12話 モニカレベル29 ノアレベル40 アルマレベル42
「――ひどい」
学園に辿り着いたアルマが漏らした最初の言葉はそれだった。
マギカ・ベイク塔に絡まるように燃える炎は明らかに人為的なもの。それも内部で事前に準備をして、いくつもの魔法陣を構築させて作られた計画的な高位魔法。アルマは、鳥女に倒されて意識を失っていた間に起きたこの悲劇の間にただ寝ていただけの自分を情けなく思った。
一気に重たくなる責任に、足は一度止まりはするものの、それは数秒もすれば再び足は前に進む。まだ悲劇だと決まったわけではない、まだ何も終わっていない。
過去のことを悔やむより、今を見つめて前進しなければ、と強引に気持ちを切り替えれば、激しい熱気を全身に受けつつ塔の中に入る。
塔の内部は壁や柱がボロボロと崩れ落ち、自分の思い出の中の学園とは大きくかけ離れていた。しかし、これだけ被害を受けても今なお崩壊することなく塔として機能しているのは、マギカ・ベイク塔に施された様々な防御魔法のおかげであることは間違いなかった。もしも同じ大きさの塔があるとしたら、これだけ長時間魔法の炎を執拗に受け続ければとっくの昔に炭に変わっているだろう。同時に、早めに鎮火できれば、この学園の復旧も早くなることを示していた。
「モニカ達はきっと先に向かっているはず……。早く二人を見つけないと」
弱気になりそうな気持ちを無理して持ち上げるように声にすれば、階段を一段ずつ上がる。もう間もなくして一階の踊り場で、探していた彼女達の姿を発見することとなる。――モニカとノアが手に持った剣を落として、力なく地面に転がっていた。
「モニカ!? ノアッ!?」
しばらく歩いたことで痛みに慣れたのか、目覚めたばかりの頃よりずっと動きやすくなった体で床に倒れるモニカとノアに早歩きで近づいた。
まずノアの体を揺さぶっても返事はなく、何度も名前を呼んでみたが反応する様子もない。モニカも同じだったが、顔を寄せてみてそこで初めて安堵の息を漏らす。周囲にも同じように倒れている教師達がいるが、見たところ今すぐにどうこうなるといった様子ではなさそうだ。
「どうやら、気を失っているだけみたいね」
一応は安心してみるが、モニカは勇者の力でほぼ傷は見当たらないがノアの方は無傷というわけではない。明らかに戦闘の形跡があった。何か状況は教えてくれる痕跡はないものだろうかと周囲を見れば、周囲にはある物体が転がっていることに気づく。
最初は黒くなった瓦礫かと思ったが、散りばるその物体は見覚えのある怪物に酷似した獣の屍だった。切り裂かれたり、何度も突き刺された跡がある。モニカがぐんだんスキルを使い複数で攻撃し、ノアが剣撃で圧倒している様子が目に浮かぶようだった。状況は把握した。しかし、続いて疑問も出てくる。
「一体、どうやってこの二人をこんな目に……」
ノアの実力はもちろんだが、近頃のモニカもそう簡単にはやれるようなことはない。この視認できるだけで何十体もいる怪物達がその原因なのは間違いないが、どうしてもこの怪物達だけに負けるようには思えない。おそらくではあるが、ここにはさらなる敵の存在があった。
魔法や知識なんて関係なく、それはほぼ直感と言っても良いものだった。アルマは曲げていた膝を伸ばせば、はっきりと聞こえるような大きな声を出した。
「――そこにいるんでしょう、怪物の飼い主さん」
呼ばれることを予測していたように階段の上に一人の少女が現れた。深くローブを被った姿はやはり、アルマの意識を奪った人物の姿と重なる。
「どうして、来たの……? もう私に勝てないことは、分かっているでしょう?」
モニカやノアの前では言うことのなかった落ち着いた声で鳥女が言えば、アルマはその言葉に力強く笑う。
「上から目線で何を言っているのかしらね。そっちが強いのも、私が貴女に勝てないかもしれないのもよく知っているわよ。だけどね、負けることが分かっているからって、そう簡単に引くことなんてできない。私は……私達はいつだって、そうやって立ち向かって来たんだから」
アルマの発言に驚いたのかローブから見える鳥女の口は半開きのままで止まっていた。そして、アルマが杖を構えたのを見て、鳥女は我に返ったように再びぼそぼそと喋り出す。
「仲間達がそうさせるの? 弱いのに? 守ることができないかもしれないのに? こんな私に手心を加えるような覚悟もない人たちなのに?」
体の奥から搾り出すようなアルマの笑顔は、そこでふっと素直に嬉しそうな表情に変化する。
「やっぱり、アンタに対して手加減しちゃったのね、二人とも。どうせモニカが言い出してノアが言うことを聞いたりしたのかしら? 本当……二人とも甘いんだから」
「どうして、笑っている? 何がおかしいの? 情けをかけて、結局は傷ついているのは彼女達だろう?」
鳥女にそこまで言われて、自分が肩を震わせるほど笑っていることに気づいて、また吹きだしそうになるのを我慢して鋭い声を高い位置に立つ鳥女へ向ける。
