10話 モニカレベル90
剣がぶつかり合い、空間を震動させた。
「でやああ――!」
「はあああ――!」
モニカの剣を片方の剣だけでは受け止めきれなくなったキリカは、左手の剣を交錯させてその衝撃を緩和する。それでも、なおもモニカの攻撃を抑止することはできず、キリカの足は地面を滑る。ごろごろと足元の小石を転がしながら強制的に後退させられたキリカは右に飛んだ。
「やるね」
小さく呟いたキリカは、しっかりと顔の横にモニカの足が迫っていることに気づいていた。首を逸らしつつ攻撃を回避しようとするが、既にその衝撃波だけでも暴力的な突風となる。
キリカの体は横っ飛びで林の中へと吸い込まれていく。いくつもの木々を薙ぎ倒し、三度地面を地上に打ちつけた辺りでやっと二本の剣で体を支えた。
顔を上げるキリカの頭上からは、空中で体を回転させて向かってくるモニカ。太陽を逆光にして、回転と共にモニカは切りかかる。受け止めるような真似はすることなく、右手の剣でモニカの剣を弾けば刃の方向を逸らした。そのまま、後方へと宙返りするが、モニカは切り終わると同時にキリカへと突進していた。
「凄い、殺気……! 意外と怖いねえ……」
前方に剣を突き刺したモニカの刃を、左右の剣で挟みこむキリカ。喉元ギリギリでモニカの剣を止めたというのに、その表情にはどこか楽しむように口元が歪んでいた。
「勇者だって言ってたのに……! よくも、二人を……私の友達を!」
「理性がトんでも、それぐらいは覚えているの。いや、それが原因だったね」
挟んだモニカの剣を上に押し上げれば、キリカはモニカの腹部に槍のような鋭い蹴りを放つ。
モニカは腹に砲丸が突き刺さるような衝撃を感じた直後、後方の大木に体を叩きつけられる。モニカがぶつかったことにより、バリバリと激しい音と共に樹皮が弾けた。それでも、その鈍痛は一瞬のことでモニカはすぐさま戦闘態勢をとる。
「ごちゃごちゃ……――言うなっ――!」
勇者の剣の柄を握り後ろに引けば、それをキリカに向かって投げる。周囲の木々の根っこを引き抜き、直接触れたわけではない木に穴を空けながら、どんな投擲武器よりも恐ろしい攻撃力を持つ剣の刃がキリカに迫った。
「いいじゃん、こんな勇者がいても」
コンマの時間の命のやりとりの中、キリカは薄く笑ってそう言えば体を回転させて剣を避ける。キリカの背後の木々が薙ぎ倒され、岩石をも砕く音を耳にしながらキリカは体勢を低くしてモニカへと駆け出した。
「よくない! 誰かを傷つける勇者なんて認めないっ!」
素手になったというのにモニカも躊躇なくキリカへ突っ込む。
一度は消えた魔力の剣を再び両手に発生させ、右手は下から上に振る。モニカはそれを左側へと体を傾けることで回避すると同時にキリカの懐へ。なおも前進するモニカをキリカは左手の剣で突けば、モニカは顔を逸らしてそれすらも潜り抜けた。
「今のキミだって、ボクを、魔人を、モンスターを傷つけているだろっ?」
「違う! 悪いことをする人達と戦っているだけだ!」
モニカの右拳がキリカの腹部を突き上げた。確実な感触を受け、モニカは握り締めた左手の拳をキリカの顔面へと伸ばす。
「勝手な理屈だよ、まったく。……でも、勇者てもともとそういうものだよね?」
殴られているはずのキリカは、モニカの左拳をしっかりと己の右手で受け止めていた。キリカの左右の手に魔力の剣はない、それが意味することは受け止めていない方の右手での攻撃。
キリカのパンチが唸りを上げてモニカを急襲する。
「勝手なのは……そっちだよ!」
顔を逸らしたモニカの右拳はキリカの顔面を穿ち、回避したはずのキリカの拳はモニカの頬を強打した。
モニカの体は地面で強く打ち付けられ、キリカの体は再び地面を削りながら滑っていく。そして、ほぼ同時ともいう速度で立ち上がった二人は再び死闘に身を投じていった――。
※
