彼女の逃走
初投稿です。拙い文章ですがよろしくお願いします。
むかし、むかし、航海している人を困らせるものがおりましたとさ。岩部に腰を掛け、世にも美しい、透き通るような声で遠くにいる船乗りを虜にし、心を乱し、果てには命を奪うという。
....だが、美しいのは声だけではなかった。誰もが惚れ惚れするであろう艶やかな金髪と、透き通るような白い肌をもっていた。だが、みたものは皆恐れる。そいつは上半身が人で、下半身が魚だったからだ。太陽のもとで照らされた一枚一枚の鱗はきらびやかに輝き、これまた見る人を惑わせたという。
人々はそれをこうよぶ。人魚、と。
惨めだ、と彼女は思った。
髪の毛を濡らすしっとりとした重い雨が彼女から急速に体温を奪っていく。硬いコンクリートでできた道路には不釣り合いな白い裸足の指先の感覚は数時間も歩くうちにもうなくなっていた。
もはや、足という塊が義務的に動いているだけだった。髪はボサボサに乱れていたが、皮肉なことに大分前から降っていた雨が彼女を濡らすことでそれを隠した。遠目にみると、ベージュのコートが彼女のからだに張り付き、もう、服と彼女自身との境目がなくなっているようにみえる。無地のパンツスカートは防寒の役目を果たしておらず、白い肌が無防備に冷気に晒されていた。否、履いていたであろうタイツは右太ももに止血のためか、きつく巻かれていた。黒いタイツは、彼女の血で赤黒く染まっている。もう、腕はだらんとたれ、顔は夜の闇には不自然なほど真っ青であった。
それはもう、彼女の限界が近いことを示していた。
不意に歩いていた彼女が歩みを止めた。正しくは、止めざるを得なかった。痛々しい足が、傍目からみて分かるほどに痙攣し始めたのだ。仕方がない。彼女がこんなに歩くことは今までなかったのだから。
だが、目的地には着いたようだ。その証拠に、彼女の目がある一点を凝視し、口角は上がっている。住宅街をぬけ、何時間も目指したのは、丘だった。よくいえば、海の見える、景色のよい場所。悪く言えば、どこにでもある丘。だが、そこには、立派な大きな一本の桜の木があった。さっきから彼女はそこを凝視し、いや、正確には根元に向かって這うように進んでいた。
そして、苦労してそれを取り出したとき、喜んで歓声をあげようとしたが、それは言葉にならなかった。一瞬で絶望に叩き落とされたと同時に、目的を達成できたせいか、気が抜け木の根元で倒れこんでしまった。
遠退く意識の中で彼女は思った。ごめんなさい、と。
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