3話 モニカレベル29 ノアレベル40 アルマレベル42
魔法学園は一つの塔ができている。その下には広場もあるのだが、昼休みや実習以外ではほとんど使われることはない。しかし、学園であるなら、様々な教室があり、科目に見合った空間が必要になるというものだ。だが、それをこの学園は一つの塔でやってみせる。
モニカ達を迎えたエントラスを進んだ後の塔内部は非常に複雑な構造となっており、転移用の魔法陣を踏んで教室まで移動したり、螺旋階段の内側に教室が塔のように連なっていたり、部屋の中から階段が生えていたり、と……。見ているだけで欠陥だらけではないかと思ってしまほどおかしな作りだった。それでも、慣れた環境なのかアルマと同じ三角の帽子に黒いローブの魔法使いの格好をした生徒達がモニカ達を不思議そうに見ながらも通り過ぎていく。
塔と言われれば、階段が壁側に作られてぽっかりとした空間が広がっているイメージが強いが、この魔法学園の塔――マギカ・ベイク塔は、頭の上から壁の隅まで隙間なく教室が所狭しと密集しているのだ。
アルマの案内なしで、五分で迷ってしまう自信があるモニカとノアだったが、数回だけ転移魔法陣の上に乗ることで学園長室の前に辿り着いた。
「なんだか、ここて気持ち悪くなるねえ……」
僅かに青ざめた顔で言うモニカにアルマは苦笑いをする。
「変な作りだし、転移の魔法に慣れてないモニカがこうも短時間で飛ぶとね。実際、学園に入ったばかりの生徒達も同じようなこと言うわよ」
自分がいた頃のことを思い出しているのか、楽しげに変事をするアルマ。
「フッ、私は食後十五分以内なら吐いてしまう自信があるぞ」
「なんで、アンタはワケのわからんところで私と張り合おうとするのよ……。――さ、学園長室に入るわよ。事前に連絡はしといたから、いるとは思うけど……」
二度ノックをして、「アルマです、入ります」と言えば、金色のドアノブを回した。止め具のところからキィとした音を立てつつ扉が開いた。
入室したモニカは目を輝かせた。
「ガチだよ、ガチだよ。ノアちゃん」
「ガチ? よく意味は分からんが、私はいつもモニカにガチガチだぞ」
本当によく意味が分からないな、なんて思いつつアルマは先頭を進む。
中へ入ってみれば、ごちゃごちゃとした部屋が目に飛び込んできた。頭上にぶら下がるランタンには大きなマキアが一つ。それだけで部屋の灯りは十分だった。最初に気になったというだけであり、部屋中にはモニカの想像した魔法使いの雰囲気に近いものが並ぶ。
液体に浮いた透明の骸骨、両手足の生えた鯨にも見える不思議な生物の模型、額物に収めれた杖、何かの実験でもしていたのか擦り潰した途中の薬草、嗅いだことのない強烈な魔法薬の香り、あまったスペースを埋めるように本棚が並び、その棚にも余裕はない。一つ一つを言い出したらキリがないが、これほど強く魔法と共に生きる人を感じさせるのはモニカやノアですらも始めての経験だった。
外からでは分からないほどに広い部屋を進めば、奥に机が一つ。そこでは椅子の背もたれの部分がモニカ達から反対側の方を向いていた。
「おばあちゃん、久しぶり。事前に話をしていた勇者モニカと戦士ノアも連れてきたよ」
「うむ、よく来たの」
あれ、おばあちゃん思ったより声が高いな? なんてモニカが思いつつ、背もたれが反転しお婆様がその顔を見せる。そして、モニカとノアの顔は硬直した。
「おお、元気そうじゃなアルマ! 抱きついてもいいか!? ほっぺた舐めていいか!? 三角帽子の溜まりに溜まった香りを満喫しつつ、スープを三杯たいらげてもいいか!?」
「頭の痛くなる発言は人の前ではやめてよね……」
「悪いのう! さすがの私も暴走してしまうのじゃよ! ぺろぺろぺろぺろっ」
「ぎゃー! 私の写真を懐から出して舐めるのやめてぇー!」
ひたすらにセクハラ行為を繰り返されるアルマを見ながらモニカはノアの耳に顔を寄せる。
「ね、ねえ、ノアちゃん」
「……モニカの疑問には気づいている」
その疑問は、決してアルマ祖母の変態行為についてではない。
「よ、良かった。私だけに見える妖精さんなのかと思っちゃったよ。いや、妖精というには妖精に失礼か。だけど、うん、あの人って……」
「――ああ、決してアルマの祖母には見えないな」
ノアの言葉が敵に操られていそうとか、明らかに異形の怪物に見えるとかいう意味ではない。アルマの祖母は確かに人間であり女性だ。行動が常軌を逸しているところを抜かせば、それは間違いない、だがモニカとノアはどうしても気になるところがあった。それは見た目――十歳程度の女の子の姿をしていた。
