3話 モニカレベル29 ノアレベル90 アルマレベル92
「先輩……。どうして、こんなところに……」
困惑するモニカ。その動揺は他の分身達にも伝わるようで、モニカを守る為に壁代わりになっていたモニカ達も視線をさまよわせている。
そんなモニカ達の様子を気にする様子もなくクルミは鎧をガチャガチャいわせて歩み寄った。
「モニカちゃんてば、いつもそうよね。私はダメだ、ていつも自分のことを苦しめて……。モニカちゃんはダメじゃない。私が保証するわ」
時に風のように軽く、時に雨のように重たいクルミの声がモニカの心を刺激する。たまたまこんな状況だから、ここまで強く感じてしまうのだろうか。
「でも……やっぱり、私はダメなんです。どれだけ強くなろうとしても、周りに誰かがいないと私は弱いまま……。こんなことを考えちゃう私なんて、本当にダメダメ……」
「ううん、ダメじゃないよ」
クルミの冷たい金属の手の平がモニカの頭に乗せられた。
知らず知らずにクルミの言葉を温かいものだ思ってしまう。クルミの発する一つ一つの言葉が――魔力と共に発せられているとも知らずに。
兜の下でクルミは薄く笑うと言葉を続けた。
「何を言っているの? 今こうやって頑張っているし、みんなと活躍しているじゃない。貴女は他の誰よりも二人の力になっているでしょ。助けたい、力になりたい、そういう純粋な気持ちが二人を支えているのよ」
モニカは俯けば、スカートの裾をぎゅっと握り締めた。
「それはきっと、たまたま私がここにいたから……。私は何も強くない。樹木神のおじいちゃんが貸してくれた力があって、強いノアちゃんとアルマちゃんがいてくれた。本当なら、私の代わりなんて大勢いるんだよ」
「本当にそんな風に考えているの?」
自分を励ましているはずのクルミの声がモニカには、どうしようもなく後ろ向きな発言を促されているように感じた。事実、クルミの声にはそうした類の魔法が込められていたことをモニカは知らない。
「考えたくはないんです! 考えたくはないけど……どうして……私はここにいるんだろうて……思ってしまうんです……。こんな私が、ここに立っていいのか分からなくなります」
どこまでも優しくどこまでいっても冷たい声でクルミはモニカに話しかけた。
「――だったら、やめてしまえばいいじゃない。もう十分頑張ったわよ。そろそろ、休んでもいいんじゃないかな?」
モニカはクルミの発言に一瞬耳を疑う。
「え、今が一番が頑張らないといけない時なんで、そんなことできませ――」
「――だからこそよ、」
グィとモニカの顔の前に自分の顔を近づけたクルミ。兜の隙間から見えた目の輝きと感じたことのない威圧感に出かけた言葉をのみこんだ。
「モニカちゃん、もういいじゃない。十分に頑張った貴女なら、許してくれるわ。だって、私が許すのよ。この世界の意思である私が、貴女を許すわ」
世界の意思、あまり聞いたことのない言葉にモニカは首を傾げた。そのままクルミはモニカの耳の辺りに手を伸ばせば、そっと撫でた。
「もう感じているでしょう? 私はこの世界の意思よ。私に触れることで、私の言葉全てが正しいんだってそう信じられるわよね。さあ、行こう。貴女の大好きな平和で温かく穏やかな場所へ――」
クルミの声は穏やかで、ただただ心地よく沁みこむ。例えるなら、冷えた体で程よい温度の風呂に浸かるようなもの。抗うことのできない頭の溶けそうな熱の中で、まるで言葉の中に沈んでいくようだ。緩んでいく思考、落ちていく虚脱感、ずぶずぶと闇の中に消えていくようだった。
自分が自分じゃなくなる。消えていく、ありとあらゆるものを置き去りにして消えようとしている。そこで、ようやくモニカは気づいた。
――私は先輩に騙された。
早くここから逃げないと、焦り混じりの気持ちで体を動かそうとしても思うように動いてくれない。知らず知らずに、自分の精神は先輩の言葉から放たれた魔力によって拘束されていた。
どっどっどっど、と。心臓のリズムが早くなり、やけにそれだけがはっきりと聞こえる。
怖いけど、言葉通りに消えてしまいたい。
逃げ出したいのに、そこから動けない。
矛盾してしまうのは、どうやら先輩の力。
このまま消えてしまうのか、ノアやアルマを助けるどころかその暗闇の中に呑み込まれる。そして、彼らに大きな迷惑をかける。今まで何度も行われてきた経験が頭を横切る。
――嫌だ。
その瞬間、モニカの周囲に眩い閃光が迸った。
「やれやれ」
クルミの小さな呟きは光の中に掻き消えた。
