12話 モニカレベル29 ノアレベル211 アルマレベル211
ノアとシルハが互いの剣術の惜しげもなく披露している頃、アルマの戦いも最終局面に移ろうとしていた。
翼を羽ばたかせて、広い部屋の中を飛び回る姿はさながら天使のようだ。六つ首の竜となったイリヤはアルマを追いかける。
一匹の竜が口を開けば、そこから空間すら焼き尽くすような黒い炎が吐き出された。アルマは、翼を小さくすれば体を宙で回転させてその軌道から避けることに成功する。ひらりひらりと喰らいつく竜の頭を避ければ、光の剣を回転させて四つの首を同時に寸断した。
「四つを斬られたぐらいで!」
残った二つの竜の首は、上と下から挟み込むように口をぽっかりと開いた。そして、その咢の先にあるのは、光の剣を振るったばかりのアルマ。無防備に漂うその体は喰い破られ炎の揉まれて灰になるはずだった。
「でも、イリヤ! 残りはたったの二つよ!」
小さくなっていた翼が大きく広がれば、無数の羽が上下の竜の頭を細切れにした。炎は裂かれ、竜はその形を失う。残ったイリヤの体とも呼べる竜の首が二つ消えた。道ができたのだ、そのチャンスを逃すことはないと漆黒の中に突入した。
「こんな竜なんて使わなくても、ずっと強かったはずでしょ!?」
涙ながらに言い突進するアルマの声はイリヤに届くが、その心を揺さぶることはない。しかし、イリヤを包む炎はただ飾りではない。ぐにゃりぐにゃりと泥のように炎が変形すれば、それは腕の形になる。
「私の持つ三本目の腕、それが魔王の腕、これは力を補うためじゃだけじゃない。……世界の怒りよ」
魔王の腕と呼ばれた腕を持ち上げた。イリヤの三本目の腕とはいえ、都合良く細いわけもなく、それはイリヤの体程の大きさの巨大な腕だ。
接近するアルマへと魔王の腕を引けば、それを殴り落とす。しかし、それはあまりにも早すぎる攻撃。アルマが近づくよりもずっと早いタイミングで、その拳が地面を叩きつけている。
それはミスではなく、攻撃の手段の一つであることにアルマはすぐに気づいた。魔王の腕が叩きつけられた瞬間、拳が砕け、そこから放出されるのはマグマのような漆黒の炎。すぐさま光の剣を横に薙げば、マグマのような炎が霧散する。
単なる遠距離の攻撃のためのものかと思ったが、その予想は次の展開で覆される。
「くっ――!? なに……!?」
霧散したはずの炎の欠片がアルマの翼に絡みつけば、触れたところがカビでも生えるように灰色に侵食していく。他人の魔力に干渉されるという脳を掻き回されるように不快感にもがけば、イリヤの前へと叩き落された。落下しながらも、魔王の腕によって干渉を受けた翼を強制的に切り離し、無事だった獣の翼を下から上の方へ逸らして、それを動かすことで落下のダメージを抑えた。それでも、心身共に根深い攻撃を受けたことには変わりはない。
立ち上がろうとするアルマの眼前には、漆黒の竜が大口を開けて威嚇していた。
「積んだわね、アルマ」
顔を上げれば、既に六つの竜の首は復元しその内の一匹は、アルマの眼前で敗北を知らせるように口をぱっくりと開いていた。例え、アルマが目の前の竜を突破したとしても、残りの五体は口内に赤黒いマグマの塊を覗かせている。どうやら、残りの五体はすぐにでも炎で焼き尽くす準備ができているようだった。
「……そうね、どう考えても絶望的な状況ね」
翼をたたんだアルマを見ていたイリヤは安堵したようにホッと息を吐いた。
「それでいいのよ、アルマ。もうこれ以上は、戦う必要なんてない。今は絶望的に感じるかもしれないけど、必ず私達がより良い未来をみせてあげるから」
