9話 モニカレベル29 ノアレベル90 アルマレベル92
アルマの目にははっきりとその姿を捉えることができた。
大量の魔力を内包した卵が強引に割られるように、ノアという卵の殻を突き破り何かが生れ落ちた。ノアという火山を中心にマグマのように爆発した魔力の衝撃から逃げるシルハが高くジャンプして後方に退いていくのが見えた。空間すら歪めるような魔力の波の中でようやくノアがゆっくりと立ち上がる。
ノアの銀色の髪は妙な光沢を帯び、肌色は黒く染まり、青い瞳は強烈な魔力が全身に巡っていることを証明するかのように赤色に変色した。おまけに、彼女が人外であることを明確にする二本の角が生えていた。そこにいるの存在はノアであると同時に、それとはまたずっと違う何か。
ただモニカの抱き方を見る限り、その立ち振る舞いはアルマもよく知っているノアそのものだ。ただ、今のノアを最も近しい存在で例えるとするならば――。
「――……魔人」
見覚えのある魔力の波動、そもそも魔力そのものとすら思える姿。今のノアは間違いなく――魔人だった。
トン、と軽い音を立ててノアが地面を蹴れば瞬きの早さでアルマの前にノアが現れた。
「モニカを頼む」
「あ、え……」
押し付けられるようにモニカの体をアルマに託す。魔法でも使わなければ自分と同程度の体重のモニカを簡単には支えられるわけがないアルマは、抱きとめることはできずノアから預かったモニカの肉体にしがみつくように支えた。
「すぐに治療魔法を使えば、どうにかなると思う。私は、あの人を倒す」
思った以上にはっきりとした言葉にアルマはやっと現実感を感じ始めてきた。そのためか、今こんな話をしても時間の無駄だと考えつつも問いかけた。
「……ノアは魔人になったの?」
しばらく黙ったノアの表情には戸惑いはなく、口を開くタイミング探しているようだった。そして、さほど時間は置かずに返答をした。
「たぶん、違う。詳しいことは何も言えないが、おそらく……最初から私は魔人だったんだ。……怖いか?」
ううん、とアルマは首を横に振れば清々しいほどに真っ直ぐな眼差しで見つめた。
「ノアはノアでしょう? アンタに怖がっている暇があるなら、どうやってアンタのしょーもない性癖を無くそうか考えることに頭を使うわよ」
ははは、とカラッとした声で笑ったノアは振り返ると同時に剣を振るう。
振り返るついでのように軽く動かした剣が真後ろに迫っていたシルハの剣を叩き落した。バランスを崩したシルハは地面に叩きつけられたが、すぐさま体を強引に回転することで衝撃を最小限に抑えたようだった。
突然、強烈な魔力を放つようになったノアを前にして怯えていた様子だったが、それも行き過ぎればどうやらシルハの平常心を奪うような状態に辿り着いたようだ。
「アルマ、すぐに終わらせるからそこで待っていてくれ」
先程、現れた時と同じような軽い、タン、という足音を残してノアは飛んだ。
ぐんと加速をして突っ込むノアは吹き抜ける風のごとくシルハの前に立つと剣を横に薙いだ。
「お前には感謝しないとな!」
『グギギ!』
ぶつかり合う剣の力は魔人として目覚めたノアの時とは段違いの力。剣で斬るといよりも刃物で殴りあうといった方が適当に思ってしまうほどの激しい衝撃と衝撃のぶつけ合いに戦いは変わっていく。
嵐の中心のようにノアが刃を振り回せば、受けたシルハはよろめき、揺れるバランスを戻すように動けばそのままシルハはノアを剣で殴りつける。それが母の力なのか、それとも瘴気が付加したものなのかは不明だったが、魔人となったノアの肉体を浮かせた。
「お前のおかげで、私は自分の本来持っていた力に気づくことができた!」
浮き上がった体を着地する勢いを増して、剣を振り下ろした。真っ向から受け止めたシルハの剣が芯が抜き取られたようにぐにゃりと曲がった。
『イーギィィ!』
シルハは己の黒い影を揺らめかせて笑い声を発した。
自分よりも高位であるはずの魔人と刃を交えていることに興奮を感じているのか、それとも己の力と拮抗する好敵手と出会えたことが嬉しいのか奇声染みた笑い声を上げ続ける。
変形した剣が元の形を取り戻すように、曲がった剣がノアの方向へと反対に折れ曲がる。
「……ぐぅ!?」
力任せに押し上げられ、地上から十数メートルほどの位置まで吹き飛ばされるノア。対してシルハは剣を引いて、ノアの姿を赤い目で見つめる。直後、その赤い目が狙いを定めるように細くなった。
