8話 モニカレベル29 ノアレベル40 アルマレベル92
アルマの発した言葉に驚愕するモニカは、ノアの顔を窺えばそこに驚きはなく苦悶の表情のみが見える。それでもノアはアルマに返事をすることなく、女の影を見据えた。
女の影は最優先の目標を定めたのか、刃の先をノアに向けた。
「アルマちゃん、亡骸って……?」
「アンタには……黒くて人の形をしたモンスター……ぐらいにしか見えないでしょうけど……。奴は間違いなく人間の体を使って動いているわ」
「意味がよくわかんないよ……」
言い辛そうに口を開いたアルマはモニカの質問に返答する。
「ここからは状況や魔力の残滓で判断した予想だけど、この洞窟の様子から考えるとノアのお母さんはモンスター達を倒すことに成功したのは間違いないわ。おそらく……その後、力尽きてしまったのでしょうね。この瘴気の充満する洞窟内で残されたノアのお母さんの肉体に恨みを持つモンスター達の瘴気や魔力が蝕んだ結果、彼女を全く別の存在に変えてしまったと思われるわ。モンスターなんていなくても、私達に幻を見せることぐらいできる洞窟なんだもの……きっと時間をかければ、それぐらいできるでしょうね」
事務的とも思ってしまう淡白な喋りに、モニカはアルマに詰め寄る。
「意味わかんないよ! それじゃ……それじゃ……ノアちゃんのお母さんは……!」
否定を声にする代わりにアルマはゆっくりと首を横に振った。苦しくなる胸の内を解放するかのごとくモニカは声を荒げた。
「じゃあ、どうやったら助けることができるの!? アルマちゃん!」
「――できるなら、最初からやっているわよ!!!」
両手の拳を握り締めたアルマは叫ぶ。だからこそ気づくのだ。事実を前にして苦しんでいるのはモニカだけではないことに。そして、その現実をより明確にするかのように刃と刃がぶつかり合う金属音が周囲に響いた。
言い合っていた二人の視線の先、ノアと女の影が刃を交えていた。自在に形を変える女の影の剣を重力を感じさせないような機敏な動きで避けたノアはモニカとアルマの前に着地した。
「二人とも……。ここは、私に任せてほしい」
「馬鹿なことを考えているんじゃないでしょうね?」
返事をしようとしないノアに苛立ったアルマは声を大きくさせる。
「何とか言いなさいよ! ノアッ!」
「……すまない。甘いと言われても、私はまだ諦めたくないんだ」
早口でそれだけ言えば、ノアはかつてシルハだった存在へと駆け出した。
「なにやってんの、そんなのバカよ……。アンタの気持ちが分かるから、私はアンタを止めたいのよ……」
ノアの心の痛みがまるで自分にも流れ込んできたような胸の苦しみにアルマは胸元を押さえた。
大切な存在を失うことの辛さを知っているアルマは、ノアの気持ちも理解できる反面、救えないと気づきながらも必死に抗おうとする姿が破滅へ転がり落ちていっているようにも見えるのだ。
どうしたらいいのか分からないと狼狽するモニカには悪いと思いつつも、アルマにはノアの戦いを止めなんてことができるとは考えられなかった。
※
ノアが走り、女の影……もといシルハが天井まで高くジャンプをすればそこから急降下。常人なら足の骨が折れたり無傷では済まないようなスピードと高さからの落ちてくる。しかし、奴は既に人ではない。
怪力で振り回された剣がノアの首を刎ねるために躍動した。
「ぐっ――! お母さん!」
防御に専念したはずのノアの剣が弾かれ、すぐに体勢を整えようとするが、がら空きになった脇腹を槍にでも突かれたような鋭い蹴りが放たれた。
胃液を吐き、体を大きく内側に曲げたノアは地面に体を打ち付けて転がる。それは一時の休戦に繋がることもなく、まるで羽でも生えているように俊敏に動くシルハの影に反応したノアは痛みに堪えつつ横転する。
長さと大きさを五倍以上に変えたシルハの剣が岩の塊であるはずの地面を砂のようにえぐり掘り起こす。
「うぁ……!? お母さん、頼むから止まってくれ……!」
死に物狂いでシルハに駆けていくノアにはいつもの勢いはなく、明らかな手加減がそこにはあった。剣を使うまでもないと判断したのか、ノアの狙いの乱れた剣を体を逸らせて回避したシルハは体を戻す際の勢いを乗せてノアへと刃を横に振るった。
「気づいてよ、私がノアだよっ!?」
全力で攻撃をしなかったことが幸いしたのかノアはシルハのカウンターに反応し、剣で受け止めた。だが、それでもシルハの常人離れした怪力だ。剣と剣で防いだはずだったが、ノアの体は簡単に剣の流れた方向へと吹き飛ばされた。
「は、話を……聞いてくれぇ……!」
