15話 アルマレベル92
マギカ・ベイク塔の地下深く。魔王の遺品である剣カルプルヌスが眠る最深部。広い空洞になっており、唯一ある扉の中にはカルプルヌスが封じられた箱がある。本来なら絶対立ち入ることのない場所で、アルマとエステラの戦いが終わったように、こちらでも決着が着こうとしていた。
目と耳から血を流し全身をボロボロになったゼイレが、マキア血晶を体内に宿して精神を燃やしながら、詠唱を無視した攻撃魔法を放つ。右手を伸ばせば、そこから魔法による他者を焼き尽くすための光線が無数に枝分かれして宙を漂うプリセラの元へ収束する。
「困った奴じゃな」
プリセラが両手を広げれば、そこに出現するのは防御障壁の役目を持つ魔法陣。プリセラの元で一つになろうとする光線は魔法陣に防がれれば、跳ね返った光線がゼイレの元へ降り注ぐ。
光線を全身に受けたゼイレは体内からマキア血晶を吐き出しつつ地面を転がる。体内から胃液を吐けば、瞬時に発動した魔法でマキア血晶を自分の手の中で呼び出せばそれを口の中に放り込む。流血していた肉体の傷はすぐに癒えたが、マキア血晶の副作用でゼイレの耳と目、さらに口から血を吐き出す。
「これでも、ダメなのか……」
口から垂れた血液を手の甲で吹きながら言うゼイレ。死んでいるのか生きているのかも分からないほどの青白い肌の色をしたゼイレを見ながらプリセラは溜め息を吐いた。
「何度やっても同じじゃよ。お主のそんなニセモノの魔法では私の魔法障壁を通すことはできない。私の力は最強のそれ。どれだけお主が禁忌に手を出しても、これぐらいできないと、百年以上も魔法学園の長はできんよ」
「まさか、生きた神話がここまでの存在とは……」
「お主も、外道に魂を売ってまでなかなかのものじゃよ。何度倒れても立ち上がろうとする姿勢とがむしゃらに進もうとするその姿は評価できる。……それでも、お主のやったことは魔法使いとして……いや、人として最低じゃな」
ゼイレは忌々しそうに地面に這いつくばったままで宙をに浮くプリセラを睨んだ。
「僕のやろうとしていることに気づいていたんですか! どうして、いつもいつも! いつも分かっていながら、僕を助けてくれないのですか!? あの時だって!」
「あの時か……娘を生き返らせたいというお前の顔はまともではなかったぞ。それに、人間の生死に関わるなんて魔法使いがやってよいことではないのじゃ。世の中の道理に逆らった時点でお主に勝利はない。しかし……お主の腹に抱えた感情に気づいていながら止めることのできなかった私の責任でもあるな」
「こんな時でも、そうやって……上から目線なんですね……」
泥のように汚れ傷ついたゼイレはゆらゆらと立ち上がった。ゼイレは服の切れ端のようになった上着とシャツを破り捨てて上半身が裸になる。そして、ゼイレの腹部から淡く魔法陣が浮き上がる。最初は訝しげに見ていたプリセラだったが、その魔法陣の正体に気づき目を剥いた。
「ゼイレ、お主……」
「ここまでしないといけないんですよ! 僕が、全てを賭けてまでエステラを助けないといけないんです!」
「その魔法陣がお主の全てじゃと!? 体内に宿る魔力の全てと命を犠牲にして周囲を消滅させる自滅の魔法。……マキア血晶を大量に宿したお主がそんなことをしたら、このクリムヒルトの町が滅ぶかもしれないのじゃぞ!? 学園を犠牲にして関係のない人達を巻き込み、最後は目に入るもの全てを壊して死ぬというのか!? どこまでも、どこまでも堕ちたようじゃな……。昔は、素直ないい子じゃったのに……」
クリムヒルトを消滅させるほどの自爆魔法を発生させた己の腹部の魔法陣を突きながら、ゼイレは乾いた笑い声を上げた。
「先生、素直だからここまで来てしまったんですよ……。妻の死で壊れかけていた心が娘の死で完全に腐ったんです。僕には、絶望に耐えることができなかった。それだけの話です」
「お主は弱過ぎる……。人は、もっと強くあらねばならない。お主は弱過ぎるんじゃよ……」
「本当、すいません。昔は先生もいろいろ励ましてくれたのに……。お願いします、カルプルヌスの扉と箱の鍵を開けてもらえませんか」
プリセラは無言で懐は鍵を二つ放り投げる。足元に転がったそれをゼイレは拾うと片足を引きずりながら、扉まで行けば鍵を開いた。開けた瞬間、何も無い暗闇の部屋に宝箱が出現する。手を伸ばせば届くそこに鍵穴を挿せば、ガチャリと音を立てて閉じられた箱が開いた。
「やっと、やっとだ。これで、僕はエステラに会える」
抜いた鍵を地面に投げ捨てれば、ゼイレは箱に触れようと手を伸ばした。しかし、ゼイレの手は思いも寄らぬ来訪者の出現に動きを止めることになる。
「――ゼイレ先生、そこで何をしているんですか」
――アルマの声だ。振り返ったゼイレはもう見ることはないと思っていた人物に登場に顔を歪ませた。
「あの出来損ないはどうした……!」
