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ダメ勇者だけど、みんなが甘やかしてくれるからなんとかなってます!  作者: きし
第七章 魔法学園~アルマによるキミに捧ぐレクイエム~
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10話  モニカレベル29 ノアレベル40 アルマレベル42

 クリムヒルト魔法学園からそれほど遠くない自宅に彼はいた。

 職場では穏やかな性格で知られ、変わり者の多い職業でありながら他の教師と波風立てることもなく上司の信頼も厚い。そんな模範的な彼の名前は――魔法学園の教師ゼイレ。

 自宅の地下室では魔法陣が壁を埋め尽くさんと無数に書かれ、地面には丁寧に細かく何度も書き直されたように色濃く書かれたいくつもの線も魔法陣の形跡。もしこの場にアルマがいたのなら、このゼイレが書き続けた魔法陣がどれだけ恐ろしいものかすぐに気づくことができただろう。だが、それに気づくものはいない。これは、彼が隠し持つ秘密であり悲願なのだから。

 光が差し込む窓なんてなく、狭い空間をさらに息苦しくさせるような黒色のレンガの壁は目にした人間に圧迫感を与える。子供の拳程度の小さな灯りのマキア石に映し出されるゼイレの顔は絶望に暮れた人間のものだった。

 長期的に見ていたある実験が突然と失敗しようとしているからだ。それだけではない、ただ失敗するだけではなく今の地位まで奪われる可能性が高い状況だ。

 よろよろと壁に後頭部を擦り付ければ、握り締めた拳を壁に振り下ろす。鈍い音が狭い空間に広がるように響いた。


 「こんなはずじゃなかった……! どうして、こんな!」


 もう一度、行き場のない感情をぶつけるように拳を壁に叩きつけるゼイレ。

 背後から階段を降りる音が聞こえてくるが、ゼイレは見向きもしない。魔法で結界が張られているため、ここを通ることができるのはゼイレと――。


 「おとうさん……」


 ^――エステラのみだ。

 駆け寄るエステラはゼイレの拳に触れれば、血でぬれたその手を見て顔を青くさせた。


 「血が出ているよ!? 早く治療しないと――」


 「――うるさい!」


 手を引こうとしたエステラを殴るように振り払う。拳が頬を掠めたエステラはその場で尻餅をついた。


 「痛い……よ……」


 「痛いわけないだろう。お前は」


 背中を向けていたゼイレが壁にこすり付けていた顔を上げれば、エステラに接近してその顔を睨みつける。そのゼイレの瞳には我が子に向けるような温かなものは一切なく、まるで害虫でも見るような冷たい眼差しがそこにはあった。親子どころか同じ人間とすら思ってもいないその瞳を前にエステラは上げようとしていた顔を一段と深く下げた。

 弱々しく体を震わせる娘の姿を見た父親なら、本来なら同じように苦しみを分かり合い心の棘を傷が残らないように抜いてあげるものだろう。しかし、彼らには普通の父と娘の価値観は通用しない。


 「本当に痛いんだよ……?」


 「嘘を言え、お前はそういう存在じゃないだろう! それに、誰のせいで僕がこんなに悩んでいると思っているんだ!」


 今度は偶然なんてものではなく、手の甲で平手を放つ。その一撃をエステラは避けることもせずに受ける。しかし、その頬は赤くなることもなく、痛みを伝える方法はただ両目から涙を流すのみだった。

 不機嫌そうに鼻から乱暴に息を漏らしたゼイレは、苛立ちのままに頭を掻き毟った。

 いくつかの小さな失敗は許容範囲だった。それは時間をかけて補い、いずれは成功へと導くつもりだった。例え、どれだけの犠牲を払うとしても。そんな彼の前に突然と訪れた障害は、組み上げてきた超最高位の魔法陣を土壇場で消滅されたように不愉快かつ理不尽なものだった。


 「僕は……どうすればいいんだ……!? 教えてくれ、教えてくれよ! エステラッ!」


 ゼイレは次に地面に何度も頭突きをする。額から血は流れ、床に付いた血痕が広がる。もうエステラは泣き喚く父の自傷行為を見ても、それを止めることは一切なくただ黙って悲しげな眼差しでその姿を見ていた。全てが狂い、全てが終わる。ある意味ではエステラにとって、最も幸福な終わり方をしようとしていた。しかし、世界の邪悪は闇を見逃さない――。


