5話 モニカレベル29 ノアレベル40 アルマレベル42
数年前まで、アルマは友達と呼べる存在がいなかった。正確に言えば作らなかったというほうが正しいかもしれない。
筆記試験や魔法薬を扱う机の上で出来る試験があれば学年トップの成績を収めるアルマに羨望の眼差しを向けはするものの、頭二つは飛びぬけた成績に本来の気の強い性格が加わり誰も近づくことはできなかった。しかし、実習の成績は最悪だった。高慢な態度とのギャップから、嘲笑う者が多かったが、それでも親近感の湧いたアルマに声をかける生徒もいた。相手に悪意がなくても、アルマは見下されて近づいてくるように見える彼らすらも冷たく対応した。そうやっていく内に、アルマの周りに人は近づかなくなり一人になり、そして一人が普通となった。
そんな時、アルマはある一人の女生徒と出会う。それは、アルマが十一歳の頃の話だ――。
※
「こんにちは、アルマちゃん」
馴れ馴れしくも女生徒はそう声をかけてくる。
嫌いな実習の後だったこともあり、気が立っていたアルマは無視して廊下を歩く。声をかけた女生徒が後方で息を呑んだような気がしたが、アルマはそれも慣れたことだと無視をする。しかし、女生徒はそんなアルマに臆することなく駆けて通り過ぎれば、アルマの進行を妨害するように前に立った。
「無視しないでください」
しつこい奴だ、その頃のアルマは平気でそんなことを考えていた。下手をすれば、心の中でもっと酷い言葉でなじった人間もいた。
自分以外は愚かで害のある存在。アルマからしてみれば、他人というのはまさしく唾棄する者達と言えた。
「どいて」
それとも、気の弱そうなこの子が自分の動きを止めて、その代わり他に自分のことを笑う役回りの生徒でもやってくるのだろう。まさか、先週論破してやった奴らの仲間か?
過去にアルマのやらかした様々な揉め事が思い浮かぶが、魔法使いと呼ばれて育った自分と同じような温室育ちのお嬢様達には仕返しをするような気概があるとは思えなかった。事実、この間なんかは自分の机の中に泥で出来たカエルの使い魔を大量に入れるイタズラをした同級生には、報復として三日間は自分の顔が己が最も嫌いとする爬虫類と同じ顔に見える魔法薬を飲ませてやった。それ以降、一週間は顔を見ていない。
既に薬の効果が切れているから、問題はないはずだが、仕返しを恐れているのだろうか。他人事のようにそう考えつつ、結果としてあれはいい予防線を張れたと我ながら思う。
「は、はじめまして、私――」
「どいて」
もう一度、強く同じ言葉を繰り返して睨みつけるが、アルマの目の前の女生徒は身を小さくさせるのみで、そこから動く様子はない。
仕方がないので、アルマは脅しておこうと考える。
「ねえ、私の噂聞いてない? 私に余計なことしたら、後でどんな報復が返って来るか知らない? ご存知の通り、実習の成績は五歳児以下だけど、魔法薬に関しては他の人よりずっと詳しいの。期末試験の前に睡眠効果のある魔法香を嗅がせられたり、自分の杖が蛇に見える幻覚を見せられたり、体重が二倍になる魔法薬を飲んだりしたくないなら……私に関わらないで」
これだけ言えば怖気ついて近づくことはできないはずだ、事実嘘ではないことも目の前の彼女は知っているようで、それほど驚くことはなかった。その代わり、生唾をごくりと飲み込み、目を輝かせた。
目を輝かせた? アルマは予想できない反応に、眉間にシワを寄せる。
「――か、かっこいい!」
「は? かっこいい?」
一度も言われたことがない言葉に、アルマは思わず素の声を上げる。そして、何度も女性とは長い髪を揺らして頷いた。
「はい、かっこいですよ! そんな風にみんなをあしらうことができるなんて、大人といいますか凄いといいますか……もう本当にかっこいい!」
「正直に言うけど……私がやっていることなんて、陰湿な嫌がらせに対して、さらに陰気でドロドロな仕返しをしているだけなんだけど」
「そんなことないですよ! 私から見れば、凄く羨ましく思えます。私なんて気が弱くて、魔法もダメダメだから、みんなにバカにされて……それで作り笑いをすることしかできなくて……でも、アルマちゃんは我が道を行くって言うんですかね? だから、本当に凄いていうか……いつからか、憧れていたんです」