激しい轟音の後、閃光は消え去り、モニカを守るように大きなクレーターが凸凹と出来上がっていた。
「……あれ、えと」
ふらりと足の力の抜けたモニカは前のめりに倒れこもうとするが――それをしっかり抱きとめる人物がいた。
「すまないの、この体を用意していたら遅くなったわい」
どこかで聞いたことのある声に目を向ければ、そこには二十代半ばぐらいに見える金色の長髪の優しげな風貌の男性が立っていた。優しく支えるその姿は、まるで自分の子供か孫でも抱えるような包み込むような錯覚。そこで、モニカはその人物の正体に気づいた。
「まさか……樹木神のおじいちゃん?」
「大正解じゃよ、ちなみに助けに来たのはわしだけじゃない。……ほれ、上を見てみい」
再び空に何種類もののカラフルな色の光線が雲を突き破り、地上に降り注ぐ。光を受けたモンスター達はあっという間に光に吸い込まれるとその場から跡形もなく姿を消した。
雲の晴れ間から、ミサイルのようなスピードで一人の少女が現れた。その子も見覚えのある人物だった。
「――待たせたのぉ! 魔法少女プリセラここに参上じゃ!」
そのまま、空に引っ張られるように光の軌跡を残しながら天高く昇っていく少女。その名前は、プリセラ。
再び降り注ぐ光のシャワーの後、プリセラはドラゴンリッターの頭の上に乗っていたアルマの横に並ぶ。さも当然のように、プリセラは発生させた魔法陣の上に立っていた。そして、聞こえてくるのは驚愕し絶叫するアルマの声。
モニカは素っ頓狂なアルマの声を聞きながら、急展開に少しずつ追いつかなかった思考が現実感を取り戻していく。
「じゅ、樹木神のおじい……ちゃん? これって、どういうことなの!?」
声にしては随分と若い樹木神人型状態をモニカは見た。
どこかでイメージしていたような優しげな微笑を樹木神は浮かべると、モニカの肩に手を置く。
「モニカが世界の危機に立ち向かうことをこの地に生きる仲間達から聞いたんじゃよ。そこまで聞いたなら、居ても立ってもいられずにやってきてしまったわい。まあ久しぶりに人間状態になろうとしたんで、向かうのに時間がかかってしまったが」
肩に手を置いたままでモニカの前に樹木神は一歩前に出た。それこそ、モニカを守るように。鋭い眼光で睨みつける樹木神の前方には、亀裂の入った鎧で樹木神を見つめるクルミ。
「下がっておれ、モニカ。……確かにモニカが心配だったということも事実じゃが、わしが戦う大きな理由の一つに奴の存在もある」
「この世界の声とも呼べる樹木神様が介入してくるなんて、やりすぎじゃないかしら」
「本来なら、人と魔の物の争いに口出しはしない。……しかし、お主はこの世界の在り方すら変えようとしておる。お主を歪ませた責任がこの世界にあるというなら、わしの責任でもある。介入する理由なんてなくとも、お主を止める責任がわしにはあるわい」
「へえ、自分が世界を歪ませているていう自覚はあるんだ……」
樹木神とクルミの殺気に、モニカは先程からまともに喋ることすらできずにいた。少しでも口を開こうとすれば、二人に殺気に挟まれたことで息が苦しくなる。
顔を青くさせながらもやっとのことで、モニカは口を開いた。
「樹木神様! 先輩! どういうことなのか、説明してっ!」
樹木神は苦々しげな表情を浮かべれば、クルミの姿を見据えた。
「モニカも薄々は気づいておるじゃろ……。この世界の異変、邪王、全ての黒幕……それが、奴なんじゃ。――そうじゃろ、クルミ?」
「クル……ミ……」
樹木神の不意の攻撃を回避できなかったせいか、クルミの兜の亀裂は広がり、兜は割れ、それに呼応するように鎧も粉々に砕け散った。
樹木神には見慣れた姿がそこにはあった。
少し買い物にでも行くようなラフな格好にいつまで経っても変わらない外見。長い髪の毛は、面倒くさくて手入れを怠っている反面、余計な手間を必要とさせないほどに綺麗な自慢の髪だからこそなのかもしれないとすら樹木神は思ってしまう。
「お主を選んだことはまちが――」
「――お母さん?」
樹木神の言葉はモニカの発言によって停止する。出かけた言葉の代わりに、樹木神の口から漏れる言葉は「やはりか」という半ば諦めるような落ちたトーンの声。
モニカは目を丸くさせて、目の前に立つ人物を見ていた。雰囲気は違うが、それはどう見ても母親の姿。
「逞しくなったね、モニカ」
絶対にいるはずがない、この世界に母親がいるはずなんてない。そう思いながらも、その顔には見覚えどころか忘れるわけがない、クルミと呼ばれた彼女の姿は――間違いなくモニカの母親だった。




