6話 モニカレベル18 ノアレベル37 アルマレベル35
日が沈みかける中、なんとか無事に釣りが終わった三人。モニカもアルマも一匹も釣っていないのだが、ノアが腹を満たすには十分過ぎるほどの魚を釣り上げていたことで目的は達成できたようだ。
薄暗くなった空間でたき火をおこせば、その灯りを頼りにノアが魚を料理するために準備をしていく。
「エラから串を刺して、それから骨に巻きつけるように奥に押し込めば完成だ。これで、後は焼くだけ。串に骨が絡まるようにしているから、このままかぶりついても綺麗に骨だけ残るように食べられる。……やはり、川魚はそのまま焼いて食べるに限るからな」
ノアの作業を覗き込んでいたモニカは感嘆の声を上げる。
「へー! ほー! わー! 私、こういう料理初めてだからドキドキしてきたよ。……じゅるり」
「よだれが出ているわよ、モニカ」
モニカを注意するアルマあったが、その顔は焼き魚を準備するアルマから目が離せないでいるようだ。
「ついさっき釣ったばかりで生臭くもないから、普通に食べるよりもきっと美味しいはずだ」
調味料である塩の入った小瓶を目立つように岩の上に置けば、串に刺さった魚を並べていく。みるみる内に色の変わっていく魚にモニカは溢れ出しそうな唾液を飲み込んだ。
「ノアちゃんが、仲間で本当に良かったよ! 料理上手な仲間がいて、ほんとーに幸せだな!」
テンションの上がるモニカは、魚の焼き加減を見るためにたき火の横に座るノアに背後から抱きついた。
「ぅわ!? ……そ、そんなに、私と旅ができて幸せか?」
「もちろん! きっとノアちゃんは、いいお嫁さんになるね」
たき火が熱いからという理由ではなく、ノアの頬が赤く染まる。
「その時は、どっちが婿になるのだろう。……やはり、身長から考えても私が婿になるのだろうか?」
普通なら理解できないノアの言葉にモニカは首を傾げた。
ノアの脳内では、協会の一番奥。そこで神父の前で見つめ合うノアとモニカの姿が余裕で妄想できていた。
「それはないんじゃないかなっ。ノアちゃんは、普通お嫁さんでしょ?」
照れ隠しの冗談を言っているのだと思ったモニカは屈託のない笑顔で返答をする。
モニカに言われれば、ノアの脳内で再生されるのはタキシードを着たモニカ、そして純白の花嫁衣裳の自分。身長さはあるものの、いつもより逞しい顔をしたモニカを想像すれば、これはこれでゾクゾク興奮してきた。
「……それはそれでアリだな」
「ん? 全然ありだよー」
ニタリと笑うノア、よく意味も分からないままで頷くモニカ。二人の誤解が暴走していることに気づきつつも、アルマは疲れたように二人を見つめるだけだった。彼女の達には、よく合う、それでいて相応しい穏やかな場所。
――時として、穏やかな風は暴風に変わる。そして、風は急激に流れを変えた。
「ノア」
「分かっている」
アルマがノアの名前を呼び、杖を掴めば立ち上がっていた。既に気づいていたのか返事をすることもなく、ノアは剣を手にすれば立ち上がる。状況が飲み込めないモニカはおろおろと二人を見て、とりあえずといった様子で勇者の剣を抜いた。
モニカの視界からすれば、たき火から周囲四~五メートル程度の距離しか見えない。しかし、ノアとアルマにははっきりと警戒する何かが分かっているようだった。
「――その状況で、よくボクの殺気に気づいたね」
暗がりから砂利を踏みしめる音と共にやって来たのは、眼帯をした一人の少女。――キリカだった。
「気づくぞ、お前の殺気は一番向けてはいけない人間に向かっていたからな」
「最初はわかんなかったけど、ある一人だけにはご執心の様子だったようだから。……なんだか、気持ちの悪い殺意を放つのね」
ある一人、殺気を向けてはいけない人間、それは明確に誰とはアルマとノアは口にはしなかったが、モニカを守るように二人が少しだけ前進した。