――来る、反射的に宙で体を横に捻ったノアの脇腹を槍のように変形したシルハの刃が掠めた。
「ノアッ!?」
横腹を傷つけられたノアだったが、魔人化したことで手にした異常なまでの自然治癒能力であっという間に付けられた傷を癒した。同時にそれはチャンスになり、ノアは磁石で引かれるような速度で地面に着地した。目前に立つのは、無防備にも腕を頭上へと伸ばしたままのシルハ。
「お前には許せないことが三つある」
ノアの剣の先から電流が迸る。そのままシルハの脇腹を穿てば、悲鳴のおまけつきで黒い影の左半身がぐにゃりと歪めば後方へと飛んだ。
「まず一つ目! お前はお母さんの死を愚弄した!」
過去や悩みや不安や憎しみやしがらみや様々な感情の奔流の中で、ただノアは悲しみを振り切り、かつてシルハだった存在を追撃する。
「そして、お前よりもお母さんの方がずっと強い! これで二つ目だ!」
シルハを追いかけたノアはまだ距離が空いているというのに、めいいっぱい剣を振るった。すると、自然とそこに魔力が宿り刃の波動となって後退を続けるシルハを追いかける。
うまく逃げられたものだと高笑いを上げかけていたシルハは距離感すら超えた斬撃をまともに受けて壁に叩きつけられた。生命力を削られた証明のように、黒い影が不安定に乱れた。
「そして、一番許せないことだ!」
母の背中を追いかけながらも己の甘さと悩み、どれだけ足掻いても手に入らないものを突きつけられた。二度と母と会えないなら、もうこのまま生きている意味なんてないのかもしれない、家族にあわせる顔なんてないのかもしれない。そんなことも考えた。
だが、違うのだ。
大切な友人が傷つけられたことで、それらは全て間違いだと気づいた。
今生きている人達に精一杯笑っていてほしのだ。過去じゃない、現在を生きる大切な人達の幸せが何よりも一番で守らなければいけないことだ。
ノアは思い浮かべる。大切な人たちの顔、そして彼らと自分の姿。
誰かが欠けても、誰も幸せにはなれない。
母もきっとそうだったのだ。現在を生きる人のため、剣を握り、未来を守れたことで満足して最後を迎えた。今なら分かる。母がどうして戦い続けていたのかを。
「お前は、」
最後の抵抗をするかのように、シルハは接近するノアが得意の突きを放つために腕を引いた瞬間、己の腕を槍に変化させてノアへと伸ばした。それは、母の一撃によく似ていた刃の一刺し。
しかし、ノアはその刃を剣を握っていない方の左手を拳の形にすれば力いっぱいに弾き飛ばした。その力の強さの前にシルハの腕はちぎれ、空気に溶けて消えた。
「――お前は、私の大切な友達を傷つけたっ!!!」
一直線に現在放つことのできる最も最速の刃でシルハの影を貫いた。
「お母さん、私は貴女を尊敬し愛している。……貴女の子供に生まれて、ノアは幸せでした」
一筋の涙を流せば、そっと誰かに頭を撫でられた気がした。
「さすが私の娘だ。……この洞窟を抜けた先にある北の城を目指しな。全ては、そこで――」
「え、お母さん……!?」
ハッと顔を上げてみれば、そこにはシルハの影も形もなく、岩場に深く突き刺さったノアの剣があるだけだった。
「今のは一体……」
剣を腰の鞘におさめれば、視界が薄く暗くなっていく。どうやら、魔力というものを使い過ぎたようだ。頭を触ってみれば、違和感のありまくっていた角もそこにはない。
疲れたように溜め息を吐き、そっと肩膝をつけば僅かな時間の黙祷。こんなことをしても時間の無駄だと言いそうな母の顔が頭に浮かべば、すぐにモニカとアルマのいる方を向く。
「まったく、心配ばかりかけさせないでよね……。ほら、モニカも何とか言ってやりなさいよ」
アルマが肩を貸す相手は、いつものように気の抜けた笑顔を浮かべたモニカ。えへへ、と笑えば傷がまだ痛むのかいつもよりも小さく手を振った。
「さっすが、ノアちゃんだね。凄いかっこ良かったよ」
「モニカ、アルマ。……ありがとう」
頬をほんのり赤くして、そんなことを言えば三人で笑い合う。
自分が魔人であること、母親が残した謎の言葉。
これが終わりではないことを嬉しくも思い、少しだけ寂しいとも考える。だが今は――。
――今を生きる彼らと笑い合おう。
まだまだ強くはない自分を情けなくも誇らしく思い、いつか最強の戦士の夢を見てノアは再び歩き出した。




