久しぶり。元気?」
片手をあげてリザーが馴れ馴れしく挨拶をしてくるが、俺は勝手に城に侵入していたその猫の盗賊よりも、胸ぐらを掴んでいるシルクに目がいってしまう。
別にシルクが奇妙奇天烈な格好をしているなどではない。
いつも通り、白のブラウスに黒のワンピースを重ね着して、その上に真っ白いエプロンというメイドの格好をしている。
一見、ぱっと見れば普通だ。
ただし、彼女の頭部を見なければ――
「可愛いでしょ?うさ耳。猫耳にしようか迷ったんだけどさ~」
そうリザーがふざけて言うように、シルクの頭にはふわふわのウサギの耳が生えていた。
飾りではなく実際に機能しているのか、声に反応して耳がぴくぴくと動いている。
「魔法か?」
俺は深いため息を吐くと、外部に聞かれないように扉を閉める。
どうせこの男の事だ。
結界の一つや二つ張ってあるかもしれないが、一応念のためにな。
「もちろん、決まっているじゃないか。僕、魔術師だし~。ねぇ、それよりさ、どう?可愛いよね」
「そんなこと聞くまでもないだろ。シルク。お前、もしかしてこんなことで怒っていたのか?似合あうからいいじゃないか。なんなら、お前のメイド服にオプションとしてつけさせてもいいぞ」
「酷い、リクっ!!人ごとだと思っているでしょ!?」
少し正直にしゃべりすぎたらしい。怒りの矛先が、こちらに飛び火してしまったようだ。
シルクは猫の盗賊から手を離すと、今度は俺の方へ詰め寄ってくる。
羞恥心のためか、珍しく頬を染め瞳が潤んでいる姿がまた可愛らしさを倍増させているのを、こいつはわかっているのだろうか。
「ねぇ。姫という身分の者が、人の胸ぐら掴むのってどうなの?マナー悪いよね。僕、こんなことされる覚えが全くないのに。『可愛くしてくれてありがとう』って言われるなら覚えがあるけどさ」
リザーは肩をすくめながら、俺から視線をシルクへと移した。
おい、そんなこと言うと益々……
俺の想像通り、その言葉はシルクの感情を逆なでしてしまう。
シルクが眉を吊り上げながら、再度リザーの胸ぐらを掴み大きく前後に揺らしはじめたのだ。
「あんたにマナーについて語られたくないわ!!呼んでもいないのに、勝手にやってきて!!しかも、頼んでもいないのにこんな姿にしてくてさ。早く元に戻しなさいよ!!」
「え~、めんどい。ねぇ、それよりお茶とお菓子は?折角この僕が時間を割いてわざわざ遊びに来てやったのに~」
語尾を伸ばすリザーの言い方に、俺はなんかイラッと来た。
どうやらそう思ったのは、俺だけじゃなく、シルクもだったらしい。
「リザー。あんた、ふざけてんの?」
そう言ったシルクの声のトーンがかなり低くなってしまっている。
おい、マジギレしているぞ。
「人をからかいに来た人間をもてなすなんて、私はそんなに心が広くないわ」
「ああ、君って心狭そうだもん」
「はぁ!?」
「しょうがないなー。じゃあ、僕が面白いもの見せたらお茶出してくれる?交換条件ならいいでしょ」
そのリザーの台詞にぴたりとシルクの手が止まり、ゆっくりと顔をあげるとその瞳で猫の盗賊を捕える。
おい、シルク。耳がすごく反応しているぞ。
「……その面白いのによる」
「じゃあ、交渉成立」
「何を見せてくれるの?」
「ん?もう見せてるよ」
そう言ってリザーは、シルクから俺へと視線を向けてくる。
リザーの視線を追ったシルクは、俺の方を見て目を大きく見開くと、やがて大きく瞬きをした。
そしてその後、吹き出して笑い始めてしまう。
何がそんなにおもしろいのだろうかと後方を振り返るが、何も変わらず、ただクリーム色の壁だけが存在しているだけ。だが、あいつらは俺を見て笑っていた。
――……ということはまさか。