 「――はじめまして、ゼイレ、エステラ」


 二人が聞いたことのない女性の声が聞こえ、エステラが最初に振り返れば、ゆっくりとした動作でゼイレがその声のした場所を見る。

 薄黄色い灯りがぼんやりと輝くだけだった部屋が別の色で満ちていた。魔力の塊で形成された――黒い炎が二人の頭上にメラメラとした揺らめきと一緒に浮かんでいた。

 魔法についての心得がある二人には、すぐにその存在が魔法によって作られた特殊な存在であることに気づいた。しかし、あまりに精巧に作られたそれは、生命そのものにも見えるし魔力の塊が他の場所から声だけを届ける役目をしているようにも見えた。どちらにしても、強力な魔法使いでもそれなりの時間を必要とする魔法結界を乗り越えてきたところを見れば、只者ではないことは間違いなかった。


 「誰だ、こんなところに?」


 声は弱い、突然現れた来訪者に驚くこともないほどに落胆しているという様子でゼイレはソレを見つめた。


 「お父さん、危ない!」


 ゼイレを庇うようにエステラは父の前に飛び出す。しかし、ゼイレの視界にはエステラに入ることはなくその燃える炎を見つめていた。ゼイレほどの魔法使いなら、それがこの世界でも超常的なものだということは気づくことができた。しかし、今の自分の心の中を実体化させたような漆黒の炎から目を逸らすことができないでいた。


 「お困りのようだったから、力を貸してあげようと思って。今行っている特殊な実験を成功させたいのでしょう?」


 漆黒の炎の気になる言葉にゼイレの足は自然と前へと進む。そして、「そこをどけ」とエステラに突き放すように言えば、ゼイレとエステラの立ち位置が変わる。


 「……ああ、困っているんだ」


 「それなら、私がその実験をお手伝いしてあげましょうか?」


 「なに?」


 言葉を疑うゼイレ、探せば協力者ならいるかもしれないが、魔法科学と呼ばれる魔法の構造を探ることを専門としているゼイレからしてみれば、ポッと出の存在がそう易々と力になるとは思えなかった。


 「あ、私のことを疑っているでしょう? 本当に助けになるのかって……。ほら、これが証拠よ」


 漆黒の炎が炭を吐くように、黒い塊が地面に落ちる。そこには、真っ赤な塊がいくつも転がっていた。一見すれば宝石のようにも見えるが、どれもが乱暴に削られたように歪で削りたての鉱石のようにも見える。


 「なんだと! これは!?」


 ゼイレは倒れこむような勢いで地面に両手をつけば、その一つを摘んでメガネにぶつかるのではないかと思うほどの距離まで顔に近づけて輝きを見つめた。


 「どう、驚いたでしょう? そこまで純度の高いマキア血晶けっしょうは見たことないはずよ」


 マキア血晶という言葉にエステラは、最初は理解できていないかった石の正体に気づいた。それは、より純度の高いマキア石を作るために生み出された人工のマキア。その材料とは、人間の血液だった。それも死が迫っているものほど、高純度のものが作れる酷く悪趣味な人工マキアだった。死に近ければ近いほど、人間の血液は異常なまでの魔力を放つ。これは、魔法使いの中では知らない者がいないほど昔から語り継がれる事実だった。そうした魔法使いの知識を悪用して作られたのが、マキア血結だ。

 ゼイレもモンスターを捕獲して似たようなものを生み出したことはあるが、エステラから見てもここまで深い赤の色を出せるマキア血晶はゼイレがどれだけ追及しても生み出すことのできなかったものだ。

 数センチのものを一個作れば、何十何百と屍を積み上げるなければいけないかもしれないその恐怖の物体を漆黒の炎は湯水のように次から次に放出した。


 「こ、これを、僕にくれるのか?」


 「あげるわ、一応は前金みたいなものかな。本番はこれからなんだけど、マギカ・ベイク塔にある魔王の剣カルブルヌスを奪ってきてほしいんだけどできるかな?」


 「カルブルヌスを……!? 無茶を言え、あそこに魔法使いが何百人いると思っているんだ!?」


 ゼイレは石を地面に落とせば、血相を変えて反論する。

 おそらくは他の町にある魔法使いのギルドよりもずっと厄介な場所だ。ゼイレはそこで教師をしながら、魔法使いの力の高さ、さらには学園長の見た目からは予想もできないような強大な魔力も知っている。もしも、魔法学園に喧嘩を売るなら、命がいくつあっても足りないだろう。


 「ふーん、まあ、できればで良かったからさ。そういうことなら、その血晶も実験への協力も無しだから」


 「なっ……!? ちょっと待て」


 「待たないわよ。はい、とりあえず没収」


 両手いっぱいに握っていたマキア血晶が見えない糸で引っ張られるように漆黒の炎の中に吸い込まれていった。


 「待て、待てって……待ってくれよ……」


 宙に浮かんだマキア血晶はゼイレの伸ばされた手は届かない。ただ虚しくその手は空をきった。


 「じゃあ、私はこの辺で消えるわね。これからもがんば――」


 垂れかけた頭を上げて、ゼイレは縋るように漆黒の炎の下部へと飛び込んだ。そして、魔力の塊となっている漆黒の炎に手を伸ばせば苦痛で顔を歪ませた。圧倒的な力を持つ漆黒の炎がゼイレに干渉し、ゼイレの精神を削る。今の彼の苦しみは、体中の穴という穴から強引に刺激の強い液体を流されているようなものだ。まず常人なら、それだけで気が狂ってしまうはずだった。しかし、半狂人となったゼイレは血走った目で漆黒の炎を自分の元へ引き寄せようとする。