「ふ、二人とも……」
「下がっててくれ、コイツ……只者じゃない」
ノアは剣を手の平の上で回せば、強く柄を握りその身に引いた。モニカもよく知っているノアの戦闘態勢だ。そして、隣に立つのはアルマ。その目がモニカに、おうえんスキルを使うように指示していた。
ついさっきまで楽しい時間を過ごしていたのに、今は急に殺伐としている。そんな空気を息苦しく思ったモニカは、二人を押しのけて前に出た。
「ちょっと待って、二人とも! 話も聞かないで、すぐに戦うなんてダメだよ!」
「……しかしだな、ソイツの殺気は本物だ。本気でモニカの命を狙っていた」
「何か理由があるかもしれないよ、私ちゃんと聞いてみる。それに、ノアちゃんやアルマちゃんが守ってくれているから大丈夫だよ、ね」
見たことのない焦った表情でモニカを止め上にようとするノアだったが、優しく笑うその顔に言葉が続かない。
モニカを危険に晒したくないアルマも止めようとしていたが、おうえんスキルの能力上昇の効果が自分に出ていることに気づいた。あんなゆったりとした発言の中、モニカがアルマやノアに力を付加させていることに驚きを感じていた。
「いつの間に、ここまで使えるようになったのよ……」
アルマの問いかけに、「へへへっ」とモニカが照れたように笑う。
「できるかなって思って、心の中でおねがいってしたら、できるようになっちゃった」
イタズラでもしたように小さく舌を出すモニカは、反転して突然現れたキリカへと体を向けた。
確かに一回一回、大声で応援するよりも瞬時に出来る方が戦闘では何倍も役に立つ。それでも、何となく寂しい気持ちになりながら、前よりも確実に成長しているモニカの後姿を黙って見つめるアルマ。何にしても、どの方向からの攻撃でも魔法で対処できる。モニカを守れる可能性が高くなった以上、アルマはモニカの気持ちを尊重したいと思った。
開いた口を閉ざしたアルマを見たノアもモニカの気持ちを汲むように、ただ黙って敵と対峙する小さな背中を見つめる。
「ねえ、貴女の名前を教えて」
剣を腰の鞘に戻しつつモニカがそう聞いた。その姿にノアとアルマは焦りの表情を見せる。その剣を自在に使えないとしても、武器を手にしているかしてないかでは天と地ほどの差がある。自殺行為とも呼べるような今の状態だが、それはモニカなりの戦い方だ。そう承知していたはずだが、キリカの殺意は今までのやり方が通じない相手だとノアとアルマは緊張を募らせる。
垂れたおさげ髪を揺らしつつ、キリカが歩み寄って来る。
「ボクの名前はキリカ。――勇者だ」
「ゆう……しゃ……?」
キリカ以外の三人が、その発言に少なからず動揺していた。
勇者は世界に一人だけ、という話は聞いたことがない。しかし、勇者という存在がそう簡単に出て来ていいものではない。モニカの勇者の力を目の前で見ているノアとアルマは、キリカの発言に混乱する。
衝撃でぼんやりとしていたモニカは気を取り直して否定した。
「わ、私も勇者だよ! ……つまり、私の仲間てことなの?」
「違うよ、ボクはキミの仲間じゃない。知らないフリはやめてくれないか、キミは勇者のニセモノだろ」
「え……!? 違うよ、私はちゃんと勇者だよ! ほら、これが証明!」
右手の甲を顔の辺りまで持ってくれば、その手が淡く輝く。手の甲に淡い光と共に映し出されるのは、勇者の印。これがモニカの力の源で、その証拠だった。
勇者の印を見たことのないキリカも、その状況に僅かり驚きで目を大きくさせた。しかし、すぐさま無表情に戻す。
「キミの言うとおり、特殊な力があるようだ。ニセモノの悪人と思っていたが――」
「そうだよ、信じてくれた!?」
「ああ」と返事をすれば、右手を広げてゆっくりと前進するキリカ。
