1話 勇者モニカ
――世界は変わった。見知らぬ世界を救うために、大切なものを犠牲にした少女だけがその事実を知っている。
※
とある辺境の村、恰幅の良い男性が農作業の手を途中で止めて、耳慣れた足音のする方向へと顔を向けた。
耕したばかりの畑に足元を気を付けながら、少年が少女の手を引き、男性の元までやってきた。
「どうかしたか、イム、ルル」
我が子の名前を男性が呼べば、二人は嬉しそうに父親に笑いかける。
「あのね、勇者モニカのお話しを聞かせてほしいの!」
大きな声で言ったのは妹のルルだ。その胸には絵本を抱いている。腕の隙間から、二頭身の女の子の剣を手にした絵が描かれていた。
「昨日も読んだじゃないか? それに、お母さんやお姉ちゃんはどうしたんだ?」
「二人とも、剣の稽古に行ってる。……それは絵本のお話しでしょ? お父さんは絵本に書いていない勇者モニカの話を知っているもん」
妹のルルでは自分の言いたいことを十二分には告げることができないだろうと判断したからか、イムがそう言えば、横でルルは何度もうんうんと頷いていた。
短く息を吐き、汗を拭えば男性は歩き出す。
「しょうがないな、今日はお母さん達のお手伝いもたくさんするんだぞ?」
飛び跳ねる二人を連れ、近くの木陰に座れば男性の両端にイムとルルは座った。
「そうだな、まずはどこからお話ししようか……」
「はじめからがいいよ!」
「いいのかい? もう飽きてるんじゃないのか?」
「ぜんぜん!」
楽しそうにせがむルル。イムは少しだけ面倒に思っているところもあるようだが、それでも兄としての自覚があるのか妹のワガママに付き合ってあげようとしていた。
イムの頑張りを無駄にしないようにしよう、と考えつつ父は子供達に世界一勇敢な女性の話を聞かせてあげることにする。
「――勇者モニカはある日突然現れたんだ」
――父が笑いかけ、角の生えたイムの頭を撫でた。
※
その昔、人間と魔人の間には深い溝があったんだ。
え、どうしてかって? 昔はそこまで聞いてこなかったけど、そんなところまで興味を持つようになったんだね。……え、早く教えろって? はいはい……。
……怖がっていたんだよ、人は。いろんなそれらしい理由をたくさん並べたけど、結局のところは、ただ怖かっただけだったんだ。人も魔人も過去の愚かな歴史に翻弄されるだけだった……。
でもね、実際のところはもしも戦争をしたとしても、既にその時の魔人達は戦う力も戦意も喪失していたんだから、戦いにすらならなかったと思うよ。
そんな時、神々しい金の髪をなびかせて突然と現れたのはモニカと名乗る少女。
世界のどこかで魔人達が苦しんでいる差別されていると聞けば、颯爽とそこに現れ、救い出し、人間達には魔人達は危険ではないということを訴え続けた。
……人間達に怒られそう? そうだね、いきなり現れて世界を混乱させるモニカは人から見れば脅威の対象だったのかもしれない。事実、いろんな悪口を言われていたらしい。
モニカが己を犠牲にして戦い続ける日々にある転機が訪れる。――勇者クルミと魔王が結ばれたのさ。
モニカによって下地を作っていたことが幸いしたのか、勇者と魔王が結ばれるという話を聞いた人間達はもしかしたら魔人と人はさほど違いがないかもしれないと言い出す人々も現れるようになった。――だが、人は愚行を重ねることでしか歴史を作り出せない。
魔王と勇者が結託し、世界を滅ぼそうとしているのではないかと誤解した人間達が魔人の街を襲おうとしていた。急な襲撃になるはずだったが、その情報を手に入れていたモニカが事前に襲撃を教えると、魔人達は人間達の心の弱さに絶望をした。人間である勇者クルミは、怒り憎しみのままに人間達を倒そうとも言ったらしい。