 「――僕はやる! だから、行かないでくれ! 僕が必ず魔法学園からカルブルヌスを奪い取る!」


 漆黒の炎がにんまりと笑ったように、火花が大きく上がった。


 「いいわ、その闇すらも自分の価値観を押し付けるような利己主義……気に入った。マキア血晶を好きなだけあげるから、その力を使って貴方の役目を全うしなさい。夢のために、ささやかな幸せを追い求めたなれの果てを世界に示しなさい」


 漆黒の炎がゼイレの手から抜き出て上昇する。その代わり、ゼイレの手には両手で支えきれないほどの多量のマキア血晶が乗っていた。


 「あぁ……あ……ああ……。これで、僕は……! これだけの力があれば、きっと学園長だって……!」


 幸せそうにマキア血晶の中に顔をうずめて幸せの涙を流すゼイレを見ながら、エステラの胸の奥が痛んだ。そして、暗闇の中でぼんやりとこの先のことを考える。

 エステラがエステラであり続けた日々が終わろうとしていることを、彼女はようやく気づいた。



                 ※



 「うん? ねえ、ノアちゃん。今何か大きな音が聞こえなかった? どーんみたいなごーんみたいな?」


 「どーんもごーんもあまり変わってない気がするが、そんな音したか?」


 学園寮の一室、モニカとノアの部屋。やっとネコミミの呪縛から開放されたモニカはベッドで横になり、ノアはいそいそとラブレターの返事を書いているところだった。

 モニカはベッドから体を起こして壁に耳を当てて、扉に顔を寄せて見るがそれらしい音は聞こえない。


 「……やっぱり気のせいかな? もしかして、耳鳴り?」


 「耳鳴りとは、なんだ?」


 ラブレターの返事を書いていたノアは手を止めるとモニカに問いかける。


 「精神的な疲れが溜まると、耳からキーンて音が聞こえる症状のことなんだよ。私の世界では、耳鳴りする人が多かったんだよね。まあ精神的なもの以外でも、いろいろあるんだろうけど、分かんないやー」


 「なんだと? 疲れだと!? だったら、私がその疲れを癒してやろう!」


 ガバッと勢いよくノアが立ち上がれば、手をわきわき動かしつつモニカへと接近する。悲鳴を上げてモニカは後退すれば、ここは狭い部屋の中。部屋の袋小路に追い詰められてしまう。


 「その手の動きなんなの!? またおへそと首の間の部分で何か変なことをするつもりなら、絶対に嫌だよ!? ていうか、ノアちゃんが変なことしたいだけだよね!?」


 「変なことうなんて失敬だぞ。これは、楽しい楽しい友人同士の触れ合いだぞ」


 真顔で言うノアに対して、モニカは呆れた顔で返答する。


 「うんうん、前々から思っていたけど、ノアちゃんは世間一般の友達ていうのがどんなものか学園で勉強した方がいいよ?」


 「それはさておき……。さあ、モニカは私とゆっくりとわしゃわしゃわきもきの時間を過ごそうじゃないか」

 

 「顔に一片も女子っぽさを感じないんだけど!? 二割ノアちゃん、残り八割おじさんだよおぉ!? 冷静になってよ、ノアちゃあぁん!?」


 そんな時、ノアの動きがピタリと停止した。決して、モニカの願いがノアに通じたわけではない。別の出来事によって、その動きは止まったのだ。


 「――聞こえた。私にも聞こえたぞ、モニカ」


 「やっぱり?」とびくびくしながら聞くモニカが見たノアの顔は、引き締まった戦士の雰囲気を醸し出していた。

 「こっちからだ」とノアは迷いなく窓まで歩けば、閉められたカーテンに手が伸びて、それを勢いよく横に引いた。


 「……またアルマがやらかした。……そんなわけないか」


 窓の外に広がる光景を見ながら、ノアは苦々しい表情で言った。ノアの背後から駆け寄ってきたモニカもノアの脇から顔を出して外を見れば、その光景に言葉を失った。


 「マギカ・ベイク塔が……魔法学園が……。――燃えてる」


 学生寮の窓から見える塔の半分から上の方で、黒い煙がもやもやと立ち込めて、塔の上半分は既に煙で見えない状況を目にしたノアは、自分の初めて通った学び舎を傷つけられた怒りと共に拳を強く握った。

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