打ち解けたと思ったモニカは、キリカの元へと駆け寄っていく。
「だからさ、仲間ならこれから一緒に――」
「――まさか、ニセモノの怪物だったとは」
「へ――?」
コンマの速度でキリカの右手の中から魔力の光が出現し、それが剣の形に変化する。漆黒の魔力で形成された刃が、モニカの喉へと真っ直ぐに向かう。しかし、既に右手を広げた時点で駆け出していたノアが、モニカを抱きかかえてその場から飛び退いた。
「外した」
「コイツ……! 本気で殺すつもりだったぞ!」
憎しみに顔を歪めたノアが吐き捨てるように言う。
逃がすまいとキリカが軽く地面で跳躍すれば、すぐさまノアの前に着地。そして、目にも止まらないスピードで魔力の剣アンナス・セイバーを薙ぐ。その刃は、モニカどころかノアすらも半分に断つ殺傷力を秘めた一撃。
「焦げ臭くなるわよ! ――フレア!」
声に気づいたキリカはノアとモニカへと向けられていた剣の手を止めて、地面を蹴る。頭ほどの大きさの火球がキリカの立っていた場所を通り過ぎていく。回避の成功したキリカは重さを感じさせない動きで背後へ飛べば、放たれた火球は地面を焦がすだけだ。
「なにそれ、香りつけ? ――だったら、もっといいニオイにしてよ」
離れた距離を再び縮めるように接近するキリカは、魔力の剣の標的をアルマに変更する。
「近づくなっ!」
再び杖の先から火球を発射するアルマ。しかし、弾丸のような速さの火球を回避したキリカは、アルマの持っていた杖を蹴飛ばした。地面に転がっていく杖を拾おうとしたアルマの首筋には魔力の刃。
「武器を持っているからといって、それで攻撃するとは限らない。経験の差かな」
淡々と告げるキリカの懐から、黒い物体が現れる。高速で接近したノアが剣を構えて近づいたのだ。
「数では私達が有利だっ――!」
ノアの得意の剣が放たれる。しかし、キリカの首へ到達する刹那、その刃はピタリと動きを止めた。刃先からノアの顔まで、キリカはじろりと見る。
「でも……実力が上なら、もうどうしようもないよ」
キリカは左手から魔力の剣を発生させるとノアの首に触れるか触れないかのギリギリで突きたてていた。結果として、アルマとノアはキリカに剣を向けられて身動きのとれない状況になっていた。
睨み合う三人。その内、キリカの目は前方で不安そうにしているモニカを見た。
「どうする、ニセモノ。この仲間達も、どうせお前が魔法か何かで操っているんだろう」
「お……お前じゃない、モニカだよ……。それに、二人は……大切な友達なんだよっ」
「口では何とでも言えるよね。それに、怪物の名前なんて、覚えたくない。二人を助けにきなよ、勝てるかどうか別としてボクは両手が塞がっているんだ。狙いどころじゃない?」
震える手でモニカは剣を構えた。これは、決してキリカという達人を前にして怯えているわけではない。人間に刃を向けることの恐ろしさを、構えてみて初めてはっきりと自覚したからだ。
「モニカ……アブソリュート・フォースを使うのよ! どうせ私達は使いものにならないわ!」
アルマが声を荒げる。
その力を使えば、確かにキリカを倒せるかもしれない。アルマとノアは一つの希望として考えた。しかし、それでもモニカは人間と戦うという冷酷な状況でさえも混乱しているのに、そんな相手にさらに強い力で戦うという行為ができるわけがなかった。
モニカはキリカの片方だけ見える綺麗な瞳を見て叫んだ。
「キリカちゃん! どうして、私達戦わないといけないの!? きっと、私達仲良くできるよ! 同じ勇者なんだもん!」
モニカの声を聞いたキリカが不快な表情を見せる。
「……同じじゃない。同じなわけがない、勇者は一人だ。そして、そんな勇者がお前みたいな怪物であるわけがない。勇者であるボクと似ているところなんて、どこもない。――ボクとキミは違い過ぎる!」