落胆したアルマは肩を落とした。それは決して決死の攻撃が届かなかったからではない、自分の声がイリヤには届いていないということだ。だからこそ、イリヤの最も嫌がる汚い言葉が込み上げてくる。たくさん悩んだ結果、今初めて本当に心の底からイリヤを敵だと認識した。
「……クソッタレよ、そんな未来なんて吐き捨てた唾と変わらないわ」
生まれて初めて見た蔑むようなイリヤの視線を鋭い眼光で睨みつけるアルマ。
「――後で外に出してあげるから、私の中で眠りなさい」
――バクン、と。漆黒の竜がアルマに喰らいついた。そのまま、アルマを飲み込んだ漆黒の竜は顎を動かした。――が、その顎から上がないことに気づいた時には、イリヤもアルマも意識はその竜が既に逸れていた。
「イリヤアァ――!!!」
光の剣で飲み込まれたはずの漆黒の竜の頭を切り裂いた後、アルマは飛んだ。五つの首がほぼ同時に魔力の塊が発射される。派手な炎が巻き起こり、顎から上を失った漆黒の竜は爆発に飲み込まれた。
「竜達よ! 我が愚妹を喰らええぇぇ――!!!」
手応えがないことに気づきと同時に頭上の気配に振り返るよりも早く、竜達を走らせた。
大口を開けて向かう先は、いつの間にか竜達の頭上に現れたアルマ。魔法に次ぐ魔法で、大爆発を回避したアルマは全身に重力を感じて燃え盛る漆黒の炎の中に飛び込んでいく。
「力を貸して、エステラッ!」
翼を交錯すれば、魔力を帯びた翼が竜達を八つ裂きにする。それでも、動きを止める程度で滅ぼすことはかなわない。それだけで、十分だった。
落ちるよりもずっと早く、空気抵抗を最小限に抑えてアルマは地上で見上げるイリヤへと急降下した。竜達の間をくぐり抜けたアルマは光の剣を構えた。
「どうして言うことを聞かないのよ、アルマ! 貴女がしようとしていることは、さらなる悲劇を生むだけよ! もっと先のことを……未来のことを考えなさい!」
突き刺したアルマの剣を体を反転し回避したイリヤは、その炎に包まれた体から魔王の腕を出現させる。
「何度も言わせないで、私にそんなことは関係ない!」
魔王の腕の出現を予測していたアルマは反射的に光の剣を振るう。腕と剣がぶつかり合えば、同等の力を持つその攻撃により互いの武器を打ち砕いた。
お互いに既に手はなくなったかと思ったが、光の剣を握っていたはずのアルマの右手とは反対に左手が輝きだしていた。
「今を生きる人達の――」
左手を持ち上げれば、輝きはさらに大きくなる。そこに出現したのは光の剣。
魔王の腕を形成するよりも早く、アルマは左手を振るった。
「――邪魔をするなああぁぁぁぁ!!!」
光の剣がイリヤの肉体を切り裂いた。そこには、物質を切り裂く力はなく、イリヤの体内に宿る魔力を根こそぎ奪い崩壊させる。瞬間、漆黒の竜達は世界に溶けて消え、アルマの顔の前まで迫っていた魔王の腕は世界の色に塗り潰された。
「アル……マ……」
生命力とも呼べる体内の魔力を強引に傷つけられたことで、イリヤの肉体から力が抜ける。ぐらりと傾いた体を抱きとめる人間もなく、仰向けに地面に倒れこんだ。そのままつられて倒れそうになるのをアルマは何とかこらえて、虚ろな目をしたイリヤの顔を見た。
「イリヤ……ううん、もう戦いが終わったから、お姉ちゃんだよ。……とんでもない覚悟をしてここにいるのは分かったけど、そんな覚悟をするぐらいなら、少しでもより良い未来に変える努力をしようよ。なにより、さ――」
ふらつく体を支えるように、右手で左腕を支えるアルマは、儚げに微笑んだ。
「――失った者は帰って来ないんだよ。私達にできることは、そんな人達のために今を生きるしかないんだから」
その言葉がどこまでイリヤの感情を刺激したのかアルマですら分からなかったが、イリヤは一筋の涙が頬を滑る。
初めて見る姉の涙を見ながら、アルマは戦いの終わりと勝利を実感しながら同じように涙を流した。