しかし、それをモニカは許さなかった。今にも戦いに向かいそうなクルミと魔人達を抑え、襲撃を行おうとする人間達のところへ向かった。
だからといって、特別なことは何一つしなかった。ひたすら、人間達を説得し続けたんだ。つまり、モニカは勇者クルミや魔王を止めるほど強い力を持っていても戦うことはしなかった。
ここからが本当のモニカの戦いの始まりだった。
人間達が再び魔人の街を襲撃しようとすれば、それを全力で止め、人と魔人が互いに手を取り合う未来のために会話の場を設ける努力を続けた。
それはもちろん、魔人族も同じ。人間を襲おうと考える魔人がいるなら、例え最初に戦いを始めようとしたのは人間達だとしても、それは良くないことだと止めて説得を続けた。
魔人からは石を投げられ、人間からは異端だとモニカは蔑まれた。それでも、彼女は不可能だと言われた人間と魔人族の共存を諦めることはなかったんだ。
モニカは休むことなく、世界中を飛び回った。彼女は己を分身させることができたからさ、いろんなところで活躍を続けたんだ。
もともと有名なモニカだからね。瞬く間にモニカの話は広がり、突然現れた謎の存在からいつからか勇者と呼ばれるようになった。昔から、魔人族と人の共存を訴え続けたモニカのおかげで、少しずつ確実に魔人への差別はなくなっていった。
イムやルルが魔人として堂々と振る舞うことができるのも、勇者モニカの活躍があったからなんだよ。
それでも、世界にはたくさん偏見の目がある。例え、大きな街にモニカと魔人が一緒に住めるようになったとしても、それは勇者モニカにとってはまだまだ理想には遠かった。
魔人達が、人間が、みんなが、当たり前にどこにでもある日常を過ごすために勇者モニカは戦い続けた。
そんな時、魔王と勇者の娘である――キリカ様が生まれたのさ。
そのことをモニカは世界中に知らせた。勇者と魔王の婚約は大きなる歴史の一歩となり、差別をなくすための最後の一押しになったんだ。
そうやって、人は知ったんだ。人間も魔人にも、等しく愛する気持ちがあるんだって。
それからも、人間、魔人、モンスター、差別、災害、ありとあらゆる悲劇を勇者モニカは倒し続けた。そうやって、気が付けば……この世界は魔人と人間が子を産み、互いに勉学に励み、国を動かし、肩を組み笑い、互いを尊重しながら生きる――そう、これが勇者モニカの目指していた共存なんだ。
最後の話はここ数年間の話だけど、勇者モニカはもっと昔からこの世界で戦い続けていると言われている。僕らにとってはたった数行の文字で書かれてしまう歴史でも、勇者モニカは長い時間をたった一人で戦い続けて、この世界を平和にしたんだ。
※
「ねえねえ! 今勇者モニカはどこにいるの!?」
身を乗り出して聞いてくるルルに父は大きな声で一回笑えば話を続ける。
「勇者モニカは世界中に分身を作っているんだ。本当に危機が迫ればいつでも駆けつけてくるさ」
「違う! 本物だよ!」
「ああ、そっちか。本当の彼女なら――」
これが彼らの日常だ。
穏やかな世界で、愛しい子に平和な物語を語って聞かせる。
そこには、人間や魔人という壁はなく、世界中で最も多くの人達が語るのは――勇者モニカの伝説である。
※
旧魔王城のある街――デゴンカイトス。
魔人の街と呼ばれたのは、もう十年ほど前の話。今や、人間と魔人、さらにはモンスター達までも当たり前に出入りし、商いに力を入れ、共に生活する。最も早く共存を始めた街だからこそ、この大陸の流通の中心として賑わっているのだ。
その街の大通りの突き当り。旧魔王城もとい、デコンカイトス城ではちょっとした騒ぎが起きていた。
「キリカ様ー! キリカ様ー!」
侍女達が駆けまわり、兵士たちが一人の少女の名前を叫び走る。
名前を呼ばれている十歳の少女、この城のお姫様であり魔王と元勇者の娘キリカが消えたのはほんの十分ほど前。