樹木神は、深くどこまでも深い溜め息を吐いた。
朝、鳥達からこの辺の近況を聞き、昼、大陸中の木々たちから情報を集めていた。いつもの日課で少しだけ気持ちの落ち込む情報で溢れる毎日の日常。しかし、今日は昼を過ぎた辺りで勇者モニカの異変を感じていた。
『困ったのぉ』
樹木神は辛そうに呼気を吐いた。
少し前からモニカの勇者の印に、何か黒い瘴気のようなものを感じていたが、つい今それが爆発したことに気づいた。
どうやら、モニカの中で感情の抑制を全てぶち壊すほどの衝撃、もしくは何か命の危険が迫っているのは間違いなさそうだ。
どうにかしてやりたいが、極端に言ってしまえば樹木神は力の強いただの大木。足でもあれば走れるし、分身でも作ることができれば、モニカを助けに行ける。
それはほとんど不可能。人型の分身を作ることは難しいことではないが、時間がかかる。結局は人間の体で走っていくことになるのだ。魔法を使える者を生み出したとしても、まずはモニカのいる場所を特定しているところから始めなければいけないので、そうなればモニカのところに着く頃には日が暮れているだろう。
『モニカ、今どうしているんじゃ……お?』
顔なんて無いが、空を仰ぎ見ていた樹木神。懐かしくも強大な気配を感じ、意識を自分の根っこの方に向けた。
「やっほす! おひさしぶりー」
人差し指と中指をくっつけて、ピッとポーズを決めている一人の女性が樹木神を見上げていた。
腰まである長い黒髪の毛先は切り揃えられ、身長は百七十センチほど。単純に外見の年齢だけ見れば二十代後半にも見えるが、女性の雰囲気はそれなりの落ち着きを感じさせる年齢だ。服装はといえば、ラフなTシャツにジーパンとちょっとコンビニでも行くような格好をしていた。女性の顔を見ているまず最初に目が行くであるところがある。それは、少女のようなぱっちりとした二つの目だ。年齢の割りに大きな二つの目の輝きはかなり特殊で、右目が赤く左目が青色のオッドアイの瞳だった。
『……どうして、ここにいるんじゃ』
驚きはないが、不信感と困惑。しかし、この女性なら容易くここまで来るだろうということが樹木神には簡単に理解できた。
少女の頃から知っているが、かなり特殊な女性へと成長したのを樹木神はその身にひしひしと感じた。
「どうしても何も、樹木神様が困っているみたいだから、何か手助けできないかなーと思って」
軽い口調で言う女性に樹木神は、低く訝しむような声で問う。
『勇者のことか?』
「モチのロン。ていうか、モニカちゃんこと」
樹木神の土に半分埋まった巨大な根っこに座り、足を組む女性はそれでも茶のみ友達と会話でもするように極少数の力を持つ者しか知らないことを気楽に話をする。
『やはり、知っておったか』
「あったりまえー! モニカちゃんのことなら、知らないことはないわよー」
『……ふむ、やはりモニカとお主は――』
「ちょっと待って、樹木神様。今はそれどころじゃないんでしょう? だったら、私が協力するよ」
友好的な女性の言葉を聞き、樹木神は短く唸る。もしも顔があるなら、きっとじろじろと舐めるように見ていただろう。
『お主に、か?』
「他に誰かいるの?」
両手を広げて自分の存在を見せるところは、昔から変わっていないなと樹木神は思った。
『昔のお主なら、気軽に頼めたのかもしれん。しかし、お主がここにいると分かった以上は異変が何なのかも分かり始めてきた。……今のお主に頼むという行為が、ワシをどれだけ不安にさせるか分かっておるのか?』
「何でここに来てお説教なんてすんのよ。いいじゃない、別に。他の誰よりも、私の方があの子を助けにいけるわ。それに、私はあの子を傷つけるようなことはしないわよ」
樹木神から言わせれば、女性の発言は他の誰よりも説得力があるものだった。それでも、女性は過去に世界を塗り替えるような大事件を起こしている。正確には、起こしかけたという方が正しいのだが、それ以降の世界の影響を考えれば世界をひっくり返したとしても過言ではない。ただ、この女性とモニカの関連性を考えれば、これ以上に良い方法がないのも間違いはないのだ。