ゼイレの背後に立つアルマは、鋭い眼光で見つめていた。
「彼女は空に還りました」
「空に還ったぁ? はっ……足止めもできないとは、最後の最後まで廃品以下だったな」
「エステラをそのままにして……そこで、何をしているんですか?」
「これが、僕の目的だ。これさえ遂行できれば、あんな物……。それに、あいつのことをエステラと呼ぶのをやめてくれよ?」
「貴方の娘なのに……」
「あんな物はただの人形だ。そのクセに、ぺちゃくちゃとおしゃべりだから困る。お父さんお父さんてうるさいんだよ。アイツは……。もう話をすることはない。いいから、そこで黙ってみているんだ」
「ええ、そうですね。確かにこれ以上……――呆れて話をする気も出ませんよ」
「――あぁ?」
ゼイレが箱を開けようと振り返ろうとした瞬間、アルマの姿と気配が消えた。そして、次にアルマの気配を感じた時は自分の懐に潜り込んだと気づいた時だった。それに気づいた時にはゼイレは激しい衝撃を全身に受けて壁に衝突していた。
「軽く押しただけで、こんなにも……。エステラはもっと強かった」
溜め息混じりの声がゼイレの脳裏に辛うじて届けば、壁の瓦礫の中からゼイレは立ち上がった。再び口の中にマキア血晶を取り込んだようで、再び体内からの出血が首の上から見られた。次いで、喚くように声を上げた。
「――ふざけるなあああああ! 僕を怒らせたら、この町はどうなると思っているんだああああああ!」
これを見ろと言わんばかりに腹を前に突き出したゼイレだったが、そこに違和感を覚えた。確かに感じていた触れれば破裂してしまいそうなあの危うい魔力の気配がそこにはない。
「なに? もしかして、その自信てこれからきているの?」
アルマは円盤状のものをその手の中に出現させた。それは、ゼイレの腹部に出現した自滅の魔法陣と同じものだった。
「そ、それは、ぼぼぼ、僕の……!」
「今の私て他人が作り出した魔法に介入できるみたいなのよ。何か目立つ魔法陣しているなぁと思って、一応剥がしてみたんだけど、これがアンタの切り札てやつみたいね。……こんなくだらない魔法が……本当に……アンタてくだらない魔法しか生み出せないのね。――はっ!」
右手と左手を平らにして、強く内側に押せば風船の割れるような軽い音と共に魔法陣が弾けた。
「嘘だ嘘だ嘘だ……うそだ……!!!」
「どんだけ時間かかったのか知らないけど、こんな物を一人でブツブツと作っている暇があるなら、もっとやらないといけないことがあるでしょう?」
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……エステラ……こんなものを……なあ……エステラ……」
「私はアンタを止める。エステラのために」
地面にうずくまり、ぶつぶつと呟いていたゼイレが急に体を起こせば、前方に両手を向ける。一瞬で作られた巨大な魔法陣から放たれようとするのは、先程プリセラを狙っていた魔法の光線。しかし、その数も大きさも先程の比ではない。壊れかけた精神が、ゼイレの制限を解除した結果、自身の肉体のことなんて微塵も考えないほどの魔力をそこに込めたのだ。
「どんな魔法だろうが、止めてやるわよ」
「――アルマ!」
アルマの隣に立つのはプリセラは、変わってしまった孫の姿をじっと見た。
「おばあちゃん……お願い力を貸して……」
「もちろん。……その姿、魔法少女になることを決めたんじゃな」
「うん、いろいろ考えたけど、これが私に必要なチカラだから」
神妙な顔で聞いていたプリセラは、それ以上深く聞くことはなくアルマの体を一度ぎゅっと抱きしめた。
「そうか、おめでとう。何か困ったことがあれば、いつでも言うんじゃぞ」
「ええ、その時はよろしく。――さ、今はやるべきことがあるわよね」
「うむ、孫の出世祝いをしている場合ではないようじゃな」
二人は体を離せば両手をゼイレへと向けた。大きさは人間一人分程度の小さなものだが、そこに前方に魔法陣を出現させる。二人の魔法陣は、横に動けば一つになった。
「来るわよ、おばあちゃん!」
「孫との共同作業じゃ、いいとこ見せるぞ」
完全に理性のトんだゼイレが絶叫すれば、魔法陣が何百という光線が放たれた。それを迎え撃つアルマとプリセラの合体魔法陣も輝けば、大きさはそのままに魔力の波動を放つ。魔力は質量を持ち、魔法陣から放たれたそれは大きさを増してゼイレの光線をも飲み込んでいく。そして、光線と魔力の波がぶつかり合う。
「「――いっけええええええええええ!!!」」
アルマとプリセラは感情を声に乗せれば、それに呼応するように魔力の波動は勢いを加速させて光線ごとゼイレを飲み込んだ。光の中に埋もれたゼイレが吹き飛ばされれば、その身を壁の中に沈めた。そして、熱くなった感情を冷ますような静寂が訪れた。
「やったみたいね、おばあちゃん。……おばあちゃん?」