専門の家庭教師を呼び、座学の勉強を行っていたが、開始五分で飽きてしまったキリカは部屋から逃亡。鍵をかけていたはずだったが、既にその年齢にして魔力が頭二つ以上抜きんでたキリカは扉を破壊して逃げ出してしまったのだ。
この城では見慣れた景色とはいえ、いくらおてんぱといっても一国の姫だ。城では相変わらずの大騒ぎになっていた。
――さて、そんな姫が向かった先は、城の中庭の隅にある小さなベンチ。
「こんにちは、いらっしゃっていたんですね」
城の塀の上を走り、木に飛び移り、そのままベンチの前に着地すると挨拶をするキリカ。まともな人間ならふわふわなドレス姿のお姫様が急に落下し満点着地を行えば悲鳴の一つでも上げるだろう。しかし、声をかけられた女性はとっくの昔から来ることを予測していたかのように当然のように笑いかけた。
「うん、しばらくはこのお城でお世話になるよ」
そう言い、女性はキリカの頭を撫でる。
「少し休んで行かれたらどうですか?」
「今、休んでいるよ」
キリカは頬を膨らませた。
「どうせ、分身達がいろんなところで頑張っているんですよね! ――モニカ様!」
十歳の女の子に怒られる女性――モニカは苦笑いを浮かべた。
その金髪も身長も表情も、世界を変えために旅だった時のままだった。少しだけ違う部分があるとすれば、いつもよりも疲れた顔をしているところぐらいだろう。
ダメ勇者と呼ばれていたモニカよりもずっと、大人びた雰囲気を持っていたが、そのどこか気の抜けた笑顔はあの頃のモニカと変わらないままだった。
「な、なんだか、それを聞くと私がサボってるみたいに聞こえるなぁ……」
「あぁ……! そういうことではなくて……」
狼狽えるキリカを見て、ははは、と大きな声でモニカは笑う。
「そんなの分かっているよー。ちょっと冗談を言ってみただけだよー」
「……」
「あ、あれ、もしかしてキリカちゃん怒っちゃってる……? あ、あの、キリカ様―……」
急に顔を上げたキリカは、びしししぃ、と一指し指をモニカに向けた。
「――処刑よ! モニカは処刑よ!!!」
「えぇ――!? そ、それ、おか……じゃなくて、クルミさんのマネだよね!? いちいち、心臓が悪くなるからその冗談はやめて! 本当に!」
昔のトラウマがいろいろと蘇るんだよ……。とモニカが呟いたが、キリカには聞こえていないようでどんどんと詰め寄ってくる。
「でも、お母さんてモニカさんを怒る時に言うよ?」
「あ、あれはね、クルミさんが無理やり私で着せ替えをしようとするかだよ! いいや、着せ替えなんて生易しいものじゃない! あれは一種の痴漢だよ! 変態だよ!?」
「お母さんをそんなに悪く言わないで……」
「訂正するよ! 変態は変態でも心優しい変態だよ!?」
「なんか、微妙に言い方がおかしかった気がするけど……。とりあえず、許します」
どうやら、本気で怒っているわけではなかったキリカに一杯食わされたようで、口元に手を当ててキリカは小さな肩を揺らして笑った。
「まったく、キリカちゃんはわんぱくお姫様だなぁ。今回の剣の稽古は、実戦形式でやるから覚悟しといてね!」
「――はい!」
満開の向日葵のような笑顔を見せるキリカにモニカは笑いかけると、青空を見上げた。
昔、こんな広い空を見上げていたずっと追いかけていた気がする。どこまでも続く道と果てしない青。側には、誰かが居た気がする。
――モニカ、早く行くぞ。
――バテてるんじゃないわよ、モニカ。
耳をすませば、今も聞こえてくる優しい声。
「大丈夫、今でもみんなの声は聞こえているよ」
「……どうかしたんですか? モニカ様」
「ううん、なんでもない。さあ、一生懸命がんばるよ!」
歩き出したモニカの背中をキリカが追う。
この世界では当たり前の一日の始まりだった――。
明日の投稿で完結します