数秒の葛藤の末、渋々という様子で樹木神は語り出した。
『……分かった。それならば、お主にモニカの居場所を教えよう』
「最初からそー言えばいいのよ、そう言えばっ」
腰に手を当てて、拗ねたように女性が言う。
樹木神は懐かしい気持ちにもなるが、この女性に決して気を許してはいけないことを知っていた。
『今、お主の心にモニカの居場所を送った』
「はいよー、ビンビンきちゃっているよー。……うん、この距離なら転移魔法で一発ね」
『大陸の端から端まで転移できる女がよく言う……。――クルミ』
「お、久しぶりに名前呼ばれると懐かしいね」
嬉しそうにへらへらと笑うその顔は、昔と全く変わっていないように見える。思い出と重なるその姿に思わず優しい言葉の一つでもかけたくなるが樹木神はグッと堪えた。
厳しい口調のままでクルミと呼ばれた女性に言う。
『モニカを頼むぞ。あの子が悪いようには、しないでくれ』
気の抜けた笑みを戻して、口を閉じたクルミは儚げに笑う。
「……あの子を連れて来たアンタが言わないでよ」
樹木神の葉は動揺するようにざわざわと揺れた。
『それは……すまぬ。ワシもまさかこうなるとは思っていなかった。……一つ、聞きたいが、お主はその姿のままであの子の前に出る気か?』
「あぁ……やっぱ変かな?」
『お主はまだモニカに会わない方がよい。ワシすらも、未だに混乱しているのじゃからな……。今の状態のモニカなら、どのような反応があるのか不明じゃ。――これを付けていくがよい』
クルミの頭上の太い枝がガサガサと上下に動いた。
あまりにもラフ過ぎる。異世界の中での異世界といった不思議な格好をしていたクルミを光が覆った。頭部には竜の顔を基本デザインとし、顔の先左右の耳の辺りに三本の角を足したような兜。全身を包むのは、クルミの体を二回りほど大きく見せる頑丈そうな鎧。両肩は禍々しく竜の爪のように尖り、脚部もスリムな形をしていながら他者を傷つる刃を連想させる凶悪性。
頭の先の足の先まで、クルミを包み込んだ全身濃い青の鎧。元の姿がクルミどころか、男性にしか見えない。
「ねえ、この鎧て樹木神様が私に合わせて作ったの……?」
『そうじゃが』
「そうじゃが、て……。凄い凶悪な感じじゃない。これじゃまるで、地獄の番人とか世界の覇者とか悪竜の戦士とか、そんな十代前半のワクワクを刺激されるような姿じゃないの!」
『実は、喜んでいるじゃろ……?』
「まあ、割とね!」
鎧をガチャガチャ鳴らしながら飛び跳ねて喜んでみせるクルミ。
『特別な力は一切なく、ただ身を隠すためのものじゃ。兜に魔力を込めるとお主の声を別人のように変えてくれるように作っておいた。コレで、お主の正体は誰にも分からん』
「ねえねえ、何か強くなるような力とかは鎧にはないのー?」
『あるものか、今のお主にはそれ以上の力は必要ないはずじゃぞ。クルミ』
「お! また名前を呼んでくれた! 嬉しいなー!」
『は……早く行かぬか! それ以上、戯言を聞いてる暇なんかないわ!』
クルミと過ごした過去の記憶のせいで動揺を隠し切れない樹木神。やれやれとクルミは肩をすくませれば、軽く手を上げた。
「いろいろ、あんがと。……それじゃ、またいつかね。樹木神様」
クルミの頭と足の先から魔法陣が出現し、頭上のものが下に足元のものが上に向かえば、魔法陣で体を消すようにその場から姿を消した。魔力の残滓すら残さない高位の転移魔法をあっさりと使ったクルミは、気楽な雰囲気でその場から煙のように消失した。
樹木神はついそこまではしゃいでクルミの場所を枝で撫でた。
『……クルミ、お主はどうしたいんじゃ……』
呟いた本音という言葉は、それこそ煙のように風に流れて消えた。