7話 モニカレベル29 ノアレベル40 アルマレベル92
「二人とも、無事?」
虚ろな目で周囲をキョロキョロと見回すモニカ。そして、早い段階で目覚めていたノアは神妙な顔つきで頷いた。
「一体、さっきのは何だったんだ……。こちら側の時間はそれほど経過してないようだが……」
懐から取り出したのは、ノアが持ってきていたパン。
ノアが体感した時間は、数週間。もしもあちらの世界通りだったら、既にこのパンは傷んでいるはずだ。しかし、腐るどころかどこにもカビ一つ生えている様子はない。試しにパンをちぎって口に入れてみるが、その味は村を出る前に持ってきた時と何ら変わることはない。
「おそらく、この魔物の巣に充満していた瘴気が魔力を通して私達を攻撃したんじゃないかしら? モンスターは生活していなくても、ここは魔物の巣ていうことね。この洞窟はやっぱりまともじゃない……。きっと本来なら人を襲わないようなモンスターなんかもここの瘴気に触れて凶暴化したりとか迷いこんだ人間を狂わせる良くない魔力とかが流れやすくなっているのかもね」
「だが……どんな理由があろうとこんな風にして、襲われるとはな……」
驚きはしているもののノアの表情からは攻撃されたことに対しての不快感はさほど感じられない。その顔を見ていたアルマはノアも自分と似た幻影を見せられていたことに気づいた。
「絶望から逃れるよりも幸福から出て行く方が辛いものよね」
ノアもアルマも何かを失っている。口にはしなくても、互いがその目で見た幻は体を溶かしてしまいそうなほど甘い夢だった。そんな砂糖菓子のような世界から抜け出した彼らの目に映る現実は、やはりどこか辛くて現実という料理を口にしたいかと聞かれれば、食すどころか目を逸らしたくなるようなものだ。
「――でも、この現実だからこそ二人に会えた」
口を閉ざしていたモニカが突然そんなことを言えば、アルマやノアの視線は吸い寄せられるようにモニカへと集中する。
モニカにとってもあの幸福な世界を体感したはずなのに、今ここにいる誰よりも真っ直ぐに現在と未来を見ていた。
次の言葉が浮かばないだけだったノアとアルマだったが、モニカには自分の言ったことが伝わってなかったように感じ、ダメ押しのように再び口を開いた。
「幻の中にいた時は全然疑問を感じないまま、凄く幸せに思ってた。だけど、ダメダメな私にはあまりにも幸せすぎて気づいちゃった。……だから、思ったんだ。私にとっては、どんな世界でも本当の二人がいる世界で生きていきたい。……みんなで変わっていきたいよ」
そこまで言ってしまってから恥ずかしくなったのか、モニカは舌を出して照れ笑いをみせた。
「ニセモノの世界よりもホンモノの方がやっぱり大変だけど……ずっと幸せかな。ぇと……え、偉そうに言ってごめん! あ、あの私ね――え?」
「「モニカ!」」
ノアとアルマがモニカへ駆け寄れば、その体を強く抱きしめていた。そんな二人の目にはうっすらと涙が浮かぶ。
「……モニカの言う通りだ。私もホンモノと過ごしたい」
「モニカのくせに偉そうに……! アンタの言うことは大正解よ。一緒にホンモノになりましょう」
「うわっぷ! ふ、二人とも苦しいよー!」
モニカはジタバタと暴れながらも、何だか嬉しそうにしてくれる二人を見て、力を抜けばただただ二人の抱擁の温もりを感じ続けた。
ああ、これが本当の幸せの温もりなんだと知った。
※
入った時よりもずっと軽い足取りで洞窟の奥へと目指す。
そこに何があるのか分からないし、ずっと体にのしかかるような重たい空気も気にはならない。それはきっと、二人のおかげなのだと三人が思い続けていることだった。
三人はようやく洞窟の最深部と思われる広い空間に辿り着いた。
もちろん灯りはないため、そこには暗闇が広がっていることが手に持ったマキア石の淡い光だけで判断をつけるしかない。
「明るくするわよ」
アルマが手の中に光の球を出現させると、それを空に放り投げた。花火のように光がバラバラと弾ければ、その大粒の光の粒子が張り付けば蛍光灯のように空間を照らす。そこはまるで蛍光灯を備えた体育館のように広い空間だった。岩の敷き詰められた空間には何もなく、人を圧迫させるような大量の岩石が前も後ろも横にも視界に広がっている。
「マキア照明代わりの魔法よ。数時間はこの灯りが持つはずだから」
「最初からやればよかったじゃないか」
ノアがマキアたいまつを足元に転がせばそんなことを言う。
「歩くたびに洞窟に灯りをつけて回れってわけ? そんなことして、起こさなくてもいいものを刺激するかもしれないでしょ?」
「……そうだな、確かにあれ以上おかしな出来事が起こるというなら……お腹いっぱいだな」
先程見せられた幻のことを思い出したのか苦々しい顔でノアが言えば、袖を引かれたことに気づき隣を見る――怯えた表情のモニカが一点を見つめていた。
「ノアちゃん……アルマちゃん……。何かいるよ……」