見た目と違い、グイグイと話かけてくる女生徒に若干引きつつも胸の隅では心の奥底をくすぐられる自分がいる。
仕返しをするにしても、毎回魔法薬の本を開いて、安全面に問題ないようにさらに改良研究してから薬を作ったりせず、圧倒的な魔法の力でひれ伏させたい。でも、それはできないし、そのまま放置してさらに厄介になっても困るので、一応はああいう形で制裁を加えているだけだ。仕返しという行為が醜いと思いつつもやっていたアルマからしてみれば、この反応は嬉しい誤算というやつだった。
確かに嬉しいは嬉しいのだが、この女生徒に間違いなく断言できることがある。
「……なんか、変わってるね」
「そうなんですよ、みんなにおっとりしているとか天然とか言われてて……」
「いや、そういう変わってるじゃなくて。……とりあえず、どうしたいの?」
「どうしたい? えーと真面目に勉強して、将来はたくさんの人の傷や病気を治癒できるような魔法使いになりたいなと思っています」
「そういうことじゃないわ! 私を呼び止めて、何がしたいのかって聞いているのよ!」
「ぽ」
露骨に恥ずかしそうにもじもじとする女生徒。動揺した時にする癖なのか、自分の髪の毛先をいじること一分。よく自分も持った方だと思いながら、アルマは歩き出す。
「用がないなら、行くわ」
「ああぁ!? ちょっと待って! と……とも、友達になりたいんですぅ!」
「――ぬぐぅ」
慌てて女生徒はアルマのある部分を両手でガッシリと掴む。
「お願い! お願い! ちょっと待ってくださあああい!」
「おい、分かったから、いい加減私の髪の毛から手を離せ」
「ご、ごめん、服と間違えて髪を引っ張っちゃった! えへ」
悪びれもせずに、またやっちゃった、という感じに舌を出す女生徒に猛烈に怒りが湧き上がる。
「二、三発ぶん殴らせて」
「ご、ごめんっ。これで、許して!」
本当にアルマも驚くぐらいの速度で、女生徒は軽く握った拳で顔を、
「ふぐぉ!?」
肩を、
「おふぉ!?」
足を、
「へぶぉ!?」
三発殴った。
顔の方はそれほどでもなかったが、肩と足はじぃんと肉体に響くように痛む。膝を曲げて体を丸めつつ、アルマは力いっぱい女生徒を睨みつける。
「――どうして殴ったぁ!?」
「えぇ!? ごごごごめん、アルマちゃんが殴らせてて言ったから……。あ、お腹は殴らなかったし、顔はあんまり強く打ってなかったよね?」
「私が殴らせてって言ったんだよおおおぉぉぉぉ!? 冗談だったんだけどねええぇぇぇぇ! 後、そのお腹と顔を強く殴らなかったことを、凄いでしょ、みたいな感じが激しくムカつくからやめなさあぁぁぁい!!!」
「わ、私、ドジだから……」
「ドジに逃げるな、こらっ! いいから、名前を教えなさい!」
しゅん、と落ち込んでいた女生徒は太陽が昇るように顔を明るいものにさせる。
「私――エステラて言うのよ。これから、お友達だね、よろしく。アルマちゃん」
「誰が……誰が……」
肩をわなわなと震わせつつ、柔らかい笑顔で差し伸べられた手をアルマは力いっぱい強く握手をした。
「――誰がアンタと友達になるかあぁ! アンタに徹底的に仕返しをするために、名前を聞いたのよおぉ!」
「……あれ?」
※
――そして、現在。二人のお気に入りの喫茶店にて、アルマとエステラは向かい合わせに座っていた。
「……なんか昔のことを思い出したら、急にムカついてきたわね」
「ひどいなー」
「酷いのはどっちよ。初めての出会いが最悪過ぎて、半分命を奪うつもりで、魔法薬を食べさせたり嗅がせたり投げつけたりしていたけど、全然効果ないじゃないの」
「私、そういう魔法薬とか利かない体質なんだよね。ていうか……アレ、命を奪うつもりあったんだね……」
「――ま、なんだかんで、私達て友達になったわね」
「あれ、強引に話題を逸らされた気がする……」
アルマにとって、エステラとの出会いが全てを変えた。結果論としても生まれて初めて対等に接してくれる彼女と過ごす内に、一人でいることの寂しさや誰かに頼ることの心強さを知ることができた。意識して作った友人ではないが、気がつけばずっと隣にいた。