「アンタは気づいていないかもしれないけど、手心を加えるような奴らだからこそ守りたいのよ。そして、同じように彼女達に憧れて一緒に立ち向かいたいと思うの。運命も未来も強大な闇も邪悪な存在も……彼女達が抗い続けるなら、私は彼女達と共に突き進むだけ。それが、今の私よ」
重たいとも苦しいとも言える静寂が訪れた。ただその間は、言葉は一切交えることなくただその姿を見つめ続ける。そして、ぽつりとこぼれるように鳥女は言う。
「学園長はもう一人の襲撃者と戦っている。私の役目は時間を稼いだ後に屋上まで上がり、この学園を崩壊させる魔法術式を展開させること。……覚悟ができたなら来なさい」
言い終わればすぐさま背中を向ければ、鳥女は慣れた動きで上の階へ向けて歩き出した。
僅か短時間の間に溢れるような額の汗を袖で拭い、体を支えるために使っていた杖を肩に担いだ。
「――望むところよ、やってやろうじゃない」
最後に背後で横たわる二人の姿を目に焼き付ければ、鳥女よりもずっと遅いスピードで階段を上がり始めた。
※
マギカ・ベイク塔の姿はアルマが過ごしていたものとは全く違う。それでも、彼女にはこの学園の様々なところに思い出の残滓が漂っていることを知る。
今通り過ぎた教室の前は、初めてエステラと出会った場所。――あの時はいきなりの出来事の連続で今まで経験したことない感情になった。
この廊下もだ。――エステラを見つけては追い掛け回していた自分が、人生で初めて盛大にひっくりかえった場所だ。雨の日の廊下て、あんなに滑るんだなと知った。今思い出しても恥ずかしい。
そうそう、ここは図書室だ。この学園の図書室の本の数は本当に凄くて、自分の知識欲を刺激させた。――普段は魔法の勉強に役立つ本しか読まない私が珍しく興味を持った推理小説を半分ほど読んでいたところでエステラにネタばらしされた後に初めて友達と喧嘩したものだ。
あの子て、いつも私を怒らせるようなことばかりしていた。でも、それが楽しい。それを口にすることなんてできなかったけど、あの日々がどうしようもないぐらい輝いていた。ドタバタとガチャガチャと、そんな変な音でしか表現できないほど、慌しい日々が今はキラキラとしている。
エステラに出会えて、初めて学園生活を楽しいと思えた。明日が待ち遠しいこともあった。これが、友達なんだ。本当の友情を感じるというやつなのだと気づいたのは、エステラが遠くに行ってしまってからだ。
なんで、エステラのことばかり考えるのだろう。もっと考えなければいけないことはたくさんあるのに。どうして、エステラの思い出がこんなにも溢れ出るのか。
分からない。
今零れ落ちそうな涙を一回だけ拭い、気が付けば屋上へ続く階段を上っている。
時間はそれほどかからない、この塔は教師でさえも知らない近道というものがたくさんある。学園長をしている祖母から聞いたいくつかの近道が、まさかこんな場面で役立つとは思えなかった。
さあ、もうすぐだ。もうすぐ、屋上だ。
扉を開けば、強い風と共に屋上へ到着した。
※
魔法学園の屋上には大きな鐘があり、それを支えるために守るために造られた大きな屋根がある。これより上に行こうとしても急角度の屋根があるだけなので、実質ここが屋上になる。
鐘が民家ほどの大きさもあるので、それを囲んでいるこの屋上もそれなりの広さがある。少人数なら実習もここでできてしまうのではないかと思ってしまうほどに、ただただ広いその場所にアルマと鳥女は立つ。
屋上の角と角、間隔は離れている。それでも、ここで魔法での戦いを行うなら、魔法使いにとっては十分過ぎる距離だといえた。魔法の使い方次第では距離も視界も無に帰す。アルマは痛いほどそれを知っていた。
歩き出し、距離を詰めていけば、アルマに気づいた鳥女が振り返った。
「来たのね」
「うん」
鳥女の背後で炎が上がり、魔法によって作られた巨大な炎の蛇が跳ねて動く。おそらくそれは、鳥女の協力者が生み出した魔法だろうが、その気色の悪い姿にアルマは顔をしかめた。
炎の蛇が大きな動きをして、鳥女のことなんて気にもしないようにその体を塔に叩きつけた。火の粉が湧き、風が体を打つ。アルマは帽子を押さえて吹き飛ばされないように堪える。そして、帽子の下から鳥女のローブが高く舞い上がったのが見えた。
「……やっぱりね」
ローブは夜空に消え、炎の蛇の体の中に飲み込まれた。既に鳥女を隠すものは、そこにはない。
そこに立つのは、全身が白く染まった女。肌も髪も爪も全てが白色の、他の世界から突然切り離されたような住人だ。その顔は笑うことも泣くこともなく、ただ虚ろな目がアルマの足元を見ていた。
肌の色も髪の色も違うその鳥女の姿には身に覚えがあった。
「気づいていたんだ?」
「半分気づいていた。でも、半分は疑っていた。……はずれて欲しくて」
「困っちゃうな、アルマちゃんには」
「アンタほど、私を困らせた奴は知らないわよ。――エステラ」
全身白尽くめの女は――エステラの顔をしていた。




