二話
学園内に妙な噂が出回りだしたのはあの夜会からしばらく経ってのこと。
公爵令嬢がとある男爵令嬢に執拗な嫌がらせを繰り返しているらしいと。
曰く、男爵令嬢の立ち居振る舞いを詰っていると。
曰く、夜会の場でわざとぶつかり手にしていた飲み物で男爵令嬢のドレスを汚した。
曰く、ドレスが破られた。曰く、すれ違いざまに足を引っ掛けられた。曰く、持ち物を隠された。曰く、曰く、曰く……
○●○
二階から庭を見渡せるように造られたバルコニー、そこに二人の少女の姿があった。
「エステル様、申し訳ありません。私のせいでエステル様に良くない噂が……」
とある夜会、会場から離れた場所でシャルロットはエステルに謝罪の言葉を述べ頭を下げていた。
「根も葉もない噂ですわ、シャルロット様に謝っていただく様なことではありません。どうか、頭を上げてください」
「ですが……」
心底申し訳なさそうな表情を浮かべるシャルロットに夜風に揺れる金色の髪を押さえエステルは笑顔を浮かべていた。
「わたくしから申し出たことです。どうか、お気になさらず」
しかし、その笑顔も次の瞬間には心配そうな表情へと変わる。
「それよりもシャルロット様、些か無理をされているのではないですか、最近お顔の色が優れないようですし……」
「そんなつもりは無いのですが、……アレクやエドワード様、ミカゲ様にも同じことを言われました。ミカゲ様にはもう少し肩の力を抜けとも。無駄な力は枷にしかならないと」
そう言ってシャルロットは苦笑いを浮かべた。
「なるほど、言い得て妙ですね。ミカゲ様というと、倭の国から来られた方でしたわね」
「ええ、優しい方です。私には上の兄弟はおりませんが兄が居たらこんな感じなのかと思うほどにアレクにも私にも良くして頂いています。同い年で兄も何もありませんが」
自分で言ってて可笑しかったのかシャルロットはクスクスと笑っていた。
「そういえば聞いたことがありますわ、倭の国は百年続く内乱のせいで敵に対しては徹底して非情であり冷徹である。しかし、一度懐へ入れた者への情は何よりも深いと」
「フフッ、その話は私もエリーゼ様に教えていただきました。ですが、それをミカゲ様に言ったら身内に甘いのはどの国でも当たり前だろうと笑われてしまいました」
「まぁ、……フフフッ、わたくしも少しミカゲ様とお話ししてみたくなりましたわ」
そこから暫く談笑していた二人の頬を冷たい夜風が撫でる。
「冷えてきましたね、そろそろ戻りましょうか」
「そうですね、あまりエステル様をお引き止めしては殿下に申し訳ありませんね。私もミカゲ様をお待たせしていますし」
そしてシャルロットはエステルに向かい頭を下げる。
「エステル様、お付き合いいただいてありがとうございました。それと、……ご助力いただけたことにも。エリーゼ様にお許しをいただけたのはエステル様のお陰です。本当にどれほど感謝しても足りません」
「わたくしは何も、シャルロット様の今までの努力が有ってこそですわ。さっ、戻りましょう」
「はいっ」
会場に向かい並び歩き出す二人。
「そういえば、アレックス様のエスコートではないのですね」
「はい、アレクはお父上について視察に出ていて。ですが、いつまでも家令が相手ではとエリーゼ様が仰って。ミカゲ様なら一度エスコートをお願いしていますし国外からのお客人の付き添いとして名目も立ち、信用も出来るからとエリーゼ様がミカゲ様にお願いしてくださったんです」
「確か、留学もグリフィス伯爵家の口添えでしたね」
「ええ。昔、グリフィス伯爵様が倭の国に行かれた時のご縁とか。その時にエリーゼ様もミカゲ様とお会いになって気に入られたとか」
「なんというか不思議な空気をお持ちの方ですよね、ミカゲ様は。歳は同じなのですが、……学生という肩書きが不自然に感じます」
その言葉にシャルロットは口元を押さえ肩を揺らしながら笑っていた。
「シャルロット様?」
そんなシャルロットの様子にエステルは首を傾げる。
「い、いえ。申し訳ありません、フフッ、そのように言われるのはエステル様が初めてで、……私の友人は皆、ミカゲ様のことを怖いとしか言わなかったもので。さすが我が国の軍事を任されているアレス・バルトヘッド公爵様のご令嬢、と思いまして」
「どういうことでしょう?」
「倭の国でミカゲ様は一軍の将として、戦場に立たれていたそうです。しかも先頭に立って敵陣に突撃することも珍しくなかったとか。あちらではミカゲのオニクイなんて呼ばれてそうですよ、そうアレクが教えてくれました」
「オニ、クイですか?」
「ええ。こちらの言葉ですと“オーガイーター”と言うらしいですよ」
「オーガイーター、ですか。それは、凄い異名ですね」
「ええ、ほん、とう、……に」
そんな話をしながら会場に向かっていたとき階段を降りる途中で急にシャルロットがフラつき倒れ込んだ。
「シャルロット様!?」
驚き、手を伸ばすエステル。しかしその手は空を掴みシャルロットは階段を転がり落ちた。
○●○
『……いよいよ、天下分け目の大戦か』
シャルロットがエステルと話をしていた頃、宗司も夜会の会場から離れ一人夜空に輝く月を見上げていた。
その心を占めるのは先日届いた故郷からの文、そこに綴られていたのは国に戻れという内容だった。
そして最後の一文。
“長く続いた乱世を御影の手で終わらせる”
負けるわけにはいかない。
