第一幕 姫君逃走
おかしい。あきらかにおかしい。
何がおかしいって、鏡に映っている人が着ている衣装。
白い純白のドレスに、顔を覆うように掛けられたベール、右手にはブーケ。
これってまるで――いや、待てその可能性はゼロに近い。
自らすすんで重い枷をはめようなんて酔狂な人はいないはずだ。
私を傍に置くという事は、私の重い運命すらも背負う事になるから。
アカデミーを卒業したばかりの私は、まっすぐ城には帰らずに、なぜか見ず知らずの国に来ていた。
当初の話では卒業祝いに新調したドレスの為に、仕立ての町で有名なビエル国に行くはずだったのに。
「でも、ここどっかで見たことあるんだよね」
鏡から視線を外し、左手へと移した。
窓から見えるのは同敷地内に立っている教会と噴水。
教会はかなり大きいし、やたら装飾が細かく豪華だ。
ステンドグラスなんかは、今まで見たことのないぐらいの極彩色。
なんとか昔の記憶から視界に入っている景色を呼び戻そうと、過去の記憶を手繰り寄せた。
「たしかプがつくはず。プレス、プリア、プナタ……ああ!! プレサ」
私は頭の中に浮かんだ、この地の名前を叫ぶ。
諸外国の王族が結婚式をあげるなら、ここしかないという場所。
たしか五歳の時一度だけ従兄の結婚式で来たことがある。
まだ何も知らずにのうのうと生きていたあの時――
「お〜よく似合っているじゃないか、シルク。銀の髪には白がはえる」
「バーズ様……」
開けられた扉から現れたのは、髪と同じハニーゴールドの髭を蓄えた中年男性。彼は後方に騎士達を従えている。
顔よりなぜか、タルのようなお腹に目がいってしまうのはなぜだろう……
「どうして卒業祝いのドレスがこの白いドレスなんです? おかしいですよね」
腕を組んでバーズ様を睨むと、そそくさと騎士達の後ろの隠れてしまった。
ハイヤード公国の王ともあろう人が、娘に睨まれたぐらいで……
「すみません、国王様。俺、視力が悪くなったのかわからないのですが、姫様が着ているのってもしかしなくてもウエディングドレスというやつなのではないですか?」
銀色の甲冑に身を包み、紫のマントをつけている一人の騎士が口ごもりながら言った。
心なしか顔色が悪い気がする。まわりの騎士団もおなじような感じだ。
「すまん、シルク!! この間、アカデミー時代の友人と逢ってさ〜。挑発に乗って賭けして負けちゃった。そんで娘を息子にくれって言われてな。
まさか、そんな事言われるなんて思わなくて……えへ」
えへじゃないっ!! なんでそんな賭けをしたわけ!?
「相手は私の事を知ってるんですか?」
――銀の悪魔の存在を。
「たぶん知らないだろう。ディル派じゃないし。それに女ぐせが悪くて性格も悪いから、結婚自体を望んでないはずじゃ。今回もお前と同様騙されて来る手筈になっている。それにうちと同じく政略結婚とは無縁なぐらいの大国だし、まだ遊びたいだろうし……そんな所も父親そっくり」
そんな人絶対お断りだ。
「あ、大丈夫。顔はいいから」
そこ心配してないし。
「絶対嫌」
冗談じゃない。私は新しい家族なんかいらない。
もうこれ以上、苦しめる存在を増やしたくないよ。
「私はずっと一人で生きていきます。バーズ様はお忘れになったのですか? 私は貴方達に不幸しか与えてません」
「姫様、何をおっしゃってるんですか!?」
「シルク……わしは――」
「とにかく、結婚はしません」
バーズ様の言葉を遮り、足早に窓際まで移動した。
ここ二階か。
地面じゃなく芝生。垣根もあるけど飛び落ちたら不味いな。
――普通なら。
でも今は、父様……バーズ様の精霊がいるから大丈夫だ。
「ラピス様やラズリ、それにユリシアによろしく伝えておいて下さい」
『ラズリ』という言葉が出ると、彼らの顔色はもはや青ではなく白に変わり始め、ガタガタと震えだした。
『暁の獅子』率いる騎士団として名高い彼らが、なぜ私の弟で怯える?
バーズ様もなぜ自分の息子の名前を聞いただけで騎士団と同じようになる?
まあ、いいや。
ドレスの裾を破りひざ上までの長さにすると、今が逃走チャンスとばかりに窓を開け放ち外へ飛び降りた。