ツインテールのアルマよりも明るい茶髪に、魔法使いとは思えないほどの白いローブ、さらにはミニスカート。モニカから見れば、ローブの下にはセーラー服に酷似した服を着ていた。明らかにこの部屋、いや、この世界から浮いていた。
固まったままの二人に気づいたアルマとお婆様。こういう反応に慣れているのか、やっとそこで二人して納得したという顔をする。
「ぺろぺ……うん? もしかして、アルマ。私の姿のことを言ってなかったのか?」
「ああ、そういえば……。すっかりこの街では普通になっていたから、言い忘れていたわ。二人とも、見た目はこんな感じだけど、この人が私のお婆ちゃんよ」
「アルマちゃん本気!? どこから見ても幼女だよ!? 後、イかれた変態さんだよ!?」
「どこか頭でも打ったんじゃないか? それとも、その三角帽が洗脳をするための魔法がかけられているとか」
「……アルマ、随分と失礼な友達じゃな。さすがの私もぷんぷんするぞ?」
ぷんぷんと頬を膨らませるお婆ちゃんは、どこからどう見てもただの子供だった。アルマから抜いた可愛いところだけで作ったみたいにマスコット的な要素すらある。
アルマがモニカとノアの肩を掴めば、自分顔に二人の顔を寄せた。
「おばあちゃんは、魔法使いの力……というかその上位職のせいで外見年齢が止まっているのよ。一応ね、そういうちゃんとした理由があるんだから。それに、私達はここに頼みごとをしにきたのよ? その辺のこと、分かっている? どれだけヘンテコな見た目だとしても、私のおばあちゃんは、そういうものだと思って扱いなさいよっ」
小さい声で喋るアルマだが、それでも声に二人を押さえ込むような強い口調が込められていた。
魔法の専門家である人間の口からそう言われてしまえば、モニカとノアは黙るしかない。あまりの剣幕でアルマが言うものだから、モニカはたじたじになりノアは唸り声を漏らす。
「う、うん、深く考えないようにするよ」
「魔法とは不思議なものなんだな」
「理解できたなら、なにより。あの人は私のお婆ちゃんよ。いいわね」
念を押すように最後に言えば、アルマは顔を離してモニカとノアの肩を引いて自分の前に立たせる。
「あまりにお若いの驚いてしまって……先程は失礼、アルマです。お婆様」
「ごめんなしゃい! モニカです、はじめまして!」
「うむ、驚いただけなら、仕方ないの。……私の名前は、プリセラ。ここの学園長をやっておる」
膨らんでいた頬は、それこそ風船の空気を抜くように小さくなっていく。
なんとか落ち着いてくれた祖母にホッとしつつ、アルマは本題に入る。
「ところで、お婆ちゃん。この街の通り魔の噂のことは聞いている?」
プリセラは見た目に似つかわしくない渋い表情をした。
「話は聞いている。昨晩、お主らが怪しげな怪物を倒したこともな。だが、未だに情報が少なすぎるんじゃよ。例え一匹倒したとしても、他に操っている者がいる可能性が高い事件じゃ。まだ一晩と経ってないからな。黒幕を見つけるために、こちらもいろいろ調査をしているところなんじゃが、寄せられる情報もまとまりや関連性が無さすぎて話が進みそうにない」
よほど困っているのか、がっくりと肩を落としながらプリセラは語る。
予測していたのだろう、見るからに落ち込むモニカと違い、アルマが一歩前に出る。
「だったら、私達が協力するわ」
「なんじゃと……?」
「それに闇雲に探すわけじゃないわ。私はさすがに学園に戻るわけにはいかないけど、モニカとノアを学園に転入生として入れてもらえないかな? 随分前に無くなったらしいけど、魔法の知識が全くない外からの生徒を留学生として入れようて話があったんでしょう?」
「よく調べているようじゃな。まあ、その方法なら問題も少ないかもしれないが……。そっちの二人はいいのかの?」
人差し指を向けたプリセラの方向を見れば、何やら地面にブツブツと言うモニカとノア。
「学校こわい学校こわい学校こわい学校こわい学校こわいテストこわい勉強こわいよし二人組でグループ作れこわい」
「夢にまで見た学園生活憧れの学園生活机で勉強同世代との邂逅」
「……どうして、二人してそこまで差があるのよ」
呆れ気味にアルマが言えば、その姿を見ていたプリセラが提案する。
「やる気になっている銀髪の子……ノアと言ったか? 彼女だけは転入させて、もう一人のモニカは他の方法で潜入させよう。これなら、文句はないじゃろう?」
