8話 モニカレベル29 ノアレベル37 アルマレベル35
オオグの大群との戦いが始まり、既に十数分が経過していた。
接近してくるオオグを片っ端から効果範囲の広い爆発魔法で焼き払い、密集したオオグの群れの中に飛び込めばノアが剣を振るう。
村人達もアルマの魔法攻撃から逃れたオオグを集中的に攻撃した。いくらオオグとはいえ、アルマの攻撃を受けた重傷を負ったオオグを倒すことは、それほど難しいことではない。しかし、その中でもアルマはオオグの数が多過ぎることに気づく。
燃やしても、切っても、凍らせても、落とし穴に落としても、次から次に湧き出て来るのだ。
迫り来るオオグ達の足元に刃の雨を降らせれば、ノアの付近にいたオオグ達を焼き払う。
「――ノア! 一度、後退するわ!」
呑まれつつある状況にノアも気づいていた。すぐさま、「おう!」と返事をすれば、後退しつつ三体のオオグの足と胴体を分断する。
「この先に道が狭くなっているところがあるわ! そこで、もう一度迎え撃つわよ!」
強靭な脚力を活用したノアは、アルマの脇を駆け抜ける。立ち位置を変わったアルマは、土魔法を発生させるために脳内で詠唱する。
「そこから先へ行くなら、覚悟しなさいよっ! ――アストオブジェ!!!」
アルマの前方方向にいくつもの魔法陣が出現する。知能を持つようには見えない唾液を垂らしたオオグが、地面に発生した魔法陣に触れた。すると、視界からオオグが消える。
満足そうにアルマが口を歪ませる。
「まさか、この落とし穴がここまで役に立つなんてね」
実に忌々しい記憶がある魔法だが、何にしてもただ向かってくるだけの敵にはこれほど都合の良いものはない。
呟きつつアルマは背を向けて走り出す。
(それにしても、あのオオグの数は尋常じゃないわ。……まさか、あれだけの数が隠れていたの? まさか、オオグが人を襲うために長期的な集団での作戦行動をとっていたというの? いえ、オオグにそんな知能はないはずよ。……だったら、どうして)
疑問は浮かびはするが、それをじっくりと考えている時間はない。
戦いは次の局面に移ろうとしていた。
※
「――うぁ!?」
もう何度目か分からない、モニカは地面へと顔面からスライディングをしていた。顔を泥だらけにしながら立ち上がったのも、もう何回目だろう。考えるだけで、前進する力を失いそうだ。
足場の悪いところを走るだけで、これだけ情けない姿になる自分だ。オオグ達と戦うことになれば、まともに立っていることもできないのではと思ってしまう。
悪い予感という泥濘から抜け出すように体を起こす。そんなモニカの視界にあるものが飛び込んでくる。
「あ、そういえば、あれずっと持ってたんだった……」
こけた拍子に懐から出てきたのだろう。一メートルほど前にとき○モ2のディスクケースが転がっていた。
焦りや怒りばかり積みあがっていく状況で、目の前に転がるソレはモニカからすれば人を小馬鹿にしているように思えた。この状況では、何にもならない過去の勇者の落し物。そんな役に立たないとされる物を大事にしていたモニカだ。普段なら、絶対にそんな感情は湧かないのだが、立腹した気持ちの無意味な発散先はディスクケースに向けられる。
「こんな物っ……!」
ほぼ無意識かつ反射的に転がっているディスクケースを叩きつけるためのオーバースローは――途中で止まっていた。
モニカが冷静になったわけではない、その手首をしっかりと誰かに掴まれていた。
「へ……?」
気配する方向に顔を向ければ、キリカとの戦いの時にモニカを助けてくれた先輩勇者がいた。例の凶悪なデザインのゴツゴツとした騎士姿で、モニカの手から放たれようとしていたとき○モ2を見ていた。
(まさか、私を助けに……!?)