肩で息をしながら隣のプリセラを見たアルマだったが、その表情がじっと一点を見ていることに気づく。その視線の先を見てみれば、そこに黒い炎の中に魔王の剣であるカルプルヌスが包まれていた。
「お主が、この騒動の原因か?」
黒い炎に自意識があることに気づいたプリセラは黒い炎へ向かって言う。
「こっそり持っていくつもりだったけど、やっぱりバレちゃうか。長居はするつもりはないの。さすがに魔法少女を二人も敵にして無事で済むとは思ってないし」
「何者じゃ」
アルマが聞いたことのない鋭い殺意のこめられたプリセラの声。黒い炎は気にした様子もなく、カルプルヌスをその炎の中に包んでいく。
「さあ、なんだと思う?」
「この世界の異変を起こしている者か?」
「いいところを突くわね。そうよ、私はこの世界の異変を起こしている存在。だけど、勘違いしないでほしいの。私達は、この世界の意思でもある。軽く見ないでほしい。それだけよ。――ああ、後アルマちゃんにも今回は迷惑かけたわね」
いきなり自分に話を振られて、アルマは驚きに嫌悪感を混ぜたような表情を見せた。
「迷惑なんてもので済むわけないでしょう。アンタが異変だと分かったなら、モニカとノアと私が、必ずアンタ達を止めてみせる。今はそこで高みの見物でもしとくといいわ、直接ぶっとばしに行くから」
黒い炎は会話を楽しむようにクスクスと笑った。
「じゃあ、その時を首をながーくして待っているわね」
まるでわざと神経を逆撫でするような言い方で黒い炎が言えば、そこから風で消えるかのように掻き消えた。もちろん、そこにはカルプルヌスなんて残っているわけもなく、先程までとはまた違った気分の悪くなるような静けさがそこには残った。
※
――それから一週間後。
アルマはクリムヒルトの町から少し離れたところにある墓地に来ていた。
魔法使いという職業は強い個性を持つ者が多い。その証明のように、墓地に並んでいる墓石も様々な種類のものが見て分かる。無論、魔法使い以外の人の墓石もあるのだが、妙に細長い棒状のものだったり何故か銅像のようだったり故人の好物だったのか骨の付いた肉の形の墓石まである。珍しい光景の中、つい最近出来たばかりの墓石の前にアルマは立つ。
「エステラ、久しぶりね」
特別変わったところはない、地面から四角形に飛び出した石にはエステラの名前が書かれていた。愛おしそうに、石に彫られたその名前をなぞるアルマの髪はサイドテールをしており、その髪型にするために赤いリボンで結んでいた。
「これ、似合うかしら? アンタがあんまりにも大事にするものだから、私が使ってあげるわよ。感謝しなさい。……それとも、私と一緒に旅をしたくてコレをくれたのかしら?」
そんなことを言えば、口元に手を当ててアルマは微笑を浮かべた。少しだけアルマも痩せたようだったが、少しずつ悲しみから立ち上がろうとしていた。
「最初は落ち込んだけど、今は少しずつ立ち直っていけそうよ。私が落ち込んでたら、私以上に悲しむ奴らがいるんだもん。そうそう落ち込んでもいられないわ」
顔を横に向ければ、石でできた長い道を歩いてくる見覚えのある二人の姿が見えた。来なくてもいいと言ったのに、なんだかんだでやってくる二人の理由を楽しみにしながら再び墓石を見る。
「後、塔のことなら気にしなくていいわよ。おばあちゃんが知り合いの凄腕の魔法使い集めて、もっと高くて頑丈な塔を作っているところだから。完成したら、もしかしたらそっちからでも見えるんじゃないかしら? たまには、後輩達の様子でも見に来るといいわよ。きっと、私みたいに孤独しか知らない変な子がいると思うから、その子の背中を押してあげなさい」
遠くから少しずつ賑やかな声が聞こえる。まったく、二人だというのにどうしてこうも騒がしいんだろう。なんて思いつつ、エステラの墓石の場所を知らない二人から見えるように手を振る。そして、再び何かを思い出したかのように「あ」と声を上げて墓石を見た。
「……あ、そうそう、アンタは今回私にたーくさん迷惑かけたんだからお仕置きが必要よ。アンタのところまで行くのは、たっぷり時間をかけてから行ってやるんだから。長い時間待っていてもらうわよ? 覚悟しなさい?」
墓石を軽く小突けば、アルマは穏やかに笑った。
「だからさ、あっちで二人仲良く待ってなさいよ。魔法でたくさんの人を幸せにしてみせるから。今はその前に、やらないといけないことがるけどね。……それにしても、あの二人どこ行ってんのよ! アンタにすぐに紹介するから……どれだけ変な奴らかってのをエステラに教えてあげるわよ」
困ったように言いはするものの、声はどこまでも明るく、そして、幸せそうだった。
アルマは一旦エステラの墓石から離れて、二人のところまで歩き出す。
優しい風が流れ、二羽の鳥が墓石に羽を休めた。――その墓石には、二人の少女の名前が書かれていた。