「修学旅行こわい昼休みこわい身体測定の待ち時間こわ……え。――わーい! ありがとう、アルマちゃんのおばあちゃん!」
「ぐぅ、モニカと離れ離れになるのか……。しかし、これも諦めるしか……」
「……ノア、よくそれだけで下唇を噛んで血が出るぐらい憤れるわね」
個性的な反応を見ながらも、とりあえずプリセラは三人を見て深く頷いた。
「アルマの友達なら、悪いようにはしないぞ。明日にでも入学できるように用意をして、その間の寝泊りのために、学生寮の部屋も用意しておくことにしよう。しかし、アルマは既に卒業を控えていた身なので、学生寮に入れるといろいろ騒ぎが起こる可能性もある。アルマは、実家の方にいるようにするのじゃ」
モニカとノアは反論するかと思っていたアルマだったが、視線を落として呟いた。
「……仕方ないのかな」
自嘲気味に呟くアルマの右手をモニカは急に己の手で包んだ。
「落ち込まないで、またすぐ会えるから」
アルマの葛藤とはまた違うのだが、それでも忘れられてしまいそうな口約束がどうしようもなく心強く思えた。モニカに励まされつつ、アルマは満たされた気持ちを表すように微笑む。
「――さて、話もまとまったようじゃな。学生寮は塔を出た隣の建物になる。しかし、学園は迷路のようなものじゃ。案内をするために学園の教師を呼ぼう。話を通しておくから、聞きたいことがあれば何でも聞くんじゃぞ。孫の友達は、私の孫と代わらんからな」
「ま、孫っ!? しゃ、写真は舐めないでくださいね」
半泣きになりながらモニカが言えば、ニッコリとプリセラは微笑んだ。
「パンツは食べるかもしれんがな?」
「――ひぃ!? なにそれ、魔法使いの冗談!? こわい!」
怯えるモニカを横目に、頭を抱えるアルマへとノアは声をかける。
「魔法使いというのは、みんなあんな変態なのか? 気持ちは分からなくはないが」
「……アンタに変態て言われると、自分の祖母が変態だと改めて突きつけられた気分だわ。後、やっぱり気持ち分かるのね」
そんな時、アルマが入室した時よりも二回多い四度のノックが響いた。
「おお、迎えじゃな。入っていいぞー」
「――失礼します」
扉を開けば、そこにはめがねをかけた細身の男性が立っていた。短い黒髪に手を置き、気の弱そうな笑顔で頭を下げた。見た目だけなら、三十代半ばほどに見える。アルマと違い杖を持って戦うようなイメージは一切なく、どちかといえば部屋にこもって怪しげな薬でも使っている方がしっくりくる。
「はじめまして、みなさん。私はここで、魔法科学を教えているゼイレと言います。では、学園長……これから彼らを、学生寮までご案内しますね」
それだけ言えば、ゼイレは部屋に入ることはなく柔和な笑みを残して扉から一歩後退した。
「おお、頼むぞー。では、モニカとノアはゼイレについて行ってくれ」
「了解でっす。じゃ、ノアちゃん行こう! またね、アルマちゃん」
「では、情報集め頼むぞ。私はモニカとの学園生活を楽しませてもらおう」
「いや、アンタは真面目に調査しなさいよ」
廊下へと消えていくモニカ達を見送り、アルマは自分の祖母の方を見た。
「改めて……久しぶりおばあちゃん」
「うむ、元気にしとったようで何よりじゃ」
しかし、気づけばプリセラはアルマの顔の下に。
「……ねえ、悪いけど、おばあちゃん私の胸を揉むのやめてくれる?」
「もっと可愛い声を上げるかと期待したのじゃが、ぐふふへへへ」
なんとなくノアと喧嘩することが多い理由に気づきつつ、アルマは未だに自分の胸元に頬擦りをするプリセラを自分から離す。
「おばあちゃんは、いきなり出て行ったこと全然怒ってないんだね?」
「まあのぉ、誰だってあの職業しか無いといわれれば悩むもんじゃよ。さすがに、今の私は反省しておる」
「でもさ……おばあちゃんとしては、ソレになれたら嬉しいでしょう?」
「おおぉ、分かるか?」
「その顔見ていたらね。……ところで、お姉ちゃんは?」
「ああ、ここしばらく行方不明じゃぞ」
「へえ、そう行方不明なのね。まあお姉ちゃんのことだから――え」
あっけらかんと言っていたプリセラの雰囲気に流れてしまっていたせいで、途中まで喋っていた口がピタリと止まる。途中まで喋り、そこでやっと冷静になったのだ。
なんかおかしいことでも? とのんびりとした顔を見せるプリセラをアルマは口をぽかーんと空けて見つめることしかできなかった。




