七話
王城から帰り道、エステルは馬車の窓から外の景色を眺めていた。
その表情には後悔や悲しみの色はなく、どこか余韻に浸るような、そんな顔をしていた。
「エステル、……エステルっ」
「は、はい?!何でしょうか、お父様」
強い口調で呼ばれてエステルは慌てて正面へと向き直るが、どうにも意識の一部をどこかに飛ばしている様子だった。
対面に座っていたバルトヘッド公爵はそんな娘の様子を心配して、その眉間に深いシワを刻んでいた。
「大丈夫か、エステル。お前らしくもない。……いや、当然のことか。あのような事を言われてはな」
「え、ええ。あれほど感情的になられるとは。……学園での時も、あそこまでではありませんでしたから」
王城でのことを思い出しバルトヘッド公爵は忌々しげに顔を歪めるが、エステルは逆に、そこに意識を囚われたかのように少し呆けた顔を浮かべていた。
「しかし、まさかあのような行動に出るとはっ!」
「ええ、普段はとても紳士的な方でしたから驚きました」
「紳士?」
エステルの言葉に公爵は首を傾げる。
「はい。学園での一件も言葉で諫められてましたし、わたくしとシャルロット様のことをとても心配し、気遣ってくださいました」
そこで公爵は娘との会話が噛み合っていないことにようやく気付いた。
「エステル」
「はい?」
「私は元王子のことを話しているのだが?」
そう言われてエステルはハッと口元を押さえて、そっと視線を窓の外へと移した。
「……本当に驚きました」
エステルの様子に公爵は深いため息を吐いた。
「はぁ、……お前もバルトヘッドの女という事か」
○●○
「エドワード様」
学園の廊下を歩いていたエドワードは後ろから自身を呼び止める声に振り返った。
「これはミス・バルトヘッド。私に何か御用で?」
感情の全てを覆い隠すような笑顔を浮かべて振り返ったエドワードの視線の先には、何処か気まずそうに佇むエステルの姿があった。
「いえ、……その、あのですね。最近、ミカゲ様のお姿をお見かけしていないと思いまして。……エドワード様でしたらご存知ではと思ったのですが……」
エステルの言葉、そして恥ずかしげな仕草。
エドワードは正直、驚かずにはいられなかった。
(ソウジの奴、やりやがったっ!)
驚きを隠すため、そして偉業を成した友人に賞賛を送る内心を隠すために、エドワードは口元を片手で覆った。
「ソウジに何か御用がお有りで?」
「その、王城での事でお礼を申し上げたかったのですが。……あれ以来、学園ではお会いできておりませんので……」
「そうですかっ。実を言うと、ソウジはもうじき帰国をすることになっていまして。学園には来ていないのですよ……」
やや芝居がかった仕草でエドワードがそう伝えるとエステルはあからさまに狼狽して目を見開いた。
「それは本当なのですかっ!?まさかっ、王城でのことがっ!?」
「いえいえ、あのことは関係ありません。もともと帰ってくるようにと手紙が届いていたのですよ。そろそろ迎えの船が到着する頃だろうと帰国の準備を」
「そう、なのですか」
エドワードの言葉に顔を伏せるエステル。
「どうでしょう、ミス・バルトヘッドが望まれるのであればソウジのもとへご案内いたしますが?」
この時、エドワードは完全に楽しんでいた。
あの堅物がどんな表情を見せるのかと。
「ぜっ、是非、お願いします!」
「喜んで」
○●○
払い、いなし、絡め、そして突く。
倭の国の装束に身を包んだ黒髪黒目の男たちは己の身の丈より長い木の棒を振り回していた。
『どうしたっ茂康!鈍ったか!』
『何のっ!ここからでございますっ!』
エステルが目にしたのは、この国とはまったく異なる動き。
エドワードから槍の鍛錬だと聞いたときエステルは驚愕に目を見開いた。
この国。いや、この大陸では槍は雑兵の武器、ただ構えて突き出すだけの物。馬上槍もあるがそれも扱いは変わらない。それを巧みに操り多様な動きを見せる二人にエステルは感嘆するしかなかった。
「これが倭の国の武人なのですか……」
「ええ、剣の腕もかなりのものですよ。何度が試合をしていますが、ソウジに勝ったことはありません」
目の前の光景に感嘆を漏らすエステルに代わり、エドワードが宗司へ呼びかける。
「ソウジっ!!」
その声に二人は動きを止める。
「エド、……それにミス・バルトヘッド」
気を利かせた茂康はエステル達に頭を下げた後、邸へと引っ込む。一人にされた宗司はいうと、王城でのこともあって、エステルの姿に宗司はやや気まずそうな表情を浮かべていた。