「そんな……」
キリカへと構えていた剣が、モニカの落ち込みに比例するように刃先が下を向く。それでも、モニカなりに考えるようにした。どうすれば、このまま彼女と戦わないで済むのか。絶対戦わないといけない、なんてことは決まっていない。きっと、どうにかなるはずだ。
悩むモニカの鼻に焦げ臭いにおいが漂ってくる。先程の火球かと思ったが、それは背後で燃えている肴の串焼きだ。そこにはもう食欲を刺激する魚の姿はなく、消し炭間近の無残な状態だった。
せっかく楽しみにしていた魚の塩焼きがとんでもないことになって、モニカはがっくりと肩を落とした。そして、ほぼ無意識にモニカはキリカを見ながらこんなことを言う。
「……キリカちゃん、お腹空かない?」
「……なんのこと?」
様子のおかしなモニカにキリカは当然のことながら警戒する。そして、自分には人質がいるんだと言わんばかりに魔力の剣をアルマとノアの首へと近づける。
「一緒に、晩御飯食べない?」
「本気……?」
「うん、決闘する時は空腹の状態では流儀に反するて樹木神様が言っていたよ」
「何が言いたいの?」
もうそろそろ空腹が限界に来ていたモニカは、全力でこの先を考える。どうすれば、この場を収拾できるのか。それは、強引なヘリクツで乗り切るしかない。
わざとらしく困ったような呆れたような言い方をするモニカ。
「勇者の決闘は空腹でしちゃいけないて決まってんだよ。……もしかして、勇者なのに知らなかった?」
「そ、そんな決まりがあるのか……」
キリカに動揺の色が浮かんだ。
勇者て、やっぱりどこかアホなのかもしれない。そう考えつつ、貴重な隙をアルマは見逃さない。
「そうよ! 勇者の決まりであるんだから! 空腹時の勇者との戦いは卑怯者だってね!」
少なからずキリカがショックを受けていることは、アルマから見ても明白だった。
「卑怯者……ボクが……」
ノアもこの流れに気づき、慌てて言葉を付け足す。
「ああ、私の村の伝承でも言っていたよ。食事前の勇者を攻撃する勇者は、極悪人と呼ばれ、勇者どころかモンスターと変わらないってな。さらには、そんな奴は勇者には絶対になれないって聞いたぞ!」
「ボクが勇者に……なれない……」
どうやらノアの最後の一言が効いたようで、だくだくと大量の汗を流しているキリカ。それから、無言で五分ほど経過する。刃を突きつけられたノアとアルマには、五時間にも感じるような胃の痛くなるような時間だった。
魔力の剣が蝋燭の火を消すようにふっと消えた。
「……別に伝承とか信じるわけじゃない、ただ弱った相手を襲うのは勇者らしくないと思う」
ボソッと呟けば背中から攻撃されることを警戒してか、モニカとノアとアルマを見ながら後退する。ようやく命を奪われる恐怖から逃されることのできたノアとアルマは強い呼気を吐きながら、その場に手をついた。
「だ、だったら、キリカちゃんも一緒にご飯食べない?」
まだ仲良くなることを諦めきれないモニカはめげずに聞く、しかしキリカは無表情で首を横に振る。
「キミとか? 怪物と食事をする趣味はない。……明日の昼、またここに来るよ。その時こそ、キミの最後だ。一対一、どっちが本当の勇者に相応しいか決着をつけよう」
キリカの真っ直ぐな眼差しがモニカを見る。そこには、簡単に揺るぐことのなさそうな真っ直ぐな瞳が見ていた。眼帯でもう片方は見えないが、きっと両目だったらとんでもない圧迫感になっていたのかもしれない。
モニカにも勇者としてのプライドがあったのか、それともあまりの気迫に流されてしまったのか、モニカは自然のことのように頷いた。
「……うん、分かった」
背中を一度も向けることなくキリカは、最初からそこの住人であるように闇の中に消えていった。