14話 アルマレベル92
魔法学園の空に炎の蛇が舞い、さらにその上空を二人の魔法を使う者達がぶつかり合う。
「アルマちゃん!」
一人は望まずに命と魔力を手にして翻弄される者。
「エステラッ!」
一人は望み続けた魔法を、いくつかのことを犠牲に手にした者。
エステラが翼に魔力を浸透させて、その羽一つ一つに魔力を発生させる。魔力を宿した羽は、アルマを切り裂き傷つけるための刃へと変化する。
塔の先端へと到達するのではないかと思うほどの高さまで急上昇すれば、そこから何十という羽の雨を降らす。それは、羽と呼んでいいのか分からないほどに、凶悪かつ殺戮的な攻撃。
エステラから溢れた感情のデタラメな暴力的な衝動をそのまま実体化させたような攻撃を空中に漂うアルマは避けることもせずに迎え撃つ。
「そんな攻撃、無駄だって教えてあげるわよっ!」
アルマが右手を振るう。それだけで、激しい突風がアルマの前方で起き、枯れ葉を吹き飛ばす嵐の如く羽を千切り吹き飛ばす。そのまま地面を蹴れば、アルマは己の発生させた突風の中に突っ込み、そのまま全身を魔力の壁でコーティングさせた状態でエステラへと突っ込んでいく。
「はや……い……!?」
予想もしていなかった場所から出現したアルマに回避することもできず、エステラは広げた翼から再びいくつもの刃の羽を発射する。
先程よりも数が少なく精度の低くなった攻撃を前に、アルマの口元には余裕の笑みすら浮かぶ。
「軽い軽い軽い軽いわよ! そんなもので、私とやろうってんなら、百万年早いわよ!」
弾く必要もなく向かっていくアルマに触れた羽は容易く粉々に砕け散った。
上位の魔法使いというのは、いくつか種類があるが、アルマの魔法少女という上位職は魔法使いの中でも数億人に一人の確率でしかなることのできる存在。貴重かつ強大な魔力を持つ。
魔女よりも格段に早く詠唱し、魔法騎士よりも攻撃力に優れ、魔法薬師よりも魔法の構造を理解する。同じ魔力を扱う者で、最も魔法少女に近いとされる存在は魔王しかいないとすら言われる。魔法使いのエリート中のエリート、それは――魔法少女。
圧倒的、それ以上に比べることすら失礼に思える力の差を見せつけられたエステラの表情に恐怖が混じる。
「――聞けぇ! エステラッ!」
下方向から向かってきたアルマが右手を伸ばせば、その右手から放たれた魔力の光が人の手の形になればエステラの体を包み込んだ。五本の指に包まれたエステラは、アルマの元へと引き寄せられる。どんどん距離が近くなりエステラの体へ左手を伸ばせば、胸元を掴んで引き寄せた。
ドン、と音を立てて二人の体がぶつかり合う。それを離れないよう離さないようアルマが魔力の右手がエステラの体ごと自分に押さえつけるために助力する。
「うぐっ!? は、離して離してよぉ! アルマちゃん!」
「離さないわよ、絶対に。こんなに苦しそうにしている親友を前にして、黙って見逃すことなんてできないわ!」
「……私はエステラじゃない!」
抵抗しようとエステラは翼を再び大きく広げ、半分暴走気味に魔力の粒子を溢れさせた翼がアルマの体を叩きつける。
アルマの体を守るように魔力の障壁が出現し、その攻撃を通すことはない。金属を叩きつけるような甲高い音が周囲に響くだけでエステラの攻撃がアルマを貫くことはしない。
「私が死にかけた時、エステラは助けようとしてくれた! 死んだと思った時、本気で悲しそうな顔をしてくれた! アンタが、どう思ってようが構わない! 私からしてみれば、昔のエステラも今目の前のいるエステラも大切な親友なのよ!」
エステラの翼による攻撃が止まった。
「アルマちゃん……」
「私の親友なら……これ以上……私を困らせるなっ――!」
アルマは力いっぱい右足で宙を蹴る。刹那、足の下に浮かび上がるのは魔法陣。それが爆発を起こしたように轟音を立てれば、エステラを掴んでいたアルマの体が加速し、そのまま水平に空中を走ればマギカ・ベイク塔の中に突っ込んだ。
壁を砕き、炎を弾き、瓦礫の中にアルマとエステラの体が突き刺さる。不思議とエステラが痛みを感じないのは、アルマの発生した魔力で生成された強大な右手が自分を守ってくれているからなのだと気づいた。
エステラの上にまたがりアルマは肩で大きく息をしながら、エステラの顔を真っ直ぐに見つめていた。胸の中まで見透かされてしまいそうな視線にエステラは顔を逸らそうとするが、
「目を逸らさないで、エステラ」
強い口調のアルマの声に目を合わせたままで離すことができなくなる。
「どうして……」
エステラの目からはほろほろと涙が溢れ出していた。
「なによ、何か文句でもあるの?」
