2話 モニカレベル29 ノアレベル40 アルマレベル92
食堂で自分の母親の話を聞いたノアは、茫然とした様子で食事を終え、「一人にしてほしい」とだけ告げれば宿屋を出てどこかにフラフラと消えた。
ノアを一人にして、ゆっくりと部屋でくつろぐ気にもなれないモニカとアルマは食堂でぼんやりとお茶をすすっていた。
「ノアちゃん、元気出してくれるかな……」
「もう遅い時間だから、そんなに遠くには行ってないと思うけど……。でも、生きていると信じていた母親の死を仄めかす話を聞かされたら辛いものよ。待てるだけ待っといてあげましょう」
ほぼ同時に二人で溜め息を吐いた。その時、二人のテーブルの上に見覚えのない料理が置かれた。何かクッキーのようなお菓子に砂糖をまぶしたものが、バスケットの中に入ったものだった。顔を上げると、先程ノアの母親のことを教えてくれた給仕の少女がそこにいた。
「あの、これ頼んでないんですけど……」
手を伸ばそうとするモニカの右手をアルマが叩き落しながら、そんなことを聞く。
給仕の少女は申し訳なさそうに首を横に振った。
「いいえ、これはお詫びみたいなものです。私がおかしなことを言わなければ、お仲間を悲しませることなかったのに……」
「貴女は悪くないわ。この村にいる以上は、どうせいつかは知る話だっただろうし……」
――ノアの母親であるシルハが行方不明。それも三年も前から姿を見ていない。
それはノアの父親からモニカも聞かされていた事実ではあったが、もしかしたら、という希望がそこにはあった。しかし、ここまできて、とうとうそういう希望を砕くように村中の人間が口を揃えて話をしてくれた。
三年前のある日、もともと魔物の巣と呼ばれていた洞窟から大量のモンスター達が侵攻してきた。魔物の巣に一番近い、この村を狙ったようだった。
偶然にも村にやって来たシルハは、侵攻してきたモンスター達を見事撃退。英雄として村から賞賛を浴びたが、すぐに魔物の巣からモンスターの軍勢がやって来ることシルハは知る。そして、村を世界を守るためにシルハは単身で魔物の巣に向かった。そして、そのまま帰って来ることもなければ、モンスターがやってくることもなかった。
村人達は語り続けている。伝説の英雄シルハを。
給仕の少女が言う。
「シルハさんの娘さんと私の年齢が近かったので、凄くシルハさんにはよくしてもらったんですよ。でも……やっぱり、私て軽率でしたね」
「もう、気にしないでよ! 今度、そんなうじうじしたら、本当に怒るわよ。見なさい、この子なんて、貴女が置いたこのお菓子を全く貴女の話を聞かずにがっついているわよ」
「もごもごもぐもぐ……。ん、なぁに?」
唇や頬を砂糖で汚しながら、モニカがアルマを見た。なんでもないわよ、とアルマは手をぱたぱた振れば、きょとんとしている給仕の少女に視線を送る。
「ところで、貴女の名前は?」
「あ、申し遅れました! 私はエマと申します」
「そう、エマよろしくね。……ん、このお菓子おいしいわね」
一枚口にしてみれば、見た目よりもすっきりとした甘さとまぶした砂糖がうまく重なり合ってお菓子としてはお金を取れるぐらいものではないのだろうかともアルマは思ってしまう。
「ねえねえ、ノアちゃんのお母さんてどんな人だったの?」
服の袖でごしごしとお菓子のカスを拭けば、興味津々といった眼差しでエマを見た。
「凄く優しい方で――。……て、もうこの辺のことは話してしまいましたね」
可愛らしい笑みを一瞬だけ浮かた後に、エマは言葉を続ける。
「幼い私がモンスターから襲われているときに救い出してくれたのが最初の出会いでした。その日は、少し遠くまで野草を摘みに行った日の帰りでした。一人で森の中を歩いていたら、突然目の前に大型モンスターが現れました。そんな時に、恐怖で動けなくなった私を救い出してくれたのは、ノアさんのお母様であるシルハさん」
テンションが上がってきたのか両手の拳を握り締めて、上気して赤くなった頬で声を荒げるエマ。
「もうダメ、もう死んじゃう!? そんな時に、颯爽と彼女は現れて、自分の体の何倍も大きなモンスターを剣の一振りで退治……! あまりの剣速で血の一滴すら出ないモンスターを横目に、私に語りかけてきたんです。もうほんとーに少女のようなそれでいてどこか母性的な笑顔で、「大丈夫か?」と。そう言われた瞬間、私はシルハさんのことを大大大好きになったんですよ!」
「そ、そうなんだ、それはわかっ――」
「――ところがどっこい! シルハさんの話は続くんです!」
話に熱が入り始め、止めようとしたアルマを無視してエマの語りはさらに燃え上がる。
「助けてくれたお礼にということで、シルハさんを村に招いたのですが、そこでもシルハさんは人気者に! お年寄りが農作業で大変なら、喜んで手を貸し、子供達が寂しそうにしているなら、一緒に遊ぶ。私にも、たくさんのことを教えてくれました。勉強、お仕事のこと、シルハさんが体験した冒険の話……。あの人が村にいる間は、まるで世界が変わったみたいに楽しかった記憶しかありません」
「あ、あの、そろそろ――」
「――ええ、その通り女神ですよ!」
「だ、誰も女神なんて言ってないよ!?」
モニカのツッコミを無視して、エマはさらにひた走る。