ここまで来て、誰かの手を借りるというのもどうかと思うモニカだが、頼りになりそうな騎士姿を前に期待してしまう。そして、おもむろに先輩勇者は右手の拳を持ち上げた。
「――て、他人の物を乱暴に扱ってんじゃねえよ! このクソガキがぁ!!!」
ゴーン、とモニカの頭の中で鐘を叩くような音が聞こえる。先輩勇者に――げんこつをされたのだ。
ごーんと何か落ちたかと思えば、の次はぽーんと何かボールが飛んでいくようにモニカの意識は遠くなっていった。
「やばっ……やりすぎたっ……」
妙なロリボイスを耳にモニカの意識は強引かつ唐突に闇に落ちた。
※
「――いたああああああぁぁぁぁい!!! ……てあれ?」
悲鳴を上げる間もなく気を失ったモニカは、出しそびれた悲鳴と共に体を起こした。腰を曲げて体を起こしたモニカを覗き込むように、先輩勇者が横で座っていた。
「回復魔法が効いたようね……」
「え、え、え? どうして、ここに?」
今初めて会ったかのように驚くモニカ。そんな仕草に逆に驚くのは先輩勇者ことクルミなのだが、モニカが殴られる前後の記憶がないことを察する。あまりの痛みでは記憶がトんでいるのだ。
どうやら自分に都合の良いように、物事が進んでいることに気づいたクルミは勇者としても先輩としても最低な嘘をつくことにする。
「あ……そ、そうよ。モニカちゃんが心配でやってきたら、ココに倒れてたから、回復魔法で助けてあげたのよ。安心して、気を失ってから一分も経ってないわ」
どうして、一分前に倒れたなんてことを知っているのか? 普通ならそんな疑問の一つでも浮かぶのだが、根が素直にモニカは「助かりました! ありがとうございます!」と、とても相手の罪悪感を刺激する笑顔を向ける。
完全に悪者であるクルミが苦笑していると、モニカはすぐさま笑顔のために開いて口をきゅっと閉ざす。
「……何か困っているんでしょう? せっかくだから、話をしてみてよ」
モニカは潤んだ瞳で顔を上げればクルミの顔をじっと見る。兜をしているため、クルミの顔は見えないが、それでも視線というものを感じるのだろう。クルミの目がある位置を見ながらモニカが言う。
「私――……つ、強くなりたいんですっ」
おそらく、モニカが言いたいことはそうではないというのをクルミは気づいていた。たぶん、モニカは先輩勇者であるクルミに助けてほしいのだろう。弱々しく目が泳ぎ、甘えるような申し訳ないような視線を何度もクルミは感じていた。
素直に助けてくれ、と言えば助けてやらないこともなかったクルミだったが、モニカの成長が嬉しくなり漏れそうな笑い声を飲み込む。しかし、あっさりとクルミは告げた。
「いいわよ、簡単に強くなれるわ」
「ほ、本当ですかっ? で、でも、修行とかはする時間ないですよ!」
「勇者を修行させようと思うなら、いろいろ準備がいるから、今回はやめとく。でも、私が今から教える方法はすぐに強くなれるわ。スキルの一つぐらい手に入るんじゃないかしら?」
「どんな方法ですか!?」
クルミの兜に噛み付くのではないかと心配するほど、ガバッと身を乗り出してモニカはクルミの兜を両手で掴んだ。
「――私を殴りなさい」
「へ?」
モニカの手がパッと離れると、ザザザーと数メートル後退する。
「こらこら、思っていることと違うわよ。おかしな趣味があるわけじゃないわ! 勇者の力の一部であるレベルアップシステムを活用するのよ!」
「ど、どういうことですか?」
「強い奴と戦えば戦うほどモニカちゃん自身が強くなっていることは気づいているでしょ? だから、それを利用してレベルの高い私と戦闘をしようて言うのよ。まあ、戦闘て言っても私から攻撃するような真似はしないし、モニカちゃんが私に向けて何かしらの攻撃を与えてくれるだけで十分よ。要は、私と戦ったことにすればいいの」
「なるほど……。でも、痛くないんですか?」
「鎧が頑丈だからね」
はははー、むしろモニカのパンチを痛いと思う人の方が少ないわよー、と言いたくても我慢。
正直、ノアに剣で突かれても怪我一つしない自信があるクルミ。一切強化されていないモニカのパンチなら、鎧をしている今なら蚊に刺される以下の攻撃だ。というか、この鎧自体には防御能力はない。
そうこうしている内に、モニカは拳をぎゅっと握りクルミの前に立っていた。そして、クルミはモニカの振り上げた拳を見ていたが――。
「――ううん、やっぱりできないよ!」
慌てて手を引っ込めるモニカにクルミは溜め息を吐いた。
「私は痛くないし、好きなように殴ればいいの。それに時間もないんでしょ? だったら、早くしないと」
「でも、何もしていない先輩をいきなり殴るのは……」