「どうして、どうして、どうしてなの!? どうして、私なんかのためにここまで一生懸命になってくれるの!? 成長しないんだよ? ずっと生きていかないといけないんだよ!? 私みたいな人間のために、こんなにニセモノのために……アルマちゃんが犠牲になる必要なんて、どこにもないんだよッ――!」
「――あるわよっ! 何回も言わせるな、何度も考えさせるな、何百回も悲しませるな! もう難しいことなんて、どうでもいい! アンタが、そんなこと考える必要なんてないのよ! ごちゃごちゃ悩むのは、私の役目なのよ。アンタは隣でヘラヘラ笑っていればいいの……。どうして、なんてもう言わないで。理由も根拠も理屈もただ一言で済む。――アンタが親友だからよ」
アルマは右の拳を軽く握れば、その手でエステラの額を軽く小突いた。こん、と軽い音を立てればエステラは目元からはいくつもの涙が溢れ、その白い肌をキラキラと透明な輝きが流れ落ちる。
じたばたと暴れ回っていた翼はそこで動きを止め、背後の瓦礫にもたれかかるように羽を休めていた。その姿を見て、アルマはようやくこの戦いが終わりを見えてきたのを感じていた。
「もう私……アルマちゃんと戦わなくていいのかな……?」
「ええ、もういいのよ。それにしても、昔から私を困らせることにかけては天才的ね。でも……やっと届いたわ」
アルマが頭を軽く撫でてあげれば、エステラは心地良さそうに目を細めた。それは撫でられたことを嬉しく思うと同時に、その手を通して自分に伝わるアルマの温もりを全力で感じているようにも見える。事実、アルマの温もりはエステラの傷ついた心を浄化するように優しい癒しをくれた。
短いというには短過ぎる安らぎの時間の中、エステラはアルマの胸元を軽く押した。
「え――」
警戒心を完全に抜いていたアルマは、軽く押されただけで足場の悪い瓦礫から背後へと転がる。尻餅をつき、瓦礫の山を落ちればすぐに体を起こしてエステラを見れば、再び翼を広げたエステラがいた。そして、彼女の表情は今まで見た中で一番の強い絶望の色をしていた。
「……ありがとう、アルマちゃん。私ね、本当は……もう長くないの」
「ど、どういうことよっ?」
儚げに笑うエステラの顔がどうしようもないぐらいアルマを不安のどん底に突き落とす。
「アルマちゃんも気づいているんじゃないかな、本当は。……私みたいな造り者は長くは生きられない。それこそ、私みたいな人でもなく獣でもなく魔人でもなく怪物にもなれない中途半端な人工物は……満足に生きることすら許してもらえない。今日使ったこの強力な力は、お父さんが設定した私の体内の全ての魔力を使ったからこそできたことなの。もう、今の私に自分の命を維持できるほどの魔力は残されていないんだよ……」
声が震えている。それは、エステラのものではない。アルマが本当に一番聞きたくなかった予想をしていた内容のものだからだ。
気づいていなかったわけではない、アルマの目の前に立つその少女の体から生命力が抜け落ちるように魔力の反応が消えていっているのだ。魔法という科学で作られた彼女の動力は魔力。それが抜けているということは、つまりはそういうことなのだろう。
アルマは怒りのままに目の前の巨大な瓦礫の一角を魔力のこもる拳で粉々に砕いた。
「――ふざけないでよっ! これだけ頑張って助けようとしたのに、なんで勝手に諦めようとしてんのよ! 諦めんな、命がある限り限界まで生きなさいよ!」
「ごめんね、ごめん……。でも、最後に大切な友達に……アルマちゃんにここまで大切に思ってもらえて幸せだな。私……。あはは、なんかワガママな子だね、私」
「笑うなら、もっとちゃんと笑え! そんな悲しそうな笑い声なんて、私は聞きたくないのよ!?」
「嬉しいな、嬉しいよ、こんな幸せなら、本物のエステラにも怒られちゃうかもしれないよ。自分ばかり、ずるいって……」
我慢できなくなったアルマは、魔法で作った足場を発生させてそれに片足を乗せればエステラの前まで一歩で接近する。彼女は翼を広げ、少しずつ高く高く空へ昇っていこうとしていた。
アルマもエステラもその両目から止め処ない涙を溢れ流す。
空へ、それこそ人間が決して届かないような場所に行こうとしている天使のような姿をしたエステラへとアルマは手を伸ばす。しかし、それを避けるようにひらりひらりとエステラは翼を巧みに使い確実に空へと上がっていく。
「さっきから、どこ見てんのよ!? 一人じゃないでしょう!? 一人じゃないなら、もっと抗って生きてみなさいよ! 私は……一緒にいたかった……最初にできた友達を……この私に一人は寂しいんだと教えてくれた大切なエステラと共に何年先でも笑っていたかったの! エステラと一緒にいたかったから……寂しさを知ったから……だから、魔法少女になんてなりたくなかった! それなのに、なんでなんで……アンタはいつも……そんな感じなのよ……」