この国に来て一年、たったそれだけの時間だが戦場に立たないこの時間は実に穏やかで安らぐ時だった。
益体もない話で笑い合い、阿呆どもの言動に腹を立て、放っておけない友を案じ、憎たらしい悪友に軽口を叩き、そして愛おしいと思える人に出会えた。
宗司は朧気にだが、強引にこの国に自分を送り出した父親の考えが分かったように思えた。
『天下を取った、その先を俺は見ていなかったのだな……』
乱世を生き抜く、それだけなら人の心などいらない。修羅となり屍の山を積み上げて往けばいい。
だが、治める者が修羅であってはいけない、もし修羅であったならそこで暮らす民に安息はない。
『敵わんな、親父殿には』
そう独り言を呟き笑う宗司に給仕が近づいてきた。
「失礼いたします。ソウジ・ミカゲ様」
「何か?」
「シャルロット・セリアス様が階段から転落されて――」
「ミス・セリアスは今どこに?」
給仕の言葉を遮りそう言って宗司は歩き出し、給仕が案内のために慌てて宗司を追い越し前を歩いた。
「部屋で手当を。どうやら足首を捻られたようで」
「意識はあるのですか?」
「はい、しかしあまりお顔の色が優れないご様子でして。今、医者の手配をしています」
「そうですか、ありがとうございます」
「いえ、大切なお客様ですから。こちらです」
部屋の前にたった給仕はノックをして宗司を連れてきたことを伝える、帰ってきた返事を聞きドアを開いて「どうぞ」と宗司に入室を勧めた。
「ミカゲ様」
部屋に入った宗司を迎えたのは右の足首に包帯を巻かれソファーに座るシャルロット、そしてその隣に座るエステルだった。
「ミス・バルトヘッド、付き添っていただいたのですか」
「ええ、シャルロット様が心配で。……そういえばお話するのは初めてでしたね、アレス・バルトヘッドの娘エステル・バルトヘッドと申します」
立ち上がったエステルがスカートを僅かにつまみ上げ会釈をする。
「これは名乗りもせずに失礼をいたしました。ソウジ・ミカゲと申します」
そう言って腰を折った宗司は頭を上げて言葉を続ける。
「付き添っていただきありがとうございました。あとは私がやりますので、どうぞお戻りください。殿下の婚約者をあまりお引き止めしては申し訳ない」
「そうですか、ではわたくしはこれで。シャルロット様お大事に」
「はい、エステル様。ありがとうごさいました」
退室するエルテルを見送り宗司はやや厳しい表情でシャルロットに向き直った。
「驚かせてくれますね」
「申し訳ありません……急に身体の力が抜けてしまって」
「疲れが出たんでしょう、これに懲りたら無理は控えてください。アレクを悲しませたくないなら」
そう言って宗司は申し訳なさそうに項垂れるシャルロットの対面に座り、ため息混じりに口を開いた。
「しかし、心労が絶えないのもわかってるつもりです。第三王子を筆頭に雑音が多いのも事実ですからね」
「雑音などと、そのように言われるのはどうかと……」
「自身にも相手にも婚約者が居るのは分かっていて“アレ”なのですから雑音で十分でしょう」
「……はぁ、アレクとの婚約を伝えれば収まると思っていたのですが」
疲れきったため息を漏らしたシャルロットは遠慮のない宗司に言葉につられる様に今まで抑えていたものを吐き出した。
「殿下はエステル様の何処がご不満なのでしょうか、殿下だけではありません。皆さん、家柄も人格も教養も文句のつけようのない素晴らしい婚約者がいらっしゃるじゃないですか。……なのに何故。……先日など伯爵家では私には相応しくない、公爵家の自分のところに来いなどど言われて。他の方にも自分こそが私に相応しいなどと、意味がわかりません。何がいけないというのですかっ。アレクのそばで、彼と彼の家を支えるために頑張ってきたのに、……何故っ、それを何も知らない方に否定されなければいけないのですかっ!!」
言葉を吐き出す事にシャルロットの瞳から大粒の涙がこぼれていた。
「……私はアレクと居たいだけなのに、それをっ」
その一言を最後にシャルロットは声を殺し泣き続けた。愛する人を積み上げた努力を否定されても、彼女は耐えるしかなかった。男爵家の身分ではそれしかできることなかった。
その姿を宗司は何を言うでもなく黙って見守っていた。
「……お見苦しい姿をお見せして申し訳ありません」
一頻り泣いた後、シャルロットは何処かスッキリした声で宗司に詫びた。
「吐き出すことも大事ですよ、心を保つためにはね。……今度からはアレクにも話してやりなさい、貴女が何を許せなかったか、何に耐えたのか、それはアレクの婚約者である貴女の当然の権利だ。……それに惚れた女に甘えてもらえないのは男としては些か情けないものですよ、歳はアレクの方が下ですがアレクも男なのですから。それと私やエドのことも頼ってください、大切な友人のために協力は惜しみませんよ」
そう言って宗司はドアへ向けて歩き出す。
「紅茶でも用意してもらいましょう、それに化粧も直されたほうがいいでしょう。医者も来るようですし、あとは帰るだけといってもそのままという訳にもね」
「!!……ミカゲ様は意地悪です」
宗司の言葉にシャルロットは慌てて顔を覆った。
「ハハッ」
「……ミカゲ様」
「はい?」
「ありがとうございます」
「いえ」
振り返ることなく言葉を返して宗司は部屋を出た。後ろ手でドアを閉め小さくため息を吐く。
『――――が……』
吐き捨てた異国の言葉は誰の耳にも届くことはなかった。