第三十七幕 猫の監視
ん……――
ゆっくりとふわふわと曖昧な意識が、少しずつだけどたしかに確実に覚醒していく。
そんな中うっすらとまぶたを開くと、紅蓮色の短い髪をした男性の顔がアップが視界に飛び込んできた。
凛々しい気分ばかり太めの眉に、堀の深めなのかはっきりとした目・鼻、口元にはうっすらと生えた無精髭。そして黒い服から覗く日に焼けた筋肉質な体。
あ…れ……?ど…うし…て……?
私は目を擦りながら、「シド」とその彼の名を呟いた。
――私、たしかギルアからまたアルルに戻ってきて……そんで……
頭が冴えるのを待ちながら、ぼうっと彼を見つめ続ける。
シドは私と同じように横向きになって、ベッドに横になっていた。
彼の後ろの背景と化している家具や壁も、この体を休めているベッドもリネン類も全て馴染みのないものばかり。
あぁ、やっぱり。ここアルル国のシルビアさんに借りた部屋だわ。
シルビアさんというのは、バルト様のアカデミー時代のご友人。
私達がアルル国に滞在する間彼女の館でお世話になることになっているの。
天蓋付きのアイアン製ベットと真っ白い机があるだけのゲストルームの寝室。
狭くもなく、広くもなく、丁度良い大きさで過ごしやすい。
テーブルやソファなんかはここと扉で繋がっている部屋にあり、そこでお茶を飲んだりしてくつろげるようになっていた。
「まだ寝ぼけてるのか?」
「ん……――」
だんだん頭が冴えて来たとはいえ、まだ眠気で完全ではない。
そんな中途半端の私に彼は喉で笑いながら、すっと右手を伸ばし私の頭を撫でてくる。
それが酷く小さくて弱かったあの頃を思い出してしまい、懐かしい。
それと同時に心地よく、私はまた目を瞑りそうになった。
絶対的な信頼を寄せている彼の傍は、私にとって世界で一番安心出来る場所。
そう言っても過言ではないぐらい、この男――シド=アンセムの傍は私にとって特別なの。
暁の獅子こと、シドはうちの騎士団・団長。
シドの家はハイヤードに長年使える武人の名家で、何人も騎士団・団長を輩出している。
去年引退したシドのお父様も騎士団の団長をしていたの。
年は私と結構離れていて、シドは30歳。
私にとって彼は恩人であると同時に、同じアカデミーで学んだ仲間であり、血は繋がってないけど家族のような存在だ。
「どうする?もう少し寝るか?」
「ううん、大丈夫」
「そうか」
「ねぇ、シド。腕痛くない……?」
まだ鈍い思考の中、私の頭の下におかれているシドの腕が気になり、そこに触れながら聞いてみた。
子供の頃からなんだよね、これ。
幽閉が解かれた後、私はなかなか普通の生活に戻る事が出来なかったんだ。
ショックで言葉がしゃべれなくなっていたし、疑心暗鬼で周りは全部敵だって思いこんでて、眠る事も出来なかったの。
そんな私をシドが傍にいてくれ、「少しずつでいいからな」って言って、日常に戻れるのを見守ってくれた。
だから、寝る時もシドと一緒だった。
シドが居なくならないように、彼の服を掴んで、腕枕で眠る。
不思議とシドの傍なら、私は眠れたんだ。
筋肉で出来ているシドの腕は堅いんだけど、子供の頃からずっとそれだったから問題はない。
シドの影響なのか、今ではすっかり枕も堅い方が眠れるんだよね。
負担にならないように、腕の上に枕を置いて眠って眠ればいいんだけど、もう癖のように染みついちゃって――
「これぐらいどうってことないぞ。今までもずっとして来たからな」
「そっか。そうだよね、ずっとだったもん」
「ただ、ちょっと……」
「え?」
「視線が痛い」
「は?視線?」
シドは私を越え、何かを見ている。
私もその視線追うため、体を半回転させそれを見た。
「……何してんの?リク」
その光景を見て、思わず起き上がってしまった。
そこには丁度扉から1、2メートル先に猫がいたんだけど、その猫は2本足で立ち、まるでそこに見えない壁でもあるかのように、両前足と顔をくっ付けながら、こっちをすごく見ていた。
顔をくっつけすぎて、片頬は潰れている。
ほら、ガラス窓に顔を押しあてると、反対側では潰れて見えるじゃない?
あんなイメージ。
「シルクが寝ている2時間、ずっとあのままなんだよ」
「は?2時間も!?」
振りかえり、シドを見ると頷かれた。
隣りの部屋には、ハイネ達がいるから、あっちでも休めるのに。
あの体勢辛くないのかしら?
首を傾げながらリクを見ると、口元を動かし、今度は爪をとぐみたいに、両手でその見えない壁みたいなのを引っ掻き始めた。
口元が動いているんだけど、鳴き声すら聞こえないわ。
もしかしてハイネが、私が眠れるように騒音対策とかのために、結界張ってくれたのかも。
そんな事を考えていると、扉が開いて、ハイネの姿が見えた。
すると今まで聞こえなかったのに、「にゃあ」という猫の声が耳に届く。
あれ?結界解いたのかな?
「にゃあ、にゃ!!」
リクが鳴きながら私の方へ走って来て、ベッドにダイブしてくると、すぐさま私とシドの間に入り、2本立ちになって私の左腕を押し始めた。
「どうしたの?」
「にゃ、にゃ、にゃーっ!!」
何度も押されるけど、猫の力じゃ私を動かすことは出来ない。
それがわかったのか、今度は反対側に回ると、服の右裾を噛み何度もくいくいと引っ張り出してしまった。
「さっきからどうしたの?」
「にゃ」
私は両手でリクを抱き上げると、正面から顔を見た。
ほんと、綺麗な目の色だわ。
人間の時も綺麗だって思ってたけど。
「その猫王子、シドに嫉妬しておるのだ」
「嫉妬~?もしかして御主人様と遊んでほしかったの?ごめんね、アルルに戻って来たら眠くてしょうがなくてさ。私、まともに寝てなくて……何して遊ぶ?猫じゃらし?」
「にゃー!!」
「ちょっ!!」
今度は暴れ出したし!!
両手をバタつかせ暴れ始めてしまった。