弁当やお菓子に魔法薬を混ぜてエステラに食べさせようと昼食に誘ったり、 二人一組で実験をすることがあれば、とびっきり強烈な臭い香りを発生させる魔法薬を作ろうと励んだり、と。あの手この手で報復しようと思ったのだが、エステラと追いかけっこのような日々を始めた時ぐらいから毎日の学園生活を素直に楽しめるにようなった。今まで関わりがなかった人達とも、それほど深く接することはなくても世間話をするぐらいの関係になれた。あえて口に出すことはなくても、エステラとの日々は今の自分を形作りには十分過ぎた。
クッキーを一枚食べ、アルマはエステラを見た。
「だけど、いきなり引っ越した時は驚いたわよ」
「……あぁ、あの時はごめんね。いきなり両親の都合で引っ越すことになっちゃって」
アルマが学園を退学するよりも二年ほど前にエステラは他の町へと移り住んでいる。急な引越しを聞いて、ショックを受けたアルマだったが、そこから大慌てで贈り物を用意したことを今でもはっきりと覚えていた。
ふと何気なく、自分の渡したものについて聞いてみる。内心、捨てられていたら残念だが、あまり高いものでもないし、また出会えたからいいかと軽くも考える。
「そういえば、あの時にあげた物はまだ持っている?」
「うん、もちろんだよ」
照れ笑いと共に首に下げた小さな布製の袋の中から、赤色のリボンが出て来る。それを手に乗せてエステラは広げて見せた。
「アンタはやっぱり変わり者ねえ。そんなリボンを未だに大切に持っているなんて……。ていうか、せっかくあげたんだから使えばいいのに」
ううん、とエステラは首を横に振り、愛おしそうにリボンを胸元に寄せた。
「大切過ぎて、そんなことできないよ。無くしたら嫌だもん」
「……嬉しいこと言ってくれるじゃないの」
逆にアルマの方が恥ずかしくなり、紅茶をすする。
久しぶりに会えたアルマの姿がよほど嬉しいのか、じっと見つめて、温かくなった雰囲気に押されるように自然と口を開いた。
「今度は、私がアルマちゃんに何かあげるね。会えると思ってなかったから、今から考えないといけないけど」
「いいわよ、別に。この町に来れば、いつでも会えるんでしょう?」
「アルマちゃんが旅をしていることは町の人の話から聞いているよ? だからこそ、持っていてほしいていうか……」
困ったようにアルマは頬を掻けば、口内が乾燥していることに気づきもう僅かしか中身の残っていないティーカップに口をつけた。
「……ああもう、分かったわよ。だから、そんな顔しないで。期待しないで、待っとくから」
アルマの言葉が嬉しかったのか、リボンをきゅっと両手で握りエステラは大きく頷いた。
「えへへ、アルマちゃん優しいね。……ありがとう」
「ほんっとヘンテコ。文句言われても知らないわよ」
「心がこもっているものなら、何だって喜んでくれるよ」
「よくそんな恥ずかしいことを……。あ、そういえば、エステラが戻って来ているてことは――ゼイレ先生も?」
一瞬だけ、何故かエステラが驚いているようにアルマには見えた。――実の父親のことなのに。
「うん、お父さんも魔法学園の先生に戻っているよ。前々から、生徒から人気のある人だから、すぐに戻れたんだろうね」
「なら、良かったわ。少し痩せたように見えるし、生活に困ってたらどうしようかと思ったわ」
「大丈夫だよー。まったく、アルマちゃんは心配さんですね。……ねえ、アルマちゃん、また会えるかな?」
しばしアルマは考える。このクリムヒルトの町は、たまたま寄ることになっただけに過ぎない。実際のところ、通り魔の問題が解決すれば、すぐにでもこの町から離れたいところだった。しかし、ここにエステラがいるとなれば話は別だ。もう少しぐらい話をしていたい。できることなら、今まで何をしていたか自分を何をしていたかをもっともっと話をしていたかった。
調査を進める合間なら許してくれるだろう、と。アルマにしては珍しく自分を甘やかすような気持ちが出て来る。
「しばらくこの町を離れる予定はないし……大丈夫よ、また会いましょう」
「わぁ、やった」
子供のように手を一度小さく叩いたエステラの姿を見て、アルマは少しぐらいなら構わないだろうと自分を納得させて、懐かしい味のする次のクッキーに手を伸ばした。