「何か?」
引き寄せられるようにモニカの視線の先を見れば、黒い人影そこにいた。
その人物に顔はなく、判別できるのは長い髪の女の姿をしていることぐらいだった。いや、唯一顔と呼べるものがあるとすれば、首から上の頭の部分に光る二つの赤い光点が目と呼称できるかもしれない。後はしわもなければ髪もない、のっぺらぼう。全身がまるでマネキン人形のようだ。
「危険な感じがするわね……。ノア、準備を――て、なにしてんのよっ!」
戦闘態勢をとろうとしたアルマだったが、ゆっくりとした動きで前進するノアに気づいて慌てて声をかけた。
謎の敵に対して、あまりにも無防備過ぎるノアの動作に驚いたアルマは歩みを止めようと手を伸ばすが――。
「――私は冷静だ」
静かな、それでいて、胸の内の何かを隠すような低い声にアルマは伸ばしかけた手を止めた。
まるでモニカやアルマから己を遠ざけるように数歩進んだノアは足を止めて、見覚えのある女性の名前を呼んだ。
「――お母さん」
どうして、という口調で問いかけたその声に残された二人は耳を疑う。
「お母さんって……え!? なんで!? あれじゃまるで――」
言いかけたモニカの言葉をアルマが代わりのように続けた。
「――モンスターと変わらないわね」
「アルマちゃん……!」
ストレートな言い方をするアルマを咎めるように名前を呼ぶモニカ。
「モニカ! アルマは何も悪くない、間違ったことは言っていない……」
「じゃ、じゃあ、あれはノアちゃんのお母さんにそっくりなモンスター……?」
自嘲気味に笑うとノアは首を横に振った。
「親子だからかな、私には分かる。まあ数分前までは一緒に過ごしていた人だから、信憑性は高いぞ。ああ……間違いなく、奴は私の母だ。たぶん、そっくりとかそういう段階じゃないぐらいに――伏せろ! モニカ!」
「へ?」
アブソリュート状態でもないモニカには、到底反応できないものだった。――黒い女の影が矢のようなスピードで一直線にモニカに向かったのだ。
「こんのぉっ――!」
ノアが叫ぶよりも早く動いた影がもう一つ。アルマがモニカと女の影の間に割り込む。
右手を伸ばしたアルマの前方には魔力で作られた障壁が張られ、女の影はその手の中から突如出現させた黒い剣を振り落とし、障壁とせめぎ合っていた。魔力の刃と魔力の壁、魔の力同士のぶつかり合いで空間で光が弾ける。
「二人から離れろっ――!」
すかさずノアも女の影に斬りかかるが、まるで背中に目でもあるかのように軽やかに地面を蹴れば宙で反転してノアの背後に着地する。既に女の影は戦う準備ができているのか、独特の剣の構え方でノアへと突っ込んでくる。
間近でノアの刃を受けたことがあるモニカの記憶がよみがえる。
「ノアちゃんと同じ構え方!?」
舌打ちをしたノアは、体を捻らせて反転。女の影の刃を受け流すが、すぐに刃を振るう女の影に反応してノアは己の剣と交錯させる。
「お母さん! もうやめてくれ! 私が分からないのか!?」
必死の訴えをするノアの声すらも一つ隙だと思ったのか、女の影は剣を握ってないほうの拳がノアの顔面を強打する。
「――んぐぅあ!?」
頭を強引に引っ張られるようにノアは体を宙で水平にしながら、地面に落下する。うまく受身もとれなかったため、すぐに体を動かすことができなかったノアの上に女の影がまたがった。そして、女の影は己の剣の刃先をノアへと向けた。
「お母さんっ!」
悲鳴に近い声を上げるノアの声にアルマは自分の声を重ねる。
「戦いなさい、ノア! ここで死んだら後悔するわよ!」
アルマの声に反射的にノアが反応すれば、剣を再び強く握り直せば、がむしゃらに女の影へと剣を振るった。
『ギギギ』
到底、人間が出すことができないような軋んだ扉のような声を出す女の影は高く飛んでノアから距離をあける。剣を振り回した勢いのままにノアが立ち上がれば、すぐに剣を構えなおす。しかし、攻撃を受けていないはずのノアなのだが、その顔には戦闘時間以上の疲労がその顔に浮かんでいるようにも見えた。
忙しない呼吸を落ち着けることができず、ノアはなおも語りかける。
「お母さん、私が……私が分からないのか!? ノアだ……ノアだよ……ここまで会いにきたんだ……」
再び突進してくる女の影に反応し、ノアはその刃を悲痛な表情で受け止めれば、体をふらつかせながらもいなす。
その姿をモニカは心配そうに見つめ、アルマは鋭い眼光で見ていたが我慢できないといった様子で強い声を発した。
「――ノア! 刃を交えたなら、アンタも気づいているんでしょう!? 手を抜いてはいけない敵だってことに! だって……ソイツは……」
「――言うな、アルマ!」
やっぱり気づいていた。アルマはノアの心情に気づき表情をより厳しいものにすれば、アルマが何を言い出すのかと不安そうにしていたモニカにチラリと見れば、すぐに言葉を続けた。
「……ソイツは、アンタの母親の亡骸で動いているのよ」