追撃をするシルハの刃を受け流し、訴えるように助けを求めるように叫ぶノア。それは無情にも無反応のシルハの猛撃が返事になった。
「約束……したんだ……」
受けては流し、斬り返しはするもののそこには牽制の意味しかない。
「みんなに、家族に……誓ったのに……」
体を斬りつけられ、血を流し、次第に鈍くなっていくノアの体とは反対に血を見たことで興奮したように赤い目をさらに輝かせながらシルハの動きは加速していく。嵐のような刃の中で、背中に固い感触を感じて意識を向けたところでノアはようやく自分がこれ以上下がれないことに気づいた。
飛び掛るシルハは獰猛獣のような荒々しさでノアに力いっぱい剣を振り下ろした。
「――私がノアなんだよ!? お母さんッ!?」
今まで受けて流せていたのは全身の動きを駆使してシルハの攻撃を受け流していたからだ。しかし、今はまともに身動きもとれないために攻撃を逃がす場所なんてなく、シルハの強烈な一撃を肉体に受けることになる。
「がはぁ……!」
まともに刃を受けることは避けることに成功したが、魔力を放出する剣から放たれた衝撃波を肉体で受けとめることとなったノアは地上を抉りながら地面を転がった。
「ノア!」
「ノアちゃん!」
ノアの耳には宿の隣の部屋から聞こえてくるような、そんな自分とは違う場所から自分を呼ぶような遠くから声が聞こえたような気がした。耳は痛み、雷を浴びたように視界は点滅し、先程まで動いていた肉体はどれだけ立ち上がるように指示を出しても動こうとしてくれない。ただ、それでもノアの狭くなった視界の中でシルハが赤い目を光らせて倒れる自分を見ていることには気づいていた。
もうダメだ、ここでやられる……。つい数分前までの熱い思いからうって変わり、今のノアの胸中にあるものは――諦め。
どうせ母には勝てないと思っていたし、彼女に声が届かないことも気づいていた。だが、それでも呼びかけ続けたのはモニカのマネをしていたかっただけなのかもしれない。それか、強くあろうとして届かないところに立ったアルマと肩を並べていたかっただけかもしれない。
今さら、自分の抱くモニカへの感情が冷静に思い返される。
モニカへの好意は確かだ。しかし、同時にモニカに憧れていたのだ。
初めて会った時も、危険な状況に立たされた時も、誰もが膝をついた時だって、いつだってモニカは諦めずに立ち向かってきた。小さな体に必要以上の痛みを背負い、それを笑いながらあの子は突き進んで来た。田舎の村で生涯を終わるものだと思っていたノアからしてみれば、まるで身近に太陽でもやってきたように異質で眩しい姿だった。それこそ、弱い暗闇の自分がモニカという光で溶かされてしまいそうなほどに――。
口ではいろいろ言いながらも一歩も進めなかった私と、無我夢中で進むモニカ、どう考えても彼女は立派な勇者だ。
キミは立派な勇者になる。心の中でそう告げれば、視界の中にいたシルハが消えた。
「お別れだ……」
顔を頭上へ向ければ、トドメを刺すために、シルハが宙を飛び剣を構えて落下する。みるみる内に、シルハの影が視界の中で大きくなっていく――救えなくてごめん、お母さん。
「――ノアちゃあぁぁぁぁぁぁん!!!」
少し長い金髪、蛍のように降り注ぐ光の粒子は魔力。――モニカ・アブソリュートとなったモニカがノアとシルハの間に立っている。あの黒い剣をモニカはしっかりと受け止めていた。
シルハからノアを引き離すようにモニカが剣を横に薙げば、力の押し合いに負けたシルハは宙で反転して着地した。そして、仰天した様子のノアにモニカは振り返れば、いつものどこか力の抜けた笑顔を見せた。
「……大丈夫、ノアちゃん?」
「あ、ああ……ありが――」
ぐらりとモニカの体が傾けば、そのまま軽い音を立てて地面に倒れた。
「お、おい……。何の冗談だ……」
金髪の色は元の黒髪を取り戻し、身長は縮み、普段の小柄なモニカの姿に戻っていた。
事態が飲み込めないノアは重たい体で倒れこんだモニカに手を伸ばす。そして、ソレに触れた。
「ぁ――」
生温かい感触。次にやってくるのは唐突の吐き気。しかし、自分にそんな権利はない。こんな状況を起こしてしまった自分には。
ぬめりとした不快な感触で自分の手の平を見てみる。――手の平にはモニカのものと思われる真っ赤な血液が付着していた。まるでソレに気づくのを待っていたかのように、動かないモニカの体からじわりじわりと血液が地面に染み込みはじめる。
強烈かつ凶悪かつ暴力的かつ悲劇的かつ地獄のような光景を見たノアは、突然乱れた呼吸のリズムを意識した瞬間――
――ノアの何かが覚醒した。