「戦士なんてもったいない、この村にとってはもう女神です! ああぁ、嫉妬しちゃいますよ! あんなにも気高く美しい人が強いなんて……もう神です。思い出すだけで、はぁはぁ、昇天しちゃい……うっ! はぁはぁ……しちゃ、しちゃい、そうで……す」
体をビクビクンビクビクンとさせるエマにモニカとアルマはドン引きしながら、互いの顔を見合わせる。それだけでは、まだまだ足りないようでエマはさらに喋るつもりでいるようだ。
「ど、どうしよう、アルマちゃん。まさかこんなことになるなんて……」
「……この手の変態はモニカに任せるわ」
「私に押し付けないで!? アルマちゃーん! あぁ!? また、エマちゃんがはぁはぁ言い出した! て、周りに座っていた村の人達もいなくなっているし!? うわわわん! なんでこんなことにー!?」
とうとうモニカ達の座っていたテーブルに座ったエマは、上気させた頬で熱くねちっこくマグマのようにシルハのことを語って聞かせるのだった――。
※
ノアは一人、村の中央に立てられた銅像の前に立っていた。
「まさか、こんな物があるとはな……」
高価な作りはしていないが、それは紛れもなくシルハの銅像だった。おそらく、この村で出来る一番の感謝の形なのだろう。
「やはり、お母さんは凄い人だったんだ」
隣に母がいたなら、私の頭を撫でてくれていたはずだ。いや、もう身長も変わらないはずだから、さすがに撫でるのは難しいだろうか。それでも、あの人の方がまだ高かった気がするな……。
過去のことを懐かしく思いながら、自分の頭に手を置いてみるノア。
「また撫でてほしかったな……」
小さく呟けば、銅像の足元に腰を下ろした。
表情のない母の像は、はっきりと分かるぐらい精巧な作りをしている。それが、自分の中の母の存在をさらに誇らしいものにさせた。
これから、私はどうすればいいのだろう。
母に会うという目的が、ここで潰れようとしていた。
家に帰れば家族が待つ。逞しくなって帰ってきた私を見たら、きっとみんな喜んでくれるだろうが、隣には家族がずっと探し求めていた人はいない。本当に、そんな状態で帰ることが私達にとって良いことなのか。そこに残るのは、嬉しさと寂しさ。私が追い求めていた結末は、そんな悲しい終わりだったのか。
違う、あの日の私の心の中には、ずっと母を追い求める心があったはずだ。それが、こんなところで簡単に折れるわけがない。
「一度、気持ちを落ち着かせよう」
ごそごそ、と懐から取り出したのは、非常によくできたモニカにそっくりな人形だ。布と綿で糸で作られたものだが、これ一つで売り物にできるのではと思ってしまうほどの出来映えだった、
モニカとの旅立った後に、悶々とした夜はモニカの顔を至近距離で見つめながら作ったのがこの人形だ。あまりモニカが鎌ってくれない時に、自分を慰めるもとい癒されるために作ったのだ。
「うふふ、モニカ」
だらしない顔で笑えば、ノアはその人形を――舐めた。
※
「ひやぁ!?」
――ぞわぞわっ。
まるで修行のようなエマの話を聞いていたモニカは突然の寒気に立ち上がった。
「ん? どうしたのよ、まだ話終わってないわよ……」
「い、いや、なんか、こう、ぞくぞくと……」
モニカの様子を見ても話を止めようとしないエマを横目に、モニカを見るアルマ。
「なに? 風邪?」
「い、いやー、最近たまにこういうの来るんだよね。もしかして、怖い人達に狙われているとか……」
「まあ一応勇者だし、そういうことあるかもしれないけどね。とにかく、今日はゆっくり休みなさい」
「じゃ、じゃあ、この辺で」
退散しようとするモニカの襟をがっしりと掴むアルマ。
「ア、アルマちゃん、笑顔が怖いよ」
「逃げんな、モニカも責任とれ」
「ひぃーん!」
※
――ぺろぺろ。
人形の頭をしゃぶると気持ちが落ち着いてきたノア。
ムラムラもといモヤモヤしてきた時に、何となく舐めてみたら、不思議と気持ちが落ち着くことに気づいたノア。それ以降は、少し悩むような日にはこのモニカ人形を舐めるようにしている。
「はあはあ、ぺろぺろ……モニぺろ……ぺろニカァ……」
だらしない顔どころか、犯罪者面しているノアの顔を見た人間は間違いなく外で歩いてはいけない人間だと思うに違いない。それほどまでに、端正なノアの顔は崩れまくっていた。
「ふぅ、今日は満足したな」
自分の唾液が付いたのをサッと拭き取れば、それを懐に戻したノア。
尻に付いた泥を払い落とせば、そこには迷いがなかった。
「いろいろ考えてみたが、やはり私には難しいことはできそうもない。だったら、この目で確かめるてみるのみ」
この旅ではいろんなことがあった。だからこそ、ここで悩んで足を止めている暇はないことを理解している。
進めるだけの足がある動けるだけの理由がある。それだけで、次の一歩を踏み出すための活力が胸の奥から溢れてくるようだ。
見上げた空には綺麗な月、その隣には母の銅像。ここに銅像がなくても、母は同じ景色を見てからモンスター退治を行っていたのだろうか。
はっきりと実感するのだ。
やっとここまできたよ、お母さん。
もうすぐ、届くよ、お母さん。
母の銅像に手を触れて、心の中でたくさんのことを語りかける。そして、そこから背中を向けて歩き出す。
「待ってて、お母さん。すぐに迎えに行くから」
ノアの気持ちは決まっていた。
――洞窟で行方知れずになった母を見つけよう。




