11話 モニカレベル29 ノアレベル40 アルマレベル42
鳥女の攻撃を受けて意識を失っていたアルマは、腹の中に熱湯でも流し込まれたような苦痛と共に目を開けた。
「はっ――!」
空気を吸い込めば、それだけで腹の中の熱を冷ますような風が流れ込んで来るようだ。今まで経験したことのない痛みから来る錯覚の中で視線を動かせば、そこは見覚えのある場所だった。
年季の入った壁に棚いっぱいに並んだ食器、耳を澄ませば聞こえる小さな呼気は数人のものだ。それでも、似たような家が他にあるので、もしかしたら別の家かもしれない。そんなことを思いつつも、この家の住人がやってくる気配を感じて入り口の扉に視線を送った。
「――あ。……よかったぁ、目が覚めなかったらどうしようかと思いましたよ」
外で水仕事でもしていたのか、エプロンで両手を吹きつつミランダが近づいてきた。そう、ここはミランダの家なのだ。
「ミランダさんが、助けてくれたの?」
「一応は」と苦笑い気味にミランダが言えば、言葉を続けた。
「偶然通りかかっただけなんですけどね。仕事の帰りに大きな音が聞こえて見に行ったらアルマさんが倒れていたので、父に手伝ってもらってそこから引っ張ってきました」
「……そうですか、迷惑かけました」
あれだけ危険な目にあっても、こんな遅い時間まで仕事をするミランダを注意したい気持ちもあるが、そのミランダの行動がなければ今の自分はここにはいない。そのため、その辺のことは黙っておくことにする。
腹部に痛みがあること以外は、とりあえず大きな怪我はないので安堵の息を漏らした。正直、奴が本気になっていたらまともに生活をできるような状態ではなかったはずだった。明らかな手加減と鳥女の一言一言がしこりのように気持ちの隅に残る。断片的でありながら、今回の鳥女はアルマからしてみれば露骨過ぎるある一つの答えを提示していた。
「どこか、痛みますか?」
「いえ、ただ少し気になることがありまして――」
ズン、と遠くで重たい物を落とすような音が聞こえた。喋りかけていた口を止めたアルマにより、自分の聞き間違いでないことに気づいたミランダは表情を曇らせて家の扉を開けて外を見た。
「え!?」
ミランダの驚愕する声を聞いたアルマは、枕元にあった帽子と杖を手にすれば体を起こす。腰を動かすだけで針金で腹を刺されるような痛みを感じるが、身体強化の魔法を使用して痛みを緩和したおかげ歩く分は問題なさそうだ。しかし、ミランダの驚き方はまともじゃない。火事や地震だとしても、よほどの出来事でもない限りはあそこまで驚くことはないはずだ。
壁に体を擦るようにゆっくりと歩けば、ミランダの背後から外の光景を見た。ざっと見た感じでは、特別変わっている様子はないが、何故か妙に明るい。月の光の明るさなんかではなく、赤々とした輝きが周囲にあるのだ。おかしい、一体これはどこから来ているのだろうと顔を上げれば、それに気づくには遅すぎたことを知った。
「マギカ・ベイク塔が燃えてる……」
ありえないものを見たように声にするアルマだが、それは他の人間達も同じようで、音が気になり外に出てきた町の住人達みんなが似たり寄ったりの表情で火の手が上がる塔を見つめていた。そして、そんな大それた出来事を起こす人物にアルマは心当たりがあった。
止めなければいけない、義務感と共にアルマはミランダの脇を抜けて前に進む。呆然と燃え盛る塔を見ていたエステラは杖のコツコツと地面を叩く音で慌てて反応した。
「だ、だめですよ! そんな状態では、動いてはいけませんよ!」
アルマの肩を掴んで、歩行を妨害するミランダ。気を失ったアルマを運んできたからこそ分かるのかもしれないが、どうやらミランダから見てもあまり軽視して良い怪我ではなさそうだった。
ここで魔法を使えればいいのだが、既におうえんスキルの効果は切れている。治癒魔法を下手に使用して、強力な魔法がうっかり出てしまえば自分の肉体を全く別の生物に変えてしまう危険性すらある。こんな混乱した状況では、まともに医者に診てもらうことも困難だ。だったら、自分の持つ二本足で歩いていくしかない。
軽い力しか入っていないミランダの手を振り払ったアルマは、なおも前進する。
「ごめんなさい、どうしても行かないといけない場所があるの。これは、他の誰でもない。この私じゃないとダメなの」
「でも……! い、行ったら、きっと危ないですよ!」
ミランダの心配は当然だった。この町で一番安全だと思われていた魔法学園が燃えているのだ。学園の中には、いくつもの魔力を持った特殊な道具が貯蔵されている。危険なものも多いため、魔法の専門家が多くいる学園に預けられることが多かった。しかし、もしも侵入した賊などが知識もなくそんな危険物に触れれば何が起こるからわからない。安全な場所は、最も危険な場所へと変化していた。おそらく、今の驚きに慣れてしまえば混乱に変わるはずだ。アルマはなんとしても、それまでに学園に向かいたかった。