「先日の王城での一件でのお礼を言いたいそうだ」
エドワードがそう言うとエステルは宗司のそばへ歩み寄る。
宗司より頭一つ分背の低いエステルはその白い頬をわずかに紅く染めながら宗司の顔を見上げ、しっかりとその漆黒の瞳を見つめて口を開く
「ミカゲ様。……先日は助けていただきありがとうございました」
腰の前で両手を重ね、頭を下げるエステル。
その姿に宗司は何とも言えない表情を浮かべていた。
気持ちを伝えず黙って去る。そう決めていた宗司だが先の一件ではエリクのせいで、その気持ちを抑えることが出来なかった。
直接的なことは何も言っていない。それでも、あの行動の根幹にあるのはエステルへの想い。
宗司は自分の想いをエステルの前に晒してしまったと思っていた。見せるつもりのないものを見せ、それに対して礼を言われることに宗司は居た堪れない気持ちになっていた。
「ミス・バルトヘッド、貴女のお気持ちは受け取りました。ですから、頭をお上げください」
エステルは頭を上げ、宗司の瞳を見つめる。
頬の赤みが徐々に増していくが、それでもエステルは恥ずかしげに目を逸らすでもなく何かを確認するように真っ直ぐに宗司の瞳を見つめ続けた。
黒の瞳と青の瞳。
流れる沈黙と交わる視線に先に耐え切れなくなったのは宗司の方だった。
「あの、まだ何か?」
頬を掻きながら視線を逸らした宗司。
「ミカゲ様。わたくしには貴方に、まだお伝えしたいことがあります」
真っ直ぐに宗司を見つめるエステル。
「ミカゲ様。……いえ、ソウジ様」
宗司が視線を戻せば、そこには強い決意の宿った蒼穹の瞳があった。
「わたくしは貴方のことをお慕いしています」
○●○
「よかったのか、ソウジ」
――お気持ちはとても嬉しいのですが
――貴女の気持ちに応えることは出来ません
それが宗司のエステルへの答えだった。
潮風が頬を撫でる港町。
今日、宗司は故郷の倭の国へと帰ることになる。
グリフィス家のエリーゼ、エドワード、アレックスそしてシャルロット。宗司の見送りのためにこの場に訪れていた。
その中にエステルの姿はない。
「婚約者がいなくとも、身分の差は明確に存在している。……その上、戦で死ぬかも知れぬ男のことなど忘れてしまったほうがいいだろ」
人の輪から離れ、二人きりで話し込んでいた宗司とエドワード。
「どこまでも、お堅いやつだな」
「身分とはそう軽い物でもないだろ。だからこそ、阿呆どもは死地へと送られた」
「しかし、全部無かったことにすることは――」
エドワードの言葉は宗司の悲しげな瞳によって遮られた。
「お前もシゲヤスと同じ事を言うか。……婚約者、身分、あれこれ言って、お前にはいろいろと情けないところも見せた。だが本当ところはな、死ぬかも知れない。それが踏み切れない一番の理由だ」
何もわからぬ餓鬼の時分に可愛がってくれた老夫婦、わるさをした時に叱ってくれた職人連中、ともに野を駆けた領地の子供たち、皆、戦で死んだ。
元服して戦場に出るようになり、ともに戦った者たちが死んでいった。
「残される者の悲しみは十分に理解している。応えて死ねば彼女をどれだか悲しませることになるか」
「はぁ。……だが、俺たちのことは考えてはくれないのか?」
ため息を一つ吐き、エドワードは意地の悪い笑みを浮かべながら言葉を投げる。
そんなエドワードに宗司は悪びれることなく言い放つ。
「悲しんでくれる者も欲しいさ。去る者としてはな」
その時、宗司のもとへ茂康が近寄ってきた。
『ソウジ様、準備が整いました』
『わかった』
茂康が離れて宗司はエドワードに視線を戻す。
「時間みたいだ」
「ああ」
船に向けて歩き出した宗司は不意に足を止めて振り返る。
「エド、もし俺の死を悲しんでくれる者が居たら支えてやってくれないか」
「随分と酷なことを言うな。俺が悲しまないとでも?」
(婆様もそうだったが、グリフィスの者は懐に入り込むのがうまいことだ……)
「お前にしか頼めないんだよ」
苦笑いを浮かべるエドワードに宗司は頭を下げた。
「頼む」
「あぁ、わかった」
エドワードは頷き、宗司の願いを聞き入れた。
それを聞いて歩き出した宗司の背中にエドワードは言葉を投げ掛ける。
『そうじ、しぬな、よ』
掛けられた倭の国の言葉に振り返った宗司は驚きの表情を浮かべていたが、エドワードの顔を見た瞬間に笑顔を浮かべて言葉を返した。
『また会おう』
そう言って歩き出した宗司。
見送りに来た者たちと言葉を交わし、いよいよ船に乗り込もうというその時、宗司の耳にその声は届いた。
「ソウジ様っ!!!」