第八幕 初対面ですよね?
「リノア~っ!!」
「うわっ」
急に足に何かが抱きついて来たせいで、バランスが崩れる。
だがなんとか踏ん張り、持っていたアイロンのぴっちりかかったシーツの束は死守した。
あ、あぶなかった。これ落としたら、絶対洗濯担当の人に怒られる。
「オリンズ様」
「リノア~」
私の足元にしがみついているのは、第二王子のオリンズ様。
あれから妙になつかれてしまった。
ここでは私はシルクじゃなく、『リノア』と名乗っている。
アカデミー時代から使っている偽名で、今ではすっかり自分の本名のように慣れ親しんでいた。
「オリンズ様。急に抱きついたらリノアが転んでしまって危ないですよ」
オリンズ王子の後ろに控えていた女官が、王子に注意を促す。
今度の女官はこの間の女官より少し年下で、30代後半から40代前半ぐらい。
どうやらこの間の女官は外されたらしい。
この度担当になった方はいつも穏やかな笑みを浮かべていて、周りを安心させてくれる。
「ごめんなさい。リノアが見えたから……」
しゅんとなってしまった顔に、思わず胸を打たれる。
うっ。母性本能?
「いいですよ、オリンズ王子。でも今度から気をつけて下さいね」
「うん」
あぁ、可愛い笑顔。
シーツの束がなかったら、頭なでるのに~。
「リノアも一緒に行こう?」
「いけません。リノアはお仕事中です」
「やだっ。リノアと一緒に行く! いいよね!?」
「だめですよね!?」
え~と。私に振られても。
目の前では二人の攻防戦が始まってしまっている。
ジタバタ暴れる王子に対し、女官は有無を言わずに首を振っていた。
おうっ。王子は私の足にまた抱きつくと、今度は泣きわめきだし始める。
どうしよう。このシーツ全部取り換えなきゃならないし、他にも仕事があるから行けないんだけど……
女官も私も困っていると、不機嫌そうな声が飛んできた。
「―― 騒々しい。一体、何事だ?」
美声のした方向に、私達三人の目がいく。
そこには見る者の大半が美しいというぐらい整いまくった青年が立っていた。
金色の髪をかきあげながら、青い瞳でこちらをうっとおしそうに見ている。
誰だ?こいつ――
腰には剣を下げているけど、騎士って感じではない。
城にいるからか、来ている衣類の布は上等の品物だ。
その男の姿を見ると女官は深々と頭を下げ、オリンズ王子は私の足から離れるとその人めがけて走っていった。
「兄上っ!!」
「オリンズ。良い子にしてたか?」
「はい」
その男は走ってきたオリンズを抱き上げる。
兄上……?
ってことは、こいつがギルア国・第一王子のリクイヤード?
あぁ、良く見ると似てるかも。
たしかうちの騎士達が、女好きって騒いでたっけ。
たしかにこりゃ、もてるな。
「兄上が戻られたと聞いて、兄上の元に行こうって思っていた所なんです」
「そうか」
ふ~ん。こいつもオリンズの可愛さには弱いんだ~。
さっきまでの表情は何処へいった? とばかりに、笑顔を振りまいている。
「それで? お前らは誰だ?」
愛想笑いとか出来ないのかなぁ。
こちらに見せている表情は無表情だ。
「はい。新しくオリンズ様の女官として雇われたメイヤと申します。こちらは――」
「リノアと申します」
私も女官と一緒に頭を下げた。
「この女か。外に居た騎士たちが騒いでた女は」
「は?」
騒いでた? 私なんかしたっけ?
「その容姿なら、貴族に取り入り金を巻き上げる事すら容易いだろ」
しねぇよ。んな事誰も。
――っていうか、初対面なのになぜそんな事言われなきゃならないのよ!!
こめかみが自分で引き攣るのが、わかる。
でも、ここは我慢だ。我慢。
それに、これは仕事だ。
「申し訳まりません。私、仕事中ですので失礼いたします」
にっこりとほほ笑みフェードアウトをはかろう。
じゃないと、このバカ王子にキレてシーツをぶん投げてしまいそうだ。
「うちの臣下達に手を出されても迷惑だ。仕方ないから、俺が直々にお前の相手をしてやるよ」
これを聞いて笑みが崩れぬわけがない。
綺麗な洗いたてのノリのきいたシーツが、宙を舞う……はずだったが、それを止めたのはほんの数日前まで毎日聞いていた聞きなれた声だった。
「――シルク!?」