アルマは心配するミランダに横顔が見えるように顔を向けて、軽く会釈をした。その目には、何らかの決意を秘めた強い輝きを感じさせた。その目を見た瞬間、ミランダはアルマの歩みを止めることは不可能なのだと察した。
「ミランダさんもご存知の通り、私には心強い友達もいます。大丈夫ですよ、少なくともこの町を救うまでは絶対に私は倒れません」
はっきりと告げたアルマは帽子を深く被り、学園への道を歩き出した。
ミランダは自分よりも一回りは小さなその背中にかける言葉は見つからず、
「お気をつけて」
と闇の中に消えていくアルマを見ながら一言告げた。
※
アルマが学園へと向かい始めた頃、モニカとノアは学園に到着した。
学生寮の生徒達を避難させるための波に逆らい、混乱の中で辿り着いた塔の中は酷い有様だった。
一階の大広間が見上げた光景の中では、いくつもある扉は強引に壊され、内側の教室から火が上がり、扉を形成するために用いられた魔力が異常を起こしているのか花火のようにカラフルな爆発が視界のそこかしこで大きな音を轟かせた。
落ちてくる火の粉に気をつけて、アルマとモニカが階段を駆け上がる。この間の襲撃者と同じなら、と鎧と剣を装備してきた二人だったが、前回戦った時よりもずっと強大な敵がいるのではないかと悪い想像が脳裏から切り離そうとしても離れなかった。
二階の廊下を見れば、魔法学園の教師が数名踊り場で倒れていた。
「大丈夫ですか!?」
ノアが駆け寄り、一人の教師を起こせば弱々しく息を吐くだけでまともに喋れる様子ではなさそうだった。ノアは舌打ちをすれば、その体をゆっくりと横にした。下の階では、生徒の案内をしている教師も数名いるようだったので、もうしばらく我慢すれば彼らがやってきてくるはずだと強引に自分を納得させて他の教師にも声をかけていく。
「――ノアちゃん!」
モニカの声を聞き、ノアはモニカの元へと走る。
見覚えのある男性は、実技を中心に教えている教師だった。覗き込んだノアの肩を掴めば、男性教師は息も絶え絶えで言葉を紡ぐ。
「逃げ……ろ……。翼の生えた女が……たくさんの……怪物を連れている……」
「翼!? やはり……アイツが犯人か。そいつは、どこにいるんだ」
よほど腹立たしいのかノアは、モニカの耳に届くほどギリリと奥歯を強く噛みしめた。
「奴は……一人じゃない……二人……で……」
男性教師を支えていたモニカの両手がぐっと重くなる。支えきれなくなり男性教師をゆっくりと横に寝かせれば、ノアは掴まれていた肩に手を置いて立ち上がる。
「犯人は二人か。一人だろうが二人だろうが関係ない。私とモニカで、必ずそいつらを倒す」
「アルマちゃんも忘れちゃダメだよ?」
「……奴が来る前には決着がついているさ」
おもむろに剣を抜いたノアは、何も無い空間に剣を振った。――ようにモニカには見えた。
ノアの背後で悲鳴が聞こえ、炎の中に何らかの四足の怪物の影が消えていった。敵の気配に気づいていたノアは、不意打ちで襲撃してきた怪物を半分に切り裂いていたのだ。
「出て来い、黒幕か? それとも、鳥女の方か?」
踊り場の上、三階の階段の上でローブ姿の女がそこにはいた。背格好とローブから見える白い肉体は、明らかに鳥女ことあの女子生徒のものだった。
「学園長と貴女達が揃うと厄介なのよ、貴女にはここで私の相手になってもらうわ」
「そうか、学園長はもう一人の奴と戦っているのか……! それなら、ここを抜ければ敵は後一人だけだ」
ふふふ、と口元に手の関節を当てて笑みを見せる鳥女。
「そう簡単にうまくいくかしら?」
両手を広げた直後、いつまでも目の中に残るような激しい赤の輝きが発生する。直後、十数体の背中に翼を生やした虎のような生物が飛び回る。降りかかる火の粉や炎をまとった瓦礫すらものともしない強く頑丈な獣がそこにはいた。
「ノアちゃん、この怪物……」
「分かっている。前にモニカが倒した奴らよりも、ずっと強くなっている」
基本的な姿はモニカが倒した怪物と変わってないが、翼はさらに大きく牙は長い。目に見えるほど怪物の周囲に漂うのは溢れ出た魔力。再び現れた怪物は、さらに強大に凶悪になって数を増している。
「どれだけ戦えるのか見ものね」
「そんな余裕、羽を全てちぎられてからでは遅いからな?」
ギリギリまで高められた緊張感の中でモニカがおうえんスキルを発動し、そのままぐんだんスキルを開放する。
じりじりと肌を刺激するような張り詰めた空気の中、魔力を身に受けたノアが剣を構えて迫り来る怪物達を迎え撃った――。