「でも、て何よ。でもって! 私は痛くないから、モニカ早くしなさい!」
モニカにちゃん付けすることも忘れ、クルミは怒鳴るように言う。それでも、モニカは拳を上げたり下ろしたもじもじとする。
呆れたように肩を落とすクルミ。モニカが優しいことは分かっていたが、その優しさと頑固さが混ざり、こんなところで障害になるとは思ってもみなかった。どうしたものかと悩みはするが、どちらかといえば単純な思考の持ち主のクルミは子供染みた作戦を思いつく。そして、二回手を叩いてクルミはモニカの注意を引く。
「モニカのばーか!」
「ふえぇ、いきなりなになに!?」
高い声のクルミに言われているせいか、子供の頃の嫌な記憶が刺激を受けて思い出してしまう。勉強もできなかれば、運動もできないモニカは、よく「ばか」て言われていた。最初は凄く傷ついて、泣いてばかりいたが、年齢を重ねるごとに作り笑いがうまくなったことで、随分と慣れてしまっていた。久しぶりに悪口を言われると、やっぱり傷つくし悲しいなとモニカは思った。
半泣きになるモニカを前にしても、クルミの悪口は止まらない。
「貧乳! ロリ! 幼児体型! 嫌いな食べ物多すぎ! 好き嫌いすんな! 高い崖を登る時にノアちゃんにおんぶしてもらうな! 料理をノアちゃんとアルマちゃんに任せるな! 分担しなさい分担! 泊まった宿屋は、出る時はちゃんと掃除して! ベッドの上がお菓子の屑だらけだったでしょ!」
「……先輩は、なんだかお母さんみたいだね。声は凄いロリロリだけど」
最初は落ち込んでいたモニカも、一歩踏み込んだ部分で注意をするクルミの話を聞いていく内に涙も止まっていた。それどころか、途中から嬉しそうに耳を傾けていた。
「こりゃ、失敗ね。……そうね、この際モニカに殴ってもらわなくてもいいわけよ」
「え? ほえぇ?」
「もっとボキャブラリーの多い子になってね! ――えい」
クルミがモニカの前に立ったかと思えば、思い切りゲンコツをする。
「うわぁぁ……!? がく」
がくん、と白目を剥いて倒れるモニカを抱えるクルミ。
「やっぱり、気を失ったか……。ほれ、回復」
さっと砂でも撒くようにクルミが手を払えば、指先から放たれる魔力の粒子がモニカに降りかかる。直後、ぱっちりと目を開く。
「い、いきなり、何ですか!? たんこぶになったら……て、なってない……」
「うん、そこも回復したからね。だから、安心して。……ほいさ」
ごつん、と再びモニカにゲンコツ。モニカの視界でいくつもの星が流れた気がした。そして、例のごとく意識が落ちる。三回目ともなると慣れた動きで、クルミが再び回復を行う。
がばっと音を立ててモニカが顔を上げた。
「ちょ、ちょっと! これ凄く痛いんですよ!? 勇者の力で頑丈になっているのに、頭に響くていうか……てまたうわぁぁぁ!? ――がくっ」
それから、五回ほど頭を叩かれたモニカの右手の勇者の印が輝き出す。それは、モニカのレベルが”ろく”上がったことと、新たなスキルを手に入れたことを告げる樹木神のアナウンスだった。
頭をさすり下手をすれば、何かとんでもない後遺症が残るのではないかと思うほどの荒療治を経験したモニカは――。
「――やっぱり、私から殴った方が良かったかな?」
というモニカの呟きに、クルミは「どんまい」と親指を立てるだけだった。
※
「じゃ、じゃあ、行ってきます! いろいろありがとうございました!」
新たなスキルを手に入れたものの、今のモニカが戦場に着く頃には日が暮れているだろう。モニカは気づいていないが、クルミは数キロ先の場所から感じる騒がしい魔力の流れからそう判断する。さすがにこれは、モニカには辛いというものだ。だったら、これぐらいの協力は許してほしい。せっかくここまでしたのだから、最後は盛り上げたい。
背を向けて走り出そうとするモニカの背中にピタリと触れるクルミ。
「そんじゃ、私が背中を押してあげるわ。――気張って行ってきなさい!」
とん、と軽く背中を押しただけのはずだった。しかし、モニカの目の前に突然ぽっかりと現れた暗闇に吸い込まれていく。
「て、あわあわあわあわあわっ~!? こ、これなんですが、体がこう……ずぶずぶっと!?」
「そうそう、ずぶずぶと行ってきなさーい! がんばれがんばれー」
「応援に感情がこもってないですよぉ!?」
そうこうしている内にモニカはずぶずぶと暗黒の空間の中に消えていく、何やら大声で喚いているようだが既にクルミの耳に届くことはない。
「ゲームのお礼にしては、贅沢過ぎたかな? 後は大丈夫だよね」
声は優しい口調だったが、兜の下の表情はどこか切なげだった。