必死に手を伸ばし顔を上げたアルマの頬に空から温かいものが落ちる。優しそうな天使が、地上での日々を愛しいと思うように泣いていた。空に還りたくない、この地上でただ旅をしていたいと。空が地を愛する雨のように、アルマの顔を濡らした。
天使は、おもむろに制服のポケットに手を突っ込めば、そこからしゅるりと赤いリボンを引っ張り出した。それを自分の髪の右側に結んだ。
「アルマちゃん、似合うかな? ……これ、あっちに持って行くね。そして、あっちでエステラと一緒にこのリボン大事にするよ。ありがとう、本当にありがとう。アルマちゃん」
翼は光となり魔法となり祝福となり、大きく羽ばたき飛翔する。
「エステラァァァァァァァァ――!!!」
伸ばした手は掠めとることもできないまま、空へと飛び立った彼女の姿を眺めることしかできなかった。そして、数秒後、空で強大な魔力の爆発が起こった。
最後に輝こうとした彼女の証明のように空中でキラキラと漂い魔力の残滓を見て、手の中に残った僅かな温もりをぎゅっと抱きしめるアルマ。虚ろな目で空を見上げれば、空からフラフラと黒い影が見える。
「エス……テラ……?」
違う。そこにはエステラはいない。辛うじてエステラの形はしているものの、全身を黒に染め目の色を真っ赤にするあの怪物はただの憎悪の残りかすだ。
「ゼイレ……アンタは、最後の最後まで自分の勝手のために……エステラを利用し続ける気なのね……!」
黒い鳥女は、力のままに二つの翼を交錯すればマギカ・ベイク塔の頂上を小枝でも折るように切り落とした。理性というものがそこにはないのか、その一振りで塔にまとわりついていた炎の蛇はその姿を八割を削られた。
ガラガラと轟音を立てて立ちすくむアルマの頭上へと瓦礫が降り注ぐ。そこから動くこともせず、アルマは全身から魔力を開放させて空へと咆哮を上げた。
「――それ以上エステラを愚弄するなっ!!!」
それだけで、瓦礫は粉々に砕けた。そして、空を待っていた黒い鳥女は強烈な魔力の衝撃波により体を空へと押し返される。
砂状になった瓦礫の中を突き破り、自分を強大な魔力の爆発そのものに変えてひたすら一直線にエステラへと向かっていく。アルマの無意識下によって発生した魔力の余波により、僅かに形を残すだけだった炎の蛇はその衝撃により完全に消滅した。
『キヤアァァァァァァ!』
憎い怪物がエステラの声で悲鳴を上げた。完全に姿形がはっきりするところまで近づけば、アルマは両手に魔力をこめる。強力で強大で破壊的な魔法の攻撃。それこそ、目の前の存在を完璧に消滅させる一撃を。そこで、黒い鳥女の頭の隅に取れかけた赤いリボンが見えた。
アルマはそこで一瞬、何か言いかけたような口を開こうとする。ここでは絶対に、呼んではいけない名前だ。言いかけた言葉を飲み込めば、力の限り魔力を放出する。全てを飲み込んでしまえ、全ての悲しみよ空に還れと。
「――いっけえええええぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
両手の平を前に向けたアルマのそれは、もう魔法なんて呼べるものではなかった。
力のままに感情のままに思いのままに悲しみのままに怒りのままに、溢れ出た感情が攻撃魔法となり黒い鳥女を光の中で焼き尽くし消滅させるのにそれほど時間はいらなかった。
塵一つ残さず、黒い鳥女はその空から跡形もなく消え去った。
どうして、ここまでしないといけないのか。あの子が、こんなに苦しむ必要はあったのか。溢れ出る涙を拭うこともできず、魔法陣で作られた足場の上でアルマは下を向いた。
――アルマちゃん。
名前を呼ばれた気がして、アルマは顔を上げた。そして、空っぽになった頭で空へと手を伸ばした。そこにふわりと何かが乗った。とても軽く、風でも吹けば飛んで行きそうな何か。
手を下げて、掴んだ物を見れば、それは――赤いリボンだった。一度は止まったはずの涙が流れ、彼女から貰った大切な贈り物を濡らした。
「……ばか……。こんな時に……こんな……心のこもった贈り物くれるなんて……」
いつかの約束、いつかの記憶。
過去のエステラ、今のエステラ。
二人が私に大切な贈り物を届けてくれた。
あまりにも色んな心の詰まった贈り物を、サイドテールのようにして髪に結んだ。
「ずっと、私のことを見守っていなさいよ。……親友」
今はキミのことだけを想わせてほしい。これからのために、キミの全てに涙を流させてほしい。
ただ、これは君に送る。キミのために、鎮魂歌。
アルマは魔力の残滓が降り注ぐ空を見つめて、一人空の上で泣き続